mardi 4 janvier 2011

田中美知太郎著 『哲学初歩』 を読む


昨日、古代ギリシャの専門家、ジャクリーヌ・ド・ロミイさんが97歳で亡くなったことを知る。彼女のことを知ったのは5年ほど前になるが、ギリシャのエッセンスを教えていただいた方になる。それに肖ったわけではないが、以前に途中まで読んでいた田中美知太郎氏の「哲学初歩」を手に取る。何を思ったのか、2007年1月に新しい版が出てすぐに買っている。

この本は日本語がこなれていて非常に読みやすい。哲学についての考え方も私に近く、哲学がどんな考え方をするのかを知りたい方にはお勧めである。今日読んだところは「哲学は学ぶことができるか」という章で、科学などによって学ぶ「知」とそこを超える哲学が求める「智」を分けて考えている。ポイントは、この世界を理解する時に「知」だけで充分なのか、科学による断片化された「知」で満足ができるのか、根本原理に迫るような全体への視線がある「智」を求めるのか、という問題に集約される。この章の問に答えるとすれば、智に至る哲学は一人一人に委ねられており、学ぶことができるようなものではない、ということになる。田中氏の本は若い時にも読んでいるはずだが、ある程度経験を積んだ今読むとよく理解できる。今問題にすべきは、「智」の探求をやり続けることができるのか、ということになる。

その章の終りに、ジョルダーノ・ブルーノ(1548年-1600年2月17日)とガリレオ(1564年2月15日-1642年1月8日)の対比が出てくる。異端審問にかけられた二人だが、ブルーノが自説を曲げず火炙りの刑に処せられたのに対し、ガリレオは地動説を撤回して「それでも地球は動く」(Eppur si muove)と呟いたとされる。ブルーノには以前から興味を持っていたが、今回英日仏のウィキを読んでみて、いずれもう少し調べてみたいと思っていた。


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(11 janvier 2011)

昨年末、アヴィニョンに向かう前のリヨン駅で見つけたジャック・アタリさん(Jacques Attali, né le 1er novembre 1943 à Alger)の Phares. 24 destins (灯台.24の運命)にジョルダーノ・ブルーノが取り上げられていた。改めて読み直し、AVFPに書いてみた。

ジャック・アタリさんによるジョルダーノ・ブルーノ Giordano Bruno selon Jacques Attali (I)
ジャック・アタリさんによるジョルダーノ・ブルーノ Giordano Bruno selon Jacques Attali (II)