これはわたしの退職記念誌の表紙の写真の部分である
出版はもう6年前のことになる
当時はこれが何を表しているのか知らずに使っていた
その全体が何かを訴えているように感じてこれを選んだのだが、すんなり進んだわけではなかった
最終的にそれを決めたのは誤謬の成せる技であった
この写真を使うかどうか迷っている時、間違ってどこかのボタンに触り、加工されてしまったのである
その一瞬、ピンときて使うことに決めたのだった
なぜ今頃になってこの本が浮かび上がってきたのか
実は、来年春に新たに生き方について語る哲学カフェ 「カフェフィロ PAWL」 を始めることにした
第1回のテーマは、古代ギリシャの哲学者を取り上げ、「ディオゲネスという生き方」とすることにした
先ほど、この哲学者のイメージを探しながらネットの散歩をしていた
いろいろな絵画に混じって、レリーフ像が現れた
販売するために作った複製だったせいか、最初は気付かなかった
しかし、しばらく見ているうちに、ひょっとして、という思いが湧く
そして、上の小冊子を出してみて驚いたのである
ぼんやりとした中に見えたものと完全に重なったからである
ぼんやりとした中に見えたものと完全に重なったからである
7年前の12月、将来を模索するためパリを訪れた
振り返れば、この滞在は実に多くのものを齎していたことがわかる
まず、それまで考えたこともなかった学生になる以外にパリに滞在する方法がないことに気付くことになった
そして、その時のホテルの横にあったリブレリーで手に取った本が重要な意味を持ってきたのである
そういうやりかたの哲学があることを知り、哲学に入る促しの効果があったこと
タイトル『生き方としての哲学』の英訳の頭文字は、今回のカフェの名前にもなっている
PAWL = Philosophy As a Way of Life
さらに、その滞在中に訪れたルーブルでこのレリーフの写真を撮っていたのである
すでに対象を選ばずに撮り始めてはいたが、すべてのタイトルを控えるところまでは行っていなかった
この作品のタイトルも、従って何を描いているのかもわからずにいたのである
それが今回、フル・サークルを描くようにすべてが繋がってくれたのである
Alexandre le Grand rendant visite à Diogène
Pierre Puget (1620-1694)
(@Louvre,
2006.12.23)
これが2006年暮れにルーブルで撮った加工される前の写真になる
今見直すと、なぜこれを使わなかったのかわからないくらいよく撮れている
この作品は、逸話に溢れたアレクサンダー大王とディオゲネスとの出会いの場面だったのである
もちろん、右下にいるのがディオゲネスである
こちらに来る前、それまでをまとめ、これからを展望する本の表紙にこの場面を選んでいたのである
わたしの中にある一つの哲学者像を、これから歩み始める時に、そうとは知らずに選んでいたとは
暫しの間興奮収まらず、眠ること能わず
これはわたしの中では今年二度目の大発見になるだろうか
その時も驚いて声を上げたが、今回はそれ以上に驚いた
いや、これまでのすべてが繋がったという深い悦びの方が強かっただろうか
いや、これまでのすべてが繋がったという深い悦びの方が強かっただろうか
何もしなかった今年という印象だったが、こんなところにこんなものが転がっていたのである
それは、わたしにとっての大発見であった
これに肖り、カフェフィロ PAWL が順調に船出してくれることを願うばかりである
鬼は笑うのだろうが、、、
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