dimanche 31 juillet 2011

映画 「かすかな光へ」、あるいは教育とは


北垣憲仁さん(都留文科大学准教授)と森康行監督


「93歳の教育研究者、大田堯の挑戦」 をテーマにしたドキュメンタリー映画、「かすかな光へ」 を観る。大田堯さんは東京大学で教育学を教えた後、都留文科大学の学長を務め、現在は講演や執筆、小さなグループでの対話などに精力的に取り組んでいる。この映画では、大きく言えば人を教育するとはどういうことなのか、その理解に大切になる基本的人権をどう捉えるべきなのか、などの問題についてわかりやすい言葉で語る大田さんの姿が紹介されている。

基本的人権を何ものにも先んじて生まれながらにして有する権利とするならば、その定義にある生命と密接に関連するものではないかと大田さんは考える。つまり、生命の特徴を考えることにより、人権の姿がより鮮明に表れてくるのではないかと考えを進める。そして、こう結論する。生命とは一つひとつが違うこと、自らが変わる能力を持っていること、そして他と関わることなくしてその維持が不可能であること。人権を尊重するとは、これらの事実を確認し、その背後にある過程をサポートしようとすることではないかと考える。

それから、言葉や記号を介する接触ではなく、物理的なものとの直接の接触が大切であるとの指摘もされていた。そこでは人間の感性がものを言う。その感性を磨くためにはそれぞれの専門を出て、生身の全人間に戻らなければならないだろう。言葉としては分かっているようにも思う。しかし、本当に理解するとは、自らが変わることでなければならないはずだ。大田さんは言う。大きなことをやろうとするのではなく、自分のできる身近なことから始めるしかない。

この映画に興味を持ったのは、大田さんの教育に対する姿勢とその活動にひとつの道を見たように感じたためではないだろうか。すべては教育に帰結すると考えるようになっている身にとっては、ごく自然な反応になる。人を作る、ある型に嵌めるという視点ではなく、人が自らを観察し、自らが変わるために必要になるものを探る営み。それはそれぞれの生命を十全に燃やすことに繋がるはずのものでもある。

映画終了後、監督の森康行さんと映画にも出ていた都留文科大学の北垣憲仁さんによるフィールドミュージアムについての対談があった。






夜、テレビをつけると放送大学に学ぶ学生さんが何人か出ていた。これまでに感じたことのないほど親近感を覚える。人間は学び続け、変わり続けなければならないのだろう。その生を全うするためには。

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