samedi 31 décembre 2011

エヒタナハ Echternach 訪問


聖ウィリブロルドのバジリカ
Basilique Saint-Willibrord


今日は予想通り小雨が降っている。

昨日晴れてくれたのは奇跡に近い。

雨の中を歩く気分ではないので、ドイツ国境に近いエヒタナハへ向かうことにする。

駅前からバスで1時間弱、1.50ユーロだ。


バスはどんどん登っているように感じた。

途中、霧がかかり、雪がうっすらと残っているところもある。

素人目にも建物がドイツ風になっている印象があった。


山間にある人口5,000人に満たないエヒタナハ。

ルクセンブルグで一番歴史があるという。

698年、聖ウィリブロルドSaint-Willibrord) が建てた修道院が町の始まりだ。

この町で今年ノーベル賞を貰ったジュール・ホフマンさんが生れている。


町に着くと雨は上がっていた。

気分に任せて散策する。

大晦日の街は静かで時が止まっているかのようだ。

1年を振り返るには最良の空間かもしれない。















1975年からエヒタナハで国際音楽祭が開かれるという。

有名な音楽祭だと紹介されている。

Festival International Echternach















カフェ 「哲学者」 はこの有様。

現世で生き残るのは大変のようだ。





これが1899年のエヒタナハ。

1世紀を経てもほとんど変わっていないようだ。

この町から若きホフマンさんストラスブールに向かったのである。





今年も訪問いただきありがとうございました。

来る2012年はよい方向に向かうことを願いたいものです。

新年もお暇の折にお立ち寄りいただければ幸いです。



                (エヒタナハのカフェにて)








vendredi 30 décembre 2011

晴れ上がったルクセンブルグを動と静で味わう



どうなるのか心配していた天気だったが、朝食後外に出ると晴れ上がっている。
しかもパリと同じ空だ。
気分も軽く、終日散策の予定で歩き始める。

フランスの住人なのでホテルではフランス語で通している。
ホテルのご主人はフランス語に訛りがある。
しかし、大きなジェスチャーでこちらの心に入ってくる。
話の中でイタリア人であることがわかる。
そして、こんなことを言い出した。
「フランス語を話すのでしたら、イタリア語はすぐですよ。是非やってみては」

何が切っ掛けで 「こと」 が動き出すのかわからない。
早速、ご主人に紹介していただいたリブレリー Libo に向う。
イタリア語を学ぶための本を探しているのですが、と聞いていた。
すると、イタリア語の専門家に取り次いでくれた。
デビュタント向けの1冊を手に入れる。

お話を伺うと、母親がイタリア人なので確かに専門家である。
彼女はイタリア語のほか、英語、ドイツ語、フランス語、ルクセンブルグ語を操る。
ルクセンブルグでは移住してくる人が多いので、他にもいろいろな言葉を耳にするとのこと。
この環境だとマルチリンガルへの道は近いかもしれない。





雨で湿った道を朝早く歩くのは気持ちがよい。
こんな瞬間にも出会うことができた。





この景色はルクセンブルグの一つの象徴になるのではないだろうか。
手前に金色に輝いているのは 「黄金の女性」 を意味する Gëlle Fra の戦争記念碑
後ろに見える塔はノートルダム大聖堂 (Cathédrale Notre-Dame)。
近くに行ってわかったのだが、大聖堂に隣接して国立図書館がある。








Gëlle Fra 戦争記念碑
Monument du souvenir "Gëlle Fra"




ルクセンブルグ国立図書館
Bibliothèque nationale de Luxembourg


本当にこじんまりした入口なので、最初は大聖堂付属資料館くらいに思っていた。
しかし、それと書かれてある。
体が冷えていたこともあり、中を覗いてみることにした。

変に国を背負ったという雰囲気はなく、手頃な図書館という印象だ。
暇つぶしにフランス語、ドイツ語、イタリア語の新聞を眺める。
イタリア語の新聞の文字を追ったのは初めてのことだ。
もちろん、それはギリシャ語だった。

すぐに飽きて哲学雑誌の棚へ。
その中にあったフランス語の一誌を手に取る。
ハイデッガーが1934年11月30日、コンスタンツで行った講演内容が出ている。
演題は 「ドイツ哲学の現状と将来の課題」。
冒頭に 「それは 『哲学』 の問題である」 とあり、昨日と繋がっていることがわかる。
読み終えてから歩くことにした。

読みながら大聖堂の鐘の音を実に心地よく聞く。
15分毎に高い音で軽快に歌うように。
深みを湛えた太い響きが朗々と歌うと正時だ。
結局、正時の歌を2-3度聞いたように思う。
落ち着いた感じの良い図書館だった。





しばらく歩くと、昼の月に気付く。
すでに素晴らしいことが起こっていたので、そうだったのかと思う。
最早、ユングの世界だ。





市庁舎前の広場は恒例になるのだろうお店で埋まっている。






カピュサン劇場 (Théâtre des Capucins) の正面と裏の広場の彫刻





広場の雑踏を離れ街に入ると、こんな女性が現れた。
何を考えているのか、わからない。
道行く人も同じだろう。

中年の女性が叫び出した。
「放っておいたら危ないので服を着させなさい」
別の男が叫ぶ。
「何かのデモンストレーションをしてるんだ。彼女の権利を奪うな」
女性が返す。
「一体何のデモなの」

本人は一言も発せず、微動だにしない。
よく見ると、太腿の筋肉は痙攣している。





すぐに警官が現れ説得するが、全く反応しない。
結局、先ほどの女性の再びの叫びで服を着せることになる。
抵抗するかとも思ったが、おとなしく従っていた。

この間、冷え切っていたわたしも体のことを忘れていた。









目を凝らすと、何かが見えてくる。





予想もしていなかった贈り物をいただいたような一日だった。

パリもそうだが、都心の空が広々としているのは何とも言えずよい。

街に支配されているような疎外感が生れないからだろうか。

ホテルに戻るとご主人が 「ブオナセーラ!」 "Buonasera" と両手を広げて迎えてくれる。

明日からはイタリア語だけですよ、などと無茶なことを言っていた。

大晦日は果物屋の女主人の予想通り雨だろうか。




雨のルクセンブルグで言葉と 「もの」 を考える





昨日、パリ東駅からTGVでメス(Metz)へ。
そこからローカルでルクセンブルグに着いた。
約2時間半の旅。
気分転換にはやや短か過ぎる。





少し休んでからホテル周辺を散策。
到着時は曇りだったが、雨空に変わっていた。
天気予報など調べることなく来ていたことに気付く。

街並みはやや暗く、地味。
人々は親しみやすい。





コルシカ産のクレマンティンがおいしそうだったので果物屋さんの中へ。
女主人と天気のお話。

「今夜一杯こんな状態でしょうかねー?」
「そうでしょうね」
「明日は?」
「明日も」
「明後日は?」
「明後日も」
横にいた方が 「それに風が加わりますよ」
そして、二人で笑いながらこう付け加えた。
「これがルクセンブルグなの」


雨なのに、気分は晴れ上がっていた。






少し冷えてきたのでビストロで雨宿り。
英語でもドイツ語でもフランス語でもない、おそらくルクセンブルグ語が音楽のように聞こえる。
体を温めながら、TGVで始めた言葉と 「もの」 についての考えをさらに巡らせる。


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哲学とは何か。
この問はわたしにとっても永遠のテーマだ。
哲学は現実との違和感から始まる。
これがわたしの経験から生まれた一つの定義である。


それは言葉から始まったのではない。
最初に漠然とした存在そのものに関わる不安のようなものを全身が感じたのだ。
これから哲学をやりましょうと言って始めたのではない。
自らが感じている中身を考えざるを得なくなり、言葉が続いたのだ。


言葉から始めるのではなく、「もの」 との直接の接触に入るように仕向ける。
新らたに考える時に必要な姿勢だろう。
この現実には何一つとして同じものはない。
同じ人間でも常に揺れ動いている。


言葉は共通項だけを拾い上げ、この世界に溢れる差異をすべて捨象する。
恰も不変の世界にいるかのように安心させ、「もの」 そのものに迫ることを止めさせる。
そういう力が言葉にはあるのだ。


今、この目の前に広がる世界をそのものとして観る。
そこは、今までにはなかった 「もの」 で溢れ返っているはずだ。
そこで驚き、初めて言葉を探すのだ。
見つからなければ創り出さなければならない。
この営みを通してしか、新しいところには到達しないのかもしれない。


「もの・こと」 から始めて言葉へ。
ひょっとすると、これも哲学の本質を表しているのかもしれない。
つまり、生きることの本質を。


今の世、出来合いの言葉で溢れていないだろうか。
言葉が先に来て、その言葉に合わせて 「もの」 を観、動いていないか。
その逆でなければならないはずなのに。


もっともらしい言葉の前では立ち止まらなければならない。
それを感得させてくれるのが詩人や哲学者ではなかったか。
その姿をもっと見てみたいものである。


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こんなところで、再び雨の街に出た。







jeudi 29 décembre 2011

旧友と語り尽くす



昨夜は年末休暇でヨーロッパに来られた木村ご夫妻とのディネとなった。もう40年前からのお知り合いだが、わたしが仕事をしている時にはほとんどお付き合いはなかった。ところが人生は不思議である。このところお話する機会が増え、何と今年二回目のパリでのランデブーになる。春に学会でフランスに来られた時にご一緒して以来だ。お話を伺うと、この夏に奥様が大病をされたとのことで驚く。今回は純粋なヴァカンスのようで、お目当てはヨーロッパに散らばるフェルメールらしい。出発前に東京で3点味わってから、フェルメールのデルフトを訪問されている。この町にはわたしも一度行ってみたいと思っている。久し振りに四方山話に花が咲き、一度終わりそうになったが、結局ミニュイまで語り尽くすことになった。



mercredi 28 décembre 2011

ライトモチーフの源流は



相変わらず、前ブログ 「A View from Paris」 の記事を少しずつ読み返しながらBloggerに移している。その過程で気付いたことがある。それは、わたしの核になっているフランスや哲学の領域に対する考えは、実は最初の半年か1年くらいの間にでき上がっていたのではないかというものだ。例えば、こちらに来てまだ半年にも満たない2008年1月20日に 「フランスの哲学は」 と題した記事があり、こんなことを書いている。わたしの中にある考えが的確に表現されているのに驚く。それ以後に書いたことは、実はこの変奏だったのではないか。

ところで、前期最後のクールで先生が学生一人ひとりに前期の印象を聞いていた。私のところに回ってきたので、次のようなことを話した。

「私にとってはなかなかフォローするのが難しいものであった。私はこれまで科学の領域にいたせいか、哲学が孤立してあるのではなく、科学の領域にどのような貢献ができるのか、そのヒントを探そうとしながら聞いていた。その中でアングロサクソンの文献にも接触し、フランスの哲学が明らかに違うことに気付いている。それは、フランスの哲学には功利主義的な (utilitariste) の要素を殆ど感じないということである。私の場合、あることのためにという考えが見え隠れするだけで急に底が浅いもののように感じられてくるところがある。その点フランス人の問題への迫り方は、そのもののだけのために考えているように見え、純粋で奥深いと思っている」

こう言ったところ、その教授は本当に満足そうに深々と頷いておられた。おそらく当っているのだろう。そしてそのことを誇りに思っているのではないかと感じた。「誇り」 という言葉など長い間私の辞書から消え失せていたが、思わずこの言葉が出てきた。これは私の数ヶ月の印象でしかないので間違っていれば訂正をお願いしたいのだが、アングロサクソンの場合には科学の中に実際に入って行って、その問題を哲学するところがある。そのため、今の私には近づきやすいところがあり、科学への直接的な貢献の可能性が高いように感じる。

これに対してフランスの場合は本当に底なしである。それが役に立つのかどうかなどということは一切考えず、言ってみればそこにある問題について何の制約もなしにとにかく考える。何を考えてもよいのである。そして、それをやっている人から滲み出るどっしりとした落ち着きはどうだろう。何のバックグランドもない場合、それをやってこなかった私のような場合、ついていくのは大変である。その苦しみを今まで味わっていたようにも感じる。と同時に、こういう姿勢を見るのは初めてなので非常に刺激的でもあるのだ。

この印象が専門家から見たフランスの哲学の特徴なのかどうかはわからない。しかし、それはどうでもいいと思っている。このような方向性で自分は 「こと」 を進めたいと考えているからだ。

また、これまでの蓄積を見直し観想することでより豊かなものが齎されるような予感がしている。ひょっとすると、ここにも inépuisable な泉があるのかもしれない。その水がおいしければ、体が動き出すことだって無きにしも非ずだ。






mardi 27 décembre 2011

inépuisable という言葉、そしてなぜかフォーレ




フランス語を始めてから、言葉に含まれる意味を体すべてで感応するという体験をしてきた。

その一つに inépuisable という言葉がある。

「汲めども尽きぬ」 という意味だ。


自然界ではおそらくあり得ないだろう。

これを可能にするのはわれわれの脳だけではないか。


この言葉を静かに発する時、勇気が湧いてくる。

体が震い立つような感覚が訪れる。

終わりなき挑戦がそこにあるように感じるからだろうか。


これまでに生きたわれわれの祖先たちの活動の跡もまた inépuisable だ。

汲めども尽きぬ泉がそこにある。

その泉を飲み干してみたい。


とんでもない欲求だ。

それが不可能なことはわかっているはずなのに。

それでもなおその気持ちを抑えることができない。

その訳は未だにわからない。






なぜかフォーレを聞いてみたい気分の年の瀬の朝だ。




















lundi 26 décembre 2011

A Dangerous Method を観る、あるいはカール・ユングという人生



夜の散策中、タイトルに惹かれてシネマの中に入る。

"A Dangerous Method"

案内を読んでみると、カール・ユングに纏わるお話だ。
フロイトも出てくることがわかり、観ることにした。
先月東京で開いた会でユングの言葉について触れていたからでもある。

この世に偶然はない。
これはこの場の底を流れるアイディアになっている。
この映画でユングも同じ考えの持ち主だったことを知り、驚く。
この世の出来事には何かの意味があると考える傾向があったのだ。

ユングとフロイトが決別したことは知っていた。
精神分析の分野は 「いずれ」 のリストの相当先にしかない。
その背景について調べるところまでは行っていなかった。
ただ、この映画で両者の考え方の違いが少しだけ見えたような気がした。

フロイトはユングを精神分析という自らの領域の後継に、と考えていた。
フロイトは開拓しつつあった領域を科学的批判に耐え得るものにしようとしていた。
彼の周りには多くの批判者がいたのだ。

一方のユングはフロイトが科学的として囲い込んだ領域を超えようとする。
この世に偶然はなく、すべてに意味があると考えるような人間である。
テレパシー、神秘主義、シャーマニズムなどにも興味を示す。

患者に対する態度でも二人は意見を異にしていた。
フロイトは患者のあるがままを観察し、分析するところで止めようとする。
ユングは患者の持てるものを十全に発揮できるようにしたいと考えていた。
患者への踏み込みがより強いと言えるのだろうか。
両者の決別は必然だったのかもしれない。

今のわたしから見ると、どちらが正しいのかわからない。
二人の立場が可能だということを理解できるようになっているからだ。
それぞれの進み方に意義を見出していると言ってもよいだろうか。
そんな曖昧なところにいる。
もう少しその中に入ってみなければ、それ以上のことは言えそうにない。






ところで、この映画のメイン・テーマはユングの女性関係である。
1903年、裕福な家庭の出のエンマ・ラウシェンバッハと結婚。
5人の子供を授かり、エンマが亡くなるまで夫婦関係は維持する。
彼の人生にはこの他にも女性が登場する。
今回の主人公である彼の患者だったザビーナ・シュピールライン
映画の最後で名前だけが出てくるトニ・ヴォルフ

ユングは一体どのような内的人生を歩んだのだろうか。
これまでになく興味が湧いている。

それとは別に、ヨーロッパのゆったりした空気とフロイトのシガー姿を味わっていた。
日本では公開されているのだろうか。


カール・グスタフ・ユング
(1875年7月26日 - 1961年6月6日)
Carl Gustav Jung





一夜明け、日本から戻ってすぐにこの映画のポスターを見ていたことを思い出す。

何の映画かも知らずに。

三週間ほど前のことだ。

ファイルを探すと出てきたので、本日の冒頭の写真として差し替えた。

実は、初め上の写真を冒頭に掲げていたが、どこかしっくりこないものを感じていた。

これですべてがストンと収まった。



dimanche 25 décembre 2011

季節にリズムを、そして詩人は解放者


「わたしは季節にリズムを付ける」


こんな言葉を見付け、そのまま呟く。

それからさらに強く 「リトゥム!」 と口ずさむ。

冷たい空気の中、急に足取りが軽くなる。

その影響か、カフェで充実した時間を過ごすことができた。





今日も前ブログ 「A View from Paris パリから観る」 を読みながら Blogger へ引っ越し作業をする。その中に4年前の二つの記事があった。

Un poète japonais à Paris (2008-1-6)
Philosophie et poésie 詩と哲学 (2008-1-7)


こちらに来る前にパリを訪れた際、湧き上がる気持ちを五七五で拾ったことがある。句とはとても言えない代物だが、フランスの方がパリの詩人 Paul-Ailleurs の作としてご自身のブログに取り上げてくれたのだ。

久し振りにそのブログ oniromances を訪れてみた。こちらの中が変わってきたのだろうか、以前より親しみやすくなっている。最近の記事に、エマーソンから見た詩人のお話が出ていた。こんな内容になる。
詩人はすべての決まり切ったこと、コンフォーミズム(順応主義)、慣習といった人間の社会生活における不可避だが修正不能ではない運命から解放するためにやってきた 「解放の神」 だろう。地上におけるわれわれの日常とは無縁であるため、詩や真実には自分たちが神性なるものに属していることを思い出させる力がある。また、社会を構成する必然性が詩という日常とは無縁で孤独なものが存在することを可能にしたことを思い出させてくれるのだ。 

Le poète selon Emerson (1 novembre 2011)




詩人の心には翼がなければならない。

その翼でこの地上から飛び立ち、下界を見下し、観察するのだ。

これこそ哲学者の視点だという人がいる。

昨日観た HOME の視点もまさに哲学者のものだった。

詩と哲学という樹は、実はその根で繋がっていたのだ。

そして HOME が言っていたように、この樹こそ理想的な存在なのだ。

この世界で唯一天に向かうことができる生命だからだ。




samedi 24 décembre 2011

この星の行く先を想う



ホリデー・シーズンに入った。

日頃着古した鎧を脱ぎ棄て、囚われの心をどこかに投げやる。

できるだけ遠くに遠くに心の境を広げてゆく。

そして更地になった心を感じながら、この素晴らしい映像に身を委ねる。

すべては繋がっている、すべてに依存していると訴えるこの映像に。

われわれの行く先が見えるだろうか。