samedi 31 octobre 2015

秋の週末、ニーチェの核に触れる



秋晴れの週末

午後から外に出た

今日は落葉と紅葉が美しく感じられた

写真にすると凡庸な景色に見えるが、主観的には至福を感じるものであった

その中に身を置くことで、景色が変わってくるのだろう

その感覚を思い出せるように掲げてみた


途中ル・ポワンを買い、カフェでニーチェ特集を読む

ニーチェの現代的意味がテーマになっている

最近、意識しているわけではないが、こちらでの生活の総括が浮かんでくる

その中で纏まりつつあるいくつかの塊がある

この特集で指摘されているニーチェの思想の核となるところと重なるものが多いのに驚く

わたしが関わったところでは殆ど意識していなかった哲学者なので、実に興味深い


読みながら、フランス語の習得を怠って来たつけがここに来て顕著になっていることにも驚く

よく理解できないのだ

語彙の不足がその原因になっていることは分かった

思い返せば、語学の勉強はしないことに決めてこちらの生活を始めた

アメリカの経験から、言葉の習得に集中すると考えることが疎かになることに気付いたからである

目を覆うべきフランス語しか身に付いていないが、最初の判断に間違いはなかったと思っている

今度はフランス語を学ぶ時が来ているのかもしれない




jeudi 29 octobre 2015

BBC "The Trouble with Tolstoy" を観る



昨日の関連記事を読んでいるうちに、もう少しトルストイの世界に浸っていたくなる

素晴らしいドキュメンタリーが見つかったので、観ることにした








mercredi 28 octobre 2015

トルストイの 『人生論』 を読む

 

先日、アンジェに向かう直前にトルストイの『人生論』を持って出た

アパルトマンの出口には書棚が付いている

そこに置いているのは、殆ど日本語の本である

外に出る前に、目に付いた本を手に取って立ちながら読むことがある

それが意外に深い印象を残すことに気が付いた

短時間だと分かっているからなのか、立って読むからなのか

いずれにせよ、その時の気分に合うものの場合、そのまま持ち出すのが習い性となった

問題の『人生論』は、数年前に帰国した折、古本屋で手に入れたものである

若い時に読んでいたのかもしれないが、記憶に残っていない

いつものように、いつの日か読むことになるだろうと思ったのだろう


これは多くの人が指摘しているが、所謂人生論とは一味も二味も違う

生命論や科学論(より正確には、科学批判か)から始まっているからである

それが今の自分にはよく入ってくる理由だったのかもしれない

以前にトルストイと科学者メチニコフの対比を取り上げたことがある


メチニコフはトルストイに深い尊敬の念を抱いていた

そして、科学こそ、病める人類を救い出す唯一のものであると考えていた

一方のトルストイは、科学ですべてが解決できると考えているメチニコフを浅はかな人間と見ていた

この視点の違いは、こちらに渡る前に自分が抱いていた疑問とも深く関わるものであった

 『人生論』では、なぜトルストイがそう考えたのかが力強く展開されている

やや執拗に過ぎるとも思えるが、彼の考えは手に取るように分かる


人生(生命)とは、人が生まれてから死ぬまでの間だとわれわれは考えている

しかし、トルストイはこの考えに真っ向から反対する

人間として歩み始めるのは、理性的な意識が生まれた時である

そう言うのである

まさに、人間として生まれるのではなく、人間に成るのである

意識の問題もこれまでに触れてきた

外界に反応するだけの状態は、一次意識に留まっている

その状態を振り返ることができるようになると、二次意識が現れたことになる

そのことを意識し、そこに理性を持ち込むことが重要になる

彼が言う「理性の法則に従属させる」とは、二次意識、理性を伴った内省の強化のことではないか

それが達成した時、時間と空間は消えるという

そこでは自分一人の幸福を求めることにはならない

そう考えるのは理性的ではなく、人生の目的でもないからだ

そう考えることができるようになった時、初めて人間に成る

そこから真の人生(生命)が始まると言いたいようである


途中までしか読めなかったが、トルストイの言いたいところは掴めたという感触を持った




トルストイ幻想 (2010-10-29)













mardi 27 octobre 2015

スートゥナンスが見えてきた



今週から冬時間が始まった

夏の明るい時間も好きだが、冬時間も捨て難い味がある


ところで、スートゥナンスの予定が決まりつつあるようだ

連絡によると12月初旬で、審査員の都合に合わせて最終決定されるとのこと

審査員は5名が予定され、内お一人はイギリスの方になる

一体どんなことになるのか、予想もできない


これまでは現実感なく、実際に見たのは2回ほど




振り返ってみれば、2年続けていずれも年の瀬に参加している

そして、今度は自分がその当事者になる

やはり、年の瀬に

何とも不思議な巡り合わせである




mercredi 21 octobre 2015

小さな旅の終わりに

La Fontaine du dialogue (Busato


月曜にナントに行ったのは正解であった

昨日、今日と曇天

ゆっくりとアンジェの町を味わった

その時に見つけたリブレリーでいくつか仕入れ、カフェで読むといういつものリズム

体力の衰えを感じつつもパリとは違う時間を楽しんだ





昨夜はアンジェ在住の友人とディネ

テーブル席にある暖炉を料理用に改造したようなところで肉を用意してくれた

その時に竹の筒を使って火を強くしていたので、日本式に見えると言ってみた

すると、アフリカ式だと思っていたとの答えが返って来た





パリを離れて、パリ生活がよりはっきりと見えてくる

まず、今年に入ってからの生活を反映してか、体が鋳型に入ったようになっていること 

これは何とか解きほぐしたいものである

それから、いろいろと悩み迷いながらもかなり集中して「もの・こと」に当たっていたということだろうか

何もしていないように見える時でもそのことを考えているという感じである

こちらでは、リラックスしていてもそれが気にならない

パリでは、内からの力がそれを許さないようにしていたのではないだろうか


旅に出て、ちょっとした瞬間に感じることがある

見知らぬ町のカフェに落ち着き、何やら物思いに耽っている

それを昔の自分の目から眺めると、何とも不思議な図に映るのである

こんなところで何しているの、と問い掛けたくなる

そんな感じだろうか

しかし、主観的には何ら違和感はない

どこにいても我が家

どこかから離れているという感覚がなく、いつもこの世界の中にいるという安定感がそこにある

ディオゲネスが人類として初めて使ったというコスモポリタンという言葉を思い出す

この言葉を原義に近く、あるいはさらに広く考えると、Cosmos(宇宙)との一体感を示すものだろう

この感覚は哲学にとっても生きる上でも重要だと思うようになっている


明日パリに戻る









lundi 19 octobre 2015

ナントに足を延ばす



今日は朝から晴れ上がってくれた

アンジェからは30分程度だったので、お昼からナントに向かうことにした

ナントと言えば、最初のブログでいくつかの出会いがあった


この中で、「ナントに雨が降る」(Nantes)を取り上げている

バルバラを発見した時期である




それから、「熱狂の日」音楽祭はナントからの輸入である

「熱狂の日」音楽祭での出会い RENCONTRES A LA FOLLE JOURNEE (2006-05-04)

こちらでは2月頃に開かれるはずで、今回は時季外れ


今日は街中を2-3時間散策

植物園(Jardin des plantes de Nantes)では、秋の昼下がりを満喫

色々な工夫がされていた 

園内にはナント生まれのジュール・ヴェルヌ(Jules Verne, 1828-1905)さんの胸像があった


それから向かった美術館は残念ながら改装中、新しい形を得ることはできなかった

昨日までに今回の目的は達成したということなのだろうか
 






植物園入口 (Grande entrée monumentale)













植物園で貰った案内書を見ると、レ・マシーン・ド・リルLes Machines de l'île)が出ている

以前にテレビで取り上げられていたのを思い出した

その中に機械仕掛けの象などが出ていたが、ひょっとして見られると思い、出かけた

しかし、殺風景なところで何もない

風も強くなってきたので帰ろうとしたその時、象が現れてくれた

どうということはないのだが、まるで図ったようなタイミングでいろいろなものが現れてくれる

不思議である


ブルターニュ公爵城 (Château des ducs de Bretagne)





9年の時を経て、ナントを訪問することができた

このような自然な巡り合いは何とも言えない

ナントの人口はアンジェの倍くらいで、中都市という雰囲気があった

残念ながら、ナントのロワール川は茶色に濁っていた
  
 アンジェの静かで落ち着いた雰囲気の方が今の好みには合っていそうである







dimanche 18 octobre 2015

夕暮れのアンジェ散策



今日の午後、明るい光が見えてきたので夕方散策に出た

メーヌ川に架かるヴェルダン橋を渡り、西岸から東岸を望む

サン・モーリス大聖堂(Cathédrale Saint-Mauriceが見える



ヴェルダン橋 (Pont de Verdun





 サン・モーリス大聖堂へ向かう







古い家の装飾


ホテル近くのカルフールで


 兎に角、長閑な秋の夕暮れであった

ホテルに戻り、窓を開けると燃えているかのような落日に驚く

木が邪魔になってその全貌が見えない

葉の間から漏れる光を収めることはできたが、目で見たものとは違い過ぎる










アンジェ美術館、アンジェ城訪問



こちらに来てからの天候ははっきりしない

昨日はアンジェ美術館とアンジェ城を訪れた

今回の訪問では、再開したエッセイにぴったりの画像が得られないかということも考えていた

そのためか、いつもより真剣にじっくり観ていたように思う

土曜だというのに、アンジェ美術館を殆ど独り占め

至福の時を味わった


 ライオン像 (2世紀)
 

 Femme au cabaret (1896)
(Louis Valtat, 1869–1952)


美術館に隣接して、 ダビッド・ダンジェ(David d'Angers, 1788-1856)の作品展示館があった

前日歩いた時にも目にした建物がそれだった

こちらはドイツからの観光客が大勢いて、久し振りにドイツ語の中で時間を過ごす

パリで見たことのある像がいくつも現れて、あれはこの方の作品だったのかと、嬉しくなる


ダビッド・ダンジェ・ギャラリー


 美術館とギャラリーの両方で、エッセイに使えそうなものが現れてくれた

実は、昨日の散策でも驚きの景色に出遭うことができた

余りにも都合よくいろいろなものが現れるので、不思議に思っている人もいるようだ

しかし、一番不思議に思っているのは、このわたしではないだろうか

この二か所でバッテリーを使い果たし、次の写真を撮ることはできなかった




アンジェ城では、14世紀の壁掛け「アポカリプス」(La tenture de l'Apocalypse)を観る

一糸乱れぬ解説が1時間半

冷静にしてエネルギッシュという感じだ
 
美術館での3時間が効いたのか、途中から腰を掛ける状態

長い間の運動不足のためなのか、自然な流れに過ぎないのか

いずれにせよ、これからの問題にしたいところだ


終わった後、いろいろな方が質問していた

解説者は宗教的な解釈はできるだけ避け、中立を心掛けていた

聞いている人の中にはそれが不満で解説者に詰め寄る人も

わたしも聞いているうちに疑問が湧き、いくつか質問させていただいた

 もう少し知りたくなったので解説書を手に入れ、外に出た










vendredi 16 octobre 2015

アンジェ到着、そしてアンゼルム・キーファーさんの言葉




本日午後、メーヌ河畔の町アンジェに到着した

綺麗な駅である

モンパルナス駅から南西に1時間半

景色に目を取られることもなく、自然な移動であった

この町でどんな形が現れるのか、楽しみにしている



車内で読んでいたル・ポワンで、新しい芸術家の言葉に触れる

 その芸術家とは、ドイツ人のアンゼルム・キーファー(Anselm Kiefer, 1945- )さん

彼はこんなことを言っている

「わたしは敬意を表してすべてのものを保存します。魚を食べた時はその骨をとっておきます。

ボードレールは花やもの言わぬものの言葉について語りました。

これらのものはいつの日かわたしに語り掛ける可能性があるのです」


この言葉になぜ反応したのか

それは、わたしも自分の書いたものはどんな些細なメモでも保存するようになったからである

その心は、いつの日か新しい意味を持ってくることがあると感じたから

つまり、過去は現在によって常に新しくなるということに気付いたからと言えるだろう





jeudi 15 octobre 2015

久しぶりにゆったりした気分のリブレリー



今日は用事があり、街に出て少し歩き回った

このところ寒さが増し、わたしのようなコートなしは少なくなっている

久しぶりにゆったりした気分でリブレリーに入る

棚をじっくり眺めていると、このところ抑制されていた本にも手が伸びた

 まだすべては終わっていないのだが、束の間の休息というところだろうか


本日は、街のカフェからのアップとなった






dimanche 11 octobre 2015

パリから見えるこの世界 (33) 目的論は本当に科学の厄介者なのか、あるいは目的は最後に現れる



雑誌 「医学のあゆみ」 に連載中の 『パリから見えるこの世界』 第33回エッセイを紹介いたします

医学のあゆみ (2014.10.11) 251(2): 199-202, 2014

ご一読いただければ幸いです







vendredi 9 octobre 2015

9年後に種と枝葉が見える



7年前のブログからさらにその2年前まで辿り着いた

 当時、いろいろな方々とかなり深いやり取りがされていたことに改めて驚く

その記事とコメントを読み直して感じたことがある

それは、当時考えていたことがこちらでの生活の核になっていたということである

身近の意識からは消えていたのだが、大枠はその時に出来上がっていたように見える


種から芽が出てやがて枝葉になる

その種がこちらに来る前の数年で出来、こちらでそれが枝葉となっているという印象である

枝葉から種を想像することは難しいが、目を凝らせばそれが見えてくる

そうとも言えるだろう

 何事も形が見えてくるには10年はかかるということだろうか

 



jeudi 8 octobre 2015

映画 "Everest" を観る



テーズを提出してから1週間が経った

もう大昔のように感じられる


今日は帰りに全く違う景色に触れたくなり、この映画を観た

Everest (2015)

邦題は、『エベレスト 3D』 で、日本では来月から公開のようだ (公式サイト) 





気分転換のつもりだったが、体に悪い映画だった

まず、高所恐怖症の身にとっては、背筋が寒くなるシーンの連続

さらに、どうしても抜けられない状況に捉えられている彼らの姿を見ているうちに悪い記憶が蘇った

先週経験した論文提出締切り前の数時間の自分の姿と完全に重なったのである

ただ、最後の数分間?穏やかなエベレストの景色を味わうことができたのは、救いであった


わたしが観た回は、3Dでやっていた

以前に感じたのは、局所が異常に拡大されて見えるので深みが失われること

漫画を見ているように感じることもあるのだ

今回は遠くからのショットの場合、人間や動物などがミニチュアのように可愛らしく見えた


この映画で、難波康子(1949-1996)という日本人登山家の存在を知った

彼女はこの登山で登頂に成功した後、下山中に亡くなっている



話変わって、メトロでのこと

小銭などの物乞いはよくあるが、今日の女性は少々変わっていた

真面目な顔で、「カードとコードがありましたらよろしく」 と付け加えているように聞こえたのだ

 初めて聞く大胆なお願いで、思わず心の中でニンマリ

勿論、聞き間違いでなければの話だが、



 秋も深まりつつあるパリである



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samedi 10 octobre 2015


世の中、狭いものである

わたしの友人で山登りを趣味とされているMさんからメールが届いた

何と難波康子さんの中高の同級生だというのである

その縁で葬儀にも参加されたとのこと

難波さんはメディアへの露出を控え、自分で費用を捻出するタイプの登山家だった

そのためだと思われるが、ウィキにもある通り、広く知られる登山家ではなかったようだ

メールでは彼女の人柄についても触れられていた






mardi 6 octobre 2015

ミシュランさんの授賞式に出席、久し振りのカルペ・ディエム



今夜は、フランク・ミシュランさんの渋沢・クローデル賞の授賞式に出席した

昨年12月のスートゥナンスのも参加させていただいた


今回の受賞は、絶妙のタイミングだったようだ

一つは年齢制限ぎりぎりの受賞だったこと

それから、受賞の報告が舞い込んだのが、スートゥナンス後の虚脱状態の時期だったことなど

いずれにしてもこれからに向けて弾みがついたのではないだろうか


会場には、現日仏会館理事長の松浦晃一郎氏や元駐米大使の柳井俊二氏などの顔も見えた

上の写真のように、賞状は松浦氏から授与されていた

会場では何人かの方とお話をさせていただいた




お一人目は、アラン・タイランディエ(Alain Taillandier)さん

昔日本に滞在したことがあり、パリの日本大使館には20年にもなるという

 わたしの学業や仕事の発表のことなどについていろいろと質問があった

先週書くのを終えたばかりだと言うと、それはお疲れさま!と労われた

他のことも待っているので、先のことは何とも言えない状況であることは理解していただいた


 それから中央大学の小野潮さんとも言葉を交わすことができた

今年からパリ国際大学都市日本館長をされているとのこと

今回の賞の審査員も務められ、3キロに及ぶ論文をすべて読まれたようである





もうお一方は、翻訳家のパトリック・オノレ(Patrick Honnoré)さん

いろいろな作家を訳してきたようであるが、今やっている川上未映子さんのことを多く話していた

最新のものは、『すべて真夜中の恋人たち』(講談社、2011)

De toutes les nuits, les amants (Actes Sud, 2014)

彼によると、川上さんは光や科学、そして哲学にも興味を持っていて、作品にも表れているという

これからも訳していくのではないだろうか

漫画も訳しているとのことで、帰ってから手持ちのものを調べてみた

すると、谷口ジローの次の作品が彼の訳であった

Ciel radieux (Casterman, 2006)

原作は、『晴れゆく空』(集英社、2005)

こういう繋がりが見えてくるとは、嬉しいものである

パトリックさんは、小西国際交流財団の2012年の翻訳文学賞を受賞されている

その財団が来週コロックをやるとのことだが、残念ながら満席になっている

それからもう一つパトリックさんが指摘していたことを思い出した

それは、日本語からフランス語への翻訳で手薄な分野として人文・社会科学があるということ

訳されるべき人が少なくないと見ていた


今日は久しぶりにエピキュリアンに戻り、ホラティウスよろしくいろいろなものを摘み取ることができた



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samedi 10 octobre 2015


この直後、パトリックさんからメールが届いた

自分の写真が気に入ったので、私用で使わせてもらえないかとのお願いだった

勿論、何の問題もないとお伝えした

そのような写真が撮れていることに、少しだけ満たされたものを感じた






samedi 3 octobre 2015

宙から世界を眺め、その後に深海に潜る

 

不規則な生活が祟ったのか、体の芯に疲れを感じる

それにしても何という凪の状態なのだろう

これがその終わりなの、という印象である

このあっけなさに似たものは、以前にも経験している

それは、仕事を辞める時の精神状態である

気が付いたら終わっていたというあっけない感覚である


なぜそうなったのか

真剣さがなかったための必然だったのか

おそらく、そうではないだろう

これは単なる区切りで、それほど大袈裟な終りではないと知っていたからではないのか

 終わりは一番最後に来るのだと知っていたからではないのか


週の初めの数日は、今思い返しても実に不思議な時間だった

まさに異空間での体験だった

そこから抜け出た今、それが嘘のように感じられる

 その世界にいる時、この瞬間に全力で打ち込んでいるので時間が消えている

それは永遠であり、無限である

しかし、完全にはその中に入り切っていない

時間に追われているとどこかで感じている

その時、本当に生きるとはこれくらいの緊迫感で現在に向き合うことなのではないかと感じた

 一日とは持ちそうにないのだが、、


 もう一つは、その時の意識が自分の一番深いところまで落ちて行っているということ

この状態にまで降りてきたことは、こちらに来て初めてではなかったのか

そこまで行かなければ、「こと」には当たれないものなのか

その地点からここ数年を見ると、ふわふわと宙に浮くような生活をしていたのかが明らかになる

いくら「こと」に当たろうとしてもできなかった訳である

ただ、最初からこの状態で生活していたとしたならば、何と詰まらない時間となっていたことだろう

ふわふわとした宙に浮いていたあの生活が、かけがえのないものに見えてくる

おそらく、この二つの状態の行き来(va-et-vient)が重要なのだろう

最初に純粋体験があり、そのことについての思索が後から付いてくる

そして、その思索から生まれたものの方向にさらに純粋体験を求めて飛び立つ

この行き来がうまく行くと、生きることに奥行きが出て来そうである







vendredi 2 octobre 2015

それは始まりのための試練だったのか



今週は、予報通り晴れの日が続いたようだ

半分は日の光を浴びずに暮らしていたので分からないのだが、、

週の初めは大変であった

地獄を見そうになった

すでに気付いていたが、やればやるほど不備が目に入る

今週に入り、それまで一体何をやっていたのかという声が何度も聞こえた

形にさえなっていないのに、なぜ何もやっていなかったのか

締め切り直前になってもこの状態とは、と本当に愕然とした

 締め切り2時間前、これではどうしようもないので止めにしようという声が聞こえる

しかし、やれるところまではやっておこうと気を取り戻す

その繰り返しが続いた

追い詰められた時に起こるこれ程までの揺れ動きは、殆ど経験したことがない

それから先は、如何に最終的な形を作るのか、それだけに集中

この間、つま先立ちで綱を渡るような感覚で、考えている空間がその綱の幅くらいという酷い状況

その状況に完全に捉えられてしまっていたのである

最低条件である形ができたのが締切り1分前

 それは奇跡としか言いようがないものだった

 しかし、その内容は当初の予定の半分くらい

忸怩たるものがある


 今でもよくわからないことがある

それは、なぜこれまでやる気にならなかったのか、ということである

 今週に入ってからもその症状は続いていた

一つ思い当るのは、マスターの時にも経験していることである

それは、自分を度外視して最初に壮大な計画を立ててしまうこと

そうすると、やることの多さに立ち往生し、立ち向かう気が削がれてしまうのである

たっぷりとした時間的な余裕がないと考えることができない

そして、いつもその全体をぼんやり眺めるだけで終わるのである

計画を立てて少しずつ積み上げるという作業には向いていないためだろう


しかし、ベルクソンはこんなことを言っているという

「完璧な全体が最初になければなりません

それとの関係において部分に当たるのです」

わたしの場合には、完璧かどうかは分からないが最初に全体はあった

そして、その全体をぼんやりと眺めるところで終わったような印象がある

その巨大さのため、部分に入る労働の意欲が圧し潰されてしまったということのようである


今週初め、これが終わった時、どんな心境になるのかを想像していた

しかし、終わって驚いたことには解放感の欠片もなかった

体には疲労感があるものの、精神的にはそれまでと何も変わらないのである

それは達成感のなさの裏返しなのかもしれない 

さらに驚いたことに、これからが始まりではないのか、という感覚がそこにある


それと、今朝のパリの空がその飛行機雲とともに輝いて見えたことは確かである



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ご参考までに、今回の手順は次のようになっているようだ

まず、論文の提出を受けた指導教授が自らの判断を下す

それがポジティブであれば、審査会を開くに値するか否かの判断を審査員2名に依頼する

その審査員は、ひと月以内に報告書を出す

それがポジティブであれば、スートゥナンスのために残り数名の審査員にも論文が送られる

そして、その5週間後に口頭試問のスートゥナンスが行われるという

 今の段階は、指導教授の評価が行われているところ

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