mercredi 31 décembre 2014

大晦日はブリュッセル


昨日、日曜美術館を観ていたところ、わたしにとっては懐かしい方が出ていた

もう8年前になるが、同じ番組で出会った方である


彼の作業を観て、抽象絵画の見方が分かったように感じたことを思い出す

それ以来、抽象絵画への垣根はなくなったが、未だに焼きものはぴんと来ない

8年前の印象が強烈だったためか、今の大竹氏は全くの別人に見えた

ところで、今回のように最初のブログを読み直すと、その後の歩みの根を見ることが多くなっている



今日の午後、ブリュッセルに到着

このところ、年末はパリを離れることが稀ではないが、今年は近場になった

駅からホテルを目指したがなかなか見つからず、数人に尋ねてやっと辿り着いた

客扱いは荒いが、設備は想像していたより良い


いよいよ2014年も残るところ僅か

2015年はどのような年になるのだろうか

今年の正月を再現してみれば、全く想像できないとしか言いようがない

それは新しい発見が待っていることでもあり、それが何なのかを求めて歩むことになるだろう

その状態は、「いつも旅の途中」 という感覚の中にいることでもある






mardi 30 décembre 2014

科学と哲学で精神が入れ替わっていた?


前記事で、二つの世界の間を移動していたことに気付いたと書いた

その世界とは、プラトンとアリストテレスが体現したもの

前者が理想の世界に向かうのに対して、後者はそれだけではなく現実に向き合おうする

ラファエロの描いた『アテナイの学堂』の中央に、このお二人が描かれている

プラトンは人差し指を天に向け、アリストテレスは掌を地上に向けている

ラファエロがお二人の思考・志向をそう解釈したのだろう

いずれにせよ、科学の世界にいる時には、プラトン的な世界が頭の中に広がっていた

しかし、こちらに来てアリストテレス的な視線が前面に出てきたという観察であった


今日、改めてこの対比を考えていると、次のような何とも皮肉な姿が見えてきた

科学者だった時には哲学的な頭を持ち、哲学に入って科学者の視線を取り戻したのではないか

勿論、プラトンとアリストテレスをこのように単純に分けることには問題があるだろう

ただ、アリストテレスは地上の具体的な「もの・こと」に思索が向かっている

彼を科学者の原点にあると見做す人がいることも事実である

そうだとすれば、科学と哲学においてわたしの精神が襷掛けのような状態になっていたことになる

大雑把だが、そう見えてくる

ただ、わたし自身はその状態を妙に納得している


序でだが、ラファエロの絵の右下にいるのは第1回PAWLで取り上げたディオゲネスである

つい最近、彼の現代における住処を発見したところでもあった

妙な繋がりが見えてきた年の瀬である





dimanche 28 décembre 2014

プラトン的世界からアリストテレス的世界へ?


昨日の外出前、出口横にある本棚にあった九鬼周造の 『「いき」の構造』 に手が伸びる

僅かな間なのだが、いつも貴重なヒントが出てくる場所と時間になっている

この本はこちらに来て初めて読んだが、今回読み始めてすぐ、先日浮かんだ考えが蘇ってきた

しかし、読み進むうちにその考えが何だったのかが消えて行った

これはよくあることなので、すぐに控えるか、その時点でその考えを弄ぶことを義務付けている

しかし、今回は高を括っていた

それを思い出すために最初に戻り、前の状態を再現しようとするができない

さらに読み進みながら思い出そうと暫くやっていると、やっと出てきてくれた

それは次のようなことである


これまでの長い間、頭の中はこうあるべきだという思考で埋め尽くされていた

理想を求め、未来を語ることに執着していた

そこでは理想が対象になっているため、いつまで経ってもそこには辿り着かない

そのため、現実の中に入って行くことなく、いつも待っているのである

理想を繰り返しているだけなので、思考も怠惰になる

それがこちらに来てから変わってきているのではないか


それは、日常的に過去のものを読むようになったことと関係があるのかもしれない

理想ではなく、現在あるいはこれまでの在るが儘の姿はどうなのか、どうだったのか

どうあるべきかという視点から、この問いに関心が移ってきたのである

今を否定してどこかに向かうという視点から、今を受け入れるという姿勢への変化とも言える

われわれが遂げ得る変容は、目に見えないほど微小なものであることにやっと気付いたからかもしれない

そうであるならば、この世界の全体をその儘理解しようとすることの方が余程有用になるだろう

この世界を変えようというよりは、この世界のすべてを視野に入れ、そこに分析の手を加えるという方向性

未来や理想を語る前に、過去から現在に至る姿に目を向けよ、という命令

その命令を目の前にすると、怠惰に陥る暇がなくなる

これまでのふわふわした状態から、地に足が付いたような安定感を覚えるようにもなってくる

目指すところだけを見ると、プラトン的な世界からアリストテレス的な世界への変容と言えるだろうか

いずれにせよ、そのことに気付いたのが、先日のことであった





vendredi 26 décembre 2014

生命の本質を見た?


今日は曇っていて寒い

しかし、バルコンに出てぼんやりする

空高いところを行く鳥の群れを追っている時だった

背景の灰色に光り輝く小さな点が無数に現れた

以前に目の玉を押した時に同じ現象が見られた

小さな点は不規則に動き回っている

ブラウン運動と呼ばれるものだろう

その動きは不規則ではあるのだが、心臓の鼓動に同期して場所が変わることに気付いた

そのうち、灰色の煙のようなものが視野に入ってきた

最初は紫煙かと思ったが、違う

ただ、そこに焦点を合わせようとすると消えて行く

そして、目を離すと再び現れる

この繰り返しをしばらく楽しむ

 この主観的世界はわたしの中では確かに存在していたが、他の人には見えない


ところで、バルコンに出る前に読んでいたものの中に、ブラウン運動を説明した文章があった

ブラウンさんは、それを生あるものに特徴的なものだと考えていた

後に、アインシュタインにより、この運動は有機と無機を分けるものではないことが分かる

ただ、生あるものを深く辿っていくと無機になる

今日見たものは、この存在の本質に近いところで起こっている現象だったのだろうか





jeudi 25 décembre 2014

今年を振り返る


今年も残り少なくなってきた

あっという間に過ぎ去った一年を振り返る時期に入っている

今年は前半と後半で大きな変化があったように思う

前半は学会が入り、それに追われるうちに終わった感がある

そして、夏休みは旅に出ることになった

それが終わり秋に入ると、学生生活への拘りが消えてることに気付いた

本当に静かな、あっという間の変化であった

そんな時に学生生活が今年度で終わりになることを知った

想定外のことだったが、何というタイミングだろうかと驚いたのである

 それからひと月以上経つが、切迫感が全く感じられない
 
 その気持ちにこれから変化が見られるのだろうか

今は全く予想できない





lundi 22 décembre 2014

マルセル・コンシュさんが語る哲学と真理

Marcel Conche (1922-) 
© Dailymotion


マルセル・コンシュさんのビデオを観る

もう92歳になっているが、これは何年前のものだろうか

91歳の時にビデオが作られているので、そのボーナス映像ならば同じ時になる

 Marcel Conche : La nature d'un philosophe (Christian Girier)


コンシュさんについては最初のブログから取り上げている

おそらく、フランス語を始めるようになり、最初に知ったフランス人哲学者になるだろう

最近では、今年の2月にこの場に書いている

マルセル・コンシュさん、人生とエピクロスの哲学を語る (2014-2-15)




このビデオでは、かなり重要なことが語られている

特に心を打ったのは、探究の末に絶対的な真理に到達したという言葉

 そして、そこに至るには自由が決め手になるということであった

彼の語りの簡単なまとめを以下に

-------------------------------

まず、天職について

早い時期から人生を哲学に捧げることを決めており、それ以外のすべてを犠牲にしてきた

その中には愛情も入っている

結婚して妻を愛してはいたが、愛情に溢れていたわけではなかった

愛情に溢れることによる幸福を求めたが、それを一度も味わうことはなかった

しかし、そのことに後悔は全くない

その理由は、自分が味わうことができなかったことの中身を知らないからである

そして、それは自分が選択した道ではなかったからでもある

愛情生活は素晴らしいが、いろいろなことを一緒にしなければならないので時間を奪われる

そのことには24歳の時から注意していた

愛する人と共にいることと愛情生活は別である

愛情生活と思考による喜びも別物である


わたしは幸福を求めはしない

わたしに必要なものは、幸福ではなく真理に近づくこと、すなわち哲学である

 幸福とは、真理に近づくべく探究するそのことの中に表れているとも言える

 わたしの見方をニーチェが書いている

 « La vraie vie ne veut pas le bonheur. Elle se détourne du bonheur. » 

「真の生活は幸福を欲しない。真の生活は幸福から離れて行くのである」


わたしには嫉妬も羨望の感情も全くない

そこには何の利点もないだろう


この年になり真理を発見したと思うかと訊かれれば、答えは非常に簡単で、「ウィ」である

わたしがやっている形而上学で重要になるのは、証明ではなく、力強い議論である

それを決めるのは、論者の自由である

ここで言う真理は、わたしの真理と言うよりは絶対的真理である


神は文化的な存在で、個人の判断を超えた客観的な存在ではない

自然の根源的な意味について、科学はある段階までは参考になる

しかし、科学が形而上学を代替することはできない

形而上学が全体を扱うのに対して、科学はそうではないからである

ビッグバンから始まる世界がすべてだという人がいるが、それは「もの・こと」の全体ではない

エピクロスが言った無限の世界がそこにある

有限のわれわれが無限を理解することができるのか

無限とは神が与える想像の世界にだけあるのではなく、われわれが生きている自然の中にある

その意味で、スピノザは正しかった

われわれは無限の中に在ることを知り、そのことを祝福して生きることが大切である






samedi 20 décembre 2014

映画 『歸來』 (Coming Home) を観る


図書館の帰り、ちょうど始まる映画が目に留まった

 『歸來』 (Coming Home)

今年の中国映画である

入る前に何となく想像していたのとは全く違うストーリーが展開

観終わった後、それまで感じていた切なさが消え、どこか清々しさが残る映画だった

予想した以上に観客は入っていた


一人娘を持つ夫婦の物語

文化大革命の時に夫は強制収容所に送られるが、脱走

家に帰ろうとするも逮捕される

革命後、晴れて家に戻るが妻の記憶がおかしくなっていて、夫であることが分からない

 理解し合えない

医者に相談したところ、昔のことを思い出させるのがよいと言われるが、効果は現れない

その時の会話に "déjà vu" が出てきて、観客に受けていた


妻と夫との会話を聞いていると、夫は第三者として妻の心の奥を覗ける状況に見える

普段ならば知りえないような奥底の声が現れる状況ではないか

そんな気にもなった

後半は、どこからともなく鼻をぐすぐすする音が何度も聞こえた

最後を想像しながら観ていたが、良い意味で裏切られた

中国の日常を見ていると、遠い昔を思い出させる懐かしさを感じる

 そして、音楽も心に沁みた





dimanche 21 décembre 2014

一夜明け、この映画はチャン・イーモウ監督の作品であることが分かった

そして、日本では 『妻への家路』 として、来年3月から公開されるとのこと






vendredi 19 décembre 2014

現代の 「ディオゲネスの樽」 発見

© Photo: Vitra


暇ではないはずだが、暇を持て余していると大発見に結びつく

現代の 「ディオゲネスの樽」 を発見

ジェノヴァ生まれの建築家レンゾ・ピアノ(Renzo Piano, 1937-)氏のアイディアだという

ピアノ氏は、ポンピドゥー・センターや関西国際空港旅客ターミナルを設計し、京都賞などを受賞

残念ながら今年ベルンで見逃したパウル・クレー・センターもその手になるという

世界的な建築家である

その彼が、昨年発表のミニマリスト建築にディオゲネスの名を付けてくれたのだ

そのことに感じるものがあった

今年の春、第1回カフェフィロPAWLが 「ディオゲネスという生き方」 を取り上げたところだったからでもある


© Photo: Vitra


写真で見る限り、現代の樽は住み心地も悪くなさそうだ

机とソファは折り畳み可能で、ソファはさらに広げるとベッドにもなる

奥にはキッチン、トイレ、シャワーもある

電源は太陽パネル、雨水を貯めて自給できるようになっているという

こうして見ると、仕事場としても使えそうである

詳しくは、こちら











jeudi 18 décembre 2014

永遠を生きるとは、「その中」 に入ること


夜も更け、本を読む

その中に入ると時間が消える

その中とは、著者の脳の中であり、わたしの脳の中でもある

二つの精神世界が一体になり、そして外に広がる世界を見直すのである

そこで起こる精神の飛翔を経験している時、至福が訪れる

時の流れがないその空間は、永遠というのだろうか

永遠の中にいると感じる時、至福が訪れるということなのか


日本にいる時、アメリカ時代のノートを読みながら昔の自分と対面したことがあった

その間、周囲の音が完全に消え、時間が完全に止まったことを思い出す

異次元に運ばれているという感じであった

それは、不思議な、誇張すれば豊穣の時間であった

その後も同様の経験をしている

これは自分の記憶の中にいることでもある

時の流れが止まる経験が多くなればなるほど、何かが変わってくるような気がしている

それが何なのかはわからない

ただ、永遠を生きるとは、実はこのことだったのではないか

今、発見したと思うのは、そのことである





lundi 15 décembre 2014

連載エッセイ第23回 「イスラエルでラマルクと進化を考える」


昨日、パリに戻ってきた

そうすると、この景色が待っていた

シャルトルの後なので、実に興味深い



雑誌 「医学のあゆみ」 に連載中の 「パリから見えるこの世界」 第23回エッセイを紹介いたします

« Un regard de Paris sur ce monde »
 
 
医学のあゆみ (2013.12.14) 247 (11): 1193-1197, 2013
 
 
ご一読、ご批判いただければ幸いです






dimanche 14 décembre 2014

最終日は、霧に霞むシャルトル


今朝、シェードを開けると予想に反して霧に霞む景色が広がっていて、やや興奮する

早速チェックアウトをして、街を写真に収めながら駅に向かった

こういう景色を見せてくれるとは、誰が予想しただろうか

実は、今回の予定は昨日までのはずだった

自分の中ではそうなっていたので、こちらに到着して驚いたのだ

変更は不可能な予約とのことで今日までになったが、こんな驚きが待っていようとは

今日の霧は、これから晴れに向かうのではないかと思わせる希望を感じさせるものである

大聖堂に向かうスペイン語を話す観光客の声も弾んでいた
 
広場では、前回も味わった彫刻が全く異なる佇まいを見せていた


これからパリに戻る
 








samedi 13 décembre 2014

シャルトル7日目


昨夜は激しい雨音と風の音が聞こえた

今朝も雨

ほぼ予報が当たったことになる

午前中、雨の中を街に出て、宿題をやる

一つ終わらせることができた


それからリブレリーに寄ると、昨日書いたローラン・ビネさんの小説 HHhH (2010)が目に入った

Himmlers Hirn heißt Heydrich の頭文字である

「ヒムラーの頭脳はハイドリヒと言う」の意

SSのトップ、ヒムラーの右腕と言われたラインハルト・ハイドリヒの暗殺に関する物語

想像による創造を交えず、資料だけを基にした語りに徹する小説のようである

その意味ではドキュメンタリーとしても読めそうなので、二軒目で読んでみた

すんなり入ってくる

翻訳が 『HHhH: プラハ、1942年』 (東京創元社、2013)として出ている


雨はさっぱり止む気配がないので、三軒目に向かった

そこでは、もう一つの宿題に当たる

ある程度まで進むことができた


外が真っ暗になった時、雨は上がってくれた






vendredi 12 décembre 2014

シャルトル6日目


今朝は雨交じりの強風が吹いていた

昨日と同じカフェで過ごす

少し奥の席に座るもやはり冷える

今日も二時間ほど

ホテルに戻ると、明るい日の光が見えたので予定を変更して再び出る

しかし、途中雨に当たった


夕方まで別のカフェで日本から紹介いただいた方を調べる

ローラン・ビネというフランス人作家と昨年亡くなったイギリスの哲学者ピーター・ギーチさんである

小説とフランス以外の哲学者という盲点にあった方になる

いや、そんな体裁の良いことではなく、盲点だらけで発見に溢れた世界と言った方が正確だろう

この世界について知っていることなど、本当に限られている

それで良いというより、人間をやっている以上は仕方ないことだろう
 
 店員さんは今夜のパーティに合わせて、テーブルの配置を変えていた

帰りも風が強かった





jeudi 11 décembre 2014

シャルトル5日目


本日も曇天だが、時に薄っすらと日の光を感じるので滅入ることはない

今朝は風が強い中、相性が良さそうなカフェを求めて歩く

結局、新しいカフェが見つかり、そこで仕事をする

窓際なので次第に体が冷えてくる

2時間ほどで出た

少しだけ仕事の中に入って来たという感触を得る

その後、ホテルに戻り、また出るということを繰り返す

 パリに戻っても続けられるリズムを見つけることはできるだろうか




mercredi 10 décembre 2014

シャルトル4日目


今朝は曇天で、雨音が聞こえた

暫くして出掛ける頃には雨も小止みになる

ホテルを出て坂を登るところでは、道路脇を水が勢いよく流れている

昨日と同じカフェに入り、奥の方に落ち着く

しかし、次第に寒くなり、昨日とは違う道を通って帰ってきた

途中、市場が開いていた

ホテルに落ち着き暫くすると空が明るくなり、日の光が微かに差し込んできた

これから晴れそうな気配がするのだが、、、


これまでのところ、濃密な時間が流れている



 







mardi 9 décembre 2014

シャルトル3日目


 今朝は予報を裏切り、晴れ渡る

到着した日の鬱々とした気分も晴れ渡る

今朝の大聖堂は朝日を浴びて朝焼け状態

神々しい


今日も 昨日と同じカフェに向かう

集中できるので選んだが、次第に寒くなってきた

それからデジュネのためにカフェを変える


今日は寒い中を歩きたくなる
 
この夏には行くことのなかったところまで足を延ばす

一旦ホテルに戻り、再び別のカフェへ

ここで灰皿(cendrier)を要求するも、路上が灰皿とのこと

なぜか嬉しくなる

今日の景色からいくつか
 












lundi 8 décembre 2014

静かなシャルトルで宿題


 今朝は大聖堂の鐘が6回打ったところで目覚める

シェードを開けると、外はどんよりとした曇り

予報が的中するのかとも思ったが、出掛ける9時過ぎには青空が見え、少しだけホッとする

空いているカフェで昼過ぎまで宿題に取り掛かる

この間に雨が降ったようで、道に水溜りが出来ていた

風が強い街中では日本からの観光客と思われる方を何人も見掛けた

多くの店が閉まっており、静けさが町を包んでいる

まだバカンスには早いとは思うのだが、、、

帰る途中、夏に見た景色を確かめる

ホテルに戻ると、再び曇り、そして雨模様になってきた

 









dimanche 7 décembre 2014

シャルトル到着


今日のお昼過ぎ、シャルトルに着いた

この夏に訪れたところである

観光シーズンでもあり、ホテルも何かをするという雰囲気ではなかった

今回は、静かな環境で何ができるのか、様子を見る意図があった

パリから一時間ほどなので、全く苦にはならない

寒いことは寒いが、この旅を計画した二月前に想像したほどではない


宿泊は、大聖堂横にある修道院か寮のようなところをホテルに改築したところ

学生寮を綺麗にした感じで、前回のホテルに比べると半額に近く、有難い

 第一印象は、何かできそうな雰囲気がある

 先日、業者から今週一週間の天気予報が送られてきた

こんなことは初めてだが、すべてが曇りか雨であった

 どんな一週間になるのか





samedi 6 décembre 2014

フランク・ミシュランさんのスートゥナンスに出席

フランク・ミシュランご夫妻
スートゥナンス後の Pot にて


今朝は9時から始まるスートゥナンスのため、オデオンまで出掛ける

テーズの審査を受ける方は、わたしが日本で留学を考えている時にお世話になったフランク・ミシュランさん

提出書類の準備 (2007-04-08)  

完璧な日本語でフランスの大学の状況を説明していただき、心が落ち着いたことを思い出す

もう8年も前のことになる

当時はフランス政府留学局でお話をしたが、現在は明治大学にお勤めとのこと


今日の会場は Maison de la Recherche

以前にセミナーで来たことがあるので問題ないと思ったが、少し道を間違えウロウロした

しかし、始まる前には到着

ホールに入るとスートゥナンスが重なっているためか、まるでコンサート前のような混雑



9時過ぎにジュリーが入場、壇上に座る

出席は6名だが、8名の名前が出ていた

日本から早稲田大学の坪井善明教授が参加されていた

プレジデントが各委員を紹介した後、ミシュランさんが15分で発表

このスートゥナンスはパワーポイントなしの言葉だけ

以前に参加したものとは様式が違った



ミシュランさんのテーズは、10年がかりの800ページで3キログラムになる大作

ジュリーの前に置かれているものである

後で伺ったところ、執筆に集中したのは3年間とのこと

テーマは、太平洋戦争における日本軍によるインドシナ侵攻に関する歴史的研究

日本の政治的決定過程が解析の大きなテーマとの印象を持った

この問題はわたし自身も興味を持っているので、一般向けに出版していただきたいものである


発表が終わった後、それぞれの委員が15分ほど総評と質問をする

欠席したジュリーの講評はプレジデントが読み上げていた

最後に話したプレジデントは、テーズとはそもそも何なのか?と問うていた

3年や5年でどれだけのものが書けるのか

6年、7年、8年かけなければ良いテーズは出来上がらないのではないか

ミシュランさんが10年かけたように、とは言わないものの

そんなニュアンスのお話であった

途中15分の休みがあり、全体で3時間半のスートゥナンスであった



すべての質疑応答が終わった後、ジュリーが退席

15分後には会場に戻り、優秀な成績でミシュランさんの博士号が認められた

スートゥナンス終了後、ホールでシャンパンとガトーを味わい、2時間ほどお邪魔して席を後にした

これからのご活躍を期待したいものである






jeudi 4 décembre 2014

定期健診にて


昨日は定期健診に出掛ける

体重が一キロほど増えたとのこと

日本での連夜の活動が影響したのだろうか

フランスの食事で元に戻りますよ、と激励してもらう


雑談の中で、まだ学生は終わらないのですか?という問いが出て、ハッとする

何年もの間、その問いは出なかったのだが、流石に少し長過ぎるとでも思ったのだろうか

来年夏で終わる予定です、と答えながら、遂に観念したようである


経験はないが、悪くはないようですよ、との評

ロジスティックスまで教えていただいた





lundi 1 décembre 2014

用事を終え、パリのカフェで日本を想う


今朝は早く目覚める

午前中、街に出る

予定されていた用事の他、不在の間に届いた手紙に応えるものや思い出したものなどを片付けるため

用事を一つ片付ける度に満足感が訪れる

本当にどうということのないことだが、それで満足するのだから楽である

久し振りのパリは、やはり良い

用事がひと段落したところでカフェ2軒

何が違うのだろうか


今日も興味深いことがあった

街で仕入れた哲学雑誌をカフェで読む

現代社会の制約に身を委ねがちになる状況から如何に自由になるか、という特集がある

丁度その時、レイ・チャールズの "Unchain My Heart" が流れてきた

久し振りである

そして、対談記事を読んでいると先日の PAWL で取り上げた哲学者が出てくる

われわれを幸福から遠ざける抑制の効かない欲望

そこにエピクロスというガイドが現れる、という流れである


今回の日本滞在で、大都市が物と機会に溢れていることに改めて驚く

どこに行っても新しい高層ビルが建ち、洒落たお店で溢れている

しかし、なぜか心の深い悦びとは別次元の出来事に見えるのだ

勝手な想像だが、心の表層での動きで留まっているように見えるのである

人間を、そして自らをどこまで突き詰めて観ようとしているのか

それが抜け落ちていると、制約だけが先に肥大化してしまうのではないか

人間が社会に先行することができず、社会が人間を弄ぶ結果になってしまう

根本には、われわれ自身が原因になっているこの問題がありそうである