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mercredi 6 juin 2012

旅の終わりに




ハーグ散策中に運河を行く観光船と出会う
お一人だけこちらに気付いたようだ
 今回のオランダは、見事に晴れと曇り・雨が日替わりであった
ホテルの方に話したところ、これが典型的なオランダの夏だという

この旅の最後にハーグとデルフトの景色を少しだけ
まずハーグから









そしてデルフト











デルフト最後の夜、ホテルからの眺め

今回の目的はデルフトだったが、訪ねることになった町に出るにも最良の位置にあった
彼の地で物足りなかったのは、食事にパンが付いてこないこと
 一番の収穫は、オランダへの視界が開けたことだろう

パリに戻るべくロッテルダムに着いてカフェでメモを取ろうとした時、ノートを忘れてきたことに気付く
あれだけ注意したのにどうして忘れたのか
普段からそこにあるのに目に入っていないことが多いのではないか
そんな疑念が生まれる
何かが確実に進行しているようである

駅のホームではロッテルダム・フィルハーモニーのメンバーと会う
その夜の公演のため、パリに向かうところだった
2010年からシャンゼリゼ劇場Théâtre des Champs-Élysées) のゲスト・オーケストラになっている
わたしが知っているのはエド・デ・ワールトさんの時代なので70年代のこと
懐かしい出会いであった






パリのアパルトマンに戻り、早速ホテルに連絡する
ラジオをつけるとスピノザさんについての新しい本が話題になっているので、驚く
締めくくりには相応しいが、一体どうなっているのだろうか




mardi 5 juin 2012

デン・ハーグ市立美術館でマウリッツハイスの名品を観る



長い一日だった土曜の続きになる
インフォメーションセンターで雑談中、フェルメールを観ることができず残念だったと何気なく口走る
すると、マウリッツハイス美術館Mauritshuis) の作品は別のところで展示されているという
上のハーグ市立美術館である
嬉しいニュースを聞き、予定を変更
まずそちらに行ってからフォールブルフに向かうことにした



閉館まで2時間とのことで、急ぎ足で観て回る
有名な作品をいくつか


 レンブラント・ファン・レイン 「テュルプ博士の解剖学講義」 (1632)
Rembrandt van Rijn (Leiden 1606/7–Amsterdam 1669)


  オーギュスト・ロダン 「青銅時代」 (1877)
Auguste Rodin (1840-1917)


ヨハネス・フェルメール 「真珠の耳飾りの少女」(1665)
Johannes Vermeer (Delft 1632-Delft 1675)


ヨハネス・フェルメール 「デルフトの眺め」(1660-61)
Johannes Vermeer (Delft 1632-Delft 1675)


17世紀や18世紀の絵の中に入って景色を楽しみたくなったのはいつの頃からだろうか
おそらく、フランスに渡る数年前くらいからではないかと思う
この絵を観た時も、いつの日かこの中に入り、デルフトの町を味わってみたいと思っていた
深く静かに眠っていたその想いが吹き出したのは、数週間前

今回その地を実際に踏んでみると、想像とは違う世界が広がっていた
裏切られたというよりは、町の姿を新らたに知った悦びの方が大きい



デルフトのマーケット広場近くにあるフェルメール・センターで、その時画家が立っていた位置を聞く
これがおそらくフェルメールさんが立っていたところに近い位置からの今の眺めになる
人のサイズや水の広がりなどから写真を見直すと、もう少し後ろから描いていたのではないだろうか
 建物が変わっているため似ても似つかないようにも見えるが、どことなく雰囲気だけはあるようにも感じる
ただ、豊かな雰囲気は消え、痩せて見えることは否めない

この日、これらの作品がいずれもふっくらとした肉感を以って迫ってきた
 温かい体温を感じたのである
朝からの 「こと」 の流れが影響していたのだろうか
これまでにはあまり経験したことのない感覚であった




閉館までに何とかすべてを観終わり、微かな達成感が訪れる
デジュネがまだだったので、美術館前でアイスクリームを売っていた方に聞く
隣にある写真美術館 (Fotomuseum den Haag) のカフェがお勧めとのことで、遅いデジュネ、あるいは早いディネを取る


 Antoine d'Agata, Tokio 2006. (Magnum Photos)


最後に、マウリッツハイスの作品が東京と神戸でも紹介されることを知る

マウリッツハイス美術館展
東京都美術館 (2012.6.30-9.17)
神戸市立博物館 (2012.9.29-2013.1.6)

日本では大きなニュースになっているのかもしれない
いつものように大変な混雑になりそうな予感がする
この日、気持ちは前のめりだったが、ゆったりした雰囲気の中、作品を鑑賞できたのは幸いであった
ブティックでは日本からと思われる20人ほどのご婦人を見かける
同じ思いだったのではないかと想像していた




lundi 4 juin 2012

デン・ハーグとフォールブルフで二つのスピノザ像に触れる

 Spinozahuis (Paviljoensgracht 72-74, den Haag)


土曜日はエッシャー美術館の後、スピノザ・ハウスを目指した
スピノザさんが1671年から44歳で亡くなる1677年2月21日まで住んでいた家である
遺言はなく、159冊の本と身の回りのものが残っただけだったという

この家に辿り着くまでも紆余曲折で足が棒になる
最後に尋ねた人の目的地は近いとの声で、足取りが軽くなる
 入口の扉も窓のカーテンもすべて閉まっている
念のためベルを押してみたが全く反応なし
他に二人組が訪ねてきたが、何もしないで去って行った

 

 家の前の広場にスピノザさんの像があった
重厚な像で、今そこで生きているように見える
そのためか、いろいろな角度から眺めているうちにそれまでの疲れがどこかに飛んでいくように感じたのには驚いた






 

気分までも晴れてきたので、どうしようか迷っていたもう一つの像も見てみることにした
その像はハーグ郊外のフォールブルフ (Voorburg) にある
交通案内を聞くため、インフォメーションセンターへ

若い人だったが、親切に対応していただく
雑談の中で貴重な情報を得る
これもその道の人には常識なのだろうが、わたしにとっては嬉しいニュースであった
それについては別の機会に

ここで英語の大学前教育について聞いてみた
彼によると、英語は高校までにコミュニケーションができるように徹底されるという
その他に、ドイツ語、フランス語、スペイン語も選択としてあるようだ
 今回の滞在でオランダの印象がよくなったと伝えると、住んでみてはどうですか (You should try it) と言っていた

本題に戻る
フォールブルフに行くには路面電車とバスの乗り換えになる
ところが最初の電車の乗り場がわからない
そのあたりを歩き回って場所を聞くが、人によって言うことが違う
やはり止めようかと思ったその時に電車が通りかかった
その運転手が正解を教えてくれた
駅は地下にあったのだ
案内所でもらった紙には 「バス/電車」 の乗り場と書かれてあったので、よもや地下にあるとは想像していなかった
 先入観とは恐ろしいもので、無意識のうちに一つの可能性を排除していたのである

バスに乗り換えて、Spinozalaan に着く
目指す像は公園(Park Het Loo) の中にあった
この像の写真はネットで見ていたが、今一つピンとこなかった
やはり現地に行ってみるものである
広々とした空気の中でその像を見ると、想像していた印象とは全く違う
また、ハーグの像とも違うスピノザさんがそこにいた
こちらも行って正解であった





Wiki によれば、1964年となっているが、、、





この公園でも一日の疲れが取れるように感じる
この写真を撮り終わった時、丁度バッテリーがなくなった
長い一日だったことがわかる
それにしても何というタイミングだろうか
 満ち足りた気分でハーグに戻り、そのままデルフトに向かった

今回のデルフト滞在の大きな軸は 「スピノザへの旅」 とでも言うべきものになった
その哲学もまだ知らない身だが、彼の住んでいた国と人生に関係した場所に直接触れることができた
それだけではなく、ファン・ブンゲ教授とお話する機会まで飛び込んできた
これがスピノザさんへの本当の旅に繋がるのか
これからの経過を観察したい



dimanche 3 juin 2012

デン・ハーグのある野外彫刻展から


エッシャー美術館周辺は緑溢れるところであった
美術館を出ると、正面の広場で野外の彫刻展が開かれていた
詳細を調べることもなく、木漏れ日を浴びながらいろいろな角度から眺めながら歩を進める
同じように写真を撮っている方や像を思い思いに楽しんでいる方などを見かける
気持ちの良い時間となった
以下に、その作品のかなりの部分を