dimanche 10 juillet 2011

寂れたブラスリーでヘッセと繋がる



昨日、今日と午後あるいは夕方から散策に出て、寂れたブラスリーで読んでいた。酔っ払いが管を巻いていたり、外国語訛りのフランス語が飛び交っていたりするが、これが予想以上によく、集中できるのだ。数日前から読み始めた本が結構読み応えがあり、興味深い結び付きに気付かせてくれる。意外だったのは、ヘルマン・ヘッセHermann Hesse, 1877-1962) の文学などが出てきて、青春時代を思い出させる清々しい意欲を掻き立てくれたことである。

今朝、今読んでいる本の書評があることがわかり、今日はそれを読んでみた。文系では書評も業績になるようで、この書評は原稿用紙で40ページもある。普通は途中で眠くなるのだが、今日は3時間で読み終えた。本の著者も書評の主もニューヨークの会に参加されていたので、お話を聞くような感じで読むことができるからだろう。

この本に出てきたヘッセの小説は 「ガラス玉演戯」 (Das Glasperlenspiel)。ヘッセ最後の小説でノーベル賞受賞の直接の対象になったと言われる作品だが、あまり有名ではないような印象がある。もちろん読んだことはないが、説明によるとそのテーマが私の抱えている問題とぴったり重なるのだ。それはブログでも何度か取り上げたことのある、瞑想のある生活と活動的な生活とのバランスを如何に取るのかという問題、科学と芸術、あるいは科学と宗教との和解、さらには西洋の理性と東洋の神秘主義との融合を如何にするのかという大きな問題になる。知をより大きな枠組みの中に入れ直して考えることを通して、個人だけではなく社会をも覚醒させようというヘッセ哲学の野心が表れていると書かれている。

これは思わぬ出遭いであった。早速、英訳 (The Glass Bead Game, or Magister Ludi) を注文。ヘッセに関してはもう一冊所縁の小説があるのだが、こちらは少し読んでから触れることにしたい。



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