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lundi 10 décembre 2012

漱石の命日に神楽坂界隈散策、フラットな接触を愉しむ



昨日の午後、嫌いではない神楽坂界隈を散策する

坂をかなり行ったところでいくつかの接触があった

例えば、こんな具合である



Ayumi Gallery 前の路上に懐かしい箱を出し、その上でコーヒー豆を売っている若者二人

この周りには通りがかりの人が集まって何やら言葉を交わしていた

人と人の間に境を感じない、自然に言葉が混じり合うフラットな空間がそこにある

おいしいですよ、という周りからの声を何度も聞く

写真を撮ろうとすると、皆さん静かに画面の外に出て行かれた

"home roasted coffee beans" haze と書かれたパンフレットをいただいた

週末、この場所か冒頭のモダンな赤城神社に出るあかぎマルシェで開店しているという

 

 民家をアートギャラリーにした Ayumi Gallery

 中に入ると、山縣寛子展 「留守居邸風聞集」 が開かれていた

まだお若い方である

「不在」 をテーマに描き続けている、と案内にある

ご夫妻でフィンランドに1年間滞在されたとのこと

どのような影響がこれから出るのだろうか
 
 


日本的でこじんまりした空間は、なぜか落ち着く

イースター・エッグが目に付いたが何か意味でもあったのだろうか

短い滞在だったが、静かな長い時間に感じた



同じ敷地にはアートガレー Kagurazaka がある

そこでは、滝かつとし展 「里からの花便り」  が開かれていた

長閑で素直な世界が広がっていた



同年代と思われる滝かつとし様

ここでの会話もフラットそのもの

貴重な作品の写真版をプレゼントしていただいた

ご本人のサイト: 滝かつとしギャラリー



上の展覧会会場は人で溢れていた

奥の方で、1916年(大正5年)12月9日に亡くなった漱石を偲んでこの会があったからだろう

この日は漱石さんの命日だったのだ




dimanche 9 décembre 2012

寒風吹きすさぶ中、六本木、ミッドタウン散策


実は昨日の夜、ホキ徳田さんの北回帰線がなかなか開かず、困った

仕方なく、六本木あたりを散策

それでもまだ開かず、ミッドタウンまで出た

お相手は山歩きが趣味とのことで、こちらは軽快な足取りの後を付いていくだけ

お蔭様で、わたしの目を愉しませてくれる形と光に出会った

以下、ほんの少しだけ





 安田侃 「妙夢」
 

東京ミッドタウンのクリスマス・イルミネーション


最近は人工的なものにはほとんど反応しなくなっている

より正確には、人工的だと感じるものと言うべきかもしれない

いずれにせよ、この界隈、若者で溢れていた



samedi 8 décembre 2012

ヘンリー・ミラー・メモリアル・バー 「北回帰線」 のホキ徳田さん


今回の仕事が終わったせいか、気分が久し振りに解放された快晴の週末

その書を求めて街を彷徨う

3軒目の紀伊国屋新宿南店で原書と翻訳を見つける

英語は読む気分ではなく、せっかく日本にいるので新潮文庫を手に入れる

早速、店の前のベンチに座り、強い風を受けながら読み始める

時々頭を上げると、空がどこまでも青い

そして、この言葉に出会った

「もしこの書のうちに、生気をうしなった人々のまどろみを醒ます震駭的な打撃力が示されているとするならば、われわれは、われわれみずからを祝福しようではないか。なぜなら、われわれの世界の悲劇とは、まさしくこの世界の惰眠を呼びさますことのできる何ものももはや存在しないことにあるからだ。そこには、もはや激越な夢想がない。精神をさわやかにするものがない。目ざめがない。自意識によって生じた麻酔のなかで、人生は、芸術は、われわれの手からすり抜けて、いまや姿をかくそうとしている」 (アナイス・ニン

「この書」 とは、ヘンリー・ミラーさんHenry Miller, 1891-1980)の 『北回帰線Tropic of Cancer

夜のために、その世界を覗いてみようという珍しい心持であった

このようなタイミングが読む気にさせたことは間違いない

解放感が論理を超えた広がりを求めたのだろう


まどろみを破る力のある文学があるとすれば、同じ力を持つ哲学があってもおかしくない

惰眠に陥りがちな見方に横からゆさぶりをかけることもその中に入るだろう

 わたしの願いもそのあたりにあるのではないか

そう努めることにより、自らをも目覚めさせるという魂胆が見え隠れする

最後に 「こと」 を決めるのは、この世界をどう見るのかに掛かっている

そういう感触がどこかにあるからだろう


夜、帰国の度に東京案内をしていただいている方からホキ徳田さん (1937-) の 「北回帰線」 にお誘いを受けていたのである

ウィキによると、ホキ徳田さんは46歳年上のヘンリー・ミラーさんと結婚

しかし3年後に別居、1978年には離婚されている

徳田さん41歳、ミラーさん87歳の時である


お店の始まりは8時半であったが、その時の雰囲気で変わるような印象を持った

演奏は基本的にリクエストに答える形であった

そんなことなら考えて行くべきだったと思ったが、後の祭り

演奏もゆったりとして、ひけらかしや気負いが全くない

包み込むような歌声であった

これまでの人生が自然に滲み出すのだろう

久し振りの英語の世界でもあった

わたしは堪能した


演奏の合間には個人的な経験を直接語りかけてこられる

随分とざっくばらんな語りであった

ご両親はホキさんに世界に目を開いた人間になることを願っていたようである

ホキさんにとって山手線の内側がすべてで、その外側は「田舎」との世界観をお持ちのようであった

「随分と薹が立った学生ですね」 との的確なご指摘をいただいた

ご自身は、心ときめくことがなくなったのがお悩みとのこと

最初は貸切状態だったので、贅沢なもてなしを受けたような気分になった


その中で、ミラーさんが "cosmic eye" を大切にしていたという話が出る

この地球を宇宙の目で見るということらしい

この視点はわたしも大事にしたいと思っているもので、興味深く聞いた


もしこのタイミングでこの店にお誘いを受けていなければ、冒頭の言葉に出会うことはなかっただろう

もう3年半も前になる

エルサレム訪問の折、旧市街西壁の前に立ち、浮かんできた言葉を書いた紙切れを隙間に投げ入れた
その紙切れには、わたしの願いが書かれていたはずである

もしニンさんの言葉に触れることがなければ、願いの輪郭を思い出すこともなかったかもしれない

このような機会を与えていただいたことに改めて感謝したい


ところで、ホキ徳田さんはご自身のラジオ番組 「ホキ徳田のYummy Music」 をお持ちとのこと

以前は夕方やっていたらしいが、今は土曜のミッドナイトから始まるという

何とあと5分である

これから聴くことにしたい


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徳田さんの語り、想像以上に軽快であった

これからパリでも聴いてみたい番組になりそうである



vendredi 7 décembre 2012

今回の仕事終わる、すると二度目の大地の揺れ


神戸から東京に戻ってきた

夕方、本屋さんに入っている時、大きな比較的長い揺れを感じる

日本に帰ってくると、必ず一度は出会う大地の揺れ

今回の滞在では、これが2回目になる

向こうに行って気付いたのは、日本という国は頻繁に大地が揺れる特殊な国だということである

それに慣れてしまうと、「こと」 を甘く見ることにもなるだろう
 
遥か彼方の永遠や普遍に目が行かないのもよくわかる



 ところで、今日で今回の 「仕事」 が終わった

前回もそうだったが、3つのことを準備するのはなかなか大変である

本業が完全に疎かになっている

次回は少し減らしたいものである

あるいは、これがわたしの生きる道なのか




jeudi 6 décembre 2012

免疫学会は変容の時か


今朝は気持ちよく晴れ上がってくれた

空は晴れても晴れない心

そんな状態で朝を過ごす

最後は、ぶっつけ本番ということにしてホテルを出た


始まる前、座長の労を取っていただく善本知広先生(兵庫医大)と食事をしながら歓談

科学、芸術、日本などの大きな世界を考えることの魅力について話されていた

最近、大学の40周年記念に藤原正彦氏を招いての講演会があったとのこと

興味深いお話が聴けたようである


会場に入ると、多くの方が参加されていて、いつものように驚く
 
不安定な時代に何らかの指針を哲学的な話に求めるということなのか

あるいは、日々の営みから少し距離を取って考えてみたいという欲求の表れなのか

いつも責任のようなものを感じるが、あくまでも院生のレベルなのでその効果は極めて疑わしい


わたしの話の方は、やっとのことで時間内に収まった

ということで、残念ながら質疑応答の時間が取れなかった

こちらとしてはいろいろなクリティークをいただきたかったのだが、致し方ない

ただ、終了後に何人かの方から貴重なご意見をいただいた

今の科学の流れに疑問を持っておられる方が少なくない

また、東京での会SHEについても紹介したが、興味を持たれる方がおられた


会場は、これまで以上にこの領域の話を落ち着いて聞いてみようという空気で溢れていた

もの珍しい話に触れるという雰囲気が消えているのである

学会も成熟期に入り、会員の求めるところが少しずつ変容しているように感じた

「こと」 は最後には哲学や思想に行き着く

もしそうだとすれば、今進行しつつある変容は望ましいものなのかもしれない



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(2012年12月15日)



mercredi 5 décembre 2012

本日も準備


 本日も明日に迫った講演の準備をする

どのようなことになるのかは、蓋を開けるまで分からない

こちらに来る前に準備完了しているのが理想なのだが、どうしてもそれができない


散策の途中、本屋さんに立ち寄りじっくり時間を過ごす

移動中に読めそうな本を何冊か手に入れる


夜は昔からの友人と肉をつつきながらの四方山話

リラックスした雰囲気の中、久しぶりに貴重なお話を聞いた

また、現在連載中のエッセイについても読んでいただいているとのこと

筆者の裏側にまで想像が及び、それが正鵠を射ているのに驚く

いろいろな方がそれぞれの読み方をされていることに改めて気付き、恐ろしくなる

それにしても、欠食児童よろしくよく食べる

少々食べ過ぎではないか

 醜い体になりつつある


 



mardi 4 décembre 2012

日本文化の根にあるものとは


今日は木曜に予定されている免疫学会での講演準備に追われた

まだその姿が見えない

明日さらに考える必要がありそうだ


今夜は関西に来た時には必ず声を掛けていただいている先輩のS氏と大阪で食事を共にした

話題は日本に関することが多かったように記憶している

日本の特徴、さらに言えば、日本的なるものとは、という点に行き着くのだろうか


何事も最後まで突き詰めて考えることをしない

論理的に考えない

これがなくなれば日本ではなくなるという日本の本質のようなものはあるのか

 あるとすれば、何なのか

それを語る人を見たことがない

このような話題が出た時、専門家が発言することはあるのだろうか

専門家として語らなければならないはずである


それに関連して、日本の伝統である歌舞伎や文楽の話が出た

S氏が仕事を辞めてから観るようになった領域とのこと

その話を伺いながら、奥深い日本文化の一端を覗いた気分になる

と同時に、そこにあるのは論理ではなく、情の世界であることにも気付く

感情の世界では今より豊かな生活が営まれていたようにも見える

その痕跡はわたしの中にも見えるようだ

普段は奥深くに眠っていて気付かない

これは日本的なるものの大きな要素になるのだろうか



日本を特徴付けているもの

興味尽きないテーマである

いずれ回帰したいところでもある


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一夜明け、歌舞伎の中村勘三郎さんが57歳で亡くなられたとのニュースを見る

何かの繋がりだろうか

これまでになく身近なことのように感じられる




lundi 3 décembre 2012

神戸大学で講演、そして久しぶりの歓談

 寺島俊雄、的崎尚、久野高義の各氏 (いずれも神戸大学)


今日は、夕方から神戸大学医学部で大学院修士と博士を対象としたコースで講義をした

講義自体はオープンだったようで、学生以外の方の参加も見られ、わたしの想像を上回る人数であった

1時間ほど、科学に内在する哲学について概説した後、これからの知のあり方についての私見を述べた

その後、質疑応答になったが、残念ながら教員の方からのものがほとんどであった

例えば、

1) 日本の哲学が用いている言葉の難解さについてどう思うか

(どうして誰でもわかる言葉を使わないのかということ)

2)  日本とフランスにおける哲学の浸透の程度に違いはあるのか

(日本は本当に哲学のない、哲学のできない国なのか)

3) 科学と哲学の関係についての分析はあったが、科学者は哲学とどう向き合えばよいのか

4) わたしはどのような方向性の哲学で科学に向かおうをしているのか



講演終了後、冒頭の写真のお三方と久しぶりの歓談となった

今回声を掛けていただいた寺島氏に昔同じ領域だった的崎、久野の両氏が加わって愉快な時間となった

ただ、お三方ともわたしを見る目に若干の濁りと歪みがあるように感じたが、錯覚だったのだろうか



歓談の場となった中華料理店 SAY YAN




dimanche 2 décembre 2012

神戸北野で旧研究室メンバーと再会

(カメラを忘れ、小巻氏のスマホで撮影)


今日から神戸に入った

日本の研究室で時間をともにした小巻氏とお母上が昨年パリを訪問された

昔の研究室仲間とパリの時の流れを味わう (2011-10-06)
 
1年ぶりの再会を果たした

今回は、北野のレストラン Kujira no Andy でゆったりしたデジュネを味わった

小巻氏のご家族とは開店以来のお付き合いとのこと

日曜のお休みの時間を割いていただいたお二人には感謝したい
 

上の写真の後ろのお二人が、お店の主のご夫妻である

メイン・ディッシュが二つのコースだったので、このところの栄養過多状態に拍車がかかった

ただ、明るいお二人との会話が消化を促してくれたように感じる

また、開店以来訪問された方々のアルバムを見て、お客さんとの交流を大切にされている様子も伝わってきた

土地柄、外国のお客さんが多いのは想像できた

ただ、わたしでも知っている方々の写真が何枚も出てきたのには驚いた

神戸を再訪することがあれば、また立ち寄ってみたいお店になった


 夕方、外に出ると雨

雨に濡れながら坂を下りる

パリの感覚が蘇る



samedi 1 décembre 2012

第4回 「科学から人間を考える」 試みのまとめ


第4回 「科学から人間を考える」 試みの簡単なまとめを以下のサイトに掲載しました

参加された皆様からいただいた貴重なコメントが中心になっています

興味をお持ちの方はこちらのサイトをご覧いただければ幸いです

よろしくお願いいたします



vendredi 30 novembre 2012

第4回 「科学から人間を考える」 試みの二日目も無事終わる



週末にも拘らず、多くの方が参加され、会場が狭く感じられた

参加のきっかけを伺ってみると、インターネット経由、わたしの講演を聴いた方、友人から紹介された方など

今回新しく参加された方は全体の1/3であった

会場にはいつも偶然の組み合わせが現れ、興味が尽きない


今日も講師の話がやや長くなり、討論の時間が十分に取れなかった

しかし、専門家も参加されていたためか、興味深い議論が展開

懇親会でも熱い議論が続けられていたようである

全体として見るとよかったのではないだろうか

この試みにおいて、懇親会は欠かせないステップになりそうである



お忙しい中、ご参加いただいた皆様に感謝いたします

今後ともよろしくお願いいたします。



jeudi 29 novembre 2012

第4回 「科学から人間を考える」 試みの初日、無事終わる


2年目を迎えた 「科学から人間を考える」 試みの第4回が無事終わった

いつものように開始寸前まで準備をするという情けない状態

ただ、参加の皆様の活発な議論で会は盛り上がり、時間内には収まりきらなかった

講師の話をもう少し締まりのあるものにしなければならないだろう

あまりの盛り上がりだったためか、会場での写真撮影をすっかり忘れていた


何人かの方を除いた皆様が懇親会に参加され、多様な話題に花が咲いていたようである

 人間が本来使うべき専門を超えた脳の領域が刺激されるような感覚が嬉しさを運んできてくれる

望ましい言語空間とでも言うべきものが広がっているのではないだろうか 

講師の話はさておき、懇親会でいろいろな方とお話することを楽しみに参加するのも面白いかもしれない

明日も 「脳と心、あるいは意識を考える」 をテーマに話す予定だが、どのような展開になるのだろうか

いつもスリリングである



お忙しい中、ご参加いただいた皆様に感謝いたします

今後ともよろしくお願いいたします。



mercredi 28 novembre 2012

東京でもパリのやり方


明日、明後日と「科学から人間を考える」試みが控えている

今日はその準備に忙しかった

やり方はパリにいる時と同じで、気分がしっくりくるカフェを探しては考えを纏めるという繰り返し

明日もそのために使いたい


今夜はパリ時代の友人と一献傾ける

これから日本で新しい道を模索中とのこと

希望が満たされることを願うばかりだ







mardi 27 novembre 2012

懐かしの学友と広く語り合う

池田和郎氏(東京海上日動火災保険)と深津亨氏(埼玉医科大学)


今年は学生時代以来の再会を果たした方が何人かいる

今夜はその中のお二人と今年2度目の顔合わせとなった
 
長い仕事の時間を経て、これから人生後半に向かう時には相応しい出会いであった

深津氏は目に見えないものを相手に仕事をされているので、哲学とは近い関係にあるのかもしれない

9月に帰国の折、わたしの話を聴くためにわざわざ足を運んでいただいた

 神経心理学会で話が繋がり、驚く (2012-09-15)


今夜の話題は、人生のこの時期には自然に出てくるのだろうか、歴史や哲学が中心であった

その中には日本社会の特徴をどう見ればよいのかということも含まれていた

日本の哲学のあり方についても話が及んだように記憶している

ポイントになるのは、日本の文系世界のあり方、文化ではないかというところに落ち着いた

その背景には、理系に比べ世界に向けての開かれ方が遅れているという認識があるように感じた


科学や医学の中だけではなく、そこから出て専門を相対化してみることがやりやすくなるのはこれから

少し視野を広げてみると、そのような年代の人間の見方を活用することは社会を重層的にするのではないか

 単に労働力として使おうとするのではなく、彼らの頭の中を活用すること

ひょっとすると、未来を拓く切っ掛けがそこから生まれるかもしれない

そんな考えも浮かんでいた


話の中で、わたしをエピキュリアンだ評する声が聞こえたことを思い出した

自分の観察もそれほど離れていないので、その見方には異論はない

ただ、正しい意味でのエピキュリアンという条件付きでのことだが、、、


 
今夜のような時空を超える話はわたしの脳を喜ばせてくれる

これからもこのような機会を大切にしていきたいものである




lundi 26 novembre 2012

「それらしく」 ならないために



今年からフランスと日本の距離をあまり感じなくなってきた

ほとんど水平方向の移動になってきている

フランスにいる時には日本での状況を想像できなくなっているという意味で、遠く感じられる

しかし、日本に帰ればすぐに元の感覚が戻ってくると思っているので、ほとんど気にならない

逆に、日本にいる時の方が、フランスがすぐ横にあるように感じられる

どこか時空を超えるという感覚がある

体は同じなのだが、半日で体を取り巻く環境があっという間に変わる

そういう移動の中で異なる環境に体を置くと、その機能が変わってくることにはすぐに気付く

ただ、その中身に関しては、なかなかわからない

 

 フランス生活は6年目に入ったところである

 自分では何も変わっていないと思っているが、実際にはどうなのだろうか

日本で抑制されていた何かがある

それが今、解放されているように感じる

この感覚のさらに強いものをアメリカ滞在中に感じたことを思い出す

 より正確には、何かが解放されていると感じることで、以前には抑制されていたことに気付いたと言うべきだろう
 

それから、科学から哲学という専門の転換も大きな変化を齎しているはずである

今はまだ、はっきりと意識はできていないのだろうが、、、

それが時の流れに伴う自然な変化を超えるものであることを願うばかりだ

そんなに変わりたいと思っているのか

それは、「それらしく」 はなりたくないという思いとどこかで繋がっているのか


 もしそうだとしたら、転がるしかないのではないか



samedi 24 novembre 2012

山形の銘酒と東北の海の幸を肴に古き友と語る


 福永浩司先生(東北大学)と田村眞理先生(東北大学)


 今日は仙台に足を伸ばした

 山形は米沢の九郎左衛門・雅山流という酒を味わいながら旧交を温める

その昔、研究でご一緒させていただいた田村、福永、小林のお三方とともに心置きない時が流れた

酒の肴には東北の海の幸がたっぷり

十分に堪能させていただいた


小林孝安先生(東北大学)と田村先生


田村氏は定年が間近で、これからに向けて身の回りの整理、再構築にお忙しそう

福永氏は大学や学会での仕事が増えているご様子

小林氏も研究だけではなく、教室の仕事を一手に引き受けていてなかなか大変そうだ

皆さんの様子を見ながら、プー太郎などを揶揄されているわが身を思わず振り返る