mercredi 11 mai 2011

主客渾然、全体読書


Festival de Cannes
11-22 mai 2011


今日も読むために出掛ける。
メトロの中で読んだ本が面白くなり、まずカフェで2時間ほど過ごす。
それから徐にビブリオテークへ。
科学論文の場合にはどこか遠くに身を置いて対象を眺め、淡々と読み進む。
主体と客体が峻別されているとでも言えばよいのだろうか。
それで長年やって来た。
ところが哲学論文になると状況が一変する。
主体がそこに深く関わってきて、主客の境界がぼやけ渾然一体になる。
時に一つのパラグラフだけで長い時間を過ごすこともある。
研究者というより、人間全体を使いたいという気持ちがあるようだ。
今日は20ページ程度の英語論文に4時間ほど浸っていた。
わたしにとっては贅沢な時間だが、エネルギーを消耗する。
こんな状態で大丈夫だろうか。


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