jeudi 26 décembre 2013

「そして朝、旅の欲求とともにわたしは目覚める」 (ヴァレリー・ラルボー)


柳田國男(1875-1962)の言葉に 「所貧乏」 があるという

一か所に留まり、極端な場合には一生そこから出ることがない時に起こること

外の世界を知らずに過ごすため、心が貧しくなるという意味らしい

昔は情報を得るのが大変だったと思われるので、所貧乏は稀ではなかったかもしれない

もちろん、ケーニヒスベルクで一生を過ごしたというカント(1724-1804)のような例外はあるのだろうが、、、


今ではネットその他で世界の情報を瞬時に得ることが可能になった

しかし、移動して感じるのは、それだけでは不充分ではないかということだ

直接この身をその中に置くと、五感だけではなく第六感まで働くことがある

所貧乏という言葉には今でも真理がありそうだ


それに肖ったわけではないが、旅に出ることにした

振り返ってみると、このところの恒例になっている感がある

2011年がルクセンブルクで、昨年はトゥールだった

今年は初めてのコルス(La Corse)を選んだ

最初はピンとこなかったが、日本語に直すとコルシカ島

そうすると、ナポレオンが出たところという昔の記憶が刺激される

その土地柄、遥か昔から歴史の波に洗われていたはず

どんな発見があるのか、楽しみである


そして、コルスと言えば、数年前その音楽に惹き込まれたことがある

モンペリエから戻り、コルシカ音楽を聴く (2010-06-20)

本場で直接触れることはできるのだろうか




Valery Larbaud (1881-1957)





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