dimanche 21 août 2011

手塚治虫の人生、あるいはいのちとは



今日は昼過ぎに通り雨があった。
昨日、今日は大人しくしていてもじっとり汗が滲んでくる。
秋を迎えるこの時期に、やっと夏らしくなってきた。
肖って、夏休みを取りたい気分だ。


この週末、手塚治虫さん(1928年11月3日-1989年2月9日)の日常を追ったNHKの映像を見直してみた。亡くなる数年前と数ヵ月前の映像なので、まだ還暦前だが彼の晩年の姿になる。仕事場のアパートの中にはそれまで人の目が入ったことはなかったという。瞳が澄んでいて、エネルギーに充ち溢れている。分刻み、秒刻みの時間に追われ、作品が出来上がる解放の時まで苦しみながら仕事をしている。睡眠時間も切り詰め、走り続けた人生だった。

劇画の台頭があり、スランプに陥った時もあったようだ。多くの読者を得たいとは思ったが、そのために魂を売ることはしなかった。あくまでも、自らの内なるものを貫いた上で読者の心を掴むのでなければ意味がなかった。売れることが結果であることを望んだのだ。

その内なるものとは何だったのだろうか。亡くなる数ヶ月前に子供たちに話しかけたところによれば、それはいのちだ。子供時代の大戦中、爆撃で人々が一瞬の内に丸太の山のようになるのを見て衝撃を受けた。そして、大学病院での研修中に見た死の間際にいた患者さんの表情だった。それまで苦悶の表情を浮かべていたその人は、死を迎えた瞬間に非常にいい顔に変わったという。その経験から、いのちというのは一人の人生の間だけ存在する小さなものではなく、永く連なる宇宙的なものであることを悟ることになる。だから、いのちは大切にしなければならないと子供たちに語っている。

人の一生は一つの問に答えるためにあると言った詩人がいた。その一つのことをするためにこの世に現れたのが人間であるとすれば、手塚さんは若くしてそのことを見つけ、そこに向けて身を削るようにして歩んだように見える。

いのちとは何なのか。科学でどこまでの回答が得られるのか、それはわからない。科学では答えられない哲学的な問になるような気もする。わたしも一人の人間としてその営みに加わらなければならないだろう。





ところで、漫画が公共の場で焼かれる映像が流れるのを見て、わたしが生きた時代に公然と焚書が行われていたことに驚く。当時の記憶が消失しているだけだとは思うが、気に留めていなかった証かもしれない。人間は簡単に野蛮に陥る動物であることを改めて確認する。



-------------------------------------------------
lundi 22 août 2011

上で触れた焚書の映像を見た時、うまく表現できないが実に厭な感じがした。この感覚は2003年に田中真紀子さん関連の雑誌記事が差し止めになったとのニュースをラジオで聞いた時に感じたものと同じものである。その時、報道の自由か、個人のプライバシーの保護かで騒ぎになった。それから2年ほどして、最初のブログでこの問題に触れたことを思い出した。

MIKE BLOOMBERG - 報道の自由 LA LIBERTE DE LA PRESS (2005-04-14)



Aucun commentaire:

Enregistrer un commentaire