samedi 30 novembre 2013

先週を思い出しながら、ウィントン・マルサリスを味わい直す




こんな珠玉の演奏が空に浮いているとは

マルサリスさんの面目躍如である

見覚えのある他のメンバーも素晴らしい

2009年のマルシアック・ジャズ・フェスティバル

Jazz in Marciac

フランスでのコンサートなのでフランス人プレーヤーも加わっている

お客さんの反応は先週に比べると、おとなしい


パキスタンのサッチャル・ジャズ・アンサンブルとの共演も見つかった

先週のリンカン・センターを思い出しながら、綺麗な映像でたっぷり味わうことにした










vendredi 29 novembre 2013

テーズのスートゥナンスを観る


今日は午後から大学へ

少し前に案内が入ったテーズのスートゥナンス(英語でディフェンス)の様子を見るためである

これまでに何度も案内は受け取っていたが、その気にはならなかった

テーマは論理学なので、内容よりは様式に興味を持って出掛けた

ジュリー(審査員)の構成は、フランス人2名、イタリア人2名、ブラジル人1人、そして日本人1人の計6名

日本からは慶応大学の岡田光弘教授が参加されていた


発表するのはイタリアからの留学生

発表前に話したところ、論文は英語で350ページくらい書いたとのこと

わたしの所属する大学は、何年か前から英語の論文を受理するになったようだ

フランスの大学としては開けていることになるのだろうか

発表は30分で、その後ジュリーとの質疑応答がある

発表は英語でやり、質疑応答は相手に合わせて英語とフランス語を使っていた

因みに、フランス語での質疑応答は二人のフランス人とイタリア人のお一人で、他の方は英語であった

発表者がなぜ論文をフランス語にしなかったのかわからないほど自在にフランス語を操っていた

スートゥナンスが終わったのは4時間後であった

ジュリー1人当たり30分以上の質疑応答があるので、体力が問題になりそうである


すべてが終わった後、発表者と参加者は審議が行われる間部屋の外に出される

そして、部屋に呼ばれ、結果を聞くという手順であった

待っている間、南米はコロンビアからの留学生と話をする

これまで何度も聴いているようで、各国の留学生の特徴を語っていた

また、今回の発表者はここまで6年かけているが、5-6年は普通とのことであった


結果が出た後、発表者はジュリーと挨拶

その後、別室に懇談の場所を設定しているようなことを言っていた

大変そうな一日であった



実は、大学に向かう途中、不思議なことがあった

大学への道を訊いてくる紳士がいた

道を教えると先を歩き始めた

しばらくすると、後ろを振り向き、また確かめてきた

これはひょっとするのではないかと思った時、赤信号になった

どこの部屋に行くのか訊いたところ、わたしの向かう部屋であった

イタリアから参加のジュリーのお一人だったのだ

向こうもわたしがジュリーではないかと思ったようだ

 こういうことがよく起こる




mardi 26 novembre 2013

マンハッタンで読むアラン・バディウ、あるいは三つの哲学的状況


先日のニューヨークで入った書店で哲学書を眺めている時、この小冊子が目に入った

アラン・バディウ(Alain Badiou, 1937-)、スラヴォイ・ジジェク(Slavoj Žižek, 1949-)著

Philosophy in the Present (Polity; 2009)

バディウさんの言葉はよく入ってくるので、これまで何度も取り上げている

英語に訳された本が書架にたくさん並べられていることに驚いた

彼の主著 『存在と出来事』 (1988)が出たのは51歳の時で、英訳はその17年後の68歳の時である

バーンズ・アンド・ノーブルにも置かれていた

バディウさんは年齢とともに熟成を見せる衰えを知らない哲学者という印象が強い

哲学が時間のかかる営みであることを思い起こさせてくれる

もちろん、パスカルウィトゲンシュタインのような天才は別なのだろうが、、


この本は二人の哲学者の講演と対論を基にしたものなので、読みやすい

タイトルにあるように、「現在」に如何に哲学が絡むことができるのかについて省察している

以下に、バディウさんの言葉を


まず、哲学について間違った考えが蔓延っている

テレビでコメントしている哲学者のように、哲学者は社会のどんな問題についても語ることができると思われている

真の哲学者とは、自分が重要だと思う問題を決め、すべての人にとって重要な問いを出す人である

 そもそも哲学とは、新しい問題を創り出すことである

哲学者が関わりを持つのは、新しい問題を創り出さなければならないような兆候が見られた時である

世界ではいろいろなことが起こっているが、すべてがそのような時ではない

哲学が必要になるのは、「哲学的状況」 と呼ぶ状況がある時である

その状況を3つの例で説明したい


一つは、プラトンの 『ゴルギアス』 に描かれたソクラテスとカリクレスとの間の全く相容れない関係である

カリクレスにとっての幸福な人間とは、奸計と暴力で人民の上にある者

一方、ソクラテスにとっての真の人間、すなわち幸せな人間は、哲学的な意味における正義の人である

両者の間には、正義が暴力なのか、思想なのかの違いがあり、その間に橋は架けられない

対話は不可能で、衝突しかあり得ない

つまり、勝者と敗者しかないのである

この状況における哲学の役割とは何か

それは、どちらかを選ばなければならないことを明らかにすることである

哲学的状況とは、存在に関する選択が明らかになる時である


第二の例は、シラクサ出身の数学の天才アルキメデスの死である

第二次ポエニ戦争の時、シラクサはローマの将軍マルケッルスにより占領される

アルキメデスはレジスタンスに加わり、兵器を開発したりしていた

占領下のある日、幾何学の研究を継続していたアルキメデスは砂に図を描き、考えていた

その時、兵士が到着し、名を馳せていた人物に興味を持ったのか、将軍が会いたいと言っている旨を彼に伝えた

 しかし、彼は身動き一つせず、再度の要請にも答えず、計算を続ける

そこで頭に血が上った兵士は、彼を殺してしまったのである

これが哲学的状況になるのは、国家権力と創造的思考との間に相容れない関係があるからである

暴力により創造としての真理が簡単に消されてしまうからである

同様の例として、作曲家アントン・ヴェーベルンの死がある

彼は第二次大戦直後、アメリカの占領軍兵士の誤射により殺害された

事故ではあったが、哲学的状況に変わりはない

ここにも権力と真理との間に超えることのできない溝がある

哲学のミッションは、その隔たりについて省察し、そこに光を当てることである


そして、最後の例は、溝口健二の驚くべき映画 『近松物語』 である

その理由は、存在をひっくり返すような愛と社会の規範との間に相容れないものがあるからである

例外をどう考えるのか、日常の継続性と社会の保守性に如何に抗して考えるのかという問題である

哲学が大学の科目としてではなく、人生に何らかの意味を持つものであるために考えなければならない三つのこと

それが選択と隔たりと例外になる

そこから、この人生を意味あるものにするためにやらなければならないことが現れる、

出来事を受け入れ、権力から距離を取り、自分の決定に断固従うこと

そのことを理解すること、そしてそのことによってのみ、哲学が真に人生を変えることに寄与できるのである







dimanche 24 novembre 2013

英語世界の中のフランスを考える


昨夜ニューアークを発ち、今朝オルリーに着いた

ニューヨークでは何かに追われるような緊張の中、常に動き、前に進むことを強いられる

声が大きく、会話のテンポは速く、決然としていて、即断が求められるように感じる

こちらにはそれがない

そのためだろうか、少し引いてゆっくり思いを巡らすことができるようだ


医学哲学においても、テーマとその扱い方がアメリカとフランスでは明らかに違う

実証的で科学的に対象に迫るのがアメリカのやり方で、主観の関与をなくし対象を突き放してしまう

そのため、科学の発表と変わらず、出てくる冗談も科学者のものと変わらない

リタ・シャロンさんの "narrative medicine" などは、この中にあって異質に見える

フランスの場合には、実証的な研究もあるが、抽象的な思索に入る場合が稀ではない

観念論や形而上学的思索が許されている

これがアメリカでは興味の対象から外れ、フランスではよく知られている哲学者は読まれていないようだ


アメリカにいた時の感受性を思い出しながら、形而上学の含みのある発表を聴いてみた

そうすると、アングロ・サクソンの反応がよくわかるのだ

フランスの中に閉じ籠っているように感じさせるのは、フランスの哲学にとっても得策ではないだろう

アングロ・サクソンの枠組みの中で、如何にフランスの特徴を発信することができるのか

この発想がなければ、例外的な研究、マージナルな研究ということになりかねない

フランス語がわからなければ、その思想に触れることができないからだ

それほど英語的発想には圧倒的な力があり、それゆえフランス的な思考が重要になるはずである

アングロ・サクソン的やり方には欠けているものがそこにあるからである

これまでの発想を大きく変える必要があると感じた


6月にパリで同様の医学哲学の会議があった

その時はベースがヨーロッパだったので、このような現実的な切迫感はなかった

今回はほとんどがアングロ・サクソン的背景の中で行われた

そのためだと思うが、両者の落差が想像以上に大きいことを改めて感じる旅となった





samedi 23 novembre 2013

マンハッタン最後の夜は Jazz at Lincoln Center


マンハッタン最後の朝は、抜けるような快晴

ラジオからはクリスマス・ソング

気分も晴れ渡る


昨日の会議終了後、指導教授ご夫妻に誘われてジャズ・アット・リンカン・センターを鑑賞

なかなか行く機会がなかったので、お誘いをありがたく受ける 

ウィントン・マルサリス率いるJazz at Lincoln Center Orchestraとパキスタンのジャズ・オーケストラとの共演

パキスタンからのバンドは、サッチャル・ジャズ・アンサンブル(Sachal Jazz Ensemble)という

伝統的な各種ドラムス、シター、フルート、ギターなどの構成

国際的にも活躍しているようだ

コンサートは、トランペットの席からマルサリスさんが挨拶や曲の紹介をするというやり方であった

最近癖になってきた録画ボタンを押してみた

partial view の席しか残っていなかっただけではなく、画像の状態も相変わらずだ

ただ、雰囲気だけは伝わるのではないかと思い、アップすることにした




コンサート前のディネの席では、いろいろなお話が出た

アメリカとフランスの文化比較から始まり、哲学全般や医学哲学という新しい領域の現状など

それからテーズの考え方についてもコメントがあった

昔は、その人の集大成を纏めるという意味合いがあったので、時間をかけて書いたという

科学の領域にいると、理解が難しいところだ

日本では今でも教授になってから出す人がいると聞く

ところが、テーズは一つの過程にしか過ぎないと考えるようになり、システムも変わったようだ

哲学専攻のキャリアにとっても必要になっている

わたしの場合は傑作を書こうなどと考えているわけではなく、なぜかその気にならないだけである

教授のお話には、そろそろ今のシステムに合わせて考えてみては、というニュアンスが漂っていた


リラックスした会話はフランスの大学教授との間では難しい

その意味では、このようなざっくばらんな意見交換ができたのは幸いであった

 そんな会話の中、お互いの理解が同じレベルにないことを何度か感じた

こちらの言いたいことが向こうの理解の枠組みに収まっていないという感触である

アメリカに行った時にも感じていたギャップであるが、自分の中では4-5年で消えて行ったように思う

フランスの場合には言葉の問題が大きいのだと思うが、まだその時は訪れていない



コロンバスサークルのイルミネーションを見ている時、なぜかパリのイタリア広場と重なった





vendredi 22 novembre 2013

会議最終日、疫学の役割を考える

Prof. Nancy Cartwright (UCSD & Durham Univ.)


会議三日目はコロンビア大学の疫学部門が主催の会であった

テーマは、疫学における説明と予測

医学だけではなく、行動科学、経済学、政治学からの発表があった


一つの話題は、科学で極めて重要になる因果関係とか因果律と言われる概念

大きく3つの考え方が取り上げられていた

第一は、デイヴィッド・ヒューム(1711-1776)の規則性に基づく説である

Aという出来事の後に例外なくBという出来事が観察された時に限り、AがBの原因になっているとする

第二は、ナンシー・カートライト(1944-) さんなどが唱える確率に基づく説

Aという出来事がBの確率を上昇させる場合に限り、AがBの原因になっているとする

第三は、デイヴィド・ルイス(1941-2001)のカウンターファクチュアル理論がある

これは、もしAが起こらなかった場合、Bは起こらないはずだと言えるかどうかを基にしている


19世紀の科学における因果律は、完全な規則性に基づく説を採用していた

 疫学の場合には、不完全な規則性に依存することになる

 因果関係を明らかにするのは、説明するためであり、予測するためでもある

説明は理解に不可欠であり、予測は有効な行動に不可欠である

 疫学は法則を求めるのではなく、因果関係を明らかにしようとする


カートライトさんは、黄金の方法とされるランダム化比較試験(RCT)の有用性を検討していた

まず、AがBの原因である証拠として7つのカテゴリがあることを示す

その上で、個別研究の集合を解析する場合と比較していた

その結果、RCTが明らかにする証拠は1つのカテゴリなのに対して、後者の場合には5つに及ぶことを明らかにした

原理的には、個別研究の集合解析はRCTに何ら劣ることはないということになる


考えるべきことの一つは、疫学の目的は世界を理解することなのか、世界を変えることなのかということ

両者は二律背反ではないが、二つの違いはその後の方向性を変えることになる

世界を変える場合には、具体的な政策決定が絡み、各政策の有効性の検討が必要になるからである

世界を理解する場合には、原因を見出し説明することに重点が置かれ、予測へと繋がる

相関と因果性は区別しなければならないが、相関が役に立たないわけではない

因果性が確立されていない段階で、危険を避ける行動をとることができるからである

疫学は説明ではなく、行動の決定に寄与する学問であるべきだという考えが出されているようだ





jeudi 21 novembre 2013

会議二日目の基調講演から、問いの重要性について

Prof. Ross Upshur (Univ. of Toronto, Canada)


二日目はロス・アップシャー(トロント大学)博士の基調講演から始まった

プライマリ・ケアの忙しい現場で仕事をする中で考えてこられた生命倫理の専門家でもある

タイトルは、Anamnesis, or the Question of the Question 

病歴を取る時に行う問い掛けに関する問題についてである


病歴を取るとは、患者さんの過去について思いを馳せること(リフレクション)である

それをさらに進めると、医学について考える(リフレクト)することにも繋がる

医学は何のためにあるのか

証拠(エビデンス)と言うが、それはどれだけ有効なのか

患者さんの病歴をどのように扱うのか

医学における理性的思考とは、どういうことを言うのか、などなど


医学においては、理性的で厳密な思考から倫理に叶った医療へと向かわなければならない

つまり、すべての医療関係者は応用哲学者(applied philosopher)であることが求められる

 近年、人口における高齢者が増加の一途を辿っている

年齢が増すにつれて、複数の慢性疾患を持つ人も増える傾向がある

カナダでは、80歳以上の10人に一人は5つ以上の病気を持つという

医療関係者は、必然的に高齢者を対象にしなければならない状況が続くことになる

アップシャーさんは、老人が嫌いな人は医療に入るべきではないと強調していた

また、医療が病気にとって良いものなのか、患者さんに対して良いものなのかを考えること

昨日も問題になっていた科学と価値の対立である


そしてタイトルに戻ると、ほとんど(70%~90%)の診断は病歴によって決まる

それほど重要な病歴にも拘らず、哲学の対象になっていないという

病歴を取る時に重要になるのは、どのように問いを繋げ、進めていくのかということ

さらに言えば、どのような問いを出すのかが医療の質を決めることになる

 ドイツの哲学者ガダマー(1900-2002)は、問いを出すことについてこう言っているという


「問いを出すとは、可能性の扉を開け、開いたままにしておくことである

疑問を出すことなしに、われわれは経験することができない

問い掛けることにより、問題にしていることをあるパースペクティヴのなかに入れるのである

問いの技術とは、問いを続ける技術であり、それは取りも直さず思考の技術なのである」






mercredi 20 novembre 2013

医学哲学の会議、初日終わる

Prof. Jeremy Simon (Columbia Univ.)


今日から会議が始まった

朝、風が出て、寒さが一段と増している

デューク・エリントンで有名なAトレインで34丁目から168丁目まで一気に上がっていく

コロンビア大学のメディカル・センターが会場である


会はオーガナイザーのジェレミー・サイモン博士の挨拶で始まった

医学哲学はわたしの専門ではない

不思議なもので、6月に出席を余儀なくされて以来、今年3回目の国際会議出席になる

この領域の歴史はまだ浅いようだ

本格的になってきたのは、ここ10年から20年くらいのものだろうか

未だに医学哲学なる領域が成立するのか議論されている状況である


日本では大阪大学の澤瀉久敬博士が「医学概論」なるものを始めた

戦中から戦後にかけてのことである

詳細はわからないが、この流れは今や途絶えているように見える

医学にとって直接的な意義が認められないとの判断があったのだろうか

加速度的に進歩しているように見える医学の中にいると、事実に追われるのはよくわかる

考える余裕がなくなるのだ

指導する側にその発想が乏しいと、このような流れは続かない

そうであるとすれば、残念なことである

Prof. Kirstin Borgerson (Dalhousie Univ., Canada )


午前中の話題からいくつか

2002年の段階で、医学系の雑誌は4,600を超えている

2005年の臨床研究の対象者は200万人に及ぶという

2011年の臨床研究数は53,000件に迫る勢いである

膨大な医学研究が発表されているが、その内容には多くの問題がある

研究のデザイン、不適当な対照群、少な過ぎる対象数、間違った解析法に誤った解釈などなど

その上、それらのデータの総体が統合され、再解釈されることなく放置されている

さらに、対象への不利益が行われることもある

例えば、よい薬ができてもそれまでのものを処方し続ける

逆に副作用が明らかになってもそのまま使い続けさせる

臨床試験、さらに言えば医学の臨床を取り巻く問題として、科学と価値の対立がある

科学的には理にかなっているが、社会的に不利益を及ぼす計画を実行するのかという問題である

発表者のボルガーソンさんは後者の立場に立ちたいと話していた

しかし、考え方は研究者により変わってくる可能性がある


それから、臨床研究の対象の“lumping”と“splitting” 問題が取り上げられていた

対象をどのように分けたり纏めたりするのかという問題で、やり方によって結果が変わってくる

ヒスパニックを対象とした時に現れる問題を分析している発表があった

ヒスパニック対ノン・ヒスパニックという分け方もあれば、ノン・ヒスパニック・ホワイトというのもある

ヒスパニック対ヨーロッパ系アメリカ人、あるいはアメリカ白人なども可能だ

さらに言えば、ヒスパニックと言っても文化的、地理的、遺伝的などの要因で変わってくる

それを、ヒスパニック対ノン・ヒスパニックと一纏めにしてラベルを付けて比較する

その場合、ラベルの下にある不均一性を見過ごす危険性がある

どのグループを対照にするかによって、ヒスパニックの人種的特徴が変わってくる可能性があるからだ

同様のことは、性差や年齢の違いに焦点を合わせた研究についても当て嵌まる

このような研究には政治的な意図が隠されている可能性があることを、常に考えておく必要がありそうだ


その他、プラシーボを用いた試験の絶対性(Placebo Orthodoxy)を疑問視する発表もあった

さらに、短期の臨床試験で一つの薬がプラシーボより有効であることがわかった時、どうするのか

有効性と安全性を確実にするためには、長期間試験を続けなければならない

しかし、有効な薬がありながらプラシーボを使い続けるのは倫理的に問題ではないのか

これも科学と価値の対立である


Prof. Rita Charon (Columbia Univ.)、A graduate student of Prof. Charon、Prof. Sean Valles (Michigan State Univ.)


昼食は近くのレストランで

ショーン・ヴァレスさんは午前中 “clumping”と “splitting”の話をされた方

活力に溢れている

リタ・シャロンさんは医者であるが、文学研究を終えた後に “narrative medicine” という新しい領域を提唱されている

午後最初の基調講演の演者であった

午前中の発表を聴きながら、わたしの横で一人声を出して反応していたのがリタさんであった

昼食時もお隣りで、貴重なお話を伺うことができた

一見すると最初の領域から離れているように見えるが、実は以前よりも近くに感じるという逆説

彼女の場合には、文学での経験を医学の領域に還元されている

ご自身の経歴と重なるためか、わたしの歩みにも理解を示していただいた

これから益々混迷を深める時代に入る

このような視点を導入することが豊かなものを齎すという点で意見の一致を見た

彼女の考えの一端は、以下のビデオで知ることができる



基調講演での言葉を自分なりに変容させてみたい

芸術は芸術家のためだけのものではない

患者さんをケアすることも芸術的行為である

芸術的行為にしなければならないということでもある

そこには人間の創造性が生まれているはずであり、生まれていなければならないからだ

考えることは身体活動である

体を使うこと、それは創造性の発露に繋がる

身体性を取り戻すこと

人間にとって、創造性という一つの価値は極めて重要になる

講演後に質問していた方は、感極まったのか泣きながらであった



Dr. Hanna van Loo (Univ. of Groningen, The Netherlands)


午後のセッションからいくつか

科学と価値の対立を如何に乗り越えるか

元を辿れば、一つのものがあるだけのはず

この世界を二つに分けて見ることを極力抑えること

それは生物学よりさらに複雑な要素が絡み合う医学で可能なのか

知識や説得に重点を置く今のやり方から 「何をやるのかを選択する」 ことへの移行が必要ではないか

そのためには知識と価値の両方を取り込まなければならないからだ

関係者の意識(habits of thought)の変革は可能だろうか


それから、ハンチントン病の研究についての解析もあった

1983年のその遺伝子が第4染色体にあることが明らかになった

その後、塩基3個(CAG)の反復が認められること、その数と症状が相関することが発表される

しかし、遺伝子変化と症状は必ずしも相関しないことが明らかになり、環境因子の関与が示唆される

このような遺伝子決定論と環境因子の関与という対立は、いろいろな局面で顕在化している


他に、健康と病気の概念、精神疾患の共存、根拠に基づいた医療(evidence-based medicine)などが議論されていた


Prof. Rachel Ankeny (Univ. of Adelaide, Australia)


今回も人間がしっかり生きてその場にいることを感じながらの時間となっている

自らの主張を決然と発表し、活発な討論が進行する中にいるからだろう

その刺激はヨーロッパの会よりさらに強く、全身が活性化されているのがわかる

昼食時そのことを指摘すると、それが当たり前の彼らは驚いていた

科学の遂行に必要なものは、技術の前に人間の自律かもしれない

さらに言えば、それは民主的な社会にも不可欠の要素になるはずである





mardi 19 novembre 2013

ミッドタウン散策、アメリカの書店を味わう


マンハッタン4日目

本日は晴れ上がったが、予報通り寒さが厳しくなっている

朝から街に出る

これから仕事に向かう人の群れの中を歩く

これから狩りにでも向かうかのような闘う人たちだ

「いま、この時」 に関係のないことをのんびり考えている暇などなさそうに見える

 コーヒーショップで、昨日のつづきを読み終える


それからマンハッタンを横切りながら上がっていくと、パブリック・ライブラリーの裏に出た

クリスマスに向けての店が並んでいる

ブライアント・パーク



先日知ったばかりの録画ボタンを押す

マンハッタンの真ん中で聴くアメリカ音楽は素晴らしく、極自然に入ってきた

ファイルを見る限り綺麗な映像だが、ブログで最大にすると見られないのはどうしたことだろうか




暫くの間、人の動きを楽しみながら過ごした後、五番街にあるバーンズ・アンド・ノーブル

久し振りに入るアメリカの書店は健康な活力があり、新鮮だ

哲学のセクションで1時間ほど過ごす

手に入れたいものはいろいろあったが、持ち歩くのが大変なのでほんの少しだけにした

袋の中にあったレシートには、会員になると今回これだけ値引きされていた、とのメッセージがある

それだけではなく、こんなものも入っていた

アマゾン並みの積極さとでも言うのだろうか



午後の日差しはもう斜めから来るようになっている

なぜか物寂しい景色だ

明日から会議が始まる





懐かしさとは


昨日は久しぶりにマンハッタンをたっぷり歩いた

昔の感覚が完全に戻ったと思いながら

振り返ってみると、当時はその景色の中にどっぷり浸かっていたこと、その中に居たことに気付く

つまり、当時の感覚の中にはあるが、今はそれを外から眺めているという違いがある

その中に居た時の感覚が景色の中に閉じ込められているのを外から見ていたことになる

そのことは蘇るが、その中に入ることはできず、外から眺めざるを得ないのだ

懐かしさとは、決して渡ることができないその裂け目が齎すものなのか





Autumn in Central Park、そして再びの旧居訪問


今日は打って変わって快晴

朝から用事があり、出掛けることに

今回の旅の目的は会議出席だが、実はもう一つ用事ができたのだ

出発直前、アメリカの銀行から手紙が届いた

ある情報に問題があるのでその処理をしてほしいとのこと

20日までに処理できなければ口座を閉鎖するというのである

電話ではなかなか埒が明かない問題

何というタイミングで訪米の機会が巡ってきたことか

偶然の神に感謝である

face-to-face で相談しながら問題の処理を済ませ、朝からすっきりした

人間と人間の直の接触が如何に大切であるかを改めて感じる


空が晴れ、気分も晴れたためだろうか

旅に出る前は考えていなかったイースト・サイドに向かいたくなる

Cトレインでアップタウンに向かい72丁目で降り、セントラル・パークを横切ることにした

メトロを降りると、ダコタ・ハウスが現れた

ジョン・レノンがその前で撃たれた1980年12月8日、わたしは反対側のイースト・サイドでニュースを聞いた

セントラル・パーク内には記念の場所がいくつかあった

そして、抜けるような空間の中で紅葉を鑑賞

以前にも感じたが、ニューヨークのジョガーは体に精気があり、見ていて気持ちがよい

パリのジョガーは頭を使い過ぎた後なのか、体が疲れて見える

いずれにしてもゴージャスとしか言いようがないセントラル・パークの時間であった









ゆっくりと久しぶりの公園を味わった後、イースト・サイドの昔の住まいに向かった

前回のような変な緊張感は最早なくなっている

今日のドアマンは若く見えたが、仕事に就いてからすでに20年が経過するという

仕事を始めたのがつい昨日のようだ、と話していた

その気持ちは、30年以上前になるわたしにしても同じである

そんなちょっとした言葉が、この体と心を軽くしてくれる

これからドアマンと言葉を交わすのが恒例になるのだろうか

 その足でマンハッタンを斜めに縦断、ペン・ステーションの近くまで歩いて帰ってきた




dimanche 17 novembre 2013

空気のような移動


マンハッタン二日目は、曇り時々雨

しかし、寒さは感じない

朝から街を散策

違和感は全くなく、昔の感覚がすぐに戻って来る


存在の中心となるべき具体的な点がなくなり、どのような場所に行ってもそこに居るという感覚

あるいは、居るところが自己の中心ということなのだろうか

 今や、空気のように移動しているとも言える

それは悦ばしいことなのだろうか


コーヒーショップ二軒でパリからの宿題を終わらせる




samedi 16 novembre 2013

「いやはや」 3題、そして2年ぶりのマンハッタン


今さっき、ニューアークの空港からマンハッタンのペン・ステーションに着いたところ

 想像とは違い、暖かい

気温一桁のパリからくると天国だ

 調べたところ、この週末は15℃から20℃近くまでなり、来週の半ばは一桁になるが、また二けたに戻るとのこと

このような予想の狂いは嬉しいものである


ところで、今朝はいやはやのスタートだった

オルリー空港に向かう途中の乗り換え駅

なぜか荷物が通れないところに入り、荷物と体が狭いところに完全に閉じ込められてしまった

いくら足掻いてもびくともしない

そのような状態の人は何度か横目て見たことはあるが、よもや自分がこんなことになるとは・・・

しつこく少しずつ押しているうちに荷物は凹んでくれ、何とか出すことができた

その隙間から体も

このような事態でも全く慌てることなく凪状態なのは最近の特徴だが、今回も例外ではなかった


この調子だと、また何かあると思っていたところ、空港でもう一つ待っていた

アメリカに入るためにはビザの手続き(料金支払い)が必要だったことを完全に失念、足止めを食らう

2年前の訪米では何もしなかったような錯覚に陥っていたのだ

ただ、係の方がなぜか非常に親切で友好的

手続きはまだ可能とのことで、わたしのパソコンのところまで来て付き合ってくれた

その指示に従い、10分ほどで手続きが終わり、出発が可能になった


ここまで続くと3度目は何かと待っていた

それらしいのを探すとすれば、ニューアークの空港でのパスポート検査だろうか

今回の旅行の目的を訊かれたので、コロンビア大学である医学哲学の会議に出席するため、と答えた

そうすると間髪を容れず、哲学なんかやってる暇があった治す方をやってくれ、と言ってきたのだ

アメリカに来たことをすぐに理解する

実は哲学に詳しい検査官らしく、いろいろな流れを並べていたので、少し説明すると納得した様子

最後は、笑顔で別れた


ところで、オルリーからは久し振りのブリティッシュ・エアウェイズであった

機内でアイパッドが配られたのには驚いた

わたしは初体験だったが、今では普通のサービスなのだろうか

お陰様で普段は観ない映画を手の中で楽しむことになった


今回は2年ぶりのマンハッタン

前回は以前住んでいたアッパー・イースト・サイドが中心で、センチメンタル・ジャーニーの趣があった

今回はウェスト・サイドになる

今日のところ、前回のようなカルチャー・ショックはなく、自然な移動に感じる

どのような滞在になるだろうか






mercredi 13 novembre 2013

ロスコフでのひと時を動画で味わい直す


ひと月前になるが、ブルターニュのロスコフで医学哲学のサマースクールがあった

そのまとめのビデオをマインツの医学生ユリア・ヴァイスさんが作成

最終版がマインツの研究所サイトに掲載された

いつ撮影していたのか、というものがほとんどで驚く

若い人が好みそうなテクノのBGMが付いているなかなかの仕上がりで、これまた驚く

ユリアさんはこちらの方面でも仕事ができるのでは、、、


もう大昔に感じられる二度と戻らないひと時を味わい直してみた

ビデオはこちらから






mardi 12 novembre 2013

丸山健二 第三弾





丸山健二  トークタイム 2011.4.30








lundi 11 novembre 2013

連載エッセイ第10回 「エルンスト・マイヤーとシーウォル・ライトというセンテナリアン、あるいは100歳からものを観る」


雑誌 「医学のあゆみ」 に連載中の 「パリから見えるこの世界」 の第10回エッセイを紹介いたします

医学のあゆみ(2012.11.10) 243 (6): 551-554, 2012

ご一読、ご批判いただければ幸いです




dimanche 10 novembre 2013

オギュスタン・ベルクさんの語りを振り返る

Groupe des cinq, partie (Eugène Dodeigne, 1974)


今朝、最近触れたいくつかの言葉が繋がり、目が覚めた

ひとつは、丸山健二氏の言っていた 「ベタな表現」

「もの・こと」 をそのまま言っているに過ぎない、という意味だろうか

本居宣長に肖れば、意だけで済まし、姿には目が行かない状態になるのだろう

言葉の背後に何もない状態、すなわち考えていない状態とも言えるかもしれない


それから、茂木健一郎氏の 「日本人は国家は最初からそこあると思い、国家とは何かを考えない」 という言葉

これは状況の中でしか動くことができない状態、自分たちがいる状態を客体化できない状態を表現している

ルスラン・メジトフ(Ruslan Medzhitov)さんのところでも触れた 「対象の客体化の強度」 にも繋がる

この状態を克服するためには根源を問い直す哲学的な問いが不可欠になるが、われわれにそういう発想は乏しい


そこに、昨日聴いたオギュスタン・ベルクさんのお話が絡み合ってきたのだ

上の二つの状態を克服している、あるいはしようとした跡が見られる世界が広がっていると感じたからだろう

あるいはまた、そのような意識があったと言うよりも、文化が自然にそう要求しているのかもしれないが、、

日本では多い解説調のお話ではなく、自己がそこに深く関わっている思索の跡が見える語り

当然のことながら、それを表現する言葉も 「ベタ」 ではない

多くの示唆を得ていた時間であったことを改めて思う




samedi 9 novembre 2013

リールのシテ・フィロで日本の哲学を聴く


今朝、リールに到着

パリ北駅からは1時間で、あっという間だ

この地で Citéphilo という哲学の催しが開かれている

今年は日本の哲学が取り上げられている

フランスから日本の哲学はどのように捉えられているのだろうか

その感触を得るために参加することにした

リールは初めての町になる

コートなしで来たが、少々寒い

すぐに会場のリール美術館(Palais des Beaux-Arts de Lille)に向かった
 



フランスでこの手の会に行き最初に感じた印象がまだ健在である

それは、アメリカでは感じたことのない会場を包む「ビロードのような」とでも形容すべき雰囲気である

新たな世界に繋がる可能性を期待させる何とも言えないものなのだ

そんな中、オギュスタン・ベルクAugustin Berque, 1942-)さんの開会講演を聴く


テーマは、日本人が見ている環境とその思想が日本に特徴的と言えるのか

ベルクさんの経歴を読んでみると、日本のフランス関係の方にはよく知られていることを想像させる

もともと科学(地理学)から始めているので、お話が理解しやすい

人間を環境の中にいる存在という視点で見ている

デカルトのコギトに見られるように、自己が最高の存在で環境が消えている世界を批判する

厳密な決定論を否定することになる

環境と相互に影響し合いながら人間が創られていくという視点を採る

そこで主に論じられたのが、以下のお二人

ヤーコプ・フォン・ユクスキュル(Jakob von Uexküll, 1864-1944)と 『風土』 の和辻哲郎(1889-1960)

ベルクさんは、2011年にこの本を翻訳もされている

Fûdo : Le milieu humain


包み込むようなソフトな語りだが、思わぬ結びつきに目を向けさせてくれる、わたしにとっては刺激的なお話であった

他にも、これからに繋がるお話が多数出ていた

充実した2時間であった



午後のセッションは少し遅れて会場に向かったが、満席で中に入れてもらえない

詰め寄ったが、セキュリティの関係で駄目だという

日本からの発表があるので残念であった

あとで France Inter で放送されるとのことで、引き下がってきた

この欠落が何を意味しているのか、今はわからない


今回は、係の方も驚く盛況

日本の哲学がこちらで注目を集めているという証左なのか

 日本の状況はわからないが、相互に影響し合う関係になるとすれば悦ばしいことだろう


 ホテルのテレビで、水晶の夜事件(Kristallnacht)が1938年の今夜 起こったことを知る

そして、第一次大戦の休戦記念日(11月11日)が近づいていることも




vendredi 8 novembre 2013

対象の客体化の強度

(HHMI, Yale University Medical School, USA)


本が届いたとのことで、午後から街に出る

リブレリー巡りをしているうちに、またいくつか手に入れることになった

最近はすぐに必要だというよりは、いつかのためというニュアンスが強くなっている


夕方からはパスツール研でセミナーを聴く

2年前のノーベル賞にも関係する仕事をされている免疫学者ルスラン・メジトフ(Ruslan Medzhitov)さん

宿主の防御メカニズムについて発表していた

お生まれは、ウズベキスタンの首都タシュケント

モスクワで教育を受け、生化学の学位を取った後、カリフォルニアに渡り研究を継続

ポスドクとしてチャーリー・ジェーンウェイ(Charles Janeway, 1943-2003)博士の研究室で免疫学を始める

これが運命の出会いとなった


キャリアの最初から免疫学を専攻していたのではなく、外から広く読み、考える時間を経て入ってきた方である

このような場合、その領域を客体化して見ることができるようになる頻度が高いような気がしている

そのため、概念的な把握に優れていたり、その領域の大問題を見つけることに長けている人が出ることがある

 今日のお話もそのような特徴が表れたものだった

敢えて言えば、哲学的な研究者ということになるだろう


対象の客体化という問題、丸山健二氏の話とも繋がってくる

日本人の文章は情に流されることが多く、抑制を欠いていると言っているところがあった

それは対象の客体化の程度が低いことが原因で、元を質せば個人の自律の反映であると分析していた

つまり、自律した個人でなければ抑制のきいた文章が書けないことになる

対象をどれだけ離れたところから観ることができるのか、という問題に帰着するのだろう





mercredi 6 novembre 2013

丸山健二 第二弾




先日、面白い人間だと思って観ていた

調べてみると、丁度8年前に最初のブログで取り上げていたことが判明

丸山健二 KENJI MARUYAMA, ECRIVAIN PROVOCATEUR (2005-11-10)

ここで、もう少し味わうことにした





lundi 4 novembre 2013

嬉しいアレクサンドル・イェルサン記念切手



今日、切手を買うためにポストに寄った

綺麗な切手もありますがどうしますか、と聞かれたので、お願いしますと答える

出す前に、係の方はそれほど綺麗ではないのですが、と言って手渡してくれたものを見て、驚き、声を上げた

ペスト菌を発見したアレクサンドル・イェルサン(Alexandre Yersin, 1863-1943)博士の顔がそこにあったからだ

おそらく、ほとんどのフランス人は知らないだろう

もちろん、係の方も知らなかった

実は、スイス出身のこのフランス人微生物学者のことを最近のエッセイで取り上げたところだった

「パリから見えるこの世界」 第18回
 医学のあゆみ (2013.7.13) 246 (2): 201-205, 2013 
「ペスト菌発見者アレクサンドル・イェルサンという人生と北里柴三郎」

 どのような人生を歩んだ人間だったのか、お読みいただければ幸いである


調べてみると、この切手は今年の9月23日に出たもの

 同時に、晩年のイェルサン博士が描かれた0,63€の切手も発行されているようだ

上の写真は若い時に研究をしていたパスツール研究所の様子が背景にある

一方、こちらの背景は、後半生を過ごしたベトナムが景色になっている

二つの切手が彼の二つの人生を描いている


孔子はこの人生には二つの生があると言ったという

 そして、二つ目の生はこの人生は一つだけであることを悟った時に始まると付け加えた

イェルサン博士はまさに二つ目の生を遠く離れたベトナムで過ごすことになった

博士は一体何を悟ったのだろうか
 
そんな興味を改めて掻き立てる嬉しい新切手であった




dimanche 3 novembre 2013

モンマルトル、マドレーヌ、バスティーユ、そしてサン・ジェルマンとパリを歩き回る


今日は用事があり、パリ市内を巡ることにした

最初はモンマルトルへ

展覧会があるとの知らせが入り出掛けたが、会場は閉まっていた

それからマドレーヌへ

周辺の状況を調べるためである

大体様子が分かった

ここで、予定が狂う

下の案内が目に入ったからだ



 Pinacothèque de Parisで開催中のブリューゲル家の画家たちの絵を観ることにする

 作品数はそれほどではないと予想していたが、それ以上であった

17世紀あたりの景色とその中の人々の生活にはいつも懐かしさを感じる

 一時間ほどであったが、二度三度と対面を繰り返す濃い時間となった

そこのブティックで、つい最近経験したことと繋がるものが目に入る

いずれ時間をかけて読みたいと思い、数冊手に入れた

 まさに、インプロヴィゼーションの寄り道から生まれたお宝になる


それからバスティーユへ

以前に行った場所を目指したが、いつものように方向が違う

しかし、歩いている内に辿り着く

用事を済ませて入ったカフェが、Café des Phares

暫くして、カフェ・フィロ発祥のカフェであることに気付く

賑やかなところであった


小一時間読んでから、サン・ジェルマン・デ・プレへ

そこで写真を撮ったつもりが、どこを触ったのかビデオになっていた

折角なので、切り取っただけの編集をして、初めての自作ビデオをアップすることに

映像よりは音がよかったからだが、この耳で聴いたものには及ばない