jeudi 25 août 2011

超越性とでも言いたくなるもの



超越性transcendance ; transcendence) という言葉をこの領域に入ってから目にするようになった。科学の辞書には入っていなかったし、わたしの辞書では日本語と横文字が結び付かないままになっていた。そんなところから見ると、この言葉は科学を越えた何か、人知や感覚では捉えられない何か、神の領域に属することを指しているのではないかとぼんやり思っていた。


今朝のバルコンでのこと。いつものように陽の光を浴びてリラックスしていると、こんな考えが浮かんできた。
人類がこれまでに残した精神的な遺産の総体からそのエッセンスを抽出するということ。人間には到底手にすることができないだろうその抽出物の中に、至高の価値が隠れているのではないか。この抽出作業をやり続けること。際限のないこの営みに崇高なものが見えてくる。ここで求めているものを超越性と言うことはできないだろうか。

超越性の中身は永遠にわからないのだろう。
本来はそこに至る道もわからないのかもしれない。
ただ、仮にこう理解すると体と精神が動き出すようだ。
それが妥当な解釈かどうかは別にして・・・。




「語り得ないことについては沈黙しなければならない」 
ウィトゲンシュタイン 「論理哲学論考」 (1918年)



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