lundi 25 avril 2011

ニーチェのニース



ホテルはロッシーニ通りにあった。この界隈は、Quartier des Musiciens (音楽家街)と呼ばれていることを初日の夜に入ったレストランのマスターに教えてもらう。例えば、ベルリオーズ通り、グノー通り、ヴェルディ通り、パガニーニ通り、ジャック・イベール公園、モーツアルトなど作曲家の名前の付いたカフェ、さらにベートーベンやビゼーの名前が付いたアパートなどがあり、なぜか心が浮き立つ。そして、ニースに来る車内で読んだ 「ニースのニーチェ」 でロッシーニ通りがニーチェ(1844-1900)と深い関係があったことを知り驚く。



Nietzsche à Nice de Patrick Mauriès


ニーチェはその生涯に5回だけニースに滞在している。

 1883年12月2日~1884年2月1日
 1884年12月8日~1885年4月8日
 1885年11月11日~1886年5月初め
 1886年10月22日~1887年4月2日
 1887年10月22日~1888年4月2日


冬の半年間をこの地の太陽と空気の下で過ごし、「ツァラツストラ」 や 「善悪の彼岸」 の一部を書いた。「ニースのニーチェ」 には彼の日課が出てくる。朝6時半に起きると紅茶とラスク (biscotte) を味わい、Le Journal des débats に目を通す。それから酷く着古した黒のコートを着て、ロンシャン通り(現在のヴィクトル・ユーゴー通り)、フランス通り、マセナ通りへと足を伸ばす。朝1時間、午後には3時間早足で、同じ道を来る日も来る日も。時に、ニーチェが 「わたしのサン・ジャン岬」 と言う Saint-Jean-Cap-Ferrat まで足を伸ばしたというが、著者も半信半疑だ。正午に朝食で、夕食は夜6時。ワイン、ビール、スピリッツ、コーヒーなどは一切なし。夕食後、サロンでイギリス人と9時まで時を過ごすというもの。昨日と今日、ニーチェになったつもりで彼の散策路を歩いてみた。快適である。滞在中に 「わたしの岬」 も見てみたいという思いも一瞬浮かんだが、大変そうだ。

 ニース近郊の地図

1883年12月2日、病気がちだったイタリアはジェノヴァでの滞在から健康と活力の回復を願い、ニースに到着した。そして、セギュラーヌ通り38番地(38 rue Catherine Ségurane)の2階に25フランで入る。しかし、ストーブもなく、サービスも酷いので別のところに移った後、1884年2月1日にサン・テティエンヌ通り(rue Saint-Etienne)のジュネーヴ・ペンション(Pension de Genève)に落ち着くことになった。何とこの通りが現在のロッシーニ通りだという。5年に亘るニース滞在中、ここを離れることはほとんどなかった。こんな繋がりになっていようとは、予想もできなかった。ニーチェはオペラによく通っていたが、その並びのサン・フランソワ・ド・ポール通り26番地(26 rue Saint-François de Paule)の3階左手の部屋もゆかりの場所だと書かれている。早速当たってみることにした。

最初の住まいはその通りを探すまで手間取った。しかし、ガリバルディ広場 (Place Garibaldi) から入ると最後のところにプレートが現れてくれた。人通りも少ない静かな場所だ。この本を読んでいなければ、おそらく訪れることもなかっただろう。この建物はこのプレートが付けられる1905年に建て替えられたもの。しばらく周辺を散策。わたしの後に通りかかった2人組がやはり写真を撮っていた。それからサン・フランソワ・ド・ポール通り26番地の方はすぐに見つかったが、ニーチェとの関係を示すものは何もない。皮肉にも隣は不動産屋が入っていた。



rue Catherine Ségurane, Nice




38 rue Catherine Ségurane, Nice









26 rue Saint-François de Paule, Nice


丘の上にある城跡公園にニーチェに因んだ展望台(Belvédère)があるとの記載があったので、探しに出掛けた。目の前にあっても気付かない今日この 頃のこと、2時間ほどの散策にも拘らず成果はなかった。その代わり、急な登りで汗だくになりながら、素晴らしい眺めと至るところにあるモザイク作品を味わ う印象に残る時間が待っていた。















「ユリシーズのように素晴らしい旅をした者は幸いなり」


最初は気付かずに通り過ぎ、帰りに離れて見てハッとした。ハンモックで5年前に触れ、昨年蘇ったばかりなので3度目になる。ジョアシャン・デュ・ベレーJoachim du Bellay, 1522-1560) の詩の一節である。

ユリシーズのようによい旅をした者は幸せなり HEUREUX QUI COMME ULYSSE ... (2006-07-02)
フランス語を少しずつ、そしてデュ・ベレーが蘇る  Joachim du Bellay (2010-03-08) こちらの記事に原文と翻訳がある。









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