mardi 31 décembre 2013

年の終わりに


遂に今年も最後の一日になった

振り返ってみると、トゥールで今年を始めたが、その後も結構移動していたことがわかる

日本には二度帰り、フランス国内ではボルドー、モンペリエ、ロスコフ、リール、コルシカ、さらにニューヨークが加わった

これは仮定にしか過ぎないが、日本にいたとしたならば、これ程動いていないのではないか

いずれにせよ、これらの旅が多くのものを齎してくれたことは間違いない


今年の初め、学生としての仕事をそろそろ始めてはどうか、という考えが浮かんだ

しかし、結局その中に入ることはできなかった

まだ時期尚早と思ったのか

昔の人のやり方だという自分の総決算を纏めるという考えがどこかにあるのか

「今の時点での」総決算として纏める、と考え直すと様子が変わってくるのかもしれない

新しい年がどのような心境の中で動くのか

それは明けてみないとわからない



昨日の朝、海に出る前に出会ったボニファシオの風景を二つほど



実は前日も同じ場所で撮ったのだが、風が強く波の音は掻き消されていた

改めて、城塞下の展望台から地中海の波の音を



教会の鐘が鳴り出したので行ってみると、人の列が目に付いた

丁度、葬儀が終わったところのようだ

コミュニティが自然な形でまだ生きているという印象がある




今年はいろいろな問題が噴出した年のように見える

新しい年はどのようなものになるのか

あるいは、どのようなものにするのか

 入り江の落ち着きの中で考えるところから始め、外海に漕ぎ出すところまで行きたいものである


Bonnes fêtes de fin d'année et une merveilleuse nouvelle année !






lundi 30 décembre 2013

コルシカの海に出る


今日は晴れ渡り、風がない

コルシカ島南の目と鼻の先にはサルデーニャ島がある

ボニファシオ海峡Bouches de Bonifacio)を隔てて、 フランスとイタリアが面と向かい合っている

ここに来るまで、知らなかった

日本がどこにあるのか知らない人を責めることなど、とてもできない

ウィキによれば、その距離僅か11㎞

西がサルデーニャ海で、東がティレニア海となる

ボニファシオ海峡は、風が強くなると危険な海峡として有名とのこと


実は二日前、港で声を掛けられた

クルーズに出ませんか、というのだ

快晴で波も静かだったので迷ったが、いずれ、ということにした

昨日も港に行ってみたが、外海が荒れているので運休だという

そして今日、再び港に向かう

昨日は手で波打つジェスチャーをしていた受付嬢も、今日は大丈夫と言う

1時間ほどの船旅に出ることにした




入り江のあたりは問題ないが、外海に出ると想像していた以上に揺れる

特に、洞窟(grotte)の入り口あたりは波が乱れ、大揺れ

船長の、まだ酔った人はいませんか、というアナウンスも聞こえる

しかし、最後にこれまでで最高とも言えるボニファシオの町を観ることができた


 
港に着くと、船長が "Nous sommes sauvés !" (助かった)と冗談を飛ばしていた

 ホテルに戻り暫くすると、雷鳴り止まず、雨が降り出した

天候が変わりやすい土地のようだ

まさに、 "Nous sommes sauvés !" である




dimanche 29 décembre 2013

ボニファシオ遠望


今日は曇りで風が強い

海に出ることを諦める

午前中、空いているカフェで仕事を済ませ、すっきりする

それから何気なく歩いていると、以前に来た展望台に出た

そこから岬に目をやると灯台が見える



時間があり、雨は降らないだろうとの予報を思い出し、そちらの方向に歩き始めた

 風が吹き付ける中、石を敷き詰めた道を只管歩く

人は殆ど歩いていない

1時間ほどすると灯台が近くに見えるようになる

この辺りで引き返すことにした



 2時間弱のランドネとなった

戻ってきた時、波に洗われた崖の上にある城塞都市ボニファシオを遠望する




samedi 28 décembre 2013

意図と解釈



画面で場所を選びクリックする

そうすれば、後は体がそれに従って動くだけ

そして、全く違う空間に身を置くことになる

意識しないと、今どこにいるのかわからなくなる

この感覚は実に不思議である



それで世界が本当に広がっているのか、自分の居る世界は全く変わっていないではないか

譬えそうだとしても、この感覚器から入ってくる情報は確かに蓄積されている

解析や解釈は後から付いてくる

そう考えると、どんな意図でそれをやったのかは余り重要ではなくなる

まず、やることに意味にあるということになる

今は蓄積することが重要なのである





ボニファシオ3日目


コルシカも3日目を迎えた

今日も青空が見え、気温も15℃を超えている

昨日とは違う道を通って、ボニファシオを味わい直すことにした



 下りる途中に記念碑と思われる彫刻が見えたので、録画ボタンを押す

 過酷な戦いだった第一次大戦の犠牲者を慰霊する碑であった

入り江を見渡すと、今日も peaceful だ

 湾のあたりを散策

 開いているカフェがあったのでそこで読んでいると、教会の鐘が鳴りだした

今回は比較的早い反応であった



 1時間ほど休んだ後、急な壁を一気に登る階段を通って帰ってきた

記録のために、エスプレッソとパン・オ・ショコラで 2.50 €とお安かった



城塞内の町の開いているカフェは満員

冬の日を浴びての食事は気持ちよさそうである

彼らは外気がお好きのようだ



来る前にぼんやり抱いていたコルシカ島のイメージがあった

しかし実際に来てみると、それが余りにも広がりのないものであることがわかる

今、イタリアに近い地中海の島にいることを意識すると、世界の見え方が変わってくる


以前、コルシカ島を拠点に活動している日本人画家のことを聞いたことがある

調べたところ、松井守男(1942-)という方になるのだろう

今は日本に拠点を移しているようだ









vendredi 27 décembre 2013

ボニファシオ散策


 昨日とは打って変わっての空模様で、朝から気分が晴れる

ホテルは城塞の中の高いところにあり、入り江が見える

昨日、嵐の中バスで来たことを考えるとゾッとする

それはよかったのだが、部屋の暖房をオンにできず、壊れているものと諦め、一晩中震えていた

夜7時過ぎるとサービスがなくなるというホテル

それは、普通の家に泊まっているという感覚を呼び起こしてくれるのだが、こういう時は困る

今朝、ホテルの人に来てもらってわかったこと

それは、やり方が逆で、その上オンになっても暫く待たなければならない代物だったのである

見たことのないものに対する時は、彼らのようにいろいろ試してみる執拗さが必要だろう


今日は城塞の町ボニファシオ(Bonifacio)を4時間ほど散策

上り下りがあるので体にはよい

 

 まず、インフォメーション・センター(Office de tourisme)へ

コルシカの歌(Chants polyphoniques)のコンサートの予定を訊いてみた

予想はしていたが、今の時期は何もやっていない

最悪の時期ですね、とのこと

最良は春のようだ

眺めをいくつか




 下まで下り、入り江の奥の方にしばらく歩く

店はほとんど閉まっていたが、スーパーとプレスが開いていたので覗く

興味深い雑誌があった





入り江奥の港の中心まで来たところで、再び上ってホテルに戻ることにした

この城塞が見えたので、上まで行ってみることに



その途中、外海になる地中海の素晴らしい景色が開けた

太陽が眩しく、その光の中に完全に包まれ、自分の体が消えるような感覚が襲う



一番上に行ってから、録画ボタンを押してみた

波の音が聞こえるだろうか



城塞を出て街並みが開けたところで、「ボナパルトの家」という看板が見える

探していたわけではないが、現れてくれた

これはナポレオン(1769-1821)が1793年1月から3月まで滞在した家とされている

生家は首都のアジャクシオ(Ajaccio)にあるようだ



さらに街中を進むと、聖ドミニク教会の案内が現れる




最初に出来たのは13世紀とのこと

教会前の廃屋になった宿舎では展覧会が開かれていて、疲れが飛ぶ




教会前の小さな広場にはこの像が

 

19世紀末から20世紀初めにかけてアルジェリアで犠牲になった外人部隊兵士の慰霊碑であった

作者は、Robert Delandre (1879-1961)



 最悪の時期とのことだったが、わたしにとっては最良の時期に当たったようである





jeudi 26 décembre 2013

いやはやのスタート


夕方、ニースからエア・コルシカに乗り換えてコルシカ島にやっと着いた

ニース空港で着陸に問題があるかもしれないとのアナウンスがある

嵐のため風が強いようだ

島に近づいても操縦室から若い声で同じアナウンスが聞こえる

どうするのかと思っていたら、少し誇張して言うと 「これから突っ込みます」

雲は最近見たことのないほどどす黒く、気持ち悪い

確かに、軽い酔いを感じるくらい上下左右に揺れる

しかし、最後は音もなく着陸してくれた

その瞬間、機内に大きな拍手と歓声が起こる

こんな飛行は久し振りである


コルシカ島南のフィガリ(Figari)空港でタラップから降りると、雨と風

バスで移動しようと思っていたが、タクシーに変更

運転手によると、昨日は暴風雨のためニースからの飛行機は運休だったとのこと

いやはや、大変な時に来てしまった




「そして朝、旅の欲求とともにわたしは目覚める」 (ヴァレリー・ラルボー)


柳田國男(1875-1962)の言葉に 「所貧乏」 があるという

一か所に留まり、極端な場合には一生そこから出ることがない時に起こること

外の世界を知らずに過ごすため、心が貧しくなるという意味らしい

昔は情報を得るのが大変だったと思われるので、所貧乏は稀ではなかったかもしれない

もちろん、ケーニヒスベルクで一生を過ごしたというカント(1724-1804)のような例外はあるのだろうが、、、


今ではネットその他で世界の情報を瞬時に得ることが可能になった

しかし、移動して感じるのは、それだけでは不充分ではないかということだ

直接この身をその中に置くと、五感だけではなく第六感まで働くことがある

所貧乏という言葉には今でも真理がありそうだ


それに肖ったわけではないが、旅に出ることにした

振り返ってみると、このところの恒例になっている感がある

2011年がルクセンブルクで、昨年はトゥールだった

今年は初めてのコルス(La Corse)を選んだ

最初はピンとこなかったが、日本語に直すとコルシカ島

そうすると、ナポレオンが出たところという昔の記憶が刺激される

その土地柄、遥か昔から歴史の波に洗われていたはず

どんな発見があるのか、楽しみである


そして、コルスと言えば、数年前その音楽に惹き込まれたことがある

モンペリエから戻り、コルシカ音楽を聴く (2010-06-20)

本場で直接触れることはできるのだろうか




Valery Larbaud (1881-1957)





mardi 24 décembre 2013

映画 "Mandela: Long Walk to Freedom" を観る


今月5日に亡くなったネルソン・マンデラ(Nelson Mandela, 1918-2013)さんの映画を観る

Mandela: Long Walk to Freedom (2013)

official site

 
南アフリカは日本から見ると遠い国である

日本にいる時には、ニュースになっても現実感がなかった

例えば、アパルトヘイトなどは中学でも聞いているはずだが、具体的なイメージは持っていなかった

それから、1976年のスウェト蜂起などは同時代で覚えている

しかし、この映画で初めてその現実の一端を垣間見ることになった

それは想像を超えるものであった

そのような体制の中でマンデラ氏は生き、行動していたことになる

その具体的なコンクストが見えて初めて、マンデラという存在の凄さが際立ってくる


マンデラ氏釈放後、すぐに落ち着いたのかと思っていたが、そうではなかったことを今回知った

白人とはあくまでも戦うべきだという人達がいたのである

そして、2番目の妻ウィニーさんもさらに戦うことを主張

暴動は続いていたようだ

しかし、マンデラ氏は平和しか解決はないとして、二人は決別する

27年以上に亘る空白は埋めようがなかったのかもしれない


結局、マンデラという存在は大義(cause)とでも言うべきもののために生きたことになるのだろうか

その大義とは、人間が尊重すべき自由を遍く人に齎すこと
 
そして、自由は勝ち取るものであること

そのことを示すために、彼は生を受けたようにも見える



全編を流れる音楽がアフリカの匂いとエネルギーを伝え、風景とともに印象に残った

soundtrack










lundi 23 décembre 2013

過去を掬い上げ始める


知らない間に年の瀬を迎えている

今年もあっという間の1年であった

学生としては何もしない1年だったということになるだろうか

少なくとも準備期間にはなっていたと後で思いたいものである


今日は久しぶりに研究所へ

受付のカウンターにはチョコレートの箱が

いくつか頬張りながら、6年前からの時間を味わい直す

結構いろいろなところに目が行っていたことがわかる

その中のあるものは、日本にいる時に心のどこかに引っ掛かったのだろう

この作業、なかなか面白いが、過去を掬い上げるだけで大仕事になりそうである




samedi 21 décembre 2013

Tony Bennett's 85th Birthday Concert を聴く




アメリカ時代に発見した素晴らしき歌声

ワインに詳しいわけではないが、「フルボディ」とでも形容したくなるようなあの深く密度の濃い声

そこには人生を叩きつけて前に進むようなエネルギーが溢れていた

逞しさがあった

トニー・ベネット(Tony Bennett, 1926- )さん85歳の記念ロンドン・コンサート

そのエネルギー、逞しさが未だに健在なのに驚く

そして、人生を謳うその歌には深みさえ加わっているように見える

どの曲を聴いても、今、この人生の唯中に居ることを感じさせてくれるのだ


共演のクレオ・レーン(Dame Cleo Laine, 1927-)さんも懐かしい

彼女のレコードなどは、今どこに行っているのだろうか









vendredi 20 décembre 2013

C'est déjà Noël ! サン・ジェルマン・デ・プレあたり




今夜、サン・ジェルマン・デ・プレあたりに差し掛かった時、鐘が鳴りだした

このところ、よく通るところになっている

以前の方が音が複雑で深いという印象がある


前回は録画ボタンの存在を教えてくれる偶然の出来事もあった

本当に誤謬は豊穣の、発明の母だ

今日はそのボタンを意識して押してみた

雰囲気は出ているが、画質が何とかならないものだろうか

来年の課題としたい





mercredi 18 décembre 2013

2008年春から歩み直す


教会の周りや広場に出店が出るようになっている

今日降りたメトロの近くにはこんな店があった


今週からゆっくりとこれまでのメモ・ノートを見直すことにした

2008年春のものから始めている

過去を現在に取り戻す、というやつである

あるいは、過去に生きると言い替えてもよい


当時とは違った意味が見えてくるものがあり、興味深い

 そして何より、真っ新な気持ちでこの世界に対している姿が蘇ってくるのが、好ましい






lundi 16 décembre 2013

学生として論文紹介


今日は午後からセミナーに出掛けた

人の話を聴くだけのものではなく、数編の論文を読みながら討論するというもの

今回、その中の1編を紹介する役が回ってきた

簡単にできると思い甘く見ていたが、そうは問屋が卸さなかった

自分の好きなように考えていればよいのとは違い、人の言うことを理解しなければならない

 読み始めると哲学の基礎知識が足りないためか、肝心の論点が理解できない

それと、英語論文をフランス語で紹介しなければならないのも大変だ

こんなことであればもっと余裕を持ってやっておけばよかった、といういつもの嘆息が出る

 もうそろそろ卒業してもよさそうな嘆息なのだが、習い性となっていて如何ともし難い

他の二人の若手は詳細で立派なエクスポゼをしていた

 このような状態だが、庵を出て学生であることを体感できるこのような時間は貴重である

これからも大切にしたいものである





dimanche 15 décembre 2013

一つの状況から新たな状況へ


これまではできるだけ多くの受容体を全開にして、選択することなしに外界のものを取り入れてきた

その過程では主体の意志は抑えられ、どこか特定の方向に 向かうことは念頭に置かれていなかった

その状態から主体を取戻し、設定された目的に向かう時期が来ていると感じるようになってきた

この間に6年の時間が流れたことになる

時の長さは意識されていないが、その間に蓄積されたものは想像を超えるのではないかという思いはある

それを解析するためには、驚異のスタミナが必要になりそうだ

しかし、もし試みるとすれば、興味深い営みになるだろう

 未確定の中に完全に捕捉された状況から、新しい状況へと解放されることになるのだろうか



samedi 14 décembre 2013

BBC Three "Who is Nelson Mandela?" を観る




プレスに入ると、主要雑誌の表紙はすべてこの人だ

今月5日に95歳で亡くなったネルソン・マンデラ(1918-2013)さん

2010年のBBC Threeの番組で、その生涯と南アフリカの現状を観る

案内役は、イギリスの女優レノーラ・クリッチロウ(Lenora Crichlow, 1985-)さん

日本で観るのとは感度が違うのではないかと思いながらの観賞となった





vendredi 13 décembre 2013

初めてのスタロビンスキーさんによるディドロとルソー


最近、哲学雑誌でこの方を知った

ジャン・スタロビンスキー(Jean Starobinski, 1920-)さん、93歳

ジュネーブ大学で思想史を教えながら精神科医としても活躍していたユダヤ人で、ピアノもやっていたという

百科全書派の流れを汲むヨーロッパの人と言えるかもしれない

「知の医者」 という形容もあるようだ

昨年三冊、今年も出版している

長い間、モンテスキューディドロルソーなどのフランスの哲学者について考えてこられた

インタビュー記事の中に、ディドロとルソーの面白い対比があった


まず、ディドロについて

自己の告白ではなく、自己の創造に興味があった

外向的で、思索の対象が外に向かう

それは物であり、この世界である

平然と何でもやり、われわれに世界の様子を見せてくれる

インプロヴィゼーションを大切にする、遊びと飛躍の人である

ダイナミックで、冒険を求めている


一方のルソーは、こうなっている

どこまでも内向的で、常に内に向かう欲求を持っている

自分自身について判断し、問いは常に自分自身のためである

そのためには何事も見過さず、手に入るすべての知を手に入れる

その作品は体系的で、理に叶った一つのシステムになっている


この対比を読みながら、自分の中を見回してみた

どちらかと言えばディドロ、ほんの少しルソーが混じっている

そんなところだが、自分でやる分析だから当てにならない





jeudi 12 décembre 2013

連載エッセイ第11回 「ダーウィンのパンゲン説,あるいは科学が求める説明」


雑誌 「医学のあゆみ」 に連載中の 「パリから見えるこの世界」 の第11回エッセイを紹介いたします


医学のあゆみ (2012.12.8) 243 (10): 929-933, 2012

 ご一読、ご批判いただければ幸いです



 


mercredi 11 décembre 2013

驚きの大発見、それは今年二度目の出来事か


これはわたしの退職記念誌の表紙の写真の部分である

出版はもう6年前のことになる

当時はこれが何を表しているのか知らずに使っていた

その全体が何かを訴えているように感じてこれを選んだのだが、すんなり進んだわけではなかった

最終的にそれを決めたのは誤謬の成せる技であった

この写真を使うかどうか迷っている時、間違ってどこかのボタンに触り、加工されてしまったのである

その一瞬、ピンときて使うことに決めたのだった

なぜ今頃になってこの本が浮かび上がってきたのか


実は、来年春に新たに生き方について語る哲学カフェ 「カフェフィロ PAWL」 を始めることにした

第1回のテーマは、古代ギリシャの哲学者を取り上げ、「ディオゲネスという生き方」とすることにした

先ほど、この哲学者のイメージを探しながらネットの散歩をしていた

いろいろな絵画に混じって、レリーフ像が現れた

販売するために作った複製だったせいか、最初は気付かなかった

 しかし、しばらく見ているうちに、ひょっとして、という思いが湧く

そして、上の小冊子を出してみて驚いたのである

 ぼんやりとした中に見えたものと完全に重なったからである


7年前の12月、将来を模索するためパリを訪れた

振り返れば、この滞在は実に多くのものを齎していたことがわかる

まず、それまで考えたこともなかった学生になる以外にパリに滞在する方法がないことに気付くことになった

 そして、その時のホテルの横にあったリブレリーで手に取った本が重要な意味を持ってきたのである

そういうやりかたの哲学があることを知り、哲学に入る促しの効果があったこと

タイトル『生き方としての哲学』の英訳の頭文字は、今回のカフェの名前にもなっている

PAWL = Philosophy As a Way of Life 

さらに、その滞在中に訪れたルーブルでこのレリーフの写真を撮っていたのである

すでに対象を選ばずに撮り始めてはいたが、すべてのタイトルを控えるところまでは行っていなかった

この作品のタイトルも、従って何を描いているのかもわからずにいたのである

それが今回、フル・サークルを描くようにすべてが繋がってくれたのである


 Alexandre le Grand rendant visite à Diogène
Pierre Puget (1620-1694)
(@Louvre, 2006.12.23)


これが2006年暮れにルーブルで撮った加工される前の写真になる

今見直すと、なぜこれを使わなかったのかわからないくらいよく撮れている

この作品は、逸話に溢れたアレクサンダー大王とディオゲネスとの出会いの場面だったのである

もちろん、右下にいるのがディオゲネスである 

こちらに来る前、それまでをまとめ、これからを展望する本の表紙にこの場面を選んでいたのである

わたしの中にある一つの哲学者像を、これから歩み始める時に、そうとは知らずに選んでいたとは

暫しの間興奮収まらず、眠ること能わず


これはわたしの中では今年二度目の大発見になるだろうか

昨年から講演などで「デカルトの樹の逆転」についてよく触れている

そのイメージにぴったりの造形作品を、この春ボルドー第三大学で発見したのが最初になる

その時も驚いて声を上げたが、今回はそれ以上に驚いた

いや、これまでのすべてが繋がったという深い悦びの方が強かっただろうか

 何もしなかった今年という印象だったが、こんなところにこんなものが転がっていたのである

それは、わたしにとっての大発見であった 

これに肖り、カフェフィロ PAWL が順調に船出してくれることを願うばかりである
 
鬼は笑うのだろうが、、、




mardi 10 décembre 2013

進化医学の現状を聴く

Dr. John Matthewson (Massey Univ., New Zealand & Univ. of Sydney, Australia)


進化医学の現状、より正確には問題点についてのお話を聴く

進化医学のことを聞いた10年以上前、新しい視点が生まれていることに少し興奮した

しかし、よく読んでみると、その説明が殆ど後付けに見えたのだ

つまり、今ある状態(形質)は最良の適応の結果であると考え、そこから理由付けをするのである

この分野の言葉で言えば、適応主義(adaptationism)を採用していることになる

これが度を過ぎると、しばしばその証拠もなしにどんなことでも説明できることになりかねない

20年ほどの歴史のある進化医学だが、その後の経過にはこの問題があるという批判的分析が出ている

さらに、医学の現場への還元や新しい研究プログラムが進化医学から出ているのかという問題もある

この辺りの問題点が総合的に論じられていた

個人的な印象は、これからの道はかなり厳しそうだというもの

セミナー後にお話を伺ったところ、同様の感触をお持ちであった

しかし、これからの進展をしばらくの間見守りましょうということで落ち着いた




dimanche 8 décembre 2013

フランス語の世界に居ること、それは未確定の状態に完全に捕捉されていること


フランスに居るということ

それは、言葉の問題から見ると不確定の中に捕捉されている状態と言える

それは中世の哲学者ダン・スコトゥスが言った形而上学の世界でもある

つまり、わたしが哲学をする上では打って付けのところになる

裏を返せば、そこに完全に捕捉されているため、そこから出ることができないのである

それを良しとしてやってきたが、それでは 「こと」 は進まない

そこから抜け出すためには、これまで抑えられていた英語を活性化する方法がある

英語には今居る場所を外から照らす力がある

これは先日のマンハッタンで気付いたことだ

あるいは、積極的に向き合うことがなかったフランス語をどうにかすること

しかし、これはかなり悲観的だ

悩ましい状態が続く





samedi 7 décembre 2013

"Japan Lies" (『ニッポンの嘘』)を観る


先日、映画のポスターを街で見かけた

今日その映画を観にオペラ座近くまで出掛けた

Japan Lies (2012)



お客さんは結構入っていた

描かれている一見奇妙な人物の生活ぶりに笑いが漏れる

菊次郎さんの歩く姿

特に後ろ姿に自由人としての雰囲気が出ているように見えた

しかし、一旦仕事になると緊張感が漲り、体の動きが俊敏になる

現役としては当然なのだろうが、そのことに驚いた

長い人生を眺めてみると、そこには一本図太い芯が通っている

ジャーナリスト魂が確実に生きている

体制とともに生きているような自称ジャーナリストとは明らかに違う

自分の人生を飾らずに語ることができている

言葉がわかりやすいのだ

こういう人は、「こと」が起こってしまった後も同じように行動するのではないかと思わせてくれる

観終わった後、久々に頭の中がすっきりした

日本で観た時を想像すれば、少し違う印象を持ったのではないだろうか

その中に居るからだ

対象を突き放して見ることができる位置にいると、その中の本質を掴みやすいのだろう

パリで観ることができたのは幸いであった




ところで、上映前 Kinotayo (金の太陽) 映画祭の関係者から説明があった

肩に力が入ったり、芝居がかったりするところは全くない

その人の日常がすぐ横にあるのが感じられる語りなのだ

つまり、日常が落ち着いているということになるのだろう

そのお話も対象を離れて観る上で大きな助けになったのではないかと思う

始まって暫くして、動画ボタンのことを思い出した







jeudi 5 décembre 2013

拡散か収斂か、専門家か普遍人か


師走に入り、異変が起きている

ネットには繋がっているのだが、なぜかページを開けない状態が続いている

それを解決しようとするのではなく、その状態を受け入れるという姿勢が、こちらに来て身に付いた

と同時に、寝不足が祟ったのか風邪気味の日々である
 
そういう時、意識が自然に内に向かうようになる

今年を振り返るには絶好の機会である


そこから見えてくるのは、日々必要もないことでネットとともにいたということである

考えながら 「こと」 を進めるためには不要であるだけではなく、有害とさえ言えるかもしれない

もちろん、情報を集めるためには有効である

しかし、そこから無限に広がっていくのがこの世界

これまでは、その世界に身を委ね、楽しんでいたところがある

拡散である

もし 「こと」 を進めることを考えるのであれば、収斂が必要になる

意識の表層で踊っていたところから、深く中に入ることができるのだろうか

この問いは、こちらに来る前から生まれている専門家になることへの抵抗感と関係がありそうだ

拡散か収斂か、専門家か普遍人か

 しばらくは考えることになりそうな問いである



 ということで、今日はカフェからのアップとなった




dimanche 1 décembre 2013

今年も早師走


今年も早師走

あっという間の時間であった

何と密度が薄く見えることだろう

この流れを押し留めることができれば、少しは濃くなるのだろうが、、、

せめて最後のひと月くらいは何とかしたいものである




samedi 30 novembre 2013

先週を思い出しながら、ウィントン・マルサリスを味わい直す




こんな珠玉の演奏が空に浮いているとは

マルサリスさんの面目躍如である

見覚えのある他のメンバーも素晴らしい

2009年のマルシアック・ジャズ・フェスティバル

Jazz in Marciac

フランスでのコンサートなのでフランス人プレーヤーも加わっている

お客さんの反応は先週に比べると、おとなしい


パキスタンのサッチャル・ジャズ・アンサンブルとの共演も見つかった

先週のリンカン・センターを思い出しながら、綺麗な映像でたっぷり味わうことにした










vendredi 29 novembre 2013

テーズのスートゥナンスを観る


今日は午後から大学へ

少し前に案内が入ったテーズのスートゥナンス(英語でディフェンス)の様子を見るためである

これまでに何度も案内は受け取っていたが、その気にはならなかった

テーマは論理学なので、内容よりは様式に興味を持って出掛けた

ジュリー(審査員)の構成は、フランス人2名、イタリア人2名、ブラジル人1人、そして日本人1人の計6名

日本からは慶応大学の岡田光弘教授が参加されていた


発表するのはイタリアからの留学生

発表前に話したところ、論文は英語で350ページくらい書いたとのこと

わたしの所属する大学は、何年か前から英語の論文を受理するになったようだ

フランスの大学としては開けていることになるのだろうか

発表は30分で、その後ジュリーとの質疑応答がある

発表は英語でやり、質疑応答は相手に合わせて英語とフランス語を使っていた

因みに、フランス語での質疑応答は二人のフランス人とイタリア人のお一人で、他の方は英語であった

発表者がなぜ論文をフランス語にしなかったのかわからないほど自在にフランス語を操っていた

スートゥナンスが終わったのは4時間後であった

ジュリー1人当たり30分以上の質疑応答があるので、体力が問題になりそうである


すべてが終わった後、発表者と参加者は審議が行われる間部屋の外に出される

そして、部屋に呼ばれ、結果を聞くという手順であった

待っている間、南米はコロンビアからの留学生と話をする

これまで何度も聴いているようで、各国の留学生の特徴を語っていた

また、今回の発表者はここまで6年かけているが、5-6年は普通とのことであった


結果が出た後、発表者はジュリーと挨拶

その後、別室に懇談の場所を設定しているようなことを言っていた

大変そうな一日であった



実は、大学に向かう途中、不思議なことがあった

大学への道を訊いてくる紳士がいた

道を教えると先を歩き始めた

しばらくすると、後ろを振り向き、また確かめてきた

これはひょっとするのではないかと思った時、赤信号になった

どこの部屋に行くのか訊いたところ、わたしの向かう部屋であった

イタリアから参加のジュリーのお一人だったのだ

向こうもわたしがジュリーではないかと思ったようだ

 こういうことがよく起こる




mardi 26 novembre 2013

マンハッタンで読むアラン・バディウ、あるいは三つの哲学的状況


先日のニューヨークで入った書店で哲学書を眺めている時、この小冊子が目に入った

アラン・バディウ(Alain Badiou, 1937-)、スラヴォイ・ジジェク(Slavoj Žižek, 1949-)著

Philosophy in the Present (Polity; 2009)

バディウさんの言葉はよく入ってくるので、これまで何度も取り上げている

英語に訳された本が書架にたくさん並べられていることに驚いた

彼の主著 『存在と出来事』 (1988)が出たのは51歳の時で、英訳はその17年後の68歳の時である

バーンズ・アンド・ノーブルにも置かれていた

バディウさんは年齢とともに熟成を見せる衰えを知らない哲学者という印象が強い

哲学が時間のかかる営みであることを思い起こさせてくれる

もちろん、パスカルウィトゲンシュタインのような天才は別なのだろうが、、


この本は二人の哲学者の講演と対論を基にしたものなので、読みやすい

タイトルにあるように、「現在」に如何に哲学が絡むことができるのかについて省察している

以下に、バディウさんの言葉を


まず、哲学について間違った考えが蔓延っている

テレビでコメントしている哲学者のように、哲学者は社会のどんな問題についても語ることができると思われている

真の哲学者とは、自分が重要だと思う問題を決め、すべての人にとって重要な問いを出す人である

 そもそも哲学とは、新しい問題を創り出すことである

哲学者が関わりを持つのは、新しい問題を創り出さなければならないような兆候が見られた時である

世界ではいろいろなことが起こっているが、すべてがそのような時ではない

哲学が必要になるのは、「哲学的状況」 と呼ぶ状況がある時である

その状況を3つの例で説明したい


一つは、プラトンの 『ゴルギアス』 に描かれたソクラテスとカリクレスとの間の全く相容れない関係である

カリクレスにとっての幸福な人間とは、奸計と暴力で人民の上にある者

一方、ソクラテスにとっての真の人間、すなわち幸せな人間は、哲学的な意味における正義の人である

両者の間には、正義が暴力なのか、思想なのかの違いがあり、その間に橋は架けられない

対話は不可能で、衝突しかあり得ない

つまり、勝者と敗者しかないのである

この状況における哲学の役割とは何か

それは、どちらかを選ばなければならないことを明らかにすることである

哲学的状況とは、存在に関する選択が明らかになる時である


第二の例は、シラクサ出身の数学の天才アルキメデスの死である

第二次ポエニ戦争の時、シラクサはローマの将軍マルケッルスにより占領される

アルキメデスはレジスタンスに加わり、兵器を開発したりしていた

占領下のある日、幾何学の研究を継続していたアルキメデスは砂に図を描き、考えていた

その時、兵士が到着し、名を馳せていた人物に興味を持ったのか、将軍が会いたいと言っている旨を彼に伝えた

 しかし、彼は身動き一つせず、再度の要請にも答えず、計算を続ける

そこで頭に血が上った兵士は、彼を殺してしまったのである

これが哲学的状況になるのは、国家権力と創造的思考との間に相容れない関係があるからである

暴力により創造としての真理が簡単に消されてしまうからである

同様の例として、作曲家アントン・ヴェーベルンの死がある

彼は第二次大戦直後、アメリカの占領軍兵士の誤射により殺害された

事故ではあったが、哲学的状況に変わりはない

ここにも権力と真理との間に超えることのできない溝がある

哲学のミッションは、その隔たりについて省察し、そこに光を当てることである


そして、最後の例は、溝口健二の驚くべき映画 『近松物語』 である

その理由は、存在をひっくり返すような愛と社会の規範との間に相容れないものがあるからである

例外をどう考えるのか、日常の継続性と社会の保守性に如何に抗して考えるのかという問題である

哲学が大学の科目としてではなく、人生に何らかの意味を持つものであるために考えなければならない三つのこと

それが選択と隔たりと例外になる

そこから、この人生を意味あるものにするためにやらなければならないことが現れる、

出来事を受け入れ、権力から距離を取り、自分の決定に断固従うこと

そのことを理解すること、そしてそのことによってのみ、哲学が真に人生を変えることに寄与できるのである







dimanche 24 novembre 2013

英語世界の中のフランスを考える


昨夜ニューアークを発ち、今朝オルリーに着いた

ニューヨークでは何かに追われるような緊張の中、常に動き、前に進むことを強いられる

声が大きく、会話のテンポは速く、決然としていて、即断が求められるように感じる

こちらにはそれがない

そのためだろうか、少し引いてゆっくり思いを巡らすことができるようだ


医学哲学においても、テーマとその扱い方がアメリカとフランスでは明らかに違う

実証的で科学的に対象に迫るのがアメリカのやり方で、主観の関与をなくし対象を突き放してしまう

そのため、科学の発表と変わらず、出てくる冗談も科学者のものと変わらない

リタ・シャロンさんの "narrative medicine" などは、この中にあって異質に見える

フランスの場合には、実証的な研究もあるが、抽象的な思索に入る場合が稀ではない

観念論や形而上学的思索が許されている

これがアメリカでは興味の対象から外れ、フランスではよく知られている哲学者は読まれていないようだ


アメリカにいた時の感受性を思い出しながら、形而上学の含みのある発表を聴いてみた

そうすると、アングロ・サクソンの反応がよくわかるのだ

フランスの中に閉じ籠っているように感じさせるのは、フランスの哲学にとっても得策ではないだろう

アングロ・サクソンの枠組みの中で、如何にフランスの特徴を発信することができるのか

この発想がなければ、例外的な研究、マージナルな研究ということになりかねない

フランス語がわからなければ、その思想に触れることができないからだ

それほど英語的発想には圧倒的な力があり、それゆえフランス的な思考が重要になるはずである

アングロ・サクソン的やり方には欠けているものがそこにあるからである

これまでの発想を大きく変える必要があると感じた


6月にパリで同様の医学哲学の会議があった

その時はベースがヨーロッパだったので、このような現実的な切迫感はなかった

今回はほとんどがアングロ・サクソン的背景の中で行われた

そのためだと思うが、両者の落差が想像以上に大きいことを改めて感じる旅となった





samedi 23 novembre 2013

マンハッタン最後の夜は Jazz at Lincoln Center


マンハッタン最後の朝は、抜けるような快晴

ラジオからはクリスマス・ソング

気分も晴れ渡る


昨日の会議終了後、指導教授ご夫妻に誘われてジャズ・アット・リンカン・センターを鑑賞

なかなか行く機会がなかったので、お誘いをありがたく受ける 

ウィントン・マルサリス率いるJazz at Lincoln Center Orchestraとパキスタンのジャズ・オーケストラとの共演

パキスタンからのバンドは、サッチャル・ジャズ・アンサンブル(Sachal Jazz Ensemble)という

伝統的な各種ドラムス、シター、フルート、ギターなどの構成

国際的にも活躍しているようだ

コンサートは、トランペットの席からマルサリスさんが挨拶や曲の紹介をするというやり方であった

最近癖になってきた録画ボタンを押してみた

partial view の席しか残っていなかっただけではなく、画像の状態も相変わらずだ

ただ、雰囲気だけは伝わるのではないかと思い、アップすることにした




コンサート前のディネの席では、いろいろなお話が出た

アメリカとフランスの文化比較から始まり、哲学全般や医学哲学という新しい領域の現状など

それからテーズの考え方についてもコメントがあった

昔は、その人の集大成を纏めるという意味合いがあったので、時間をかけて書いたという

科学の領域にいると、理解が難しいところだ

日本では今でも教授になってから出す人がいると聞く

ところが、テーズは一つの過程にしか過ぎないと考えるようになり、システムも変わったようだ

哲学専攻のキャリアにとっても必要になっている

わたしの場合は傑作を書こうなどと考えているわけではなく、なぜかその気にならないだけである

教授のお話には、そろそろ今のシステムに合わせて考えてみては、というニュアンスが漂っていた


リラックスした会話はフランスの大学教授との間では難しい

その意味では、このようなざっくばらんな意見交換ができたのは幸いであった

 そんな会話の中、お互いの理解が同じレベルにないことを何度か感じた

こちらの言いたいことが向こうの理解の枠組みに収まっていないという感触である

アメリカに行った時にも感じていたギャップであるが、自分の中では4-5年で消えて行ったように思う

フランスの場合には言葉の問題が大きいのだと思うが、まだその時は訪れていない



コロンバスサークルのイルミネーションを見ている時、なぜかパリのイタリア広場と重なった





vendredi 22 novembre 2013

会議最終日、疫学の役割を考える

Prof. Nancy Cartwright (UCSD & Durham Univ.)


会議三日目はコロンビア大学の疫学部門が主催の会であった

テーマは、疫学における説明と予測

医学だけではなく、行動科学、経済学、政治学からの発表があった


一つの話題は、科学で極めて重要になる因果関係とか因果律と言われる概念

大きく3つの考え方が取り上げられていた

第一は、デイヴィッド・ヒューム(1711-1776)の規則性に基づく説である

Aという出来事の後に例外なくBという出来事が観察された時に限り、AがBの原因になっているとする

第二は、ナンシー・カートライト(1944-) さんなどが唱える確率に基づく説

Aという出来事がBの確率を上昇させる場合に限り、AがBの原因になっているとする

第三は、デイヴィド・ルイス(1941-2001)のカウンターファクチュアル理論がある

これは、もしAが起こらなかった場合、Bは起こらないはずだと言えるかどうかを基にしている


19世紀の科学における因果律は、完全な規則性に基づく説を採用していた

 疫学の場合には、不完全な規則性に依存することになる

 因果関係を明らかにするのは、説明するためであり、予測するためでもある

説明は理解に不可欠であり、予測は有効な行動に不可欠である

 疫学は法則を求めるのではなく、因果関係を明らかにしようとする


カートライトさんは、黄金の方法とされるランダム化比較試験(RCT)の有用性を検討していた

まず、AがBの原因である証拠として7つのカテゴリがあることを示す

その上で、個別研究の集合を解析する場合と比較していた

その結果、RCTが明らかにする証拠は1つのカテゴリなのに対して、後者の場合には5つに及ぶことを明らかにした

原理的には、個別研究の集合解析はRCTに何ら劣ることはないということになる


考えるべきことの一つは、疫学の目的は世界を理解することなのか、世界を変えることなのかということ

両者は二律背反ではないが、二つの違いはその後の方向性を変えることになる

世界を変える場合には、具体的な政策決定が絡み、各政策の有効性の検討が必要になるからである

世界を理解する場合には、原因を見出し説明することに重点が置かれ、予測へと繋がる

相関と因果性は区別しなければならないが、相関が役に立たないわけではない

因果性が確立されていない段階で、危険を避ける行動をとることができるからである

疫学は説明ではなく、行動の決定に寄与する学問であるべきだという考えが出されているようだ