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mercredi 13 novembre 2013

ロスコフでのひと時を動画で味わい直す


ひと月前になるが、ブルターニュのロスコフで医学哲学のサマースクールがあった

そのまとめのビデオをマインツの医学生ユリア・ヴァイスさんが作成

最終版がマインツの研究所サイトに掲載された

いつ撮影していたのか、というものがほとんどで驚く

若い人が好みそうなテクノのBGMが付いているなかなかの仕上がりで、これまた驚く

ユリアさんはこちらの方面でも仕事ができるのでは、、、


もう大昔に感じられる二度と戻らないひと時を味わい直してみた

ビデオはこちらから






dimanche 13 octobre 2013

写真、それはプルーストのマドレーヌ?


今朝。ロスコフのディネで若い人たちと話したこととともに目覚めた

わたしがカメラを持って、何でも写真に収めているように見えたからだろう

彼らは、どうしてそんなに写真を撮るのか、なぜこの目で味わわないのかと訊いてきた

旅先での日本人の姿と重なったのだろう

その問いにこう答えたのを思い出したのだ


一つは、以前にも触れているが、ブログを始めるようになって写真の意味合いが変わったことがある

ブログに載せる写真を選ぶ時にはどんな心境になっているのかわからない

したがって、写真を撮る時にはできるだけ選択せず、多くの情報を残すことが重要になった


二つ目の理由は、人間の感覚器の問題である

問い掛けの中にあったが、この目から得る情報がどれだけ完全なものなのか

写真に撮ったものは真の姿から外れているのか

写真を見ると、この目で見たものと形、色合い、景色、さらにそれらが醸し出す雰囲気まで違っているものが殆どである

 どちらが本物何なのか怪しくなるばかりなのだ

それならば、両方の情報を揃えておく方がよいのではないか

それと、次第にこの目で見た情報は消え失せる確率が増えている

それは三つ目の理由とも関連している


記憶についてこれまでに気付いていることは、その能力が素晴らしいということである

ただ、膨大な情報は詰まっているが、それを引き出せないのである

それに気付くのは、何かを切っ掛けにそれが蘇るからだ

その情報を引き出す切っ掛けの一つが、写真である

殆どの写真を見ると、その時の状況が蘇ってくる

会議の内容についても同様である

もし、この切っ掛けがなければ、すべての時間は再び意識に上らない運命にある

そこに注意しない生は、全く当てにならない未来を待っているだけのものになるだろう

 仕事をしている時の心境は、まさにこれに近いものがあった

 写真など当てにしていなかったのである


このような説明で、彼らも納得したようであった








vendredi 11 octobre 2013

ロスコフの余韻: ハイデッガー、ミシェル・アンリ、そしてアラステア・マッキンタイアなど

Serge Anton (photographer)


今朝は用事があり大学へ

終わった後は近くのリブレリーへ

今日はロスコフのディネで話が出たハイデッガーに目が行く

さらに、近くにあったフランスの哲学者ミシェル・アンリ(Michel Henry, 1922–2002)さんも読んでみたくなる

 早速、カフェで読んでみたが、意外に相性が良さそうである

ソルボンヌではなく、モンペリエで哲学することを決意

思想の世界と抽象を可能にする思考の力に魅了されたという孤高の哲学者

わたしにとって、これからの人になるのだろうか


帰ってみると、アメリカの哲学者アラスデア・マッキンタイア(Alasdair MacIntyre, 1929-) さんの本が届いていた

ロスコフで教えられた方である
 篠崎栄訳 『美徳なき時代』(みすず書房, 1993)

 こちらは近くのビストロで読み始める

今日はバスクのビール Oldarki au patxaran を初めて味わいながらが良かったのか

この領域がどのような考え方をするのかに興味が湧く


まだ、アウトプットよりはインプットと考えているようだ





jeudi 10 octobre 2013

ロスコフからパリに戻る

ロスコフ駅にて


昨夜、無事にパリに着いた

今回の旅の前日に、近い未来への期待を書いていたことを思い出す

ブルターニュに旅立つ前に (10-03-2013)

つまり、Anticipation である

実は、これが今度の会の一つのテーマだったのだ

無理に繋げると不思議ではある


ロスコフで同じ立場の人と接触する中で、社会に引っ張り出されたような感じがしている

プロジェを持ち、未来を常に視野に入れて歩くのが当たり前の人たちで溢れる場所であった

 そこではわたしのような考え方が最初から頭にないことも分かったが、それは当然だろう

ただ、その実態を知ると、羨ましく感じる人がいたことも事実だ


これまでの水中に潜む生活から、水面に顔を出してバタバタしながら進むというイメージに移行できるだろうか

そのためには、Anticipation が必要になりそうだ

よい未来(utopia)ではなく、寧ろ悪いこと(dystopia)を予想して現在を生きる世界への転換になる

ロスコフではその気になっていたが、パリに戻るとその気が鈍ってくるように感じる

 しばらく様子を見ることにしたい







mercredi 9 octobre 2013

時間を考えたロスコフの6日間が終わる



今日の午前のセッションで5日に亘る会も終わりを告げた

主観的な時間としては、非常に長いものに感じた

長くて退屈したというのではなく、大きな変化が起こるほどの長さがあったということになる

それだけ満ちた時間が流れた証拠ではないだろうか


今朝のセッションはユリアさん制作によるビデオの上映から始まった

 いつの間に編集していたのだろうか

なかなかの作品に仕上がっていて驚いた

自分の姿に不満の人はいないか確かめていた

これから研究所の広報の確認を経て、公開することになるようだ


その後、会のまとめとこれからどのような枠組みでやっていくのかについてそれぞれが話していた

2回目のラウンド・テーブルである

落ち着いたところは、ここで結論を出すのではなく、これからもメールで意見交換を続けていくということ

 パリ・ディドロのアルメル・ドゥブリュ(Armelle Debru)教授から重要な指摘があった

一つは、誰のための時間かを考える必要があること

歴史家なのか、哲学者なのか、医学者なのか、社会学者なのか、、、、

対象によって扱っている時間が違うのではないかというのだ

もう一つは、時間についての興味深い考え方であった

時間は過去、現在、未来と直線的に流れているのではなく、現在という瞬間が繋がっているというイメージ

古代は過去ではなく現在であり、「こと」の初めも終わりもないというようなイメージ

 これらはわたしの考えとも響き合うもので、アリストテレスのエネルゲイアや禅の哲学とも繋がるように見える

そのあたりについてコメントさせていただいた


会の終了後、アルメルさんから向かいの教会が素晴らしいので中を見るように勧められる

わたしの目に付いたのは外の彫刻の方で、風雪を経て消えるようになっている姿が何とも言えない味を出している


 モントリオール出身で今はケンブリッジ大学にいる方が、フェリーの中で面白いことを言っていたのを思い出した

ケンブリッジは分析哲学が中心で、大陸哲学はほとんど読まない

無駄を省き、科学的であろうとする哲学をやっているという

そして、英語はどこか決然とした、無駄を省いてどんどん先に向かうような思考を誘発するのではないか

それがフランス語になると言葉を遊ぶ余裕が出てきて、哲学もその影響を受けるのではないかというのだ

それはわたしが何となく感じていたことでもあり、わかるような気がする

彼は実証主義を基にした哲学を目指しているが、大陸的なものも好きだという

その遊びの部分が、人間的なものを掘り起こすのに大切な気がする
 
それがある人とは、人生についてもじっくり話ができるように感じる


昨日の立ち話で、文系の人が博士論文を出すまでの時間が話題になった

理系に比べ、アメリカでもフランスでも長いという

今回参加したアメリカの方も7年かけたと言っていた

フランスでも5年などというのは稀ではないようだ


今回の会はわたしと同じ立場の人が中心だったので、学生という立場から自らを振り返る切っ掛けになった

庵の生活が夢の中の出来事のように感じられた

あるいは、そうならなければ「こと」は先に進まないということになるのだろうか

何かが変わることになればよいのだが、、、


今日は初日に入ったレストランからのアップとなった

これからパリに戻る







mardi 8 octobre 2013

共生に始まり、"Never Let Me Go" で終わった4日目


 潮の満ち干がよく分かるようになってきた

朝の内は満ちているが、お昼には干上がり、それが夕方になると再び満ちてくる

毎日、忠実にこれを繰り返している

実に不思議である


午前中のセッションは普通の発表の他に、海洋生物研の研究者が最先端の話を発表していた

これは最初プログラムになかったものである

最近注目を集めるようになっている共生がテーマで、非常に面白い話であった


 午前中のセッションが終わり、ホテルに向かう途中の景色は朝とは打って変わり、この通りである

 陸に打ち上げられた船のように見える

Ms. Julia Weiss(Mainz)


今日は、発表だけではなく映像も担当しているマインツの医学生ユリアさんと一緒にホテルに向かった

彼女は交換留学でパリの高等師範にも半期いたとのことで、英語はもちろん、フランス語も流暢である

ビデオも撮れる立派なカメラで、要所を映像に収めていた

いずれ研究所のHPに載せる予定とのこと

ご自身のサイトはこちらになる


 午後はロスコフ沖合にある島 L'Ile de Batz にフェリーで向かった

日差しが強く、日よけをしなければ眩しかった

20分程度で着いたのではないだろうか

この時はまだ桟橋が先まで見えている


わたしは疲れが溜まっていたので、1時間半ほど桟橋に面したこのカフェでゆっくりすることにした

ご主人も、中の造りもなかなか感じが良かった

 そう言えば、オーガナイザーのアクセルさんは疲労が一気に出たのか、この観光をキャンセルしていた

オーガナイズだけではなく、議論にも積極的に参加されていたので無理もないのかもしれない


帰りのフェリーは6時半

この時には、先ほどの桟橋がほぼ完全に水の下になっている

見ていると、静かに静かに水がこちらに向かってきた

一瞬のことだったが、津波という言葉が浮かんできた


さらに不思議だったのは、ロスコフの桟橋からホテルに向かう途中、わたしの横で車が止まりドアが開いたことだ

二日続けて研究所の院生がホテルまで送ってくれることになった

まさに、二度あることは三度である

ポーランドのマルチンさんが後ろからその状況を見て、実に不思議な感じがしたとディネの時に語ってくれた

一体どうなっているのか、想像ができなかったからだろう


ディネでは、マインツ側の責任者パウルさんが同じテーブルにいた

ドイツでは兵役は義務付けられているようで、ご本人も15カ月間軍でトレーニングを受けたという

そこから日本の話になった

未だに多数の米軍基地が国内にあり、その費用も負担しているということを知り、皆さん驚いていた

パウルさんによると、ドイツはすべてを縮小することにしているという

Dr. Axel C. Hüntelmann、Pr. Norbert Paul (Johannes Gutenberg-Universität Mainz


今日の最後のセッションは、カズオ・イシグロ原作の Never let me go映画を鑑賞

倫理を専門にする人は、必見とされる映画になっているようだ

上映が9時過ぎから始まり、ディスカッションが終わったのは0時であった

原作が2005年、映画が2010年になるので、すでに多くの論評が出ていることだろう

気になっていた映画をロスコフで観ることになろうとは想像もしていなかった

いろいろなことを考える時間となった






映画の中に、ロスコフで見た景色と重なるシーンがいくつかあった




lundi 7 octobre 2013

ロスコフ3日目、充実の日が続く


今朝の朝食は、フライブルグで医学倫理を研究しているイタリア人クラウディアさん(下から2番目の写真)と同席

もともと哲学から入った方なので、いろいろと参考になる話を聞くことができた

ハンナ・アーレントハイデッガーなどを専門にしていたが、職を得る時に今のテーマに切り替えたという

フクシマの後に、ドイツではなぜあのような決断ができたのかについて意見を訊いてみた

彼女の答えは次のようなものであった

ドイツではハンス・ヨナスなどの哲学者が緑の党などの思想的背景にいた

そのため、党の支持とは別に、倫理的な思考が一般に拡がっていたのではないか

そのような思考をする人が多かったので、アンゲラは福島の後、すぐに決断できたのではないか

アンゲラは決断が遅いので有名だったので、その素早さに皆さん驚いたようだ

それから、ドイツには自然に対する見方に特有なものがある、とイタリア人の彼女は見ていた

西欧では優勢に見える自然を支配するというのではなく、自然と一体になるような思想があるという

それらがうまく噛み合ったのではないか、というのが彼女の見方であった


途中、ドイツの医学生が加わったので、医学教育について訊いてみた

マインツの医学部には、在学中に歴史、哲学、倫理で論文を提出するコースがあるという

医学を学びながら、医学を外から見る視点を身に付けさせようということだろう

4人に一人くらいがこのコースを取っているという

今回の会議は、彼らに発表の場を与えることも目的になっているようだ

論文提出前の学生さんの発表が目に付いた

このようなシステムは日本でも参考になるのではないだろうか


ホテルから出て歩き始めると、「おはようございます」というきれいな日本語が聞こえる

振り返ると初日に研究所で会った院生が車から顔を出している

今度は、研究所近くの会場まで送ってもらうことになった

ありがたいことである




今日のセッションは、ロスコフ海洋生物研究所の見学から始まった

職員と学生で300人くらいの規模で、歴史があるところのようである




講義中の教室だろうか

 

見学の後、予定はいつものようにびっしり詰まっていた

最後はラウンド・テーブル・ディスカッション

話をただ聴いていればよいのかと思っていた

しかし、どなたかの提案で、机がすでにラウンド・テーブルになっているので、全員が参加することになった

末席を穢している素人のわたしも、日頃から時間について感じていることについて話をさせていただいた

 時間はあらゆるところに関わっているので、実に大きなテーマになる

これからどのような方向に進むのか、実に興味深い


コーヒーブレイクでは、人生の時間について発表していたゲッティンゲンのマークさん(下の写真)と話をする

このテーマが今のわたしには一番しっくりくるテーマだからだ

人生後期の捉え方に変化があり、65歳から85歳までを第3期(old young)、85歳以上を第4期(new 'old age')と見ていた

如何に生きるのか、幸福な人生とは、という古くからある生き方の哲学が長い間忘れられていた

しかし、ここに来て復活してきているという

彼はまずたくさんあることがよいことなのかについて哲学的考察を加えていた

そこから、長く生きれば幸福なのか、よい老化とはどういうことなのかというところへ進んでいた

医学倫理においても時間からの考察が少ないという指摘もあった

興味深いテーマなので、関連の文献を教えていただいた

彼はしきりにわたしが羨ましいと言っていた

自分たちはこれから長きに亘って仕事をしなければならないということだろう

このような会では年齢に関係なく教えを乞うことができ、彼らも手軽に答えてくれるので非常にありがたい


会議も3日目に入り、ドイツ語やフランス語での引用が飛び出し、中にはドイツ語で暫く話す人もいる

そういう時は、ドイツの方が机を拳で叩いで注意を促す

ヨーロッパのこじんまりした会は、こんな感じなのだろうか


Dr. Mark Schweda(Göttingen)、Dr. Claudia Bozzaro(Freiburg)、Ms. Delphine Olivier(Paris)、Dr. Marcin Moskalewicz(Poznan)


今夜のディネのテーブルは、このメンバーだった

朝食とコーヒー・ブレイクをともにしたお二人の他、すでに一緒になっているパリの院生にポーランドのマルチンさん

ハンナ・アーレントの映画のことをクラウディアさんが出すと、話が大きく広がって行った

彼女は、アーレントハンス・ヨナスのアメリカでの関係は知らなかったという

わたしは、アイヒマンは単に官僚の仕事をしたまでではないかと言葉を発する

マークさんは、そんな簡単な問題ではなく、もっと注意深く見る必要があると言う

彼らは一つのイデオロギーの下に意識してやっていたと見ているからだ

これからやることは酷いことだが、それは崇高な目的のために乗り越えなければならないと考えていたというのだ

それを受けて、マルチンさんはヒムラーがポーランドでそのような演説をしていた記録が残っていると言っていた

この話は終わりそうになかった

このように議論する時間は久しぶりで、精神を活性化する嬉しいことであった


マルチンさんの話も興味を惹くものであった

彼は時間に関する形而上学的な本を書いたが、もうそのようなものは書きなくないという

思考の相・層を積み上げて、一つの建築物を作るようなところはよい

しかし、その建物の土台が脆弱で、しかも見る角度によってどうにでも解釈できるところがある

いつでも壊れそうに見えるものを作ることに抵抗を覚えていて、これからは実証的な仕事をしたいという

 その考えもよく分かる

自分が哲学から入っていたならば、おそらくそのような考えになっていても不思議ではない

ただ、実証的な領域から哲学に入って行った者としては、一度形而上学の世界を歩いてみたいという願望が強い



それから人生の時間も話題になった

わたしが「現在」に集中できるようになったのは仕事を辞めてからだという話をした後、大きな反響があった

東洋人は若く見えるのか、仕事を辞めるには少し早いが、一体いくつなのかと皆さんに詰め寄られた

今回のテーマは時間だが、人生は数字ではないといういつもの答えで押し通した

今日も充実した時が流れた






dimanche 6 octobre 2013

実り多き哲学についての話


 午前のセッションが終わり、海岸線を歩く

この時間は引き潮なのだろうか

橋まで歩いて行けそうである

変化に富む海だ

午後のセッションもたっぷりで、少々疲れが出ている

実況中継のようなブログも久しぶりになる


ディネの時間、ブルターニュ出身というマエルさんと一緒になる

まず、どうして哲学で、どうしてフランスだったのかといういつもの質問を受ける

物語は好きなので、たっぷり話しても問題ないとのこと

お言葉に甘えて、これまでの長いお話をさせていただいた


哲学全般、科学と哲学、それから哲学の教育、普及などについても実りある話ができた

 わたしのものの見方がわかったのか、それではフッサールとハイデッガー、それにカントも読むべきだとのお言葉

これは東京医大での西研氏の言葉とも通じるので驚いた

それから、わたしが日本でやっている活動にも興味を示してくれた

「インターフェース」がわたしのキーワードになっている

マエルさんも専門に埋もれない意識と活動が哲学者にも求められると考えている

基本的な認識の一致を確認した


毎日違う姿を見せてくれる夕暮れである



昨日、プレスに入ると気持ちをゆったりさせてくれる音楽が流れていた

あるいは、気持ちがゆったりしているので、その歌声と同期したのかもしれない

ご主人に訊くと、懐かしのセザリア・エヴォラ(Cesaria Evora, 1941-2011)さん

若い時の声だったので、そうだとは思わなかった

彼女が亡くなった直後にこのブログでも取り上げた方になる













二日目の最初のセッション終わる


今朝は深い霧の中で、ホテル周辺もこの通り

朝食の席で、クロード・ドゥブリュ氏と一緒になる

日本での旅の様子を語ってくれた

シンポジウムのテーマが L'agression だったので、東京、京都、広島で関連する博物館を訪れたとのこと

話の準備に一月かけたようだ

原発について、日本の状況に批判的に話してみた

すると、フランスもプロヴァンスの方に原子力関連の施設を作るという話を出された

この地域は地震が稀ではない

フランス人が理性的だと思いますか、と問い掛けられた



会場に向かう内に霧が晴れ、次第に晴れ上がってきた

海岸からはこの景色

気持ちが晴れ、解放されるような空気である

今日も素晴らしい日になりそうだ


Pr. Norbert Paul (Mainz)、Pr. Maël Lemoine (Tours/Paris 1)、Pr. Alain Leplège (Paris Diderot)


最初のセッションは、テクストについてのディスカッションであった

締め切り後に登録したためか、テクストが送られてこず、残念ながら参加できなかった

隣の方に次回の論文を送ってもらったので、火曜のセッションには参加できるだろうか

ディスカッションでいつも感じるのは、すべての人がフラットな地平に立っているということ

シニアの研究者が上から発言するという姿勢が全くない

同じように批判の対象になっているという精神が染み込んでいるように見える
 
学問やサイエンスの根になければならない基本になるだろう


向かいの教会から30分おきに鐘の音が聞こえる

午前の後半がこれから始まる





samedi 5 octobre 2013

会の初日が終わる

Pr. Cluade Debru (École normale supérieure)


夕方からセッションが始まった

始まる前に、マスターの2年間教えをいただいた高等師範のクロード・ドゥブリュ教授とお会いする

聞いたことのないようなフランス語を話す東洋からの学生ということで、覚えていただいたのかもしれない

あれから4年も経っているのだから、記憶が薄れていても不思議ではないのだが、、

英語よりはドイツ語の方がお得意ではないかとお見受けした

つい最近日本から帰ったばかりとのこと

聞き間違いでなければ、一橋大学で学位審査とシンポジウムに参加されたようだ

日本人は礼儀正しく、エレガントだった、と嬉しい言葉をいただいた

 Dr. Axel C. Hüntelmann、Ms. Claudia Buir (Johannes Gutenberg-Universität Mainz


いつものように、今回も締め切り後の登録だった 

始まる前、事務局を担当されているマインツのアクセル、クラウディアのお二人に挨拶をする

今回の会議は、マインツ大学、パリ大学ディドロ、パリの高等師範が主宰する初めてのものらしい

フランス、ドイツの他、イギリス、ポーランド、アメリカからの出席者がいる

参加費をカバーしてくれるのは、領域の若手にとって魅力になるのではないだろうか


会は30人弱と小規模で、参加者の自己紹介から始まった

それからノーバート・パウル(Norbert Paul)さんによる時間の流れ(temporality)に関する概説があった

講演が終わった後、皆さんドイツ式に拳で机を叩いていた

もう20年ほど前に なるだろうか

友人がいたヨハネス・グーテンベルク大学を訪問し、セミナーをしたことがある

その時、会場から聞こえてきた机を叩く音でカルチャー・ショックを味わったことを思い出した

マインツの医学生シャルロッタさんにディネの時に訊いてみると、それが当たり前だと思っていたという

 彼女は挨拶についても面白いことを言っていた

握手は正式な場合にするので、手を握ることには抵抗があるというのだ

フランス人が頬を寄せ合ってする挨拶などは、耐えられないのではないだろうか
 
Ms. Delphine Olivier (Paris 1)、Ms. Charlotte Seevers (Mainz)


 会議で横の席になったのは、パリ第一大学のデルフィーヌ・オリヴィエさん

まだドクター1年目だが、この会議で発表する予定になっている

ディネのテーブルにはパウルさんも加わり、政治から教育に至るまでいろいろな話題が出た

アンゲラ・メルケルさんがクイーンになるという話が出たので、原発に関する彼女の決断について訊いてみた

ドイツではよく受け止められているという

日本でどうしてそれができないのか不思議だ、というのがパウルさんの反応

論理的な思考を最後まで突き詰められないからではないか、とまでは言わなかったが、、、


それから学生による教師の評価についてもパウルさんに訊いたところ、ドイツでもやっているという

アメリカからの直輸入ではないかと突っ込むと、学生に水を向けていた

学生の方も判断が難しいことがあるという話をしていた

パウルさんは大学の運営にも関わっているので、マインツでは近い将来この制度がなくなるかもしれない

 興味深い展開であった
 

今日は潮の満ち干が見られ、印象深い一日であった







港のカフェで時間を考える


今朝は街の散策を終え、会が始まるまで港に面したカフェに落ち着いている

素晴らしい景色が広がっている

時が止まったかのような中、会の抄録を読む

面白そうなテーマが出ている


哲学と自然科学の違いの一つは、それが生きることに関係する思考を誘発するかどうかだろう

専門外のテーマとは言え、自らにどこかで関係していることが出てくる

その意味では、生きることを専門としている人間にとってはすべてが自らの領域になると言えるだろう

それが哲学の面白いところでもある



ホテルから住宅街を歩いてきたが、週末の朝のせいか静かだった

第一印象は、家がどっしりしているということ

落ち着いた生活をしている様子が見て取れる

昨日と同様に、この辺りは人がほとんど歩いていない

途中、自転車の女性が後ろから来たが、にっこりとボンジュールを交わす



タラソテラピーが盛んなのか、その施設が目に付いた

それから、このようなチャペルが何気なく建っている

教会もいくつか見掛けた

そして、街中にあったポスター(下の写真)を見て驚いた

ブルターニュのこのあたりが教会やチャペルで溢れているのだ




カフェの方に訊いたところ、ブルターニュは信心深いカトリック教徒が多いとのこと

そう言われてみれば、目の前の半島の先にも教会が見える

ロスコフは港のあたりが観光地になっているようで、人が増えてきた



本当に素晴らしい日になった

あと1時間ほどで会が始まる




vendredi 4 octobre 2013

ブルターニュのロスコフに到着


 今朝、モンパルナス駅から TGV でモルレー(Morlaix)へ行き、乗り換えて一車両でロスコフ (Roscoff)まで向かった

5時間の旅であった

ロスコフで降りたのは2-3人


 人通りの少ない街を歩いてロスコフ海洋生物研究所(Station Biologique Roscoff)へ

「生物医学における時間」をテーマにした少し遅いサマースクールに参加するためである

参加者の費用はすべてカバーされているとのこと

学生としては有難い

この施設は、アメリカで言えばマサチューセッツ州のウッズホール海洋研究所に相当するのだろうか

もう40年近く前に、ボストンからそこのサマースクールに参加したことを思い出す

このような形で人生が廻っているように感じるのも悪くない


早速、受付で会の様子を訊くと、始まるのが明日からなので参加者はまだ来ていないようだ

 受付の方が、宿泊施設は少し離れたところにあるのですが、、、

と言うと、横で聞いていた若者(下の写真)が車で送ってくれるという

人間が非常に近くにいるという感じだ

有難く同乗し、少し話をする



現在、ロスコフ研究所の大学院生で、Ph.D.の最終学年

研究対象は藍藻(シアノバクテリア)で、メタジェノミクスの手法を使っているという

最先端の研究領域になるのだろう

 母親はフランス人だが、父親はイギリス人

イギリスにも住んでいたが、英語はイギリス人とは見做されないようだ

数年前には日本語を学んでいたとのこと

 日本文化に興味を持っているようで、特に碁を日本でやりたいという希望があるという

碁石の手触り、碁盤に置いた時の音、囲碁は音楽的だという印象を語ってくれた

そういうこともあって、困っている日本人らしき人に声を掛けたのだろうか

ホテルの前に住んでいるので、困ったことがあればいつでも声を掛けてくださいという

そして、早朝の海岸が実に不思議な雰囲気になると付け加えてくれた

何のことを言っているのだろうか

明日にでも早速確かめてみたい

今回は、初日から素晴らしい青年に遭うことができた



夕食の時間になって下に降りたが、レストランのあるホテルのホールは閉まっている

そう言えば、先ほどの学生さんがここは研究所が最近買い取ったばかりのところと言っていた

周辺は住宅地でお店もなさそうなので、中心部まで歩くことにした

駅前のバー兼プレスのようなところで、街の様子を訊いてみる

もう普通のお店は閉まっているが、港の方に行くとレストランがあるという


のんびりした気分にさせる港である

近くにレストランがあったのでディネを取ることにした

帰りは道に迷わないかと心配しながら、すっかり暗くなった街を歩く

途中、道路脇に腰かけた高校生らしい 男女3人組が話しかけてくる

一緒にやらないか、というのである

やんわり断ると、謝っていた

わたしたち若いのでわかってください、という感じである

 同じ通りで今度は中年の夫婦に呼び止められる

レストランの場所を教えてほしいというのだ

港の方に行くように伝えた

人がほとんど歩いていない街なので、驚きの接触であった



時計がないのでまだ8時過ぎくらいかと思っていたが、ホテルに着いたのは10時だった





jeudi 3 octobre 2013

ブルターニュに旅立つ前に


「医学のあゆみ」 のエッセイを何とか仕上げる

明日ブルターニュに旅立つ

医学の哲学に関する国際会議に参加するためである

ブルターニュは、これまでいつかは訪れてみたいと思っていたところになる

向こうからその機会が寄ってきた感じがする


ぼんやり空を眺めていると、久しぶりに旅心が刺激されてきた

どんなことが起こるのだろうか、という期待である

いつものように注意深く観察したいものである