Affichage des articles dont le libellé est Luxembourg. Afficher tous les articles
Affichage des articles dont le libellé est Luxembourg. Afficher tous les articles

lundi 2 janvier 2012

"Pour revenir, il faut partir"、しかしどこに戻るためにどこに発つのか



今朝は遅い朝食を取ってからホテルを後にした。
朝食時、ご主人がル・モンドをテーブルまで持ってきてくれる。
それからこんな会話が続いた。


「今日お発ちですか?」

「はい」

「どうしてですか?」

「・・・ それは面白い質問ですね」

「ああ、そうですね。"Pour revenir, il faut partir." と言いますからね。またお越しください」


すぐにご主人の言葉を拾い、反芻していた。
繰り返すほどに奥深い言葉のように感じられる。
いろいろな状況でその意味合いが微妙に変わってくるので、興味が尽きない。
例えば、その時わたしはどこにいて、どこに向かい、何のためにそこに戻るのか。
考え始めるときりがない。

現実に戻り、チェックアウト。
驚いたのは、ネットの値段から更に20%も割引してくれていたことだ。
こんなことは初めてである。
学生にはありがたい計らいで、さらに印象がよくなる。
人生の深みを味わいつくした眼差しのある熱いご主人。
最後はイタリア式挨拶で別れた。


出発まで時間があったので駅のキオスクで時間を過ごす。
今回はフランス語だけではなく、イタリア語とドイツ語の雑誌にも目が行っていた。
環境が変わるとすぐに影響を受けるタイプのようだ。




Gare de Metz-Ville


乗り継ぎのメスでは少しだけ時間があったので、駅の外に出て見ることにした。
ルクセンブルグに向かう時には浮かんでこなかったアイディアだ。
駅の建物はなかなか趣があり、気に入る。
特に、時計塔がどっしりしていて、よい。







車内では手に入れたばかりの雑誌を読んでいた。
面白いことが至るところに転がっている。
その誘惑を抑えなければ学業に向かうことができないのか。

今年もこの悩みを抱えながらの1年になりそうだ。







dimanche 1 janvier 2012

ペトリュスの谷 Vallée de la Pétrusse を歩く



ルクセンブルグ旧市街の周辺が深い谷になっていることには初日に気付いた。

ホテルでいただいた地図によると、Vallée de la Pétrusse となっている。

いずれその底を歩いてみたいと思っていたが、今日の午後その気になった。

小雨降る中、出掛ける。


自然により近付いたためだろうか。

その中にいる時、植物たちの精気がこの体に乗り移ったように感じる。

以下に少しだけ。













これが Pétrusse か。

ここの流れは結構速かった。




















今年も繋がりを探る年か


エヒタナハからルクセンブルグに向う車窓から



昨日は久し振りにテレビを観た。
Arte では以下のコンサートが流れていた。

Beethoven au Japon
佐渡裕さんと大阪と仙台の1万人による第九

L’Orchestre philharmonique d’Israël
ズービン・メータさんの指揮、エフゲニー・キーシンさんによるショパンの第一番

L'hymne à la joie
ライプツィヒからヘルベルト・ブロムシュテットさん指揮による第九の合唱

La Saint-Sylvestre à Dresde
ドレスデンからのバレー (クリスティアン・ティーレマンさん指揮)


チャンネルを変えると、ビリー・ジョエルトニー・ベネットポール・マッカートニーなどの懐かしい顔。
後のお二人はあまり変わっていなかったが、ビリー・ジョエルさんは年輪が表れていた。






今朝、テレビをつけるとウィーン・フィルの新年コンサートが丁度始まるところ。

今年の指揮は2度目になるマリス・ヤンソンスさん

その司会者が実に懐かしい方なので、驚く。

立派になられたブノワ・デュトゥールトゥルさん (Benoît Duteurtre)。

もう6年以上前にパリでお会いしているのだ。

小さな出会い - ブノワ・デュトゥールトゥル BENOIT DUTEURTRE (2005.6.22)

2012年も不思議な再会から始まった。



こちらに来てからテレビから遠ざかっている。

ヨーロッパにいるという折角の機会を逃しているのではないか。

そんな思いが初めて浮かぶ5度目の元旦の朝。




samedi 31 décembre 2011

エヒタナハ Echternach 訪問


聖ウィリブロルドのバジリカ
Basilique Saint-Willibrord


今日は予想通り小雨が降っている。

昨日晴れてくれたのは奇跡に近い。

雨の中を歩く気分ではないので、ドイツ国境に近いエヒタナハへ向かうことにする。

駅前からバスで1時間弱、1.50ユーロだ。


バスはどんどん登っているように感じた。

途中、霧がかかり、雪がうっすらと残っているところもある。

素人目にも建物がドイツ風になっている印象があった。


山間にある人口5,000人に満たないエヒタナハ。

ルクセンブルグで一番歴史があるという。

698年、聖ウィリブロルドSaint-Willibrord) が建てた修道院が町の始まりだ。

この町で今年ノーベル賞を貰ったジュール・ホフマンさんが生れている。


町に着くと雨は上がっていた。

気分に任せて散策する。

大晦日の街は静かで時が止まっているかのようだ。

1年を振り返るには最良の空間かもしれない。















1975年からエヒタナハで国際音楽祭が開かれるという。

有名な音楽祭だと紹介されている。

Festival International Echternach















カフェ 「哲学者」 はこの有様。

現世で生き残るのは大変のようだ。





これが1899年のエヒタナハ。

1世紀を経てもほとんど変わっていないようだ。

この町から若きホフマンさんストラスブールに向かったのである。





今年も訪問いただきありがとうございました。

来る2012年はよい方向に向かうことを願いたいものです。

新年もお暇の折にお立ち寄りいただければ幸いです。



                (エヒタナハのカフェにて)








vendredi 30 décembre 2011

晴れ上がったルクセンブルグを動と静で味わう



どうなるのか心配していた天気だったが、朝食後外に出ると晴れ上がっている。
しかもパリと同じ空だ。
気分も軽く、終日散策の予定で歩き始める。

フランスの住人なのでホテルではフランス語で通している。
ホテルのご主人はフランス語に訛りがある。
しかし、大きなジェスチャーでこちらの心に入ってくる。
話の中でイタリア人であることがわかる。
そして、こんなことを言い出した。
「フランス語を話すのでしたら、イタリア語はすぐですよ。是非やってみては」

何が切っ掛けで 「こと」 が動き出すのかわからない。
早速、ご主人に紹介していただいたリブレリー Libo に向う。
イタリア語を学ぶための本を探しているのですが、と聞いていた。
すると、イタリア語の専門家に取り次いでくれた。
デビュタント向けの1冊を手に入れる。

お話を伺うと、母親がイタリア人なので確かに専門家である。
彼女はイタリア語のほか、英語、ドイツ語、フランス語、ルクセンブルグ語を操る。
ルクセンブルグでは移住してくる人が多いので、他にもいろいろな言葉を耳にするとのこと。
この環境だとマルチリンガルへの道は近いかもしれない。





雨で湿った道を朝早く歩くのは気持ちがよい。
こんな瞬間にも出会うことができた。





この景色はルクセンブルグの一つの象徴になるのではないだろうか。
手前に金色に輝いているのは 「黄金の女性」 を意味する Gëlle Fra の戦争記念碑
後ろに見える塔はノートルダム大聖堂 (Cathédrale Notre-Dame)。
近くに行ってわかったのだが、大聖堂に隣接して国立図書館がある。








Gëlle Fra 戦争記念碑
Monument du souvenir "Gëlle Fra"




ルクセンブルグ国立図書館
Bibliothèque nationale de Luxembourg


本当にこじんまりした入口なので、最初は大聖堂付属資料館くらいに思っていた。
しかし、それと書かれてある。
体が冷えていたこともあり、中を覗いてみることにした。

変に国を背負ったという雰囲気はなく、手頃な図書館という印象だ。
暇つぶしにフランス語、ドイツ語、イタリア語の新聞を眺める。
イタリア語の新聞の文字を追ったのは初めてのことだ。
もちろん、それはギリシャ語だった。

すぐに飽きて哲学雑誌の棚へ。
その中にあったフランス語の一誌を手に取る。
ハイデッガーが1934年11月30日、コンスタンツで行った講演内容が出ている。
演題は 「ドイツ哲学の現状と将来の課題」。
冒頭に 「それは 『哲学』 の問題である」 とあり、昨日と繋がっていることがわかる。
読み終えてから歩くことにした。

読みながら大聖堂の鐘の音を実に心地よく聞く。
15分毎に高い音で軽快に歌うように。
深みを湛えた太い響きが朗々と歌うと正時だ。
結局、正時の歌を2-3度聞いたように思う。
落ち着いた感じの良い図書館だった。





しばらく歩くと、昼の月に気付く。
すでに素晴らしいことが起こっていたので、そうだったのかと思う。
最早、ユングの世界だ。





市庁舎前の広場は恒例になるのだろうお店で埋まっている。






カピュサン劇場 (Théâtre des Capucins) の正面と裏の広場の彫刻





広場の雑踏を離れ街に入ると、こんな女性が現れた。
何を考えているのか、わからない。
道行く人も同じだろう。

中年の女性が叫び出した。
「放っておいたら危ないので服を着させなさい」
別の男が叫ぶ。
「何かのデモンストレーションをしてるんだ。彼女の権利を奪うな」
女性が返す。
「一体何のデモなの」

本人は一言も発せず、微動だにしない。
よく見ると、太腿の筋肉は痙攣している。





すぐに警官が現れ説得するが、全く反応しない。
結局、先ほどの女性の再びの叫びで服を着せることになる。
抵抗するかとも思ったが、おとなしく従っていた。

この間、冷え切っていたわたしも体のことを忘れていた。









目を凝らすと、何かが見えてくる。





予想もしていなかった贈り物をいただいたような一日だった。

パリもそうだが、都心の空が広々としているのは何とも言えずよい。

街に支配されているような疎外感が生れないからだろうか。

ホテルに戻るとご主人が 「ブオナセーラ!」 "Buonasera" と両手を広げて迎えてくれる。

明日からはイタリア語だけですよ、などと無茶なことを言っていた。

大晦日は果物屋の女主人の予想通り雨だろうか。