mardi 29 juillet 2014

映画 "Kumbh Mela" を観る


昨日のこと

机の前の本の上にプリントアウトしたものが置かれ、相当の量になってきたので片付けていた

暫くすると、今年の税金の申告書が現れて、驚く

何をやっていたのか、という感じである

確かに受け取り、そこに置いたことは覚えている

しかし、学会の準備に気を取られている内に忘れ、その上に印刷物が貯まって行ったということだろう

締切りはとうに過ぎている

今朝、管轄のオフィスに行くと、優しく処理していただいた

この程度のことが終わっても、すっきりするからありがたい

そんなに凄いことをしなくてもよいからだ


帰ってメールボックスを開けると、心当たりのない方からメールが届いている

名前を頼りに検索すると、何ともうひと月以上前にお願いしたソルボンヌ図書館の責任者であった

今ヴァカンス中なので8月下旬に返信します、と当然のことのように書いてある

こういう時、フランスにいる幸せを感じる




今日はアパルトマンに留まっても瞑想と称して何もしないので、この映画を観るためオペラまで出た

世界最大の巡礼と言われるヒンドゥー教のクンブ・メーラ

1億人が参加すると言われるこの催しは、55日に及ぶ

Kumbh Mela : Sur les rives du Fleuve Sacré

フランス語のタイトルは、「クンブ・メーラ: 聖なる河の岸で」

原題は、Faith Connections となっていた

2013年の様子が描かれており、初めて観る世界を堪能した



異次元の世界と言える

精神の世界が日常的に語られている

そして、頭と体の間がわれわれよりは狭く、何でもありの世界であった

15年ほど前、学会でニューデリーを訪れた時の雰囲気を思い出す

当時は仕事をしていたので、インドに入り、全く違う時の流れを感じた

隠遁生活の今の時の流れは、案外あの時と近いのかもしれない


放浪の修行者サドゥー(Sadhu) がよく出てくる

彼らは社会を捨てており、社会も彼らを把握していない

自らの姿が修行をしないサドゥーに見えてくる

そして、クンブ・メーラの期間中、迷子が多く、想像を超える

そのあたりが一つの流れになっていた


家出をした子供は、魂のない体は何ものでもないと言っていた

ある時から姿を消したが、追跡すると親元に戻っていた

しかし、2年後にはクンブ・メーラに行き、サドゥーになって世を捨てると言って再び家を出たという

少し若すぎるが、精神の世界に目覚めたのだろうか

その気持ちはわからないでもない

 
インドの奥には何があるのか

いずれ再訪してみたい国である




パン・ナリン(Pan Nalin)監督のインタビュー






mercredi 23 juillet 2014

新たな出発の予感?


昨夜遅く、無事にパリに到着

涼しさを感じる


一夜明け未だ余韻の中だが、新鮮な気持ちでパリ生活を再開できそうな予感がする

新鮮さを維持するのが至難の技であることは経験済みなのだが・・・





mardi 22 juillet 2014

ジュネーヴの経験がパリで生かされるだろうか


 最終日の今日は動く気分ではなく、駅の近くのカフェ二軒に入り浸っている

今回の滞在は、いつもそうであるようにパリの生活を忘れさせるものであった

気分転換にはなっただろう

いろいろな形や映像が記憶に刻まれることになった

また、新しい視点に気付く瞬間にも恵まれた

 それらを振り返りながら、初日から折に触れ読んでいるものを読み直していた

こいつは "A tough nut to crack" と言うに相応しい代物だ

久し振りにカフェの時間をたっぷり味わっている

夕方の便でパリに戻るまで、もう少し時間がある


今日はジュネーヴ駅前の二軒目からのアップとなった








lundi 21 juillet 2014

美しくも愛らしいベルン訪問


週末の休息中に観たものの中に、アインシュタインの人生があった

彼の人生の重要な時をここスイスで過ごしていたことに気付く

事実としては知っていたが、今自分がその国にいることとはすぐに結びつかなかった

今日も朝から雨

どうしようかと思ったが、スイスの首都でもあるベルンの空気を吸ってみることにした

1時間半ほどでベルン到着

駅はモダンで、駅前も面白い





案内板にもある通り、アーレ川の蛇行に囲まれるようにベルンの旧市街がある

それほど大きくはない

中央の道を進むのではなく、少し外れから歩き始めた
 




 中央の道に戻り、アインシュタイン・ハウスを目指した



Einsteinhaus @Kramgasse 49


1902年に特許庁に職を得、1903年にミレヴァ・マリッチと結婚、この家に住む

翌年には長男のハンス・アルバートが生まれる

この家には1905年まで住み、特殊相対性理論などの仕事をしたという







特殊相対性理論の着想を得たという時計塔(ツィットグロッゲ: Zytglogge)を部屋から望む

そこから旧市街を全貌するために高台に向かう



途中、アーレ川が姿を見せてくれた

エメラルド・グリーンというのだろうか

その柔らかい色に驚いた

それと、流れが結構速い

さらに、急な坂を息を切らしながら登る

アーレ川が旧市街を囲んでいる姿を見たかったが、それは叶わなかった




 今日はこの程度で満足して下ることにした




アインシュタイン・ミュージアムベルン歴史博物館の中にあるようだ





ベルン美術館パウル・クレー・センターにも行きたかったが、生憎月曜は休館日

 ツィットグロッゲ近くのカフェで休んでから、ジュネーヴに戻ってきた





dimanche 20 juillet 2014

昨日、今日と静かに振り返る



昨日はゆっくりするため、ジュネーヴ中心街を散策

相変わらず、暑い

リブレリーがあったので入ると涼しく、気持ちがよい

イギリスの若手歴史家の手になるこの本を暫く読む


デルポイのご宣託はよく出てくるが、その全体像を歴史の中で捉えようとしたもの

いずれのリストに入れ、他のものを手に入れた



今朝は曇りで、久しぶりに道が湿っている

早速清々しい空気の中、近くを散策するも朝から開いているところは少ない

最初に見つかったところに入り、路上の席でこちらで書いたメモを読み直す

大体やるべきことは固まってきている

問題はその先であることはこれまでと変わらない



夕方、遠雷が聞こえ、横殴りの雨になった






samedi 19 juillet 2014

昨日のチューリッヒ中央駅で一つのアイディアが


昨日は予想外の展開になった 

パリにいる時にはアイディアは浮かんでこなかったが、その土地に入ると何かが現れる

ただ、どこかを訪問しようと考える時でも、ジュネーヴからドイツに行こうとは思わない

スイス国内で移動しようとするのだ

その国に来ているという意識がどこかにあるのだろう

国という単位が不思議な枠組みを生み出している


昨日一日、太陽のエネルギーを無防備のまま受け続けたためか、体の芯がまだほてっている

顔の変色にも気付く

 今日は振り返る一日とした



 ジュネーヴはフランス語圏だが、北に向かうとドイツ語圏になった

目的地のアインジーデルンはその中にあった

昨日のチューリッヒ中央駅、ヴェーデンスヴィルに向かう車内で出発を待っていた時のこと

一つのアイディアが浮かんで来た

午前11時6分であった

これまでは流れ去るものばかりだったが、今回はどうだろうか

いずれ重要な意味を持つかもしれないと思い、写真に撮っておいた

いつものような経過を取るのか、これからの様子を眺めたい




vendredi 18 juillet 2014

全く違ったアインジーデルン

アインジーデルン駅


我がホテル周辺は歓楽街の中にあるのか

街角には朝から女性が立っている

夜は遅くまで音楽が聞こえてくる

パリが静かな環境なので違いが際立つが、今回は諦めるしかなさそうである


今日はスイスの北、チューリッヒに近いアインジーデルン(Einsiedeln)に向かうことにした

反骨の医者にして錬金術師のパラケルススがこの地に生まれているからである

駅で切符を買う時、駅員の声に驚く

"Cent huitante-quatre"

今日はその数字が何を意味しているのかすぐに分かる

ジュネーヴでは 80 を4x20 とも言うようだが huitante で、「184」(CHF)

乗り換えがチューリッヒとヴェーデンスヴィル(Wädenswil)で、所要時間は4時間程度

パリ・ジュネーヴ往復が105€だったので、かなり高いと思った

駅員の方もそれには気付いているのだろうが、訊き直しても毅然としていた



昨夜、アインジーデルン近辺の地図を見たが、何もなさそうなところで期待しないで出掛けた

町も地図で想像していたよりは小さく、すぐにパラケルススゆかりの場所に着いた

パラケルススに捧げる像で、やや落胆

この町には、ご本人の生家も像もないようだ

 思い掛けなかったのは、この像の向い側


アインジーデルン修道院



巡礼の地として有名で、サン・ジャック・デ・コンポステーラに繋がるという

炎天下の散策だったので、中に入ると天然のエアコンでヒヤリとする

中の写真撮影は禁止だったが、装飾はやや派手目との印象を持った

 修道院前には以下の景色が





そこから ジール湖(Sihlsee)に向かった

昨夜はどうしようかと思ったが、意外に近いことが分かり行ってみることにした

結果的には、ジール湖よりは道行の何気ない景色に引き込まれた

とにかくのんびりとした自然が広がっている

緑が美しく、目に染みる

冬はスキーのリゾートになるのだろう

関連施設が周辺に見える

灼熱の太陽の下を歩いていると、体が消える感覚が襲う

自然と一体になったようであった

昨日のルソーさんの言葉と繋がっているのか













出る前には何もないところではないかと思っていた

しかし、その地に立ち、街を歩いてみると、その予想は完全に裏切られた

素晴らしい自然の中で、しっかりと人々が生きていることがわかる

「地図はそれが表している土地ではない」 とは、よく言ったものである

アルフレッド・コージブスキーさんの言葉である

 やはり、先入見なしに出掛けなければならないのだろう


今回は乗り換えが二駅あった

どうなるかと思ったが、何の問題もなかった

こういう時に気付くことは、移動の時は実は何も動いていないということである

動くのは周りで、自分はいつも一点にしかいないという感覚である

一旦外に出てしまうと何もしなくてもよいという感覚なのである

つまり、大切なことはまず外に出ることで、そうすれば後は自然に動いていく




 4時間に及ぶ散策の後、駅に戻る

地ビールの Einsiedler を味わいながら、満ち足りた一日を振り返る







jeudi 17 juillet 2014

ルソーの生家とルソー島を訪問


 今朝はまず、ジャン・ジャック・ルソー(1712-1778)の生家を目指した

1712年6月28日にこの家で生まれたというプレートがある

家の中ではルソーの人生と仕事についての簡単な説明をビデオで観ることができる

入館料は 5スイス・フランのところ、学割で3CHFになった

こじんまりとした館内だが、感じは良かった



 「わたしは自分を忘れる時、恍惚を感じる」


ルソーの言葉がいくつか壁に書き出されていた

影響を与えた人として、ロベスピエールゲーテバイロントルストイ島崎藤村などが出ていた

 藤村の説明に中国語はあったが、日本語がなかったのは何かの手違いか

30分程度で観終わる

それから近くのカフェで暫く読む



 ルソーの家に向かう途中に入ったリブレリーに求める本はなかった

そこで教えてもらった別のところに向かったが、方向を間違える

そのお蔭で、「哲学者」 という名が付いた大通りに行き当たった

主要な通りにこのような名を付ける町とはどういう考えを持っているのか

ジュネーブを少し近くに感じるようになっている

通り沿いに数人の 「哲学者」 を見付けた




暫く歩くと探していたリブレリーが現れたが、求める本は無し
 
汗をかきながら、さらに歩く




レマン湖から出るローヌ川に架かる橋がいくつかある

その中に 「ルソー島」(Île Rousseau)と名付けられた小さな島に繋がるところがある

帰りにそこに寄ってみた

ローヌの流れは想像以上に速く、しっかりしていた



期待はしていなかったが、島にはルソーの銅像があった

かなり分厚いものも含めた本を椅子の下にも積み上げ、裸足で読み、考えている姿である

これまであまり縁がないと思っていた方が、「断章」の場を検索してみると結構出てきて、驚く

こちらから



 昨日とは違う場所から噴水を眺めながら帰ってきた

日差しが強く、街はヴァカンス・ムード 

頭がボーっとしてくるのは暑さのせいなのか、それとは関係ないのか

パリも丁度暑くなり始めたようである





mercredi 16 juillet 2014

レマン湖の噴水を味わい、湖畔で哲学者の声を聴く


昨夜遅くジュネーヴに降り立った時は、ビルがくすんでいるのに驚いた

記憶が掠れていることが分かる

しかも、ホテル界隈は女性が街に立ち、聞き馴れない外国語が飛び交っていた

雰囲気のあまりよくないところだと思ったが、一夜明けると昨日が嘘のように健康になっている

そこにどこまでも澄み切った空があり、街を観てやろうという気分になってくる

スイスはユーロ圏でないので(これに気付いたのもTGVに乗る前)、駅の銀行で両替

駅ビルを出ると湖が目に入ったので、そちらに歩を進めた

近くまで行くと噴水の上の方が見え、元気になる


湖畔を歩いていると、湖の微かに生臭い臭いを感じる

子供の頃、父親に連れて行ってもらった川釣りの記憶が蘇ってきた

 行く前に近くでミミズを集めてから出掛けたものである

よもや、レマン湖の畔で子供時代の記憶が蘇るとは・・・


暫くして適当なサンドイッチ屋さんを見つけそこに落ち着き、体全体で景色を味わう

素晴らしい解放感がある

 その気分のまま、持ってきた一冊をじっくり読む

素晴らしい読みとなった




町には変な押し付けがましさやあからさまな商売っ気を感じない

皆さんそれなりに何かを静かに受け止めている
 
そんなところが、第一印象になるだろうか


ちょっとしたエピソードを一つだけ

ブランジュリーに入りパンの値段を訊いたのだが、いくらなのかさっぱりわからない

訊き直しても同じ答えなので、スイス・フランス語が違うことに気付く

お釣りをもらってわかったこと

それは、90をこの地では nonante と言うこと

考えてみれば、80+10と言うフランス語の方がおかしいのかもしれない





mardi 15 juillet 2014

ジュネーヴ到着、ホテルを探し回る


夕方、パリ・リヨン駅を出発し、TGV Lyriaに4時間半でジュネーヴに到着した

1週間ほど前に突然レマン湖の噴水が見たくなり、夏休みと称して学生時代以来初めての訪問となった

今の時代、本当に just a click away である

そのためか、ホテルの詳しい情報を見たのが出る前

その時、住所が二つあることが分かった

駅を降りて、最初の住所に行くもそこにホテルらしきものなし

もう一つのそれらしきところに向かったが、何と高級ホテル

そんなはずはないと決めてかかり、辺りを歩き回る

環境があまりよろしくなさそうなので、ホテルはないのではないかという考えが一瞬浮かぶ

冷や汗のようなものが流れる

 最後にその高級ホテルに住所を訊くために入る

なければ、そこに1泊して帰るつもりで

ホテルに入って係の人に訊ねると、それはここです、という天使の声

再びキツネにつままれる

そのホテルが部屋だけを別に貸していて、チェックインはそのホテルだという

そんなことはどこにも書いてなかった

最初の住所が部屋がある建物であることが判明

途中、気分は揺れたが、最後は晴れ渡ってくれた



ところで、ジュネーブに着くまでにいくつかの駅で止まった

ディジョンドル(Dole)、フラーヌ(Frasne)、ヴァロルブ(Vallorbe)、そしてローザンヌである

 すべてが正規の停車駅なのかどうかわからないが、初めての町の名前が出てくるのは嬉しいものである

ということもあり、控えておくことにした





lundi 14 juillet 2014

革命記念日に 「美の壺」 を発見


今日は革命記念日

普段から休日のようなものだが、今日はさらにのんびり

NHKの「美の壺」をひとつ観たが、止まらなくなった

日本でも横目で見たことがある番組だ

初期のものは谷啓さんがいい味を出している

背景に流れるジャズもその昔聴いたものばかりで懐かしさをそそる

 そして何より日本文化の豊かさに目を向けさせてくれる

日本では、周りが現代日本なのでその中に埋もれているものを観るという感じだった

 しかし、こちらには日本がないため、すべてが日本の本質に繋がるような印象を与える

続けて観ていると、その感が益々強くなる

思わぬ発見だった





dimanche 13 juillet 2014

連載エッセイ第18回 「ペスト菌発見者アレクサンドル・イェルサンという人生と北里柴三郎」



雑誌 「医学のあゆみ」 に連載中の 「パリから見えるこの世界」 第18回エッセイを紹介いたします

ご一読、ご批判いただければ幸いです

« Un regard de Paris sur ce monde »


医学のあゆみ (2013.7.13) 246 (2): 201-205, 2013






mardi 8 juillet 2014

映画 『大いなる沈黙へ』 がやっと日本で上映

2006.12.22 @Paris


将来を模索していた時期に当たる2006年暮れ、パリを訪れた

この訪問はいろいろなものを齎してくれたことについては、この場でも触れている

その時に、背景に音楽が流れないこの映画も観ていた


その沈黙の異空間の中に完全に浸ることにより、何かが見えてくる

それは、われわれの生活に根本的に欠けている何かかもしれない


このような映画は日本では受け入れられないのかと長い間思っていた

そして、7年以上の時を経てやっと上映の運びになったことを知った

一体何があったのか


最後に 「へ」 と付いているが、これは英語版からの翻訳なのか

独仏ともそのものずばりである

その方が変な動きを感じることなく、そこにどっしりあるものを表現しているように見えるのだが、、、


最近では、『ハンナ・アーレント』 が予想外の好評だったと聞く


Le Grand Silence はそれに続くことになるのだろうか

反応を見守りたい







グランド・シャルトルーズ修道院(La Grande Chartreuse)の周りは、こうなっているようだ







lundi 7 juillet 2014

狐につままれ、日本からのお客様と人生や研究を語る


 午前中、日本語の本をバルコンで読み、のんびりする

どうも、いつものんびりしたいようである

今日の午後は日本からのお客様と会うことになっていた

待ち合わせ場所を決めたのだが、メトロのトロカデロとモンパルナスの間が工事中であることを完全に失念

トロカデロから目的地に向かうホームのはずが、反対のエトワールに向かっている

 まさに狐につままれ、自分の頭がおかしくなったのではないかという状態になった

最近では稀ではないので、暫し頭をひねっていた

そして再びトロカデロの戻った時、工事のことを思い出したのだ

そこから臨時運行しているバスに乗り、予定を30分オーバーして待ち合わせ場所に辿り着いた

やれやれという出だしであった

 
渡邊正孝先生 (東京都医学総合研究所)


お客様は元の仕事場で一緒だった渡邊先生

未だにお仕事をされていて、頭が下がる

今回は、日本で開かれることになった学会の宣伝のためというようなお話であった

以前にそのための日本酒の相談を受けたが、結局日本から持参することにしたとのこと


最初の海外がパリだったようで、懐かしい様子であった

当時はメトロに一等と二等があったとの話に驚く

こちらの人はそれぞれに楽しんでいるが、日本の場合は楽しみ方が型に嵌っているように見えるとのこと

同じ人生、もっと楽しまなければ、というところに落ち着いた


最近の事件の影響か、日本の研究現場も窮屈になりつつある印象を持った

事件への対応もいかにも日本風で、頭がすっきりしない

論理の筋が通っていないように見えるからだろう

論理だけではないでしょうとして、最初から別の要素を入れるとこうなってしまう

日本で一流とされるところの科学精神がこの程度だということになると、他は推して知るべしなのか

科学が未だ根づいていない日本

そんな気分になるお話であった