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vendredi 3 janvier 2014

パスカル・パオリとともにパリに戻る


行きが嘘のような静かな飛行を終え、パリに戻った

すでに素晴らしい景色と親しみやすい人々を懐かしく思い出している


ボニファシオからフィガリ空港までのタクシーの中、運転手が日本人か?と声を掛けてきた

 そうだと答えると、パリに住んでいてボニファシオに家を持っているバイオリニストを教えてくれた

そう言えば、前日もボニファシオに住む日本人パティシエを知っているという人がいた

この町にも日本人が暮らしている

よく考えれば不思議でもない話だが、少し驚いていた


 それから、パスカル・パオリ(Pascal Paoli, 1725-1807)を知っているか、と訊いてきた

その音はどこかで聞いたことがあるが、すぐに出てこない

そう答えると、コルシカの独立運動の指導者パスカル・パオリと民主主義を熱く語り始めた

こちらを見ながらなので、危なくて仕様がない


そして、景色の良いところに来ると、降りてこの景色を味わおうと言う

おまけに、客の記念写真まで撮ってくれる

もう一度来るとしたら、どこがお勧めか訊いてみた

アジャクシオは都会過ぎるので、お勧めはパオリ時代のコルシカの首都ポルテだという

山の中で、コルシカ大学がそこにあるらしい


空港に着くと、付いて来いと言って空港内の店に入る

何をするのかと思ったところ、パオリと独立運動の本をプレゼントしたいというのだ

残念ながらその本はなかったが、熱い人だった


帰ってからパオリについて調べてみた

やはり、すでに聞いた名前であった

もう6年半前になるが、前ブログで取り上げていたのだ

その時の世界が開けたような感じが蘇ってきた

それだけではなく、コルシカ大学の学生にフランス語を習っていたことも思い出した

そこからパスカル・パオリに繋がっていたのである

Les fantômes de Goya ― Pascal Paoli ― Ulrich Mühe (2007-07-27)

全く初めての島ではなかったことになる










mercredi 1 janvier 2014

2014年元旦の想い



2014年が明けた

新年最初の仕事は、エッセイの仕上げであった

対象をできるだけ広い視界の中に置き直して考えてみる

それがうまく行くのが、なぜかこちらのカフェである

あるいは、こちらのカフェでその感覚が芽生えてきたとも言える

元旦から開けている奇特なカフェでの初仕事であった
 

その様子を例えると、こうなるだろう

手におもちゃ箱を持っている

それをひっくり返すと、おもちゃは床に散らばる

その様子をフィルムに収め、それを逆回しにする

そのあたりに散らばっていたものが一瞬にして一つのところに収まる

それが「こと」が纏まる最後の瞬間になる

この瞬間を味わうために毎月を過ごしていると言えば大袈裟だろうか


この譬えは、前ブログでも使ったことがある

その時は、望ましい人生最後の瞬間をイメージしたのではなかったかと思う

この世界を理解するためには、上で言うおもちゃをできるだけ沢山持っていることが大切になる

それを安易に纏めることなく、そのあたりに散らかったままにしておく

そして、最後の最後にそれらのすべてを掻き集める

そんなイメージであった


一晩寝て新しい年になったからと言って、特別の期待はない

今年もこれまで通り僅かばかりの悩みを抱えながら歩むことになるのだろう

一仕事終わった後、お気に入りの場所になった入り江を散策

平穏な元旦の昼下がりである








mardi 31 décembre 2013

年の終わりに


遂に今年も最後の一日になった

振り返ってみると、トゥールで今年を始めたが、その後も結構移動していたことがわかる

日本には二度帰り、フランス国内ではボルドー、モンペリエ、ロスコフ、リール、コルシカ、さらにニューヨークが加わった

これは仮定にしか過ぎないが、日本にいたとしたならば、これ程動いていないのではないか

いずれにせよ、これらの旅が多くのものを齎してくれたことは間違いない


今年の初め、学生としての仕事をそろそろ始めてはどうか、という考えが浮かんだ

しかし、結局その中に入ることはできなかった

まだ時期尚早と思ったのか

昔の人のやり方だという自分の総決算を纏めるという考えがどこかにあるのか

「今の時点での」総決算として纏める、と考え直すと様子が変わってくるのかもしれない

新しい年がどのような心境の中で動くのか

それは明けてみないとわからない



昨日の朝、海に出る前に出会ったボニファシオの風景を二つほど



実は前日も同じ場所で撮ったのだが、風が強く波の音は掻き消されていた

改めて、城塞下の展望台から地中海の波の音を



教会の鐘が鳴り出したので行ってみると、人の列が目に付いた

丁度、葬儀が終わったところのようだ

コミュニティが自然な形でまだ生きているという印象がある




今年はいろいろな問題が噴出した年のように見える

新しい年はどのようなものになるのか

あるいは、どのようなものにするのか

 入り江の落ち着きの中で考えるところから始め、外海に漕ぎ出すところまで行きたいものである


Bonnes fêtes de fin d'année et une merveilleuse nouvelle année !






lundi 30 décembre 2013

コルシカの海に出る


今日は晴れ渡り、風がない

コルシカ島南の目と鼻の先にはサルデーニャ島がある

ボニファシオ海峡Bouches de Bonifacio)を隔てて、 フランスとイタリアが面と向かい合っている

ここに来るまで、知らなかった

日本がどこにあるのか知らない人を責めることなど、とてもできない

ウィキによれば、その距離僅か11㎞

西がサルデーニャ海で、東がティレニア海となる

ボニファシオ海峡は、風が強くなると危険な海峡として有名とのこと


実は二日前、港で声を掛けられた

クルーズに出ませんか、というのだ

快晴で波も静かだったので迷ったが、いずれ、ということにした

昨日も港に行ってみたが、外海が荒れているので運休だという

そして今日、再び港に向かう

昨日は手で波打つジェスチャーをしていた受付嬢も、今日は大丈夫と言う

1時間ほどの船旅に出ることにした




入り江のあたりは問題ないが、外海に出ると想像していた以上に揺れる

特に、洞窟(grotte)の入り口あたりは波が乱れ、大揺れ

船長の、まだ酔った人はいませんか、というアナウンスも聞こえる

しかし、最後にこれまでで最高とも言えるボニファシオの町を観ることができた


 
港に着くと、船長が "Nous sommes sauvés !" (助かった)と冗談を飛ばしていた

 ホテルに戻り暫くすると、雷鳴り止まず、雨が降り出した

天候が変わりやすい土地のようだ

まさに、 "Nous sommes sauvés !" である




dimanche 29 décembre 2013

ボニファシオ遠望


今日は曇りで風が強い

海に出ることを諦める

午前中、空いているカフェで仕事を済ませ、すっきりする

それから何気なく歩いていると、以前に来た展望台に出た

そこから岬に目をやると灯台が見える



時間があり、雨は降らないだろうとの予報を思い出し、そちらの方向に歩き始めた

 風が吹き付ける中、石を敷き詰めた道を只管歩く

人は殆ど歩いていない

1時間ほどすると灯台が近くに見えるようになる

この辺りで引き返すことにした



 2時間弱のランドネとなった

戻ってきた時、波に洗われた崖の上にある城塞都市ボニファシオを遠望する




samedi 28 décembre 2013

意図と解釈



画面で場所を選びクリックする

そうすれば、後は体がそれに従って動くだけ

そして、全く違う空間に身を置くことになる

意識しないと、今どこにいるのかわからなくなる

この感覚は実に不思議である



それで世界が本当に広がっているのか、自分の居る世界は全く変わっていないではないか

譬えそうだとしても、この感覚器から入ってくる情報は確かに蓄積されている

解析や解釈は後から付いてくる

そう考えると、どんな意図でそれをやったのかは余り重要ではなくなる

まず、やることに意味にあるということになる

今は蓄積することが重要なのである





ボニファシオ3日目


コルシカも3日目を迎えた

今日も青空が見え、気温も15℃を超えている

昨日とは違う道を通って、ボニファシオを味わい直すことにした



 下りる途中に記念碑と思われる彫刻が見えたので、録画ボタンを押す

 過酷な戦いだった第一次大戦の犠牲者を慰霊する碑であった

入り江を見渡すと、今日も peaceful だ

 湾のあたりを散策

 開いているカフェがあったのでそこで読んでいると、教会の鐘が鳴りだした

今回は比較的早い反応であった



 1時間ほど休んだ後、急な壁を一気に登る階段を通って帰ってきた

記録のために、エスプレッソとパン・オ・ショコラで 2.50 €とお安かった



城塞内の町の開いているカフェは満員

冬の日を浴びての食事は気持ちよさそうである

彼らは外気がお好きのようだ



来る前にぼんやり抱いていたコルシカ島のイメージがあった

しかし実際に来てみると、それが余りにも広がりのないものであることがわかる

今、イタリアに近い地中海の島にいることを意識すると、世界の見え方が変わってくる


以前、コルシカ島を拠点に活動している日本人画家のことを聞いたことがある

調べたところ、松井守男(1942-)という方になるのだろう

今は日本に拠点を移しているようだ









vendredi 27 décembre 2013

ボニファシオ散策


 昨日とは打って変わっての空模様で、朝から気分が晴れる

ホテルは城塞の中の高いところにあり、入り江が見える

昨日、嵐の中バスで来たことを考えるとゾッとする

それはよかったのだが、部屋の暖房をオンにできず、壊れているものと諦め、一晩中震えていた

夜7時過ぎるとサービスがなくなるというホテル

それは、普通の家に泊まっているという感覚を呼び起こしてくれるのだが、こういう時は困る

今朝、ホテルの人に来てもらってわかったこと

それは、やり方が逆で、その上オンになっても暫く待たなければならない代物だったのである

見たことのないものに対する時は、彼らのようにいろいろ試してみる執拗さが必要だろう


今日は城塞の町ボニファシオ(Bonifacio)を4時間ほど散策

上り下りがあるので体にはよい

 

 まず、インフォメーション・センター(Office de tourisme)へ

コルシカの歌(Chants polyphoniques)のコンサートの予定を訊いてみた

予想はしていたが、今の時期は何もやっていない

最悪の時期ですね、とのこと

最良は春のようだ

眺めをいくつか




 下まで下り、入り江の奥の方にしばらく歩く

店はほとんど閉まっていたが、スーパーとプレスが開いていたので覗く

興味深い雑誌があった





入り江奥の港の中心まで来たところで、再び上ってホテルに戻ることにした

この城塞が見えたので、上まで行ってみることに



その途中、外海になる地中海の素晴らしい景色が開けた

太陽が眩しく、その光の中に完全に包まれ、自分の体が消えるような感覚が襲う



一番上に行ってから、録画ボタンを押してみた

波の音が聞こえるだろうか



城塞を出て街並みが開けたところで、「ボナパルトの家」という看板が見える

探していたわけではないが、現れてくれた

これはナポレオン(1769-1821)が1793年1月から3月まで滞在した家とされている

生家は首都のアジャクシオ(Ajaccio)にあるようだ



さらに街中を進むと、聖ドミニク教会の案内が現れる




最初に出来たのは13世紀とのこと

教会前の廃屋になった宿舎では展覧会が開かれていて、疲れが飛ぶ




教会前の小さな広場にはこの像が

 

19世紀末から20世紀初めにかけてアルジェリアで犠牲になった外人部隊兵士の慰霊碑であった

作者は、Robert Delandre (1879-1961)



 最悪の時期とのことだったが、わたしにとっては最良の時期に当たったようである





jeudi 26 décembre 2013

いやはやのスタート


夕方、ニースからエア・コルシカに乗り換えてコルシカ島にやっと着いた

ニース空港で着陸に問題があるかもしれないとのアナウンスがある

嵐のため風が強いようだ

島に近づいても操縦室から若い声で同じアナウンスが聞こえる

どうするのかと思っていたら、少し誇張して言うと 「これから突っ込みます」

雲は最近見たことのないほどどす黒く、気持ち悪い

確かに、軽い酔いを感じるくらい上下左右に揺れる

しかし、最後は音もなく着陸してくれた

その瞬間、機内に大きな拍手と歓声が起こる

こんな飛行は久し振りである


コルシカ島南のフィガリ(Figari)空港でタラップから降りると、雨と風

バスで移動しようと思っていたが、タクシーに変更

運転手によると、昨日は暴風雨のためニースからの飛行機は運休だったとのこと

いやはや、大変な時に来てしまった




「そして朝、旅の欲求とともにわたしは目覚める」 (ヴァレリー・ラルボー)


柳田國男(1875-1962)の言葉に 「所貧乏」 があるという

一か所に留まり、極端な場合には一生そこから出ることがない時に起こること

外の世界を知らずに過ごすため、心が貧しくなるという意味らしい

昔は情報を得るのが大変だったと思われるので、所貧乏は稀ではなかったかもしれない

もちろん、ケーニヒスベルクで一生を過ごしたというカント(1724-1804)のような例外はあるのだろうが、、、


今ではネットその他で世界の情報を瞬時に得ることが可能になった

しかし、移動して感じるのは、それだけでは不充分ではないかということだ

直接この身をその中に置くと、五感だけではなく第六感まで働くことがある

所貧乏という言葉には今でも真理がありそうだ


それに肖ったわけではないが、旅に出ることにした

振り返ってみると、このところの恒例になっている感がある

2011年がルクセンブルクで、昨年はトゥールだった

今年は初めてのコルス(La Corse)を選んだ

最初はピンとこなかったが、日本語に直すとコルシカ島

そうすると、ナポレオンが出たところという昔の記憶が刺激される

その土地柄、遥か昔から歴史の波に洗われていたはず

どんな発見があるのか、楽しみである


そして、コルスと言えば、数年前その音楽に惹き込まれたことがある

モンペリエから戻り、コルシカ音楽を聴く (2010-06-20)

本場で直接触れることはできるのだろうか




Valery Larbaud (1881-1957)