dimanche 31 mars 2013

西田幾多郎著 『日本文化の問題』、そして法善寺横丁でインプロヴィゼーション



この週末、関西へ

先日仙台で手に入れた西田幾多郎著 『日本文化の問題』 とともに

昭和15年に初めて出て、上のものは昭和16年の第4刷

五十錢とある

そのお店では千円也

ページを捲っていると、バラバラになりそうな危うさがある

そこが愛おしい

佐藤という方が昭和17年に手に入れたもののようだ


往復で読み切れるのではないかと思っていた

しかし、花粉症は未だ去らずそこにある

全く集中できず、30ページくらいで諦める

ただ、文章を読みながら気付いたことがある

同じ言葉が何度も使われている

ひとつは確信の表れなのか 「・・・なければならない」

30ページの中に106回を数える

現代人にとっては、少々押しつけがましく響く

それから、「何處までも」 は50回

この言葉にはどこか突き抜けるものがあり、嫌いではない

典型的なパターンは、「何處までも・・・でなければならない」

そして、おそらくキーワードになるのであろう 「(絶對)矛盾的自己同一」 が目に付く

この言葉の意味するところも手が届きそうな感触を得る

これまでのところで生命や生物に対する見方を垣間見ることができる

 そこに、どこか通じるものがありそうな印象がある

体調が戻ってから、読み続けてみたい



夜は昨年4月以来の法善寺横丁へ

今回は、パリ時代の元気な友人と旧交を温めるためだ

パリ生活が長かった方なのか、わたしの日本語が通じにくいことがあった

ひょっとすると、問題は idiosyncratique なわたしの語彙の方にあったのかもしれない

これからの益々の活躍を期待したい






vendredi 29 mars 2013

「目撃せよ。体感せよ。記憶せよ。」 フランシス・ベーコン展にて


先日の東京駅

挑発するようなこの言葉が電光掲示板に出て、一瞬で消えた

すぐに控えておいた

「目撃せよ。体感せよ。記憶せよ。」


 フランシス・ベーコン(Francis Bacon, 1909-1992)

実はこの言葉、わたしの中にすでにある

最初のブログのモットーは、J'observe donc je suis であった

「われ観察す、ゆえにわれあり」


ものを注意深く観ることは、古代ギリシャ人がやったこと

theôrein とは、日常を脱して劇場 théâtre に行くために移動し、只管観察し、省察することを意味した

そして、理論 théorie が生まれることにも繋がった

このモチーフ、留学に絡めて昨日話したことと完全に重なるのだ

不思議である

 
本日のお昼、会場となっている国立近代美術館に向かった

混み合ってはいないが、それなりの人がゆっくり作品を味わっている

落ち着いたお客さんが多い印象である

1時間もしないうちに観終わっていた

画集ではすでに観ているが、まだよくわからない

今回は取り入れたものをそのままの状態で置いておきたい

いずれどこかで何かと繋がってくるはずである


ブティックでは、「ジョン・バージャー」 の名前が目に入る

以前に文芸誌 Lire で出会っていることがすぐにわかった

(2009-01-23)

 もう4年も前のことだったのだ

見るということ」 を手に入れる

他に、仙台で発見した松本竣介(1912-1948)の紹介本とメルロ・ポンティ( 1908-1961)ものが目に留まる

文庫本が1,500円もするようになったのは、一体いつからなのか

翻訳ものも高いのでパリに戻ってから手に入れることにした





jeudi 28 mars 2013

「"教養"としての留学」 について対談する


昨日、サイファイ・カフェSHEを無事に終え、少しだけほっとする

今夜は東京駅近くに出かけた

雑誌 「医学のあゆみ」 の対談企画 「"教養"としての留学」 にお誘いを受けたからだ

ホストは三重大学の島岡要教授

随分と薹が立った学生を選んだものである

ほぼ3時間の対談となった


何を話したのか、その詳細は覚えていない

研究上のお話とは違い、仕事を超えて自らの人生を語らなければならなかったことだけは確かだ

 一番最後に教養をどう捉えているのかについての問いが出た

深く考えたこともなかったが、人類の遺産をもとに領域を超えて考えることができる素養と答えていた

3時間余りの流れの中から一体どのような姿が浮び上がってくるのだろうか

こんなことしか話していなかったのか、ということになりそうな予感がする

今は編集の妙に期待するしかなさそうである


帰り道、東京駅の上に真ん円の月が見えた 

美しかった




mercredi 27 mars 2013

第5回 Sci-Phi Cafe <サイファイ・カフェ> SHE 二日目も無事終わる


 本日もサイファイ・カフェSHEを開いた

始まる前に写真を撮るべく準備をしていたにも関わらず、いざ始まると完全に失念していた

飛び入りで参加された方もおられ、会場には熱気が溢れていた

懇親会には4名の方が参加されていないので、会場が溢れるような感じであった

その熱気に酔ったと言いたいところだが、すでにその兆しがある単なる物忘れだったのかもしれない

ということで、今日は懇親会の様子が冒頭に来てしまった


会の方は昨日も感じたが、質疑応答の質がかなり上がり、密度の濃いやり取りになっていた

何度か参加された方が増えていることも関係するだろう

その他、これまでのテーマとの絡み合いが出てきたことも奥行きを増す要因になっているようだ

このような展開は予想していなかった

何事もやって見なければわからないものである


年度末のお忙しい時期に参加していただいた皆様に感謝いたします

今後ともこの試みの趣旨をご理解いただき、ご参加いただければ幸いです

よろしくお願いいたします








mardi 26 mars 2013

第5回 Sci-Phi Cafe <サイファイ・カフェ> SHE の初日終わる


今日は第5回になるサイファイ・カフェ SHE の初日であった

テーマは 「生気論を考え直す」

現役時代のわたしの辞書にはなかった 「生気論」 という言葉に反応する人がいるのか心配していた

しかし、定員に達する方々にお集まりいただき、主宰者が驚いた

中には、仕事関係のお相手からこの言葉が出て、ネット検索の結果この試みに辿り着いたという方もおられた 

どこでどう繋がるのかわからないのがネットの世界だ

しかし、この世界が不思議な繋がりからできていることを思えば、驚くには当たらないのかもしれない


やや纏まりのないプレゼンテーションの後、ゆっくりとだが実のあるディスカッションが進行していた

その続きはいつものように懇親会で継続された

これまでに比べて話に落ち着きと深みが出てきたように感じたのは、この場に慣れた方が増えてきたからなのだろうか

 今後が楽しみな流れであった



年度末のお忙しい時期に参加していただいた皆様に感謝いたします

今後ともこの試みの趣旨をご理解いただき、再訪していただければ幸いです

よろしくお願いいたします




 




dimanche 24 mars 2013

宮城県美術館でインプロヴィゼーション、そして東京でも不思議な再会


帰国してすぐのEテレ日曜美術館

フランスに向かう前には必ず観ていた番組だが、今回は実に新鮮だった

31歳で戦死した石巻の海を彫った彫刻家高橋英吉(1911-1942) が取り上げられていた

仙台に寄った機会にその展覧会を観ることにして、宮城県美術館に向かった

まず外の景色を眺めてから中に入り、いつものように学割のお世話になる

展示されている英吉の作品は少ない

作品が散逸していることもあるのだろうが、やはり31歳での夭折が大きいのだろう

すでに仏を彫るだけの精神性が備わっており、素人目には一つの完成があるようにも見える

 静かな週末、じっくりと味わわせていただいた


別の会場では松本竣介(1912-1948)を発見

「郊外」と「画家の像」から滲み出ている何かに反応した

その何かは、どこか決然とした姿勢、さらに言えば反骨の精神とでも言えるものだったかもしれない

ウィキによれば、旧制中学に入る時に聴力を失い、それから絵に打ち込むことになった

そして、先の大戦開始の年には軍部の干渉に対する抗議をしている

その存在全体が絵に表れていたのだ

こちらも36歳という若さで亡くなっている

昨年夏、同じ会場で生誕100年の展覧会が開かれていた



会場を出て館内を歩いていると、遠くからクラシック音楽が聞こえてくる

その方向に向かうと、以前には気付かなかったカフェ・モーツァルト・パパゲーノというお店があった

そこで暫しの時間を使うことにした


カフェ・モーツアルトのオーナー、善積建郎氏


静かにしていようと思ったが、流れる音楽が10秒ほどで入れ替わることに気付き、ご主人に訊いてみた

そのCDは、雑誌「レコード芸術」の付録だという

差し出された懐かしい雑誌を学生時代以来手にする

そこから長いが気持ちの良い会話が始まり、人間の奥に蓄積されている記憶の一端に触れることになった

表面からは想像もできないものが詰まっているのが人間である

そこに至る入口は、やはり言葉を交わすことなのだろう

会話を振り返ってみるとこう表現できるだろうか

一人が話すと、その内容を受けてもう一方が繋がってはいるが別の次元に話をもっていく

大げさに言えば、ヤスパースの「真理は二人から始まる」 という言葉を思い出させるものであった

お話を伺いながら、それが可能になった訳が分かるようであった


善積氏はお若い時、ヨーロッパで時を過ごされている

 最初はウィーンに8か月滞在

その時は、カフェなどを回って新聞を売る仕事をされていたという

トルコやアラブ系の人たちと一緒に

貧しいけれども人生最良の時だったとのこと

それからドイツ語圏のスイスに移り、山を歩く生活を4年ほど続けられた

そして、日本に帰国されてから37年、一貫して今のお仕事をされている

美術館内にあるレストラン・フィガロの他、仙台市内にカフェ・モーツアルトアトリエの計4軒を経営中

海外に出ると、いろいろな国のカフェに触発されているようだ

最後まで学び続けることが大切という考えの持ち主とお見受けした


お店の名前の由来を訊いてみた

すると、ウィーンにあるシュテファン大聖堂に因んだとの答えが返ってきた

そこでモーツアルトの結婚式と葬式が執り行われたからだろう

若き日に刻まれた記憶がその後の仕事まで決めていたようだ


尽きることのない会話の最後に、モロッコ旅行を勧められた

モロッコには以前から興味を持っていたが、道路事情もよくなり、比較的安全でもあるという

いつになるのかわからないひと段落がついたところで考えてみるのも悪くないだろう



その夜も不思議な出会いが待っていた

もう7年前になる

夕食の席に隣り合わせた方からこう問い掛けられた

「タンパク質に精神があると思いますか?」

 科学に打ち込んではいたが、哲学への興味が増していた時期

 それ以前であればすぐに無視しただろうその問いが、実に面白い問として迫ってきたのだ

その問いにより、科学での時間が長くなる中で人間が問い得る問いが抑制されていたことに気付いたのである

深く考えることなく反射的に捨象された問いの中に、科学では処理しきれないものが眠っているのではないか

そんな期待感溢れる帰り道となったことを鮮明に思い出す


そして、昨夜

その方がお仲間と一緒に同じ店に顔を出されたのだ

不思議である

その夜、昨年の日本神経心理学会で話した内容の論文を持って出かけたのである

その中で7年前のエピソードに触れているので、再訪された折にお店の方に手渡してほしいと思ったからである

よもや、直接手渡しできるとは思ってもいなかった

少しだけお話を伺ったところ、生きているものすべてに魂・精神があるという考えをお持ちであった

いずれ、論文についての感想が届くことを願っている 



長い一日を振り返り、満開の桜と道に溢れる人の波を見ながら帰途に就く

一夜明けると、それまでの鼻閉、鼻水、くしゃみが悪化

そして、しょぼしょぼの兎の眼を久しぶりに見ることになった

ついに、こちらも全開状態だ

丁度、日本を出る前の状態に戻ったことになる

第5回のサイファイ・カフェSHEを前に、いやはや、といったところだ




vendredi 22 mars 2013

仙台の夜に一つの終わりと新らたな出発を祝う

田村眞理先生ご夫妻 (東北大学)


今日は仙台まで足を伸ばした

この3月で大学を退職になる田村先生の祝賀会に参加するためである

同じ研究領域だったので感慨深いものがある

それは時の流れの速さと密接に繋がっている

この人生が実に短いものであること

そして、その生の中で何をするのかという大問題にも繋がる



それとは別に、多くの研究仲間と顔を合わせる幸運に恵まれた

緒方正人(三重大学)、 野田昌晴(基礎生物学研究所)、的崎尚(神戸大学)、渡邊利雄(奈良女子大学)の各先生


冒頭、会の趣旨を説明される小林孝安先生(東北大学)


 田村先生の業績とお人柄を紹介される宮本英七先生(熊本大学名誉教授)


 兄弟子として研究生活の思い出を語られる菊池九二三先生(北海道大学名誉教授)


諸先輩に混じり、わたしも一言お祝いの挨拶をさせていただいた

そこで触れたことは、このブログでも何度か取り上げた生きるということについてである

「生きるということ、それは詩的に生きること」

「人生を詩的にすること」

そして、「この生の一瞬一瞬をインプロヴァイズすること」 がそのエッセンス

それが可能になるのは、残念ながら仕事から離れた時である

 これからの豊かな時間を願いながら、ほんの少しだけの先輩として話をさせていただいた



わたしのテーブルの周りの景色はこんな具合であった

 野田先生、畠山昌則先生(東京大学)、的崎先生、緒方先生


前濱朝彦(国立感染病研究所)、前田達哉(東京大学)、乾誠治(熊本大学)、鈴木聡(九州大学)、中釜斉(国立がん研究センター)の各先生


わたしは二次会までお付き合いさせていただいた

前列: 島礼先生(宮城県立がんセンター研究所)、野田先生
後列: 的崎先生、前田先生


 これだけの先生からざっくばらんな人物評をいただくと、自らの姿が立体的に浮かび上がってくる

それが自ら描いていた像と如何に乖離しているのかには驚かずにいられない


若者の中には閉塞感が充満しているという話も出ていた

 おそらく、真理は多数決からは生まれないはずである

多数に倚りかかることで人間は容易に考えなくなる

その状態に慣れると、居心地がよいらしい

しかし、そこからは何も生まれてこないだろう

一人一人の生命の迸りがないところに創造はないだろう

そうなるためには、生命の迸りが抑制されない環境を作る必要がある

しかし、そのことについて語ろうとする大人を見かけない

結局のところ、大人がその居心地の良さに安住しているのかもしれない


二次会ではわたしの盲点を突くようなサジェスチョンをいただいた

わたしの生理に反することなので、これまでは視野に入らなかったことである

どのようなことになるのかわからないが、一つのオプションに入れておいても面白いかもしれない




jeudi 21 mars 2013

わが分身の仕業か

Laure Albin Guillot (1879–1962)


昨日のこと

日本に落ち着いているような気分になる

学生生活が終盤に差し掛かっているからだろうか

その視点から随分と遠くに感じられるパリの日常を眺めてみた

学生としてのパリ生活が信じられないような内容であることに改めて驚く

ただ単にパリに滞在して自分の時間を使っているだけでは訪れない驚きだろう

それをこの自分がやっていることに感嘆するのである

この身ではなく、どこかにあるわが分身がパリで動いていたのではないか

そんな気分がそこにはあるのだ

 それが信じられないということの中身ではなかったのか

空間と時間に纏わるこの感覚

興味が尽きない





mardi 19 mars 2013

日本語を読む愉しみ


日本に帰ってきての愉しみが日本語の本を読むことになってから久しい

普段外国の文化の中にいるご利益なのだろう

日本語が新鮮で、何か新しいものでも発見できそうな気分にさせられるのだ

どこか全体を俯瞰するような視点で読んでいるところがある

ただ、愉しみを感じる期間は次第に短くなっている

今回もその感覚が消えないうちに、注文しておいたいくつかに目を通す

以前に感じた感激は薄れているが、古いものには相変わらず不思議な魅力がある

それがなぜなのか、未だ謎である




dimanche 17 mars 2013

ネットからマスメディア世界へ


パリではネットの世界で暮らしている

日本に帰るとマスメディアが自ずと目に入ってくる

そして、具体的な生活が入ってくる

そうするとネットの世界が遠ざかり、恰も存在しないような感覚に陥る

 ネットで盛り上がっている人たちがいることさえ見えなくなる

 そもそも、ネットの世界はマスメディアに抗するものとして存在しているようにも見える

 マスメディアの中での批判の力は非常に弱い

あるいは、成立しなくなっているのかもしれない

その意味では、批判に溢れたネット世界は不可欠だろう

日本での時間は、この両極のバランスを取り直す機会になっているようだ

そして、頭の中が平凡になるのである




jeudi 14 mars 2013

シャルル・ド・ゴールは雪の中


春はすぐそこだと思っていた

ところが、よりによってその日、シャルル・ド・ゴールは雪の中

予定の飛行機はキャンセル

新たに乗り込んだ便も雪のため5時間ほど足止め

それだけでは終わらなかった

成田に近づくと空港周辺が茶色の砂塵?で覆われ、視界不良

 着陸を試みるも強風にあおられ途中断念

どうなるかと思っていたら、名古屋に連れて行かれた

前回は濃霧のために同じような状況に陥った

ただ、前回同様、心は凪であった




lundi 11 mars 2013

"The War on Democracy"、あるいはウゴ・チャベスから見えるアメリカ合衆国




ベネズエラの大統領ウゴ・チャベス(Hugo Chávez, 1954-2013) が先日亡くなった

普段は意識に上らないラテン・アメリカ

アメリカでの情報を基にものを観ていたせいか、チャベス大統領は漠然と悪のイメージの中に入っていた

昨日、オーストラリアのジャーナリスト、ジョン・ピルジャー(John Pilger, 1939-)氏の作品を観る

アンチ・アメリカの姿勢がある方とはいえ、目を開かせるものがそこにはある

アメリカ合衆国の激しい意志を見ることができる

民主主義という言葉を如何にいい加減に解釈しているのかを垣間見ることもできる

ご本人がどこかで言っていた "investigative journalist" というものの存在意義を教えてくれるようでもある

静かな中に激しさがある

 見方を変えさせる力がある




dimanche 10 mars 2013

連載エッセイ第2回 「自然免疫、あるいはイリヤ ・メチニコフ とジュール・ホフマン」


現在、総合医学誌 「医学のあゆみ」 に 「パリから見えるこの世界」 と題したエッセイを連載しています。キーワードとして、医学、科学、哲学、歴史、フランスなどを考えています。今回は第2回のエッセイを紹介いたします。


 
 ご一読、ご批判いただければ幸いです。
よろしくお願いいたします。




samedi 9 mars 2013

サイエンス・カフェ考、あるいは Gathering から Sci-Phi Cafe へ



2011年11月から始め、今月末で5回目を迎える

毎回同じ内容で2日間やっている

平均すると、各回2日で25名の方に参加していただいている

参加されている皆様には改めて感謝したい

当初、この会の英語名として何気なく The Gathering を選び、これまで使ってきた

昨日、この試みの特徴を説明するとすればどうなるかを考えていた

会を始めた時から一貫した考え方がある

それは、日本の空間に欠けているのではないかと気付いた点に焦点を合わせようとするものである

単なる事実で留まるのではなく、その背後にある思想や事実から広がる世界について思いを巡らすことである

科学に当て嵌めると、成果だけではなく、むしろ成果を生み出した精神の働きや成果を取り巻く問題に重点を置くことである

科学論文で言えば、材料・方法や結果の先にあるディスカッションを充実させることでもある

論文の世界でディスカッションを広げることを制限する傾向が増しているように、現実世界でもその傾向が強い印象がある

事実を知ることで事足れりとして、そこから想像や関連付けや統合に向かう精神運動が乏しいように見えるのだ

そこで、この試みでは科学の話題を歴史や哲学の視点から見直そうとしている


現在、国の政策もあってか、サイエンス・カフェが花盛りである

すべてを調べたわけではないが、そこでは科学の成果を紹介することが中心になっている

事実を学ぶことに重点が置かれている

科学の内容を伝えること、事実を学ぶことは大切なことである

ただ、それだけでは不充分に見える

明治期、日本は科学を導入するに当たり、科学の持つ精神には目も呉れず技術だけを取り入れた

当時のお雇い外国人がそのことに驚いていることを知り、こちらも驚いた

同じような状況が今盛んになっている科学の伝達においても見えるように思えてならないのだ

ふわふわと浮いていて、どこにでも飛んでいきそうな感じとでも言えばよいのだろうか


ところで、われわれの試みはサイエンス・ポータルのサイエンス・カフェに紹介されている

ただ、所謂サイエンス・カフェとは違うように見える

かといって、哲学カフェ/カフェ・フィロというのでもない

敢えて名付けるとすれば、サイファイ・カフェではないか

SciencePhilosophy の頭を取り、繋ぎ合わせた Sci-Phi である

ネットで検索すると、このようなものは世に出回っていないように見受けられる

ということで、今回からこの名を正式に使うことにした

その名に相応しい営みになって行くのか、それはこちらの努め方次第だろう



jeudi 7 mars 2013

プリンタその後


今週月曜日、風邪を押して出かけた先にこの景色があった

今は廃線になったと思われる線路の先は行き止まり

その日から風邪が通奏低音のように続いている

まだ完全には抜けていないようである


ところで、動かなくなったプリンタ

本体には問題がなく、ケーブルにも問題がなさそうである

しかし、パソコンからの指令に従ってくれない

仕方なく、以前に音を立ててダウンしたパソコンを動かしてみた

 すると、微かに音はしているが立ち上がってくれた

しかも、このパソコンだけがプリンタとコミュニケーションが取れるのである

印刷する時だけこちらを使うという不便な状態になった

それにしても、これまで使っていたパソコンに何が起こったのだろうか




mardi 5 mars 2013

フランス式パソコンのことなど


昨日は風邪気味の中、外出

今日も風邪が続き、パソコンとプリンタの連絡がうまく行かなくなる

どのパソコンでも印刷できなくなっているのでプリンタの問題だろうか

6年目に入った代物だ

どういう順序で検討しようか頭を悩ませている時、日本語のパソコンが突然止まる

心配したが、無事に元に戻ってくれた


フランス語版のパソコンはこちらに来た時に手に入れたので、これも6年目になる

フランス式のものは使ったことがないままこちらに来た

学生でもあり、やや大型の安いものを手に入れた

最初は慣れるのに大変だったが、少しずつ楽になってきたようだ

エルゴノミックスの点からも使いにくいものをよくも長い間我慢してきたものである

 何のことはない、使用時間が少なかっただけなのかもしれないが、、


ところで、最近では文章を書くときに英語とフランス語がごっちゃになっても気付かないことがある

同じように、日本語でキーを打つ時にもフランス語式が混じって困る

頭の切り替えがだらしなくなっているのだろう

どうも、のぺーっとした生活になっていそうである




dimanche 3 mars 2013

ベルグソンさんによる師フェリックス・ラヴェソンの思想と人生


先週はほとんど曇り

今日は1週間ぶりの快晴である

朝、寒いバルコンに出て、昨夜手にしたベルグソンの『思想と動くもの』(河野与一訳)を読む

以前に読んで、哲学のやり方にいくつかの道があることに気付く一つの契機になった本でもある


その中の 「ラヴェソンの業績と生涯」 というエッセイがあり、省察を促されるところがいくつかあった

Félix Ravaisson (1813–1900)

このフェリックス・ラヴェソンという方、ベルグソンの分析によれば、自ら論文を書くという気質の持ち主ではなかった

つまり、外部からの強制で書かなければならない状況にならなければ書かなかったのである

最初は学士院が出したアリストテレスの『形而上学』に関する競争論文

その次は学位取得のための論文であった

その後も、依頼がなければ書かなかっただろうものばかりだという
 

この気質、小林秀雄(902-1983)が見た正宗白鳥(1879-1962)のそれと同じである

白鳥は文学なんかやってもしょうがないと考えていた

日課のようにコツコツ書くことも荷風のように楽しんで書いたこともない

書くのは懸賞に出すなど、書かなくちゃという時だけだった

人の批評も全く気にならず、読みたい人は読めばよいと考えていたという

 愛読者も持たず、長い間よく作家を続けられたものだと小林は『大作家論』の中で頭をひねっている


形而上学の目的について、このように書かれている

「個別的な実在の一つひとつにその固有な色合いを与えながら、

そこを通してこれを普遍的な光に結びつけている特殊な光線を、

個別的な実在のうちでふたたび捉え、

それらが発する光の光源までたどることである」


物質的な機構にしか目が行かなかった自然哲学者

あらゆる事象を普遍的な型に入れようとしたプラトン

この流れとは違い、精神の直観により個物の奥にある個物を生かしている特徴的な思想を求めたアリストテレス

ラヴェソンさんはアリストテレスの哲学に気高いものを見ていたようである


ラヴェソンさんはまた、旅行、会話、社交を好んだという

当代一級の人たちと交わり、それが魂全体に浸透し、自分というものの発見がさらに深まった

彼が愛着を持っていたのは純粋な思想で、思想のために思想とともに生きた

彼が自らを確立するに至るには、人との接触が重要であったとベルグソンさんは推測している

それまで作品の外にあった著書がある時期から中に入ってくるのを指摘している

その時、著者自身の内的生活が十分でないために作品に生命を吹き込むことができなかった状態から脱却したのである


このことを自らに引き付けて振り返れば、程度の違いは否めないが、同質のものを感じることができる

今の自分はこれまでの自分とあまり変わらないと思いがちだ

しかし、こちらに来ることなく日本に留まっていたとしたらどうなっていたのか

それを想像することが重要である

こちらの大学でその道の専門家から講義を受け、時には直接話をする中で、何かを感じていたはずである

そこでは、これまでとは何かが違うと感じ、そのことでこの精神が開かれて行ったはずである

 特に、最初の2年間の衝撃は想像を超えるものだったが、生の記憶は薄らいでいる

以前から今の状態だと思いがちなのである

しかし、当時のものを読み返せばそれが誤りであることがすぐわかる

その後も人に会う度に化学変化が起こっていたはずである

先日のランデブーでも、それがなかった時の状態を思い描いてこの事実を再確認していた


何気なく遣り過ごしていると、そのことを簡単に忘れる

起こったことを観察し、記録し、明確な形として認識できるようにしておかなければ、そのことが意識できない

比較できず、拡がり深まらないのだ

この営み自体が哲学的と言えるかもしれない



ところで、バルコンで読むと、どうしてこうも感受性が上がり、思索が拡がるのだろうか
 
暫定的な解は以前に出してみたが、未だ確実なものは見つかっていない





vendredi 1 mars 2013

実り多き奇跡的ランデブー


今朝はランデブーのため、コレージュ・ド・フランスへ

実は4か月ほど前、ランデブーの可能性を確かめるメールを出していた

しかし、返事がないので見慣れない主のメールはゴミ箱にでも入ってしまったのかと思っていた

 実際そうだったようで、何かの気まぐれで(?)覗き、ゴミの中に溺れているのを発見したとの返事が最近来たのだ

同様のことはわたしのメールボックスでもあり、偶然ゴミ箱の中から貴重なメールを発見したことがあった

今回は本当に忘れた頃に起った奇跡のような出来事と言ってよいものであった

1時間ほど時間を割いていただき、話をさせていただいた

これまでにない視点が得られ、実に実り豊かなランデブーとなった

話の中に出てきた本を近くのリブレリーで手に入れる

それから研究所へ

その入り口で、数年ぶりにポルトガル出身の哲学的研究者とばったり会う

まさに絶妙のタイミングで、この方とも近いうちにお話することになった


 早くも新しい月に入ったが、今月は期待できるのだろうか