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lundi 6 octobre 2014

アンドレ・グリュックスマンによるヴォルテール


今日のお昼にパリに戻った

ランスに向かう前、パリ北駅のキオスクで雑誌をいくつか手に入れた

ル・ポワンには、ヨーロッパの衰退を大きく取り上げた記事がいくつか出ていた

その中にアンドレ・グリュックスマン(André Glucksmann, 1937-)さんのインタビューがあった

久し振りに車内で読んできた

この方に関しては、かなり早い時期に取り上げている



最新刊 Voltaire contre-attaque が今日から書店に並ぶという

以下に、彼の言葉を掻い摘んで書き留めておきたい

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今緊急に求められることは、ヴォルテールが高く明確に掲げたコスモポリタン的自由を救済すること

フランスでも左右の保守派から攻撃に晒され、3世紀に亘るヴォルテールの緩やかな破壊が起こっている

この流れに対して闘う意思を示す意味もあり、この本を書いた

20世紀半ばの知識人はヘーゲル、マルクス、ハイデッガーとは対照的にヴォルテールを哲学者と見做さなくなった

哲学の中で教育されなくなったが、彼こそ最も現代的な哲学者である

彼は人種、グループ、国の境界などの根ざすもの、狂信主義を拒否した点でわれわれの同時代人なのである

ヴォルテール主義者であるということは、永遠に続く「揺れ」を受け入れること


今回、『カンディード』(Candide ou l'Optimisme, 1759)を読み、ヴォルテールを救済した

カンディードはわれわれの時代の人間である

その対極にあるのが、『ザディーグ』(Zadig ou la Destinée, 1747)である

こちらは才能に溢れ、金持ちの思想家として始め、そしてそのままで終わる

一方のカンディードはどこから来て、どこに行くのかも知らない

祖国も国境もない

いろいろな出来事に耐えるのは、彼の良心だけが基礎になる

ザディーグは運命を感じ取るが、カンディードは偶然を容認する

カンディードは共同体や国家に属さない

世界に開かれたヨーロッパ人であり、世界人である

啓蒙時代の人間なのである

あらゆる場所にいると同時にどこにもいない、発見する人間なのである

旅行者として過激に、そして永遠に生き続けるのである

共同体や国に属する人間が多数派なのに対し、国境を持たない人間は例外であり、多数派になることはない



外に開かれるに従い、逆に国家の感情が生まれるのは自然だとも言える
 
しかし、その場合の祖国は他者に対して閉じていて、最早時代遅れになっていて、機能しない

それは、19世紀から20世紀の三分の二の時代を占めた考えだった

ヨーロッパの冒険の偉大さを見ることができないというのは、恐ろしい衰弱である


フランス人が抱える不安に、アイデンティティの消失がある

しかし、アイデンティティとは与えられ、固定されたものではない

作られるものであり、修正されるものである

フランス人のアイデンティティは、共和主義と結びついている

アイデンティティは存在したのではなく、一つの契約を新たに発明したのである


プーチンは酷いやり方で自由主義とコスモポリタニズムに抗する動きを進めている

それが西洋人の一定部分を誘惑しており、このまま行くと戦争しかないかもしれない

われわれヨーロッパ人は何を護るべきかを知らない

ヴォルテールは何をどう護るのかを知っていた

この本を書いた理由はそこにある


普遍的な言説は政治的、知的エリートが打ち上げるものではない

彼らはヨーロッパという計画の基礎を揺るがすような面倒なことに立ち向かうことをしない

フランスのエリートには、親ロシアの心情がある

西ヨーロッパに見られるように、フランスには権力と金、武力さえも愛する心情を持っている

本質において、ヒットラー主義とプーチン主義にそれほどの差はない

勿論、プーチンはヒットラーではない(少なくとも今のところ)

しかし、ヨーロッパにおける国境を描き直そうとする彼の野心は、冷戦以来の危機である


わたしを善悪二元論者とする批判もあるようだが、そうは思わない

18世紀以来、二つのロシアがある

プーシキンの考えを好んでいるという意味で、わたしは善悪二元論者ではない

この大陸にはイデオロギーの対立が消えることがない

われわれの病理は善悪二元論ではなく、明晰さを最早持ち合わせなくなっていることである


イラクやリビアの状況を見ると、われわれの価値を輸出することがうまく行かなくなっているのではないか

自由という素晴らしい考えが空から降ってくるという見方が通用しなくなっていることは確かだ

普遍的な言説は、イスラムの脅威やプーチン主義、そして明日の中国に対しては力を持たないだろう

しかし、何もしないのでは解決にならない

われわれはほとんど最初から普遍主義者で、敵対者からもそう見られている
 
その立場を自ら否定することは、彼らの欲望を強めるだけである

  
2万人とも言われるロマは生贄となっている

道端に寝、貧民窟を彷徨い、社会に同化できないでいる

その一握りが6千万のフランス人を震え上がらせているというが、それはあり得ないことだ

安全や健康の問題になるという

確かにロマの行動には問題があるが、それは根っからのフランス人についても言えることだ

寧ろ、ロマが公共の危険になるというコンセンサスができていることこそ危険である

わたしが分析しようとしているのは、このことだ


5億人のヨーロッパ人はこれまでの覇権を失っていると感じていると言うが、全体としては最も豊かである

グローバリゼーションによる恩恵も受けている

しかし、そこに新たなチャンスがあると考えるのではなく、富と安全が危機に晒される要因を見ている

そこでは、ロマは何の脅威にもならない

寧ろ、ヨーロッパがヨーロッパであることの脅威を早く処理しなければならない

ヨーロッパは親アメリカであった

エリートの祖国のために親ロシアであった

自らの力に頼る大胆さを持ち合わせなかった

その挑戦に応じることも敢えてしない



カンディードの精神をどのように21世紀の政治に甦らすのか

それは、悪や専制政治やテロリズムに立ち向かう意志

生き方、考え方として、不確実性と寛容を受け入れること

民主的な庭を耕し、その扉を開く能力


これからの問題は、誰かがEUの原理である自由と寛容を引き継がなければならないということ

左右の選択ではなく、国家主義の中に閉じ籠る誘惑を拒否するか否かの選択である

ヨーロッパが経済的にもっとしっかりしていれば、影響力もあり、聞く耳を持たれると言われる

しかし、最も豊かな大陸であるヨーロッパの弱点を強調すべきではない

ヨーロッパ人は道徳的であり、精神的なのだ

もしわれわれが動かなければ、事態は悪化するだろう


フランスでの共同体主義の高まりにより、共和主義精神、そしてヴォルテール的言説は弱まっている

ただ、弱まってはいるが、死んではいない

ヨーロッパ的共和主義は蘇るだろう

わたしのヨーロッパが文学的であり、哲学的だと言うが、文学を軽視してはいけない

モンテーニュはアンリ4世とともに宗教戦争に終止符を打った

ヴォルテールは世俗主義(ライシテ)と寛容を発明し、人権宣言への道を拓いた

ソルジェニーツィンはレーガンと同様にベルリンの壁崩壊に貢献した

今も世界に語り掛ける偉大なヨーロッパ人を挙げるとすれば、・・・・・・・・・ ヴァーツラフ・ハヴェル

そして、自由を護るために専制に立ち向かっている世界に散らばる異端の思想家たちである  


(ランスのホテルの床で目が合った)




dimanche 5 octobre 2014

Louvre-Lens を訪問



今朝は、近くのカフェで2時間ほど仕事をしてからルーブル-ランスに向かった

その美術館は、広々とした自然の中にあった



ランスは炭鉱で栄えた町のようで、関連の施設や記念館などがある

ここは2012年12月に開館したようだが、元は炭鉱の跡地とのこと

設計を担当したのは、SANAA (Sejima And Nishizawa And Associates) 

妹島和世西沢立衛のご両人だ

そう言えば、以前にどこかで読んだような記憶が蘇ってきた

とにかく広い敷地に建物が広がっているで、一枚の写真に収めることができない

ガラスとアルミで出来ているとのことで、見ていて気持ちがよい



今日は入場無料になっていた

中に入ってもこの開放感

ここの空間を味わうだけでも十分である



それだけでも広いのだが、壁がぼんやり反射するようになっているので、さらに広く感じる

境がはっきりしないので、どこか雲の中に浮いているようにも感じる


ガラスのパビリオン (Pavillon de Verre)


ガラス越しの景色もなかなか味があった



炭鉱を記念して残してあるのか、遠くにボタ山が二つ見える


Figure de Fantasie (1769)
 Jean Honoré Fragonard (1732-1806)


今回の展示の中では、特に彫刻に魅せられるものが多かった

古代エジプトから中世にかけての作品が素晴らしかった

それとは別に、長い間ディドロの肖像だと思われていたフラゴナールの作品に出会った

わたしもそう思い、前ブログの主として使っていたものである

筆遣いや色遣いが柔らかく、気に入っていたのだが、実物は想像を超えていた

しかし、これはディドロではないという

ディドロは栗色の目をしていたようだが、こちらは目が青く、題名も確認できないらしい




 なかなか諦めきれず、近寄ってじっくりと眺める

近くにはジャン・アントワーヌ・ウードンの 「哲学者ドゥニ・ディドロ」 と題する胸像が置かれていた


 Le philosophe Denis Diderot (1775)
Jean Antoine Houdon (1741-1828)



2014年10月5日


ところで、今日は中心街の至るところに出店が出て、昨日が嘘のような物凄い人出

 歩くのに一苦労した

これ程までに人が出ているのに驚いた

空から写真を撮ることができれば、興味深い図が見られるはずだ


2014年10月4日



人ごみの中でこんなパンフレットを貰った

「ランスを救うために、私たちの町を目覚めさせましょう」 とある

今日の催し物もその一環になるのだろうか






ランス散策


昨日、ホテルに落ち着いた後、散策に出た

ランス駅前のビルは、すべて廃屋状態



駅前にあった彫刻だが、この彫刻家の作品が街に溢れていることを後で知ることになる







この作品の写真を撮っている時だった

後から 「ムッシュー」 という声が聞こえた

振り返ると若者二人がいて、写真を撮ってほしいという

カメラは?と訊くと、「あなたので」 という

後で送ってほしいのかと訊くと、撮ってもらうだけでOKという

不思議なカップルだった

やはり、ここはフランスか










samedi 4 octobre 2014

二人の画家が現れ、ランス (Lens) に到着


昨日と一昨日参加したワークショップのプログラムの表紙に絵が添えられていた

 どこかで見たような、初めてのような絵が

作者をオーガナイザーのフランチェスカさんに訊ねると、セルジュ・ポリアコフという名前が返ってきた

早速調べてみると、ウィキの Serge Poliakoff(1906-1969)がある

ロシア生まれで、パリで活躍した画家である

そして、その下の方に自分の記事が現れ、驚く


すでに出会っていたことが分かる

今回、4年半ぶりの再会となった

こんな絵を描いている方である


昨日のデジュネの時、MD氏の口からオリヴィエ・ドゥブレ(Olivier Debré, 1920-1999)という画家が現れた

この方は、こんな絵を描いている

それからMD氏の芸術の才にも驚くことになった

夏のヴァカンスをギリシャで彫刻をして過ごしていることは知っていた

昨年からその場所が閉鎖されたので、イタリアの大理石が取れる場所に変えたという

そこで作品に合わせて大理石を切ってもらい、2週間ほどで仕上げるようだ

退職時、研究室のメンバーがこの場所での2週間をプレゼントしてくれたという

行く前に粘土でイメージを作ってから出掛ける

科学者らしく、Day 0 から Day 12 までが記録に残されており、それを見せていただいた

実は今年の新年、MD氏にコルシカ島からブログ記事を添えて挨拶メールを送った

すると、若い時に行ったことがあり、写真と同じ場所をスケッチしたことがあるとのことで、その絵が返送されてきた

その時に絵の才の凄いのに驚いたのだが、彫刻の方も素晴らしく、改めて感嘆する


そんなことが重なり、芸術の心が刺激された訳でもないだろうが、ここランス(Lens)にやってきた

先日の日本からの便りで、この町にルーブルがあるとのニュースを知ったからである

庵暮らしにとって、フランスの情報を日本から得ることは稀ではない

日本語では同じランスになるマルヌ県の Reims とは違い、こちらはパ・ド・カレー県にある

わたしには馴染みになったリール(Lille)にも近い


ホテルは外国人夫婦が営んでおり、歓迎もなかなか熱い

声が大きく、すでにお二人のやり合いも聞こえてきた

さて、どんな町だろうか