lundi 31 octobre 2011

リッカルド・シャイーさんのベートーベン交響曲第9番を聴きながら



切っ掛けははっきりとは思いださない。おそらく、ル・モンドのサイトを開けた時に広告が目に入ったような気がしている。ひと月前のことだ。すぐにプログラムを調べ、注文していた。パリはもう5年目に入ったが、初めての本格的コンサートになる。別に意識的に避けていたわけではないが、最初の2年くらいはそんな余裕などなく、後の2年はそんな気分にならなかった。どこかに学生には贅沢ではないかという気持ちもあったのかもしれない。日常に音楽や音楽的なものが溢れ、アパルトマンを出るといつも不思議の世界 (詩的で音楽的?) が待っているので強い欲求にまで至らなかったのだろうか。

コンサートはリッカルド・シャイー (Riccardo Chailly, 1953- ) 指揮、ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団の演奏によるベートーベンの第9交響曲合唱付きである。ビブリオテークからサル・プレイエルに出掛ける。ゲヴァントハウスを引き連れてベートーベンの交響曲全曲演奏をしていたようだ。




プログラムによると、最初の曲はフリードリヒ・チェルハさん1926- ) がベートーベンの第9の前に演奏する曲としてゲヴァントハウスから依頼されたもので、最初の反応は Non ! だったようだ。しかし、日が経つにつれて曲の冒頭が頭に鳴り響き、菌糸体のように増殖しはじめたという。そして、最初の姿がどうだったのかわからなくなるほどの変容を遂げ、一音も書くことなく混沌とした中から形が見えてきた時、委嘱を受けることにして一気に書き上げたとのこと。この一節には肖りたいものだと強く反応していた。ただ、曲はあまり印象に残っていない。





ベートーベンの第9は何度も聞いているはずだが、実演はそれほどない。曲の外から何気なく聴く時と今日は明らかに違った。曲の内側から聴いているという感覚が常に付き纏っていた。そのせいだろうか。これまで聴いたことのない曲に何度聞えたことだろう。シャイーさんの表情の付け方に新しいところもあり、こんな曲だったのかという思いで実に新鮮な経験になった。合唱が始まるとみなさんがどんな姿で歌っているのかをオペラグラスでたっぷりと味わわせていただいた。人間が声を出して歌うというのも随分と野性的な運動であることに気付く。叫びのようなところなど尚更だ。

演奏を聴きながら、もう何十年も前のカーネギー・ホールでの演奏を思い出していた。指揮はクルト・マズアさん。そのすぐ後にロリン・マゼール指揮のクリーヴランド管弦楽団を聴き、音量の違いに驚いたのだ。ゲヴァントハウスの演奏には音そのものの迫力に欠けるというのがその時の印象で、ヨーロッパとアメリカの違いを実感させられた最初の経験になった。近いうちにアメリカのオーケストラを聴いて当時の印象を確かめてみたいものだと思っていた。





ところで、バイオリンに Kana Akasaka という名前が見えた。イタリア人がドイツのオーケストラをパリで指揮する。隣の席からはイタリア語や聞き慣れない言葉が聞こえる。ヨーロッパにいれば当た り前だが、日本からの目で見直せば、異なる文化の中を人がよく動いていることに驚く。どこか羨望にも近い驚きである。



dimanche 30 octobre 2011

ベルグソンに感じた違和感、あるいは哲学が目指す二つの道


Henri Bergson (1859–1941)


こちらに来てから哲学をどう考えればよいのかについて、特に科学との関連で思いを巡らせていた。その結果、今の段階での一応の方向性を掴んだつもりでいた。それは、科学の領域に匹敵する新しい知を哲学が加えることは難しいのではないか・・・哲学が生きる道は科学の出した成果について考察を加え、一段高いところにある知を作り上げる過程 に参加する他ないのではないか、というものだった。

ひと月前くらいだろうか。ベルグソンの 「思想と動くもの」 (La pensée et le mouvant)を読んでいた。ところが読み進むうちに、あれっ、これは違うな、という感覚が訪れる。それまでに自分の中にできあがった考えとは明らかに違う方向性が語られていて、一色に染まっている布地に新しい色の染料がぽとりと落ちるのをはっきりと感じたのである。

ベルグソンは科学と哲学に同等の価値を認める。その上で、「哲学者の任務はすでにできあがっている知識を手に入れ、それをだんだんと普遍的なところにもっていき、凝集に凝集を重ねていわゆる知識の統一と呼ばれたものまで進むことだ」 と言えるだろうかと問い掛ける。そして、「哲学を実証科学の綜合に仕上げたり、ただ哲学的精神というものの力だけによって同じ事実の普遍化において科学よりも高いところにのぼれると称したりすることではなくなって」 おり、このような任務は科学に対する侮辱であるばかりではなく、哲学に対してはいっそうの侮辱になると考えている。

それでは哲学の任務はどこにあるのだろうか。1911年、ボローニャでの講演 「哲学的直観」 ではこのような考えを語っている。

「世界を満たしている物質と生命は同時にわれわれの中にあります。すべての事物のなかではたらいている力はわれわれが自分たちの内に感じます。そこにあるものおよびそこでおこなわれているもののきわめて内的な本質がどうであるにせよ、われわれはその一部分なのです。そこでわれわれ自身の内部に降りていきましょう。われわれが触れた点が深ければ深いほど、われわれを表面へ押しもどす勢いは強くなります。哲学的直観はこの接触であり哲学はこのはずみ (エラン) であります」

「科学者は・・・事象を分割することに注意するものであるから、どうしても自然を相手に詭計を用い、自然に対して警戒と闘争の態度をとらなければならないのに反して、哲学者は自然を仲間扱いにしています。科学の方針はベイコンが提出しているように、命令するために服従することであります。哲学は服従も命令もしません。哲学者は同感を求めます。この視点から見ても、哲学の本質は単純の精神であります」

このようなことに気付くと、哲学を学校から引き出して生活に接近させたいと思うようになるとベルグソンは言うが、哲学は最終的には科学の型にいれることができなければならないと考えている。ベルグソンの哲学は科学の具体的なところに入るのではなく、自らの中に入り、生活を温め照らす手段としての哲学になるのだろうか。

実は最初に違和感を感じた時、このエピソードを何度か書こうとした。しかし、書くところまで行かなかった。そうしていると最初に感じた驚きが次第に薄れ、それが当たり前のようになってくる。そういう別の立場があることがわかると、恰も以前からその考えが自分の中にあったかのように錯覚することになる。




Gilles Deleuse (1925–1995)


そして先日のビブリオテークでのこと。ジル・ドゥルーズの書いたベルグソンについての文章を読んでいる時、最初に感じた違和感の意味がわかる次のような一節に出くわした。

科学の根には哲学がある、と言うだけでは不充分である。科学が成長した今、問わなければならないことは、なぜ未だに哲学が存在しているのかという点である。それに対して哲学の側は2つの答えを用意してきたが、それは2つしかないからである。

一つは 「もの・こと」 についての知識を与えてくれるのは科学であり、その点に関して科学と競うのではなく、科学に任せる。哲学がやることは、科学が出した 「もの・こと」 の知識について批判的に観想すること。もう一つの道は、科学とは違う 「もの」 との関係を確立、回復しようとすること。それは 「もの」 そのものに対して問い掛けることのない科学がわれわれから奪い取った知であり、関係である。そして、ベルグソンが選んだのは後者の道だった、とある。

わたしが考えていた哲学のやり方は確かにひとつの道として考えられているが、それだけではないということになる。もう一つのやり方が具体的にどのようなものなのかイメージが湧かないが、以前に触れたことのある 「専門としての哲学」 と 「生き方としての哲学」 との対比に類似したものになるのだろうか。自分の頭で必死に考えようとするベルグソンの営みには科学者の頭の使い方と違うものを感じたことがあるが、今回その背景が少しわかったような気がした。同時に、自分の今いる位置も相対化されてきたように見える。

ここまで来るのにひと月以上かかったが、この日まで待つように仕組まれていたかのようである。日頃感じる小さな抵抗感を忘れずに抱えていると、いつかどこかに導いてくれる。そんな可能性を秘めたわずかのズレをこれからも大切にしたいものである。


学問的哲学と生き方としての哲学 (2011-08-24)
科学万能時代の哲学 (2011-09-27)





この週末から11月1日の万聖節に向けてヴァカンスの雰囲気が街に溢れている。午後、近くの散策に出る。公園の中に入ると秋深しだ。帰り道、子供連れのご婦人に大きな声を掛けられ、驚く。

 「今日パンを売っているブランジュリーはどちらですか?」

トラディションを手にぼんやり歩いている人を見つけたからだろう。店はほとんど閉まっているが丁度空いているところがあり、手に入れたところだった。


今日から冬時間が始まった。



samedi 29 octobre 2011

ウィリー・ロニスという写真家再び



2009年、あとひと月で100歳という時に亡くなったウィリー・ロニスさん写真を最近取り上げたドワノー (Robert Doisneau, 1912-1994)、カルティエ・ブレッソン (Henri Cartier-Bresson, 1908-2004)、イジス (Izis, 1911-1980)、ブーバ (Édouard Boubat, 1923-1999) などに並ぶフランスのヒューマニスト派に属する最後の写真家で、職人や労働者、パリの街、そして自分を対象に最後まで撮り続けた。ロニスさんがどのような人生を歩まれ、どんな考えをお持ちだったのか。少し長いがご本人のお話を聴いてみることにした。







(IV) 先日の写真が撮られたゴルドの話が出てくる。プロヴァンスに11年滞在した。
30年後にゴルドで開かれたレトロスペクティヴの様子もある。
かの有名な Le Nu provançal 「プロヴァンスのヌード」
奥様 (Marie-Anneさん) をゴルドで撮ったものだった。



(V) la chance (運) と le hasard (偶然)、la vision globale (全体的な視点) が語られている。




-------------------------------------------

こちらは昨年パリで開かれた回顧展 « Willy Ronis, une poétique de l'engagement » (ウィリー・ロニス: アンガジュマンの詩法)の映像。彼の芸術について主催者が語り、ご本人は写真を撮るようになった経過、「情報」 とも関連する雑誌 Life とのいざこざなどを語っている。






-------------------------------------------

最後は、アズナブールの La bohème とともにロニスさんの世界を味わう趣向になっている。




Ronis をフランス式に発音するとロニになり、ウィキでもそうなっていたので最初のバージョンではそうしたが、フランス人もロニスと発音している。そのように統一することにした。と書いて、前ブログを調べてみるとロニスになっている。どうしたのだろうか。いつもの症状だろう。

ウィリー・ロニスという写真家、そして何必館・梶川芳友 Willy Ronis, et Yoshitomo Kajikawa/Kahitsukan (2009-01-24)



vendredi 28 octobre 2011

体の声に素直に従うこと、それは精神を透明にする


Morimura Yasumasa
A Requiem: Theater of Creativity / Self-Portrait as Marcel Duchamp
(2010)


今日はお昼からビブリオテークへ。
4-5時間の仕事になった。
このところ、眠くもならず比較的集中できているようだ。
一番の秘訣は無理をせず、自然の流れに任せることにしたことだろうか。
前もって時間を決め、無理やり出掛けないこと。
その日の気分が乗った時に出掛けること。
途中珈琲ブレイクを入れ、ぶっ通しでやらないこと。
集中できなくなったら、その日の終わりにすること。
要は、体と頭の声に素直に従うことだ。
これこそ詩的にインプロヴァイズするということになるのか。


ところで、今日資料を読んでいる時、ある発見をした。
長くなりそうなので、その話は明日以降にしたい。



mercredi 26 octobre 2011

リカルド・レイスという人 Ricardo Reis, ou...



昨日触れたオクタビオ・パスさんのエッセイで、不思議な話を知ることになった。ペソアさんは70以上の名前を使っていたが、それは単なる偽名というのではなく、実際に存在しているかのような人間に付けられた名前で、heteronym というらしい。このエッセイによく出てくるのは、Alberto Caeiro、Álvaro de Campos、Ricardo Reis。

最後のリカルド・レイスという人物は、1887年9月19日、午後4時5分、リスボンで生れ、イエズス会で教育を受けた後、医者になる。君主制主義者で、1919年からブラジルに亡命。信仰に対しては懐疑的で、ラテン語の教育を受け、時間を超えて生きている。過去の人間のように見える彼は永遠の智慧の中に生きることを決意したのである。

この人物を主人公にポルトガルのノーベル賞作家ジョゼ・サラマーゴさん (1922-2010) が 「リカルド・レイスの死の年」 (The Year of the Death of Ricardo Reis)という小説を書いている。この小説では、ペサオさんが亡くなったことを知ったレイスさんはブラジルから戻るが、医者としての仕事をすることもなくホテルに住み込み、新聞を読んだり、リスボンの街を当てもなく歩いたりして無為に過ごす。そうしているうちに、生や死がどういうものかわからなくなり、両者の境も見えなくなる。小説の最後で、レイスさんは社会との関係を拒否し続けたその人生を閉じる。こんなお話のようである。

レイスさんの人生、そんなに悪いものではないのではないか。そんな感想が出てくるということは、どこかに重なるところが見えたためだろうか。





ペソアさんは占星術にも凝っていて、その人物の性格に合わせて生年月日を決めていたという。


mardi 25 octobre 2011

フェルナンド・ペソアさんの言葉から


Fragments d'un voyage immobile
Un inconnu de lui même : Fernando Pessoa

Fernando Pessoa
+ un essai d'Octavio Paz


あるリブレリーでのこと。ポルトガルの詩人フェルナンド・ペソアさん (1888-1935) の断章を lusophone 文学の棚で見付ける。机に向かっての旅から生まれた思索の断片が埋まっている。メキシコのノーベル賞作家オクタビオ・パスさん (1914-1998) の魅力的なエッセイが巻頭を飾っている。早速のカフェで味わう。その中の言葉から、いくつか。


------------------------------------------------

« Pendant quelques années j'ai voyagé à la recherche de façon-de-sentir. Maintenant que j'ai tout vu et tout éprouvé, j'ai le devoir de me replier sur moi-même, de travailler autant que je le pourrai, dans tous les domaines à ma portée pour faire progresser la civilisation et élargir la conscience de l'humanité. »

「何年かの間、わたしは感じる方法を探し求めて旅をしてきた。すべてを観、すべてを感じた今、文明を発展させ、人間の意識を拡大するために、自省し、わたしの手の届くすべての領域でできる限りの仕事をする義務がある」


« Vivre, c'est être autre. Et sentir n'est pas possible si l'on sent aujourd'hui comme l'on a senti hier. »

「生きるとは別の人間になることである。もし昨日感じたように今日も感じるのだとすれば、感じることはできないのである」


« Je ne réfléchis pas, je rêve... »

「わたしは熟考はしない。夢を見るのだ・・・」


« Dieu le veut, l'homme rêve, l'œuvre naît. »

「神が望み、人が夢み、作品が生れる」


« Feindre c'est se connaître. »

「振りをすること、それは自分を知ることである」


« Je me sens né à tout instant
A l'éternelle nouveauté du Monde... »

「わたしは絶えず生まれているように感じる
世界の永遠の新しさに向けて・・・」


« Je n'évolue pas : JE VOYAGE. »

「わたしは進化しない。旅をするのだ」


« Vivre n'est pas nécessaire ; ce qui est nécessaire, c'st créer. »

「生きることは必要ではない。必要なのは創造することだ」





実はポルトガル文学のセクションが見つからないので店員さんに尋ねてみた。そんなはずはありませんという表情で案内してくれた先は portugaise ではなく lusophone と形容された棚であった。ペソアさんに最初に出遭った時にこの言葉にも触れていたことをすっかり忘れていた。


フェルナンド・ペソアという作家 Fernando Pessoa (2010-01-12)
現代ヨーロッパ文学もいずれ (2010-03-23)




lundi 24 octobre 2011

空ゆく人から地上の人へ、あるいは 「ヘルメス対ヘスティア」 再び



つい最近のメトロでのこと、ひとつのイメージが浮かぶ。それが今日のタイトルになった。その元になったのは、このところ心の在り様が以前と違うのではないかという小さな抵抗感だった。一言で言うと、以前のように心が舞い上がることなく、妙に落ち着いているのだ。それをやや詰まらなく感じたのかもしれない。

この4年ほどの間は物理的にも頭の中も新天地に入り、無限の彼方に向けて恰も空を飛んでいたように感じられる。こちらに来る前に描いていたイメージを思い出すと、境の見えないどこまでも広がる白雪の荒野をゆくというものだった。当て所もない飛行では、目に触れるものを選ぶことなく仔細に観察しようとしていた。今感じている不思議な落ち着きは、その4年の旅を終え、地上に降り、これまで見てきたものに一つの形を与えようとしているためではないかと気付く。

例えば、わたしの旅が全部で6年ほど続くとする。そうすると最後の1-2年は旅の中の旅を振り返り、意味づけをする時間になることを意味している。遠くから見ると一つの旅だが、その中には別の濃い旅が含まれていたことになる。いつの日かパリを離れる時が来るとする。その時にはこの旅のすべての時間が頭の中にしか存在しなくなる。空に描かれる像としてしか見ることができなくなる。それは一体どんな景色になるのだろうか。それを見たいと思うかどうか、その時が来るまでわからない。





今日の瞑想は6年前に取り上げたヘルメスヘスティアの焼き直しのようでもある。
程度の差はあれ、すべての人が抱えるテーマかもしれない。

ヘルメス vs ヘスティア (2005-03-11)



dimanche 23 octobre 2011

ステファン・エッセルさんもエドガール・モランさんも最後は 「詩的に生きること」 Vivre, c'est vivre poétiquement


Le chemin de l'espérance (septembre 2011)
Stéphane Hessel & Edgar Morin


先日、小さなリブレリーで見つけたこの本を読んでみる。第二次大戦中レジスタンスだったお二人、ステファン・エッセルさん (1917年10月20日ベルリン生まれ、94歳) とエドガール・モランさん (1921年7月8日パリ生まれ、90歳) の184歳コンビによる 「希望の道」 である。

現代世界は個別の現象が独立してあるのではなく、すべてが一つに繋がっている。例えば、核兵器の増殖、人種・宗教紛争の継続、バイオスフィアの破壊、制御不能な世界経済、お金による支配、経済・技術優先による野蛮などの問題はわれわれ一人一人を取り巻く問題になっている。この認識がこの本のベースにあり、そこからどこに向かうのかを探っている。最終的には、それぞれの人間が 「善く生きること」 ができるような社会、個人の資質が花開くように生きられる社会を目指すべきだというところに辿り着く。

そのためには、物を持つことによる満足から精神世界の充実への転換、数から質への転換、異分子排除から開かれた心 (共感、同情、心遣い) への転換などが語られている。教育についても触れられている。中学校では現代社会を取り巻く問題が地球規模になっていることを踏まえ、これまで分離されていた教科を絡み合わせて教えること。それから知識を教えるだけではなく、知識とは何かを教えること、同様にヒューマニズムを教えるだけではなく、人間とは何かを生物学的、個人的、社会的側面から教えて、人間の歴史や人間を取り巻く状況、矛盾、悲劇をはっきり意識させることが重要になると主張している。これらは哲学的視点を導入することを意味しているのだろう。

われわれが 「善く生きる」 ためには個人の持てるものを開花させることが前提になる。そして、「生きるとは、すなわち詩的に生きることである」 という言葉が現れる。これを見た時、もう5年も前に出遭っているマルセル・コンシュさん(1922年3月27日生まれ、89歳)の言葉と重なり、嬉しくなる。人間が持っている詩的な必然性を表現することこそ善く生きることになるという考え方。そこに向けての政策を考えるというやり方。外界の変化を感知する感受性とその情報を受け取った後の反応が実にしっくりとわたしの中に入ってくる。


マルセル・コンシュ MARCEL CONCHE (III)
(2006-09-27)
人生を詩的に POÉTISER LA VIE (2006-10-01)



samedi 22 octobre 2011

サンタクロースのいる世界、あるいは永遠の嘘




子供の頃、サンタクロースが何を持ってきてくれるのかを楽しみに寝たこともあった。それがいつの間にかそこにはからくりがあることに気付くことになる。それから夢見がちの青年時代が訪れる。そこでは超越的な存在により最善の形に導かれるだろう、謂わば守られた世界にいるだけでよいと考えていた。しかし、現実の社会にも舞台装置があり、それをこれから動かさなければならないことが見えてくる。そして、あーあ、これが大人になるということだったのかと嘆息することになる。と同時に、いつまでも虚構の世界に留まり、背後にある装置を見たくないと思ったこともある。大人にはなりたくないという気分である。

3・11以降、あるいはそれ以前から次第に明らかになりつつあることについて、いろいろな人がいろいろなことを言っている。その考えに触れる時、いつも思い出すのはこのサンタクロースの話だ。目の前で進行していることは以前とほとんど変わらないが、何かの原因で背後の装置を剥き出しにしてしまった時、どう対応するのか。それでも味気ないその舞台の裏側は見たくないという気持ちでいるのか。今まで通り、何事もなかったように生活したいという気持ちもよくわかる。ただ、そうしているうちに意識の中から舞台装置があっという間に消えていく。

このような状況では、枠の中の話をするのか、自らを取り巻く枠組みをも含めた話をするのかが重要な問題になる。そのどちらを選ぶのかを考えなければならない。もし自分の生きている世界がどういう世界なのかをできるだけ正確に知りたいと思うのが人間の根源的な欲求であるとすれば、舞台装置を取り上げないわけにはいかないはずである。閉塞感が進行しているという言葉を見続けているが、枠の中のお話をしている限りその感覚は消えないような気がする。


vendredi 21 octobre 2011

昼の月、クーニンさんのセミナーへ



昨日は月に一度のセミナーのため、大学の研究所へ。
メトロのエスカレータから空を見上げると、嬉しいことに昼の月。
訳もなく今日もよいことがありそうな気分になる。






今日の演者はユージン・クーニンさん。クーニンさんを初めてお見掛けしたのは、昨年パスツール研究所であった "Viruses of Microbes" (微生物のウイルス) というシンポジウムだった。自らの主張を体から発し、積極的に議論を吹っ掛けるようなところのある日本では見かけないタイプの研究者で、強い印象を残した。どんな会でも最低一人は必要になる貴重なタイプである。

モスクワの大学で生物学の教育を受けた後、1991年から現在の場所で研究をされている50代半ばの研究者になる。始まる前にお話をさせていただいたが、相手の話を誠実に聞き、自分のすべてを動員して誠実に答えるというタイプの人間であることがわかった。研究の発表になるとそれがさらに強調され、体から脳髄がはみ出しているのではないかと思えるくらい、体と思考が密に絡み合っている。研究のためだけに存在しているような印象さえある。その姿勢は、発表が終わった後に哲学科の院生がクリテークをした後にもはっきりと表れていた。




Dr. Koonin & Mlle. Frédérique Théry


セミナー終了後、何人かの方からあなたの intuition は冴えていましたね、と声を掛けられる。今年ノーベル賞を貰ったジュール・ホフマンさんの写真とともに日本の学会誌にこの会について小さなエッセイを書いたことを彼らに伝えていたからだ。確かに、発表の後に学会誌が手元に届いたのでその驚きも理解できないこともない。

La transformation du savoir scientifique en savoir général (2011-10-2) 学会誌の仏訳
ジュール・ホフマンさんらにノーベル賞 (2011-10-03)




2011年7月1日


ところでこの7月のこと。メトロの表示が躍っていて、一瞬だがどこにいるのかわからなくなった駅があった。しかし今日通り過ぎたところでは、元通りに戻っていて落ち着く。前のものは仮の表示だったのかもしれない。よく見ると、確かにロックしている。




2011年10月20日



jeudi 20 octobre 2011

中島みゆきと田中康夫、そして秘かな悦び



これまで暇にまかせて、新党日本の田中康夫氏の番組をネットでちょくちょく観ていた。日本にいる時、田中氏とわたしが似ていると語りかけてくる方がいたからだ。似ていてもせいぜい見掛けだけだと思いたいが、それ以来気になっている。

昨日のこと、いつもの暇にまかせて Youtube で日本の歌を聴こうとしたところ、中島みゆきのオールナイト・ニッポンの中に入っていた。そしてその語りを聞いた時、これは田中康夫だ、とすぐに気付く。こういう関係を発見する瞬間、いつも空が晴れ渡る。

以前に嬬恋コンサートの最後に見えた吉田拓郎の顔と美空ひばりの母親の顔が重なり、養老孟司さんの論理の捻りの中に寺山修司のそれを見たことがある。そして昨日、ある方が実は中江兆民だった!という大発見をした。ご本人にお伝えするかどうか、まだ決めていないが、、。というような誰も同意しないだろう関係が浮かび上がる瞬間に秘かな悦びを見出している。



mercredi 19 octobre 2011

久し振りのアルカンシエル L'arc-en-ciel, que signifie-t-il ?



今しがた急に雲行きが怪しくなり、強い雨音が聞こえた。
早速バルコンに出て雨音を味わう。
ひょっとすると出会えるかもしれないという淡い期待を抱きながら。

すると、どうだろう。
ほどなくその姿が現れた。
素直なアルカンシエルだ。

数分後には姿を消し、しばらくすると雨が止む。
そして何もなかったように青空が再び顔を出した。

その時、中庭から子供の大きな声が上がってくる。
腹の底から何かを言っている。
こういう突き抜けた子供の声は日本ではあまり聞くことがなかった。
なぜか気分も晴れる。

ところでアルカンシエル、あなたは何を言いたかったのですか。



「科学から人間を考える」 試みのお知らせ (3)



以前に 「科学から人間を考える」 試みを11月24日(木)に開くというお知らせを出しました。どれだけの方が興味を示されるのかわからずに、とにかく発車した会でしたが、お蔭さまで参加者がほぼ定員に達しました。参加を希望されている皆様に感謝いたします。

会までにまだひと月を残しており、またできるだけ広く語りたいという思いがそれに重なり、この機会に同じ内容の会を翌日の11月25日(金)にも開くことにいたしました。場所、時間などは同じですが、定員が約15名の部屋になっています。いつものように急な決定になりましたが、興味をお持ちの方の参加をお待ちしております。

また、会場の定員には幅があるようです。24日の会に参加を希望される方がおられましたら、その旨ご連絡いただければ幸いです。年末の忙しい時期に重なりますが、ご検討のほどよろしくお願いいたします。




「科学から人間を考える」 試み

第1回 「科学と哲学を考える」 (その2)

日時: 2011年11月25日(金)
午後6時半~8時

会場: カルフール会議室 (定員: 約15名)
Carrefour
東京都渋谷区恵比寿4-6-1
恵比寿MFビルB1


参加費:
高校生・大学生 (無料)、一般の方 1,000円
会場で飲み物1杯の注文をお願いいたします。

参加予約が必要になります。

会の詳細は下記のサイトをご覧ください。

「科学から人間を考える」 試み






mardi 18 octobre 2011

エルサレム旧市街再訪



大学に書類のお願いをしたがなかなか返事が来ないので、秘書さんに直接聞いてみることにした。一つ考えたのは2年から3年への移行に問題があったことで、もしそうだとすると面倒なことになるので早めに処理することにした。

オフィスに入ると、机の上に書類が山積みになっている。新学期が始まり、処理しなければならないことが溜まり、なかなか手が回らなかったようだ。書類は来週にでも用意しますとのことで一安心して外に出ると、新しい人たちで溢れている。久し振りに大学のビブリオテークで時間を過ごすことにした。


昨日ぺトラの映像を探している時、エルサレム旧市街の文字が見える。
もう2年も前になるイスラエルの旅を思い出し、ついでに観ることにした。

旧市街西壁で未来を想像する (2009-06-13)











lundi 17 octobre 2011

ぺトラへの旅 Pétra, Jordanie



街で Pétraぺトラ)の文字を見る。
古代ギリシャ語で岩壁を意味する。
紀元前8世紀に現在のヨルダンに建設された都市。
エジプト、シリア、アラビア、地中海を結ぶ位置にあり、栄えた。
盛時で25,000人ものが住んでいたという。
しかし、交易ルートが変わり、紀元8世紀までには忘れられていった。
1812年、スイスの探検家ヨハン・ルートヴィヒ・ブルクハルト (1784-1817) により発見される。
1985年にはユネスコの世界遺産に認められる。

早速、ヨルダンの古代都市の映像を音楽とともに味わう。
暫しの間旅をしている気分になる。









<




dimanche 16 octobre 2011

「FUKUSHIMA プロジェクト」 という活動、あるいは 「情報」 再び



今年の初め、情報という言葉について簡単に触れた。そのポイントは、情報という言葉の中に相手をある方向に導くという意味がすでに含まれているということだった。そもそも中立的な情報など存在しないということである。況や当事者の発する情報をや、である。3・11後の状況もこのことを如実に示しているが、実はわれわれの身の回りで起こることすべてに当て嵌まることだ。

「情報操作」 という言葉に込められた欺瞞 (2011-02-05)


ところで、今朝このような記事を見つけた。いつものように知らなかったのはわたしだけなのかもしれないが、以下に貼り付けておきたい。

FUKUSHIMAの本質を問う【1】原発事故はなぜ起きた? (ECO JAPAN、2011年10月5日)
同志社大学ITEC副センター長・山口栄一教授に聞く

この記事を読み、久し振りに頭の中がすっきりする。その中で 「FUKUSHIMA プロジェクト」 なる活動があることを知る。これからいろいろなところから報告書が出されると思われるが、真実に迫るには一つの情報に頼るのは危険だろう。このプロジェクトがどのような報告を出すのか注目しておきたい。



リュシアン・ジェルファニョンさんのお話を聴く


Tibère (Tiberius)
(16 novembre 42 av. J.-C. - 16 mars 37 ap. J.-C)


一カ月前、古代を専門にしていた哲学者で歴史家のリュシアン・ジェルファニョンさんが90歳で亡くなられた。ブログを始めてすぐの2005年、雑誌 Le Point の中でこの方に出遭っている。ある文化の中に入った最初の頃に覚えたことはなかなか忘れない。最近も思い出して1冊手に入れたばかりである。

Lucien Jerphagnon (7 septembre 1921 - 16 septembre 2011)

古代の記憶 - リュシアン・ジェルファニョン (I)(II) (2005-06-06, 07)


昨日はジェルファニョンさん82歳の時のビデオを味わいながら観る。精神が活発に動いている様子がよくわかる。全体が美しい映像でまとめられている。以前の記事にある内容にも触れられている。

ジェルファニョンさん曰く、興味を持ったことがあれば、どこであろうが出掛けて行って知ろうとすること。哲学者の仕事は本の中を歩くこと (だけ) ではなく、この世界に出て発見することである。

Rencontre avec Lucien Jerphagnon (ina.fr)



samedi 15 octobre 2011

ジョルジュ・ムスタキさん、病と人生を語る Georges Moustaki parle de sa maladie et de sa vie



メールのサイトでジョルジュ・ムスタキさんのニュースが目に入る。フランス語を始めていなければ聴くこともなかっただろう懐かしい方になる。

ジョルジュ・ムスタキ (Georges Moustaki, né le 3 mai 1934 à Alexandrie, Égypte)

ムスタキを聞く ECOUTER MOUSTAKI POUR LA PREMIERE FOIS (2006-03-14)


そのニュースによると、2009年1月8日、ジョルジュ・ムスタキさんはバルセロナの舞台から呼吸器の病気で歌うことができなくなったと公表。それから2年経った今年初め、現在の心境を綴った本を出版した。

La sagesse du faiseur de chanson (2011) 「歌書き屋の智慧」

彼の 「祖国」 とも言えるサン・ルイ島のアパルトマンに今でも住んでいる。最初に集中治療室に運ばれた時はそのまま死ぬかと思ったが、そうはならなかった。体は弱り40年間毎日のようにやっていた卓球もできなくなっている。よくなる見込みがないにも拘わらず、気持ちはしっかりしているという。病気になると、心に触れる友情にはこれまで以上に敏感になり、家の中で目にすることもなかった、例えば、昔よく遊んだチェスなどを再発見することもあった。

今書いているのは郷愁について。彼らの世代はヨーロッパ、南アメリカなど世界中に散らばった。ギリシャの思い出とエジプトへの郷愁とを抱きながら。アレクサンドリアで過ごした子供時代には、生きる悦びに充ちた老人の智慧を見ていた。それで老人になることを夢見ていた。子供時代と老境にある自由への渇望が彼を支えてきたようだ。

最近アフリカで起こったことを見て驚いている。母国エジプトの人民にこれだけの力があるとは思っていなかったし、これほど早く独裁者を退けることなど予想もしていなかったという。






En Méditerranée 「地中海にて」 (「内海にて」 とも訳されている)

Dans ce bassin où jouent
Des enfants aux yeux noirs
Il y a trois continents
Et des siècles d'histoire
Des prophètes, des dieux
Le Messie en personne
Il y a un belle été
Qui ne craint pas l'automne
En Méditerranée.

Il y a l'odeur du sang
Qui flotte sur ses rives
Et des pays meurtris
comme autant de plaies vives
Des îles barbelées
Des murs qui emprisonnent
Il y a un belle été
Qui ne craint pas l'automne
En Méditerranée.

Il y a des oliviers
Qui meurent sous les bombes
Là où est apparue
La première colombe
Des peuples oubliès
Que la guerre moissonne
Il y a un belle été
Qui ne craint pas l'automne
En Méditerranée.

Dans ce bassin je jouais
lorsque j'étais enfant
J'avais les pieds dans l'eau
je respirais le vent
Mes compagnons de jeux
Sont devenue des hommes
Les frères de ceux-là
Que le monde abandonne
En Méditerranée.

Le ciel est endeuillé
Par-dessus l'Acropole
Et liberté ne se
dit plus en espagnole
On peut toujours rêver
D'Athènes, de Barcelone
Il reste un belle été
Qui ne craint pas l'automne
En Méditerranée.


(こんな内容の詩です)

地中海にて

この貯水池(内海)で黒い目の子供たちが遊んでいる
3つの大陸、幾世紀もの歴史がある
預言者、神々
メシアその人
秋が来るのを気に掛けることのない美しい夏がある
地中海には

岸に漂う血の匂いがある
沢山の生々しい傷のように痛めつけられた国々がある
鉄条網で囲まれた島
閉じ込める壁
秋が来るのを気に掛けることのない美しい夏がある
地中海には

爆弾で朽ちるオリーブの樹がある
そこに最初の鳩が現れた
戦争が刈り取った忘れられた人々
秋が来るのを気に掛けることのない美しい夏がある
地中海には

この貯水池(内海)で子供の時私は遊んだ
足を水に浸け、風を吸いこんだ
遊び仲間は大人になった
世界が見捨てる彼らの兄弟
地中海では

アクロポリスの上で空は喪に服す
そして自由がスペイン語で言われることはもうない
いつもアテネとバルセロナを夢見ることができる
秋が来るのを気に掛けることのない美しい夏のままだ
地中海では



vendredi 14 octobre 2011

ミルコ・グルメクさんのこと Dr. Mirko Grmek


Mirko Grmek (1924-2000) wiki fr.


数日前、わたしのブログを見て興味を持つかもしれないとのことで、ミルコ・グルメクさんの新しいサイトやその他のお仕事を紹介するメールが届いた。送り主を調べてみると、やはり研究者でグルメクさんの奥様であることがわかる。グルメクさんに関しては、日本にいる時には知らなかったが、こちらのマスターの時にそのお仕事の一端に接し、幅広い領域での創造的な活躍に感動したことがある。

クロアチア出身だが、1963年からはパリに居を移し、67年にはフランス国籍を取り、パリで活躍された医学史家である。ザグレブ大学で医学を学ぶ前にはレジスタンスに関わっていた。後年、本来の専門とは別に、生れたお国で問題になった民族浄化についても発言されている (Le nettoyage ethnique)。頭と体が絡み合った人生を歩まれた方に見える。

お仕事の一つに Pathocénose という概念を提唱されたことがある。その骨子を現在の理解で大雑把に言うと、病気というのは単独であるのではなく、他の病気との関連で存在しており、歴史的に見ると、ある時点、ある社会での病気の種類に変化はあるが、病気そのものは平衡状態にある、ということになるのだろうか。つまり、ある病気が減ったように見える時には新しい病気が現れることを示唆する考え方になる。この概念をエイズの消長から分析したものに Histoire du sida があり、日本語にも訳されている(「エイズの歴史」)。アマゾンによると、翻訳があるのはこの一冊だけのようだ。

メールに紹介されていたサイトはこの概念をタイトルにしている。すでに、2005年、2008年、2010年と3度に亘り国際会議が開かれていて、これからの発展を期している様子が伝わってくる。グルメクさんのお仕事に関する感想や現在のプロジェクトについて触れながら感謝のメールを出したところである。

La Pathocénose
サイト







jeudi 13 octobre 2011

前ブログを振り返る大プロジェクト、そしてスティーブ・ジョッブスさんの実父のことなど



ブログの新しい装いが気に入っている。全く新しい世界に身を置いているような錯覚に陥るからだろう。その世界ではすべての記事が近いところにあるように感じられるところがよい。ということで、前ブログ 「パリから観る」 もこのバージョンで作ってみようという気になる (もちろん、前のバージョンはそのまま残す予定)。いつ終わるかわからないプロジェクトになる。

最初は2007年から始め、盲目的に作業をしていた。しかし、折角の機会なので4年連用日記を読み直すように進めるのも面白いと思い始める。この過程で気付いたことの一つは、こちらに来た当初の写真が非常に大らかに見えたことだ。対象を切り取る枠にも強い拘りがなく、素直に、素朴に向き合っているように感じるのだ。本当に昔の写真を見るようで、懐かしい感じがした。この4年間で気付かにうちに感受性が少しずつ変わってきたのだろうか。

http://paulailleurs-avfp.blogspot.com/




昨日のこと。ネットを歩き回っている時、最近亡くなったスティーブ・ジョッブスさんの生みの親についてのニュースを見つける。

ジョブズ氏の実父、再会果たせず (ウォール・ストリート・ジャーナル、2011.10.11)
For Jobs's Biological Father, the Reunion Never Came (WSJ, Oct. 10, 2011)







中にジョッブスさんの妹で著名な小説家の話が出てくる。彼女のインタビューを見ると、肉親に対する彼女の見方が伝わってくる。

Mona Simpson (1957- ) Wiki 








mercredi 12 octobre 2011

クリスチャン・ド・デューブさんの人生と世界観



昨日は午後から近くのリブレリーに出掛け、数冊仕入れる。その中にあった上の1冊をサンドイッチ屋さんとカフェで読む。

クリスチャン・ド・デューブChristian René de Duve, né le 2 octobre 1917, en Angleterre)

著者はイギリス生まれのベルギー人で、細胞内小器官であるリソソームペルオキシソームの発見により1974年にノーベル医学生理学賞を受賞している。ベルギーのルーヴェン・カトリック大学Katholieke Universiteit Leuven) で研究の後、ニューヨークのロックフェラー大学でも研究室を持ち、大西洋を跨いで活躍された。1917年生まれなので、御歳94。


この本は簡素な自伝で、若き日の教育環境や研究生活を振り返り、いくつかの分岐点があったことを指摘している。そこにジャック・モノの言う偶然と必然の組み合せを見ている。細胞の生化学、細胞生物学に集中した後は次第に大きな絵に興味が移り、生命の起源、人類の歩み、脳機能、さらには 「意味」 についての思索へと進んで行く。

ド・デューブさんはわれわれの遺伝子の中には 「集団のエゴイズム」 が生き残っていると見ている。異なる者に対する攻撃性が潜んでいて、「遺伝子の原罪」 の虜になっているという。ド・デューブさんのお国も言語による対立が表面化している。また、「核ホロコースト」 という言葉を使って最近の日本の状況にも触れている。この状態を変える希望は、遺伝子の機能を後天的に変えるエピジェネティックな作用の中にあるのではないかと言っている。それは教育で、そのためには教育者が必要になる。教育者を求めるには師や賢者が必要になる。たとえそのような人が稀に見つかったとしても、その声に耳を傾ける人たちがいなければならない。




ド・デューブさんは子供の頃、イエズス会で教育を受けている。それから科学の道に入り、後年ダーウィンの進化論を研究することになる。そして、80年の歳月を経て、教育者となるべき人が二千年前にすでにいたことを悟ることになる。それがキリストだと気付いたという。その教えが遺伝子の重荷からわれわれを救うと考えており、東洋にも例えば仏陀や孔子などの師がいるはずであると語っている。

現代にはいろいろな対立がある。両者の差異をなくそうとするのではなく (それは不可能だろう)、対立を認め、それを乗り越える方向性を探ることがこれからやらなければならないことだろう。そのためには、できるだけ多くの哲学者、道徳家、科学者、他の領域の思想家が 「知的誠実さ」 (l'honnêteté intellectuelle) を以って両者が合意できるところを探さなければならないと考えている。そして、ド・デューブさんにとって基本になるのはキリストの言葉である。この本では l'honnêteté intellectuelle という言葉が何度か使われており、その度に自らの心に問い掛けていた。

デカルトの心身二元論についての否定的な考えも語られている。死する身体と永遠の精神、物と心、res extansares cogitans。この異なるものが松果体で相互作用とするとデカルトは考えた。ド・デューブさんは単純に論理的に考えて行く。もし精神と物質が異なる本質を持つとした場合、どのようにして相互作用が可能になるのか、という疑問である。そして、物質と精神は異なるのではなく、一つの現実の別の面が現れたもので、デカルトの二元論は一元論にその場を譲らなければならないと結論している。

ド・デューブさんを煩わしたもうひとつの二元論がある。それは創造主 (神) とその作品が別物であるとする二元論である。19世紀初めにウィリアム・ペイリー (William Paley, 1743–1805) が 「自然神学」 の中で、時計の比喩を使って創造主の存在証明をしている。道に転がっている時計を見た時、その複雑な構造物はそれを造った人の存在を考えなければならないように、宇宙の複雑な存在を目にした時、創造主を想定しないわけにはいかないと考えた。そこで出てくるのが、一体その創造主を誰が創造したのかという疑問だ。幹細胞のように、創造主が自分自身をも創造したのか。神学者が言うように、創造主は創造されるものではなく、そこにあるものなのか。あるいは、スピノザ (1632-1677) が唱える汎神論pantheism) のように、自然そのものが神なのか。物理学者の中には創造主を考えることなく、物理的な原理の想像を絶する偶然の成果として生命と知性が生れたとする新たな自然神学も生れている。ド・デューブさんは信仰やこれらの推測から距離を取り、上に述べた一元論で行きたいと考えている。


---------------------------

6月に会があったロックフェラー大学の前の通りに面して彼の業績を讃えるポスターがあり、その写真を記事で使っていた。

会議最終日、発表はフレンチ・アクセント、そして新参者へのシャワー? (2011-6-25)




mardi 11 octobre 2011

40年振りの便り



週末の寒い中の散策が祟ったのか、翌日から鼻水、くしゃみ、悪寒が襲う。わがアパルトマンの暖房は夏の間しゅーっという音とともに入っていたが、今その音が聞こえない。体調が優れないとやる気が起こらず、休養にする。お若くないのだから・・・

今日、学生時代の友人と連絡が取れた。昨年からイタリアに研究で来ているという話は伝わっていたが、連絡先がわからずそのままになっていた。そして数日前、日本からどうしても連絡を取りたいというメールが入ったので研究施設に直接メールを送り、もし在籍していれば転送をお願いした。ほとんど期待していなかったので、1時間後くらいに返事が来た時には驚く。40年振りとの言葉があり、厭になる。意識の上ではつい最近なのだから。それはそれとして、「時間」 も面白い対象になりそうである。

メールによると、いつまでいてもよいと言われているようだが、2年くらいで日本に帰り、新たな環境で仕事をしたいとのこと。その意欲に感心する。帰国までにイタリア訪問ができればよいのだが、、、。


lundi 10 octobre 2011

期せずして秋のパリ散策



昨日は期せずしてパリの街中を散策することになった。

お昼から少し遠くまで読みに出かける。メトロを降り、散策してから適当なカフェを探す。数時間読んだ後、歩いて帰ることにする。これまでに歩いたことのないところを選びしばらくするとカルフールに差し掛かり、道が6方向ぐらいに分かれている。いつもの感でそれらしい雰囲気の道に入る。気持ち良く進んで行くが、あるはずの店がない。そうするうちに見えるはずのないエッフェル塔が目に入り、道を間違ったことを悟る。こちらに来てからよくあることだが全く慌てることもなく、これまで来た道を戻るということもしなくなっている。とにかく何か先にあるだろうと期待しながら新しい道を進む。メトロの駅が見えてきた。中に入ると一方向しか走っていないところで、しかも逆方向。今日はこういう日だと諦め、適当なところで降り、雨に濡れた枯れ葉散るパリの街を散策。久し振りにたっぷり歩いた一日だった。







dimanche 9 octobre 2011

マルクス・アウレリウス再読


L'Œil de l'Oubli (1995-2010)
Anne et Patrick Poirier (1942- , 1942- )


そろそろ冬に向かってきたようだ。昨夜はほぼ1年振りにマルクス・アウレリウス (121-180) の 「自省録」(神谷美恵子訳) を手に取り、古代ローマ帝国五賢帝のお一人の声に耳を傾ける。


--------------- **** ---------------


「まことに人生において出遭う一つ一つのものについて、組織的に誠実に検討しうることほど心を偉大にするものはない。その対象がどんな宇宙にたいしてどんな効用を持っているのか、全体にたいしてどんな価値を持っているのか、人間にたいしてどんな価値を持っているのかを考察し、それが何であるか、どんな要素から構成されているか、現在私にこういう印象を与えているこの対象はどれだけの間このままで存続するか、これにたいしては私はいかなる徳を必要とするか、――たとえば優しさ、雄々しさ、真実、信義、単純、自足、その他――等以上の点を考察しうるように、常々そんなふうに個々の対象を見ることほど心を偉大にするものはないのである」


「人は田舎や海岸や山にひきこもる場所を求める。君もまたそうした所に熱烈にあこがれる習癖がある。しかしこれはみなきわめて凡俗な考え方だ。というのは、君はいつでも好きなときに自分自身の内にひきこもることができるのである。実際いかなる所といえども、自分自身の魂の中にまさる平和な閑寂な隠家を見出すことはできないであろう。この場合、それをじいっとながめているとたちまち心が完全に安らかになってくるようなものを自分の内に持っていれば、なおさらのことである。そして私のいうこの安らかさとはよき秩序にほかならない。であるから絶えずこの隠家を自分に備えてやり、元気を回復せよ。そして(そこには)簡潔であって本質的である信条を用意しておくがよい」


「死後の名声について胸をときめかす人間は次のことを考えないのだ。すなわち彼をおぼえている人間各々もまた彼自身も間もなく死んでしまい、ついでその後継者も死んで行き、燃え上がっては消え行く松明のごとく彼に関する記憶がつぎからつぎへと手渡され、ついにはその記憶全体が消滅してしまうことを。しかしまた記憶する人びとが不死であり、その記憶も不朽であると仮定してみよ。いったいそれが君にとってなんであろうか。いうまでもなく、死人にとっては何ものでもない。また生きている人間にとっても、賞賛とはなんであろう。せいぜいなにかの便宜になるくらいが関の山だ。ともかく君は現在自然の賜物をないがしろにして時機を逸し、将来他人がいうであろうことに執着しているのだ」


「すべてはかりそめにすぎない。おぼえる者もおぼえられる者も」


「『カエサル的』 にならぬよう、その色に染まらぬよう注意せよ。なぜならそれはよくおこることなのだから。単純な、善良な、純粋な、品位のある、飾り気のない人間。正義の友であり、神を敬い、好意にみち、愛情に富み、自己の義務を雄々しくおこなう人間。そういう人間に自己を保て。哲学が君をつくりあげようとしたその通りの人間であり続けるように努力せよ。神々を畏れ、人を助けよ。人生は短い。地上生活の唯一の収穫は、敬虔な態度と社会に益する行動である」


「あたかも君がすでに死んだ人間であるかのように、現在の瞬間が君の生涯の終局であるかのように、自然に従って余生を過ごさなくてはならない」


「自分の内を見よ。内にこそ善の泉があり、この泉は君がたえず掘り下げさえすれば、たえず湧き出るであろう」





「宇宙がなんであるかを知らぬ者は、自分がどこにいるかを知らない。宇宙がなんのために存在しているかを知らぬ者は、自分がなんであるかを知らず、宇宙がなんであるかをも知らない。しかるにこのような問題を一つでも等閑に付しておいた者は、自分がなんのために存在するかいえないであろう。しからば、自分たちがどこにいるかということも、何者であるかということも知らないで (むやみに) 拍手喝采するような連中の (非難を避けたり賞賛を求めたりする) 人間 --- こういう人間を君はどう考えるか」


「宇宙の原因は一つの奔流である。それは万物を運び去る。なんと下らぬ小人どもだろう、政治屋でありながら、哲学者のごとく振る舞うとうぬぼれている奴らは。みんな鼻たらしさ。おお人間よ、どうしたのだ。自然がいま要求することをしろ。できるなら、発奮しろ。そして人に知れるかどうかきょろきょろ見回したりするな。プラトーンの理想国家を望むな、どんなに小さなことでも進行すればそれで満足し、その結果は大したことでないと考えるのだ。なぜならば誰が他人の信念を変えられようか」


「高処から眺めよ。無数の集会や無数の儀式を、嵐や凪の種々な航海を、生れ、共に生き、消え去って行く人びとの有為転変を。また昔他の人びとによって生きられた人生、君の後に生きられるであろう人生、現在野蛮民族のところで生きられている人生を思い見よ。どれだけの人間が君の名前を知らないことか。どれだけの人間がそれをさっさと忘れてしまうことか。どれだけの人間が現在たぶん君を讃えていながら、たちまち君を悪くいうようになるであろうことか。記憶も、名声も、その他すべていかに数うるに足らぬものであることか」


「君は多くの無用な悩みの種を切りすてることができる、なぜならばこれはまったく君の主観にのみ存在するからである。全宇宙を君の精神で包容し、永遠の時を思いめぐらし、あらゆる個々の物のすみやかな変化に思いをひそめ、誕生から分解に至るまでの時間のなんと短いことかを考え、誕生以前の無限と分解以後の永遠に思いを致すのがよい。それによって君はたちまちひろびろとしたところへ出ることができるであろう」


「何事が君に起ころうとも、それは永遠の昔から君に用意されていたことなのだ。そしてもろもろの原因の交錯は永遠の昔から君の存在とその出来事を結び合わせていたのだ」


「眼前によこたわるものの一つ一つを注意深く眺め、それがすでに分解しつつ変化しつつあり、いわば腐敗と分散の状態にあること、またあらゆるものはいわば死ぬために生れるのだということを考えよ」


「君に残された時は短い。山奥にいるように生きよ。至るところで宇宙都市の一員のごとく生きるならば、ここにいようとかしこにいようとなんのちがいもないのだ。真に自然にかなった生活をしている人間というものを人びとに見せてやれ。観察させてやれ。もし彼らに君が我慢ならないなら、彼らをして君を殺させるがよい。彼らのように生きるよりはそのほうがましだから」


「健全な目は、なんでも見える物を見るべきであって、『私は緑色のものが見たい』 などというべきではない。これは目を病む者のいうことだ。同様に健全な聴覚と嗅覚は、聴きうべき、また嗅ぎうべきあらゆるものにたいして用意がなくてはならない。また健全な胃の腑はあらゆる食物にたいして、ちょうど挽臼がすべてを挽くようにできている穀物にたいして用意があるのと同じようでなくてはならない。さらにまた健全な精神もあらゆる出来事にたいして用意がなくてはならない」





マルクス・アウレリウス共振 " Pensées pour moi-même " de Marc Aurèle (2010-11-03)
マルクス・アウレリウス MARC AURELE SE MET A ECRIRE A 50 ANS (2005-10-09)



jeudi 6 octobre 2011

昔の研究室仲間とパリの時の流れを味わう



もう10年以上前になるが、研究室で秘書として2年ほどお手伝いいただいた方が御母上とともに昨日パリに到着された。昨夜はディネを御一緒する。まず親孝行な娘さんであることに感心すると同時に、そんなに時が流れたのかと驚く。身のまわりに起こったことをお聞きすると、確かにそれだけのものが詰まっている。人生夢の如しとはよく言ったものだ。何をそんなに齷齪(あくせく)しているのか。そういう感慨が浮かんでくることに満足を覚えるのも時の流れのせいだろうか。久し振りに懐かしいお話などを伺いながら、落ち着いたパリの夜の更けるのを味わっていた。