samedi 31 mars 2012

つかれているのか


 今朝、ある考えとともに目覚める
久し振りだ
昨夜、日本に向け日本語の本を読んで寝たせいだろう
起きてすぐにメモにとっておく
関連する情報を昔のファイルから探す
結構眠っている
最早、外部記憶に頼るしかなくなっている



連載中のエッセイの次回分をほぼ書き終える
バルコンに出て、久し振りに紫煙を燻らす
しばらくすると、覗かれているような気配を感じる
どうも疲れて(憑かれて)いるようだ
これも見える人にしか見えないだろう






vendredi 30 mars 2012

昨日に続く平坦な日常



変わりない平坦な日常

最近のカフェでは何も言わなくとも品が出てくるようになってきた

今日も外で3時間、内で3時間ほど画面に向かう

締切が見えてくると集中できる

せざるを得ないからだろう


学生としての仕事は大き過ぎてなかなかだが、小さい塊にして締切を作るしかなさそうだ

そうでもしなければ終わらないだろう

 ただ、これが目的のように思っているが、実は本来の目的ではなかったのである

仕事としてではなく、自らの考えを整理するくらいに納得しておいた方がよいかもしれない




jeudi 29 mars 2012

日本に向けて集中する



このところの日課に従い、午前中は日常的世界に身を置き、午後からイディアの世界に入る

鼻が詰まり、目が痒い以外には問題がない

しかし、それが意外に大きい

途中で入ったパペトリーがよく、他では目に付かないものが並んでいる

今日もいずれのために数冊手に入れる

カフェ2軒の一日だった


日本が近付いてきた

今回は3つの異なることをやることになったので、なかなか大変である

いつものように、その時までに溜まっているものすべてを見渡し、引き出すことができるように努めたい




mercredi 28 mars 2012

"The Day After Trinity" を改めて観る




ロバート・オッペンハイマーに関する映画 The Day After Trinity (1980) を観る
西欧の考え方、日米のものの観方の隔たり、科学技術に対する科学者の態度、政治と科学、状況の中の科学者など
考えさせることの多い1時間半だ

以前に観たものと合わせると、この科学者の立体的な姿も浮かび上がってくる
残念ながら以前のものはすでに期限切れになっている
ロバート・オッペンハイマーの人生を観る Robert Oppenheimer (2011-9-24)


もしナチが勝利すれば西洋文明は滅び、千年の暗黒時代を迎えるという危機感
さらに「アメリカの力を全く理解しない狂気の国」によるパール・ハーバーが加わり、アメリカを一つに結びつける
ノーベル賞学者と若者が共に一つの目標に向かったマンハッタン・プロジェクト
彼らはこの計画を楽しみながら進めていた
それを可能にしたのがオッペンハイマーで、彼以外にはできなかっただろうと言われる

結局、ナチは原爆開発には至らず、1945年5月8日ヨーロッパで勝利を収める(VE Day
ロバートの弟で物理学者のフランクが指摘するように、ここで計画を止めるのが最善だったのかもしれない
確かに、当初の目的はなくなったのである
それでも計画が進行したのはなぜなのか

ロバート・ウィルソンさんは言う
論理的には止めるのが当然なのだが、そのことを言う人は一人もいなかった
フリーマン・ダイソンさんは指摘する
膨大なものをつぎ込んだプロジェクトは一度始まると途中で止めることができない
オッペンハイマー自身も国連ができる前に原子爆弾という技術が可能であることを示そうとした
そして1945年7月16日、Trinity で最初の爆弾が爆発する
ロバート・ウィルソンさんは、その日から以前のわたしではなくなったと証言している

この成功で爆弾の実戦での使用が問題になる
フリーマン・ダイソンさんは繰り返す
行政が準備した流れができ上がり、そこに向かうのは必然であった
その時に "NO!" という勇気を持った人は一人もおらず、オッペンハイマーは実質的了解を与えていたのである

そして広島で爆発する
彼らの最初の反応はやり遂げたという昂揚感、そして鬱が続くことになる
人間を物として扱ったという罪悪感のためだろうか、精神を病む人が出てくる
ロバート・ウィルソンさんもその一人だ
日本の降伏がなければ、3発目を使う可能性も検討されていたという

オッペンハイマーは戦後、原爆を国際協力で封じ込めようとする
他の武器と同じように使ってはいけないと考えたからだ
しかし、共産主義の脅威が迫り、安全保障の面から政府はそうは考えない
1952年11月1日、最初の水爆が爆発
マッカーシーによる赤狩りも始まる

オッペンハイマーは共産主義に共鳴した過去から取り調べられる
この過程は以前の映画に詳しく描かれていた
その結果、危険人物と見做され、13年に亘る監視下に置かれる
そして、彼が再び国の政策に関与することはなかった
国のために全力を尽くして仕事をやり遂げたオッペンハイマーは、その国に捨てられたのである
この仕打ちは彼を精神的に破壊し、実質的な死の宣告を意味した
確かに、晩年の彼を見ると、死を前にした人間の表情をしている
計画は Trinity の後に (the day after Trinity) 止めるべきだったと語る晩年のオッペンハイマー
一度しかない人生の最後に、彼は一体どのような心境の中にいたのだろうか

無限の可能性を秘めた技術を目の前にした時、科学者はそれを使ってみたい誘惑にかられる
フリーマン・ダイソンさんの言う "technical arrogance" (技術に対する傲慢さ) に目を眩まされるのである
現代の問題は多かれ少なかれそこから生まれているのかもしれない
後戻りできない歩みもそこから始まったと言えるだろう










mardi 27 mars 2012

カフェに落ち着いた時に訪れる感情



昨日、セミナーの前にカフェに入った

気に入りそうなカフェを探し、席を選び腰を下ろす

周りの景色をいろいろな角度から眺める

エスプレッソが届く

砂糖の入った袋を開けて、エスプレッソの中に落とし、ゆっくりとスプーンでかき混ぜる

実は最初のこの瞬間が一番気に入っているのではないか

こんなことに改めて気付く



パリでは驚かない人間嫌いの目をした女主人

無視するのかと思いきや、挨拶すると返してくれる

目の前の席に座り、何やら読み出した

好きなように動いている

窓の外行く人たちの体も囚われなく動いているように見える

これがパリなのかと改めて気付く







lundi 26 mars 2012

セミナーの後の夜空を味わう



お昼から研究所へ
今日は比較的集中してできたようだ
夜は初めてのセミナーシリーズへ
街の哲学大学という感じだろうか
場所も初めてでデカルト通りにあった

会の前、カフェに寄り、案内を読み直す
店員さんの動きと対応がきびきびしていて感じよい

会のあるところは初めてなので、始まる前に建物や庭などが醸し出す雰囲気を味わう
部屋に入ると、お年寄りが多い
いつもその中に自分は入っていないように感じるから不思議だ
2時間ほどお話を聞く
中にいくつか参考になることがあった

会が終わって外に出ると素晴らしい夜空が待っていた
こういう瞬間はいつもハッとする
そして気持ちがすっきりしてくる




dimanche 25 mars 2012

夏時間が始まり、やっとその気になる

Organ Mapping
Mariechen Danz (Dublin, 1980-)
Based in Berlin, juin 2011



夏時間が始まったようだ
気分は浮き立ちつつあるが、未だ鼻閉とクシャミの中
すっきりするのはいつなのか

この週末、やっと仕事をしてみようという気になる
先ず始める、ということがなかなかできない性なのだ

最初から書に頼らず、あくまでも自分と向き合い、中を覗き込むところから書き始めることにした
この5年ほどの間に気付かぬうちに沈澱しているだろうはずのものを信頼してもよいのではないか
あるいは、信頼するしかないのではないか、と思うことができたからだ
資料を物するのを待っていると、いつまでも始まらないことがわかったからでもある

気付くのが遅い ・・・ それは確かだ
しかし、範囲を決めずに歩き続けたこれまでの時間は無駄ではないはずだ
寧ろ、そこには宝が眠っているはずである


やっとその気になってくれた
これからは納得のいくまでゆっくりと進むしかないだろう







samedi 24 mars 2012

誤謬を待つ心



パソコンのキーを打ち間違える
不思議な文字が現れる
ネットのサイトに間違って入る
思わぬ世界が現れる
道をどんなに進んでも目的地に辿り着かない
見ることのできなかったものに触れていたはずだ
こんなことは稀ではなくなっている

どこかに向かっている時にはこれらは忌むべきことだった
苛立つこともあっただろう
できるだけ早く目的地に到着しなければならなかったからだ

それが今ではどうだろう
間違いは思いもかけない新しいところに導いてくれる扉になっている
日常に潜む割れ目の外を覗くという感覚を運んで来てくれる
自分の中からではなく、どこかから飛び込んでくる創造的な瞬間だ、と言えば大袈裟だろうか
喜ぶべき瞬間になっている


ここまで書いたところで、もう6年ほど前の講演会のことを思い出した
こんな言葉に惹かれて、土砂降りの中、会場に向かった
「科学、哲学、政治、文芸批評、絵画などの分野において、誤解が実りをもたらすことを示したい。嘆かわしいのは誠実さや賢明さで、それらは退屈や予想できること、反復や言い換えにしか導かない。誤謬こそ幸福で、豊穣で、活力に溢れている。」
ブリュノ・クレマン 「誤解礼賛」  "A MALENTENDEUR, SALUT !" (2006-10-5)


それまでは避けるべきだったものが、今ではどこかでそれを待っているようにも感じる誤謬
取り巻く状況が違ってきたためだろうが、喜ばしい変化に感じている




vendredi 23 mars 2012

春のカフェ、本の中から生きものが



すっかり春になった
お昼から散策に出たが、この通り皆さん春の光を満喫してのデジュネのお時間
どこも満員なのでしばらく歩き、空いているところに入った

やはり春なのか眠気が襲う
そのせいだろうか
読んでいても文字が霞む
そして一瞬だった
本が生き返ったのだ





本が何気なくずれ、下から眺めるようになった時、生きものが出てきて、驚く
文字ではなく、スペースの繋がりから
ほんの一瞬ですぐに消えた
文字を追っていると見えてこない
左右前後からぼんやりと全体に目をやると現れてくれることがわかる
幻覚ではなかったようだ
これは見える人にしか見えないだろう



こんな具合だろうか





お疲れなのか、相当にお暇なのか


カフェを出て再び歩く

公園に入り、今度は書を変え、文字を追うことにした







jeudi 22 mars 2012

アラン・バディウ 「わたしは悔いている」、あるいは真の政治的勝利とは




大量虐殺があったクメール・ルージュのカンボジア
にもかかわらず、Kampuchea vaincra ! (「カンボジアは勝利する!」)という記事を書いた人がいた
アラン・バディウさんAlain Badiou, 1937-)75歳
1979年1月17日のル・モンドでのことだ
33年経った今、France 2 の番組 Avant-Premières で "Je regrette" と語ったとのニュースをル・ポワンで見る

Avant-Premières こちら、Le Point の記事はこちら


早速番組を観てみた
冒頭そのことを問われ、はっきり「わたしは悔いる」と語っている
発言内容の概略は以下の通り

今興味があるのは、なぜ書いたかということ
それは1975年にクメール・ルージュの勝利に感激したからだ
もちろん、わたし一人ではなかった
手に入る情報に抗してその熱狂を持ち続けたいと思った
そこから一体勝利とは何かという瞑想に入っていった

勝利はどこにでもある
なぜこの勝利が熱狂を齎したのか
それは力なき人民が巨大なアメリカ軍に勝利したからだ
毛沢東の小さな力も集まれば大きくなるという考えを実現したことになる
ベトナムがカンボジアに侵略したのは嫌悪すべき不快なものであった
ル・モンドの記事はベトナムの侵略に抗するものであったことを忘れないでほしい

さらに、20世紀において重要になるのが時期尚早な熱狂という問題である
ボルシェビキによる革命には今でも多くの人が熱狂している
クメール・ルージュより酷いスターリンが出てもである
現実的には人民が真に勝利を感じることは極めて稀なことなのかもしれない

現代政治の問題は真の勝利とは何かということだ
現象面の勝利ではなく、根源的な意味における勝利を再定義する必要がある


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確かに、表面的な勝利に現を抜かすのではなく、真の政治的勝利を考える時に来ているのかもしれない
あるいは、どこかにその成果が発表されているのだろうか




mercredi 21 mars 2012

カフェの音楽

Composition (1949)
Nicolas de Staël (1914-1955)
peintre français originaire de Russie



カフェでは音楽はないか、遠くに聞こえる程度

それで十分なのだ

なぜかと考えてみる

その場で時の流れの中に身を置いているだけで、音楽を聴いているような気分になるからではないのか

お客さんの様子、店の人の声や動き、道行く人の姿、店の雰囲気などのすべてが奏でる音楽を

もし、先日のジュリアン・バーバーさんのお話のように今しかないとするとこう表現されるだろうか

一瞬一瞬の景色や浮かんでくる考えなどがスナップショットのようにその辺りに漂っていると感じているのかもしれない

ただ、日本でそういう気分になるところを探すのは難しい

なぜなのか

こちらは次回の日本で考えてみたい




mardi 20 mars 2012

夕暮れ時のビブリオテークを味わう



ビブリオテークで時間を過ごす
花粉症のためか、鼻が詰まって口を開けなければ息ができない
クシャミも出て、鼻水も流れ、目は痒い
これではパリにいる意味がない
おまけにパソコンが変な音を出し始めた
すべてにガタがきているようだ

無理をせず、暗くなる前に出てきた
お陰さまで、これまでに見たことのない色合いの姿を拝むことができた



lundi 19 mars 2012

時間を追いかけてきたジュリアン・バーバーという科学者

Lunatique neonly no 1 (1997)


わたしの理想とする研究生活を送って来られた科学者がいることを知る
その名はジュリアン・バーバーさん(Julian Barbour, 1937-)
今年75歳になる理論物理学者だ(ホームページはこちらから)
1999年のインタビュー "The End of Time" を読んでみる

バーバーさん独特の世界観と人生観が見えてくる
インタビューの時点で35年の研究成果は、この世界には今考えられているような過去も未来もなく、あるのは現在だけというもの
リー・スモーリンさん(Lee Smolin, 1955-)は、彼こそ真の科学者にして哲学者だと言っている

研究スタイルもユニークである
大学をイギリス、大学院をミュンヘンで終えた後、インディペンデントな立場で研究を続けて来られた
アカデミアに入り、コンスタントに論文を書くというタイプではなかったことが理由とのこと
自分の中から出てくるアイディアについて、どこからのプレッシャーも感じることなく研究をしたかったのだという
同じくイギリス人のダーウィンが30代にしてケント州ダウンに引き籠り、研究に打ち込んだ姿を思い出す
ダーウィンには財産があったが、バーバーさんの場合はロシア語の翻訳で生計を立ててきた
一人で研究できる領域にいたならば、わたしもそういう道を模索したかもしれない

彼の興味は、宇宙とは何であり、それはどのように動いているのかという根源的な問である
古典的物理学と量子力学との関連を探る中から辿り着いたという
その中で、特に時間について考えることにしたようだ

彼のホームページに紹介されていたビデオを見ることにしたい





このビデオで言われていることのすべてを理解できたとは思わない
ただ、ぼんやりと見えてくるその主張にはそれほどの違和感は抱かなかった
そして何よりも、ジュリアン・バーバーという存在の明晰さ、快活さ、軽快さに目を見張る

時間には、周囲とは関係なく過去から未来に向かって規則正しく流れるニュートンの絶対的時間とアインシュタインの相対性理論が唱える時間と空間が一体となり、空間の影響を受ける相対的時間がある。量子力学の世界ではニュートン的な時間が流れているという。ミクロの世界で有効な量子力学の理論とマクロの世界で有効なアインシュタインの相対性理論を統合する理論を求める営みがされているが、そこで問題になるのが時間であり、時間の消失が統合の一つの解決になる。バーバーさんも時間は存在しないという立場を採っている。

「いま」という時間を捉えることができるのかという問を出し、こう考えている。マクロの世界では、ある一瞬に大きな変化は見えないので今を捉えているように感じるが、ミクロの世界に入ると原子や分子、細胞に至るまで何一つ留まっているものはない。つまり、「いま」という一瞬を捉えることが極めて難しいことがわかる。一瞬たりとも同じわたしであることはないのである。「いま」という一瞬は一瞬であると同時に、そこでは何も変わらないという意味で永遠でもあるという。

一瞬一瞬はそれ自体で完結した世界であるという見方は、どこかに向けて進むモメンタムのないエネルゲイアに繋がるようにも見える(エネルゲイアをわれわれの生に取り込む 、2010-1-2)。どこかに向かう所謂仕事をしている人がその境地に達するのは非常に難しい。仕事を拒否してきたバーバーさんであればこそ、はっきりと理解できたであろうことは同じような境遇にいる今の私には容易に想像できる。また、一瞬のすべてが同時に存在しているという点で、量子力学の統計的にしか決めることができない世界、さらに言うと、すべての可能性が同時に起こっている世界とも共通点があるようにも見える。

これを日常の感覚で理解することは大変である。しかし、この地球が自転し、さらに太陽の周りを回っていることを日常感覚で捉えることができますか、と問われれば、ミクロの世界で起こっているとされるものを真っ向から否定することもできない。一瞬一瞬が閉じ込められた多くのスナップショットを示しながら、これらすべてがわたしの宇宙だと説明しているのを聞くと、全く考えられない世界とも思えなかった。

このインタビューからかなり時間が経っている。
その後の進展を知りたいものである。

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なぜバーバーさんの考える時間にあまり違和感を感じなかったのだろうか
そんなことを考えている時、ヒントになる記事を書いていたことを思い出す

ひとつは、過去にあったすべての自分を現在に引き戻し、そのすべてとともに生きるというものだ
そこではいわゆる古典的な時間の流れは考えているようだが、それを超えて生きようとする姿がある
丁度、これまでのスナップショットを現在のスナップショットとと一緒にその辺りに並べている印象がある
これまでは深く沈んでいたように見える過去を現在と同じ平面に置き直すと言い換えることもできる

過去の自分を現在に引き戻す VIVRE AVEC LE MOI DU PASSE (2007-01-30)

これは過去と現在の関係だが、現在と未来との関係についてもこんなことを書いていた
ある日、写真を撮るのは現在というよりは未来の自分に向けてのメッセージとしての意味合いがあることに気付いた
つまり、未来が現在になった時、「いま」(その時には過去)撮られたスナップショットが並べられることになる
過去、現在、未来が密に繋がり、恰も一体になっているような世界なのである

時空を超えたやり取り ECHANGE AVEC MOI DU PASSE OU FUTUR MOI (2006-10-14)

バーバーさんのビデオが写真を撮っているところから始まった時に不思議な感じがしていた
それは、彼の話がそれほど違和感のないものになるのではないかという予感のようなものだろうか
こうしてわたしの過去を現在に引き戻してみると、益々彼の時間の考えに近いことがわかってくる
このように過去が蘇る時、いつものように微風が頭の中を吹き抜ける



dimanche 18 mars 2012

現代もソフィスト溢れる時代か




古代ギリシャにはソフィストとフィロゾフがいたと言われる

ソフィストとはこの世にはひとつの真実などなく、見方によってどうにでも判断できると考える人

人を言い包める術を心得ていて、それでお金を儲けようとする

一方のフィロゾフはこの世の一番深いところにある唯一の真実を探そうとする

神の意志に迫ろうとするところがあり、 もちろん商売とは関係ない

翻って現代に目を移してみる

ここでも同じ分類が可能ではないだろうか

そうすると、現代もソフィストで溢れ、フィロゾフを探すのが難しいことが見えてくる

これはいつの時代も変わりなく、特に驚くに当たらないのか




Danaé (1891)
Alexandre-Jacques Chantron (1842–1918)



今朝は久し振りに Ana Moura さんを流し、バルコンでたっぷりと味わう



samedi 17 mars 2012

フランス人お好みの作家は



昨日のカフェで興味深い記事を見た

2004年からの売り上げで見るフランス人作家(故人)のランキングである

文学はほとんど読まないが、名前だけには感受性がある

今回、ああそうだったのか、という感触を得るには参考になった

フランス人にはモーパッサンがお好みなのには驚いた

カミュあたりではないかと想像していたので

中に、これまで聞いたことのない方が3人いた

ジャン・アヌイアルベール・コーエンピエール・ド・マリヴォー

その一方、スタンダールなどはあまり読まれていないのか、という疑問も湧いていた


1. ギ・ド・モーパッサン (3,790,000)
2. モリエール (3,400,000)
3. エミール・ゾラ (2,900,000)
4. アルベール・カミュ (2,810,000)
5. ヴィクトル・ユゴー (2,710,000)
6. アントワーヌ・ド・サン・テグジュペリ (2,310,000)
7. ヴォルテール (2,200,000)
8. オノレ・ド・バルザック (2,020,000)
9. ジュール・ヴェルヌ (1,330,000)
10. ジャン・ポール・サルトル (1,320,000)
11. シャルル・ボードレール (1,280,000)
12. ジャン・アヌイ (1,240,000)
13. ボリス・ヴィアン (1,230,000)
14. ウジェーヌ・イヨネスコ (1,230,000)
15. ギュスターヴ・フローベール (1,190,000)
16. ロマン・ガリー (1,140,000)
17. アルベール・コーエン (1,120,000)
18. ピエール・ド・マリヴォー (1,090,000)
19. ジャン・ラシーヌ (1,000,000)
20. ジョルジュ・シムノン (990,000)





外国人作家ではアガサ・クリスティー(2,650,000部)と最近触れたばかりのシュテファン・ツヴァイク(2,510,000)がダントツ

レンヌ最終日を味わい直す(2012-3-13)

亡くなってからも新作を出し続けているのはツヴァイクさんだけ、とある

3位にシェイクスピア(1,500,000)、続いてジョージ・オーウェルトールキン(ともに>1,200,000)となっている


こういう広告も見つかった
日本特集があり、日本人作家も招待されている


Salon du livre 2012
(16-19 mars 2012)



vendredi 16 mars 2012

吉本隆明、「ヨブ記」、ヨーゼフ・ロート著 「ヨブ」、クレマチスの丘の 「ヨブ」 という想像を超える繋がり






今朝はいつもの出で立ちで出掛ける

もう完全に春、暑くてしようがない

近くの池には金魚が泳いでいるので、いつも軽く挨拶してから通り過ぎる

ところが今日はマガモがいるではないか

一体どこから来たのか

何をするのか、しばらくお伴をしていた






昨日の夜のこと

日本のニュースで 吉本隆明さんが亡くなったことを知る

享年87

大きな存在だったというが、読んだことがない

故人を偲んでお話を聴いてみることにした

最初に見つかったのが、上の 「『ヨブ記』のテーマ」

初めの部分を聴いてみたが、あまり良く入ってこない

よくわからないながら、わたしには埴谷雄高さん(1909-1997)の方がしっくりくるようだ

わかるところの対象がわたしの興味に近いことと明るく必死に考えているように見えるからだろうか

埴谷さんも87歳で没している



今朝はポストに寄った後、カフェへ

このカフェにはよくお世話になっていて、最近2日連続で不思議な繋がりが観察されたところになる

(2012-3-1)
ジュール・ホフマンさん、アカデミー・フランセーズへ (2012-3-2)


今日は特に期待することもなく、いつものようにル・フィガロを手に取る

お店の方が、今日の分はまだ買っていませんと断ってくる

わたしにとってはいつのものでも大きな違いはない

そして、昨日の文学欄にこんな記事が現れて驚く

今日のものであれば、こうはならなかったのである





ヨーゼフ・ロート(Joseph Roth, 1894–1939)という方の小説「ヨブ:ある平凡な男の物語」の書評である

アカデミシアンのジャン・ドルムソンさん(Jean d'Ormesson, 1925-)が書いている

苦難の中にあったヨブになぞらえた物語で、冒頭はヨブ記の始まりと響き合っているという

平凡で信心深いメンデル・シンガーという男と家族の物語のようだ

妻デボラとの間に3人の息子と一人の娘がいる

屈強な長男は兵士になり、消息を絶つ

野心的な次男はアメリカに渡る

三男は先天的な病気を抱えている

奔放な一人娘はコサックたちと関係を持つ

次男を探し、娘を救うためアメリカに向かう

ロシア革命、第一次世界大戦が始まり、次男は殺され、妻も亡くなる

娘は絶望して正気を失う

それまで信心深かったメンデルは神を責めるようになる

信じられないような奇跡が起こるまで

というようなお話のようである


カフェの後のリブレリーではすでに売りに出ていた





日本版ウィキによると、ヨーゼフ・ロートさんの作品集がいくつか出ていて驚く

この作品の題名が日本語になっている

どこかの作品集に入っているのだろうか



2年前、素晴らしいクレマチスの丘のヴァンジ彫刻庭園美術館でヨブの彫刻を観たことも思い出した





クレマチスの丘、ヴァンジ彫刻庭園美術館より (2010-08-30)


今日は不思議を通り越す繋がりが現れてくれた



jeudi 15 mars 2012

レンヌ美術館の古代の空気を吸う

古代エジプト第21王朝 (1069 BC-945 BC)


瞑想という無為の一日であった

バルコンではテントウ虫が現れる

のんびりと春の日を浴びているその姿をじっくり眺める


午後、レンヌ美術館で拾ってきた古代の顔を眺める

それだけで至福の時が流れる

永遠の時を味わう

こんなことができるようになるとは想像もできなかった

ヒトは常に変化している、そして人は変わり得るものなのだろう

かくして無為の日を繰り返すことになる




古代エジプト第18王朝 (c. 1550 BC-1292 BC)


ジェーラシチリア島、3世紀)


ターラント (イタリア・プッリャ州、4世紀)



ターラント (イタリア・プッリャ州、5世紀)




mercredi 14 mars 2012

困ったことでもあり、望ましきことでもあり



やるべきことはあるはずだが、朝は何もしないことにしてしばらくになる
何もしないとは言っても、何もしないわけではない
所謂どこかに向かう「仕事」をしないというだけである

前日のことを思い出し、出遭った言葉を振り返る
その言葉の奥を調べたりする
言葉はこの世界の中に入る扉のようなものだ
それはあくまでも入り口で、その奥には壮大な世界が広がっている
思いもかけない哲学者の名前が出てきて、実は繋がっていたのか、と急に身近に感じたりする
古典など無理やり勉強しましょうなどという気になるはずがない
しかし、それが自分と繋がっていることがわかると、それまで死んでいた古典が生き返ってくる
この感覚は何ものにも代えがたい
たまには、これまでに出遭った音楽を固めて聞いたりする
そんなことをしていると、知らず知らずのうちに堆積していた考えがいくつかの塊となって現れることもある
これも瞑想の時間と言ってよいのかもしれない

このことに気付かせてくれたのは、目的のない無為の時間に溢れた2度目の学生生活の成せる技だろう
そのせいだろうか、所謂 「仕事」 に向かい気がさっぱり起こってこない
困ったことでもあり、望ましきことでもある



mardi 13 mars 2012

レンヌ最終日を味わい直す

Le Magicien (2005)
Jean-Michel Sanejouand (1934-)
Place de la gare, Rennes


昨夜、パリに戻ってきた

昨日は初めて気持ち良く晴れ上がってくれた

出発までレンヌの町を味わい直し、リブレリーとカフェで読みの時間を過ごす





町を横切る運河のようなヴィレーヌ川の景色がレンヌのひとつの象徴になるのだろうか

Quai Émile Zola を望むと、前日驚きを運んでくれたレンヌ美術館が見える

やはり、快晴の下の街並みは素晴らしい





市庁舎広場に行くと、前日掲げられていた日本の国旗が降ろされている

確かに一日経ったことがわかる

少し上ると Virgin Megastore が現れたので入ることにした

バンド・デシネのセクションに行くと、この本があった


Les derniers jours de Stefan Zweig (2012)
Guillaume Sorel (1966-)


この作品の原作になる同名の小説はその一部を読んだ記憶がある

そのためか、立ち読みを始めるとすぐにその中に入り、気がつくと読み終わっていた

シュテファン・ツヴァイクさん(1881-1942)の最後の半年については、こちらのサイト





立ったままでもよし、座ってもよしのこの営み、これからも時間つぶしとして使えそうである

帰りがけにこの本が目に入り、カフェで読むことにする




Il y a un an Hiroshima (2012)
Hisashi Tôhara


原題は「原子爆弾回顧」と漢字で書かれている

18歳で被爆した1年後の19歳の時、Tôhara Hisashi という方が書いた手記である

2010年の奥様のあとがきには、ご本人が亡くなられた3年後に遺品の中に見つけたものとある

それまで一言も語ることのなかったことを思うと、被爆体験の重さを改めて感じたという

同時に、その記録をこのような形で残していたことに本人の遺志を見て出版に至ったようだ

50ページ程度なので文字面はすぐに読み終えることができる

しかし、若き日の感受性溢れる文章の背後に目をやると、いろいろなことが頭に浮かんでくる時間となった





今回も思わぬものを齎してくれる発見に満ちた旅となった


lundi 12 mars 2012

レンヌ美術館で7年前の堀田善衛さんとラ・トゥールさんに繋がる


Le Nouveau-né
Georges De LA TOUR
(1593-1652)
Huile sur toile 76 x 91 cm
Saisie révolutionnaire, 1794
Musée des beaux-arts de Rennes



よもや、こんなことが起こるとは想像もしていなかった

しかも、調べてみると7年ほど前とぴったり繋がっているとは驚きである

昨日はシネ・カンファランスの後、ブログをアップしてから美術館に出掛けた

学生として、ゆっくり写真を撮りながら2時間ほど彫刻と絵画の世界に入る

そして、そろそろ閉館なので出ようとしたその時、最後の部屋でこの絵が現れてくれた





帰り道、そう言えば堀田善衛さん(1918-1998)がこの絵を見るためにどこかに旅行したと書いていたのでは、と思い出す

「美しきもの見し人は」という本の中で

この本を覚えていたのは、ヴァレリーさん(1871-1945)がヨーロッパに特徴的だとした科学精神について触れていたからだ

堀田さんはこんなことを語っていた

日本にはヴァレリーさんが言うところのヨーロッパの三大要素 「ギリシャ」、「キリスト教」、「科学精神」 がない

そのため、勉強しなければ彼らの美を味わうことができないのだ、と

このことはパリに戻ってから確かめることにして、ブラスリーに向かった




Tête de femme, à la coiffure d'époque claudienne


レンヌ最後の夜のブラスリー、サービスは今ひとつだったがウィフィはあった

試しに 「堀田善衛*ラ・トゥール* レンヌ」で検索してみた

驚いたことに、最初に出てきたのが冒頭と同じ絵が添えられたハンモックのこの記事であった

「美しきもの見し人は」  YOSHIE HOTTA - UN ECRIVAIN MEDITATIF (2005-8-30)


読んでみると、そこでレンヌのラ・トゥールについて触れているではないか

「この一枚の絵(新生児 Nouveau né)を見るためにパリから汽車に乗ってレンヌまで行き、さして大きくもない、タテ76センチにヨコ92センチのこの絵の前に立って、私はやはり来てよかったと思ったのであった。
  はじめにも言ったように、私は漠然とした関心をしかもっていなかったのであるけれども、現物の前に立って、やはり心を動かされた。キリストを心にもちながらも、新生児というものを医学的なまでにもレアルに描いているその嬰児像、目を伏せて見守る若い母親、それと右手をあげて蝋燭の光りをさえぎっている女との、この三つの存在をじっと見詰めていて私は、ああ人間が生まれるとはこういうことだったのか!とつくづくと思いあたったという思いにうたれた。」
堀田善衛 「美しきもの見し人は」(朝日選書、1995年)

本で読んだところまでは覚えていたが、ブログに書いているとは思ってもいなかった

ひょっとすると、ブログに書いたので記憶に残ったのかもしれない

こういう繋がりをこよなく愛する者だが、滅多にあることではない

疲れが吹き飛び、一気に気分が解放された



Messaline
Salon de 1884
Eugène Cyrille Brunet
(1828-1921)




Musée des beaux-arts de Rennes