lundi 20 juin 2011

Sentimental walk in Manhattan and talk with Dr. Hammerling



今朝は4時に目が覚めた。
9時過ぎにホテルを出る。
今日は昔住んでいた界隈を目指した。
昔のアパートメントと対面するのは、昔付き合っていた彼女に会うような感覚か。
角を曲がるとアパートメントが見えるという時に、少し緊張したのには驚いた。
当時のドアマンとの再会にも微かな期待を抱いていた。

実際にその前に行くと、1-2階が工事中。
写真の方に話を伺った。
わたしが離れた数年後に働き始めたようだ。
その頃に賃貸から co-op スタイルに変わったとのこと。
ホールは豪華になっていた。
わたしにとっては丁度良い時期に滞在したことになる。
昔のドアマンのことを尋ねると、その中のお一人はすでに他界されているとの返答。
向かいにあった白いレストランも今は高層ビルに置き換わっている。
やはり数十年の時間はそれなりに長いものであった。





アパートメントから数ブロックのところにわたしが勤めていた研究所がある。
昔の通勤経路を辿ってみた。
やはりなくなっている店が多い。
Isamu Noguchi さん (1904-1988) と遭遇したレストランももう姿はなかった。
研究所前の通りに入る。
研究所横の中華料理店にはよくお世話になったが、今はコンビニに変わっている。
流石に教会はそのままであった。





そして研究所に行くと、かつてのレンガ造りのビルは姿を消し、この通りの新築中。
昔のビルは4-5年前に壊され、経済の回復を待ってやっと工事が再開したとのこと。
研究者は横の超高層ビル (前の写真) に移っていた。
折角の機会なので、昔の知り合いに会うことを思いつく。
インフォーメーションで確かめると、ヘメリングさんだけがまだ在籍とのこと。
当時一緒に時間を過ごし、大変お世話になったT氏、K氏の上司に当たる方である。
お昼の時間には不在であったが、夕方戻ってくると暖かく迎えていただいた。




Pr. Ulrich Hammerling
(Memorial Sloan-Kettering Cancer Center)


もう何年振りになるだろうか。
やや痩せられたのでは、というのが第一印象。
70代前半とのこと。
昔から派手なところはなく、着々と自らの道を進むというスタイル。
それは今も変わっていないという印象を持った。
昔は免疫遺伝学がテーマだったが、今はビタミンAを研究している。
肥満との関係も明らかになり、肥満から糖尿病への過程にも絡んでくる。
(詳細は彼のHPで紹介されている)
だからと言って臨床研究をやるつもりはなく、あくまでも基礎研究に徹底している。
これからもこの研究を続けていきたいと意欲的であった。

年齢との関連で、クラウス・ラエフスキー(Klaus Rajewsky)さんの話が出ていた。
この方もドイツ人免疫学者。
ケルン大学を65歳で定年になった2001年にハーバード大学へ。
そして、今年の夏からベルリンで第三の研究生活を始めるという。
大変なエネルギーである。
どこまで行くのか興味深く見守り、そして肖りたいものだ。

それから話題はわたしの話から科学と歴史や哲学の関係に移って行った。
彼はコーネル大学でも教えているが、学生の興味は今の事実だけ。
ここで歴史的に重要な研究がされたなどと言っても学生は無反応だとやや呆れ顔。
科学の歴史、そして研究の歴史的な評価は重要になるが無視されている。
それは科学研究を底の浅いものにし、科学者を歴史の闇に葬ることにも繋がる。
科学という営みに奥行きを与えるためにも歴史家や哲学者の役割は益々重要になる。

ヘメリングさんご自身はそれほど哲学的ではないとお考えのようだ。
ただ、専門の違う奥様と研究について話す時には哲学的にならざるを得ないという。
自分のやっていることを上から見て考えるところから始めなければならないからだ。

わたしがこのような道に入ったことについて、彼は面白い見立てをしてくれた。
それは、当時わたしの上司だったイギリス人の影響が大きいのではないかというもの。
実は研究所訪問の前にカフェで時を過ごしている時、同じ考えが浮かんでいたのだ。
研究生活への大きな影響についてはすでにブログでも触れている。
(それとともに生きる 2007-02-05; アメリカの恩師のこと 2007-07-04)
(文章の造り方 2008-01-13)
しかし、哲学への指向については今まで考えてもみなかった。
今回ここを訪れることがなければ気付かなかったことかもしれない。
大きな時の流れの中にいることを感じていた。


1時間ほどのお話を終え、満ち足りた気分でマンハッタンの人となった。
またお会いする機会が巡ってきそうな予感とともに。





dimanche 19 juin 2011

マンハッタン散策でいくつかの贈り物



Adam and



Eve

Fernando Botero
(né le 19 avril 1932)


朝3時に目が覚める。
6時間は寝ていたのでそのまま起きる。
それにしてもマンハッタンは騒音に溢れている。
こんな五月蠅いところに長い間住んでいたのか、という思いだ。
現実から離れた静けさがあるパリ郊外の日常から来ると自然な感想だろう。

一夜明け、このホテルの作りがニースのホテルと似ていること、
そして、部屋の位置がニースの時と全く同じであることに気付く。

明るくなるのを待って、ホテル周辺を散策。
昔の感覚が戻り、今住んでいるような気分になる。
豪華なショッピングモールでフェルナンド・ボテロさんの作品を見つけ、嬉しくなる。
案内の女性に作者を確認し、作品名を聞いてみる。
彼女の発するBotero の 'ro' の 音で一瞬心は南米に飛ぶ。






セントラルパーク周辺も昔と変わらない。
とにかく建物が高いのと量が凄いのに改めて感じ入る。
そして活気がある。
歴史は浅いが、今を牛耳っている場所なのだろう。
世界中から人が集まっている。
その外見に心が奪われたとしても致し方ないのかもしれない。
ここで沈潜せよと言ってもその声は掻き消されてしまいそうだ。



カーネギー・ホールは改修中の様子。
ブロードウェーをさらに南下して大きな円を描くようにして帰ってきた。






American Folk Art Museum
45 West 53rd Street 







11 West 53rd Street



そして、こんな出来事まであった。




リブレリーに入り、いつものように哲学セクションへ向かう。
最初に手に取った本のページを開くと、何と押し花が現れたのだ。
一体どういう過程でこんなことになったのか。
パリでも経験のない全く予期せぬ出来事にほんのりとしたものを感じる。
早速、落ち着くカフェを探して読み始める。

そこでこんなおまけまで付いていた。
隣の席のカップルからはフランス語が聞こえてくる。
思わず会話に加わろうかとも思ったが、静かに読むことに。
ただ、こんな話は耳に入ってきた。
ウェイトレスが女性の方にどちらからですかと聞いている。
トーゴからとの答が返ってくると会話が突然にフランス語になり驚く。
ウェイトレスの方もアフリカのフランス語圏出身で、ニューヨークも4年目とのこと。
フランス語で盛り上がっていた。



リブレリーにあったこんな言葉を拾って帰ってきた。



「本は文明の運び手です。本がなければ歴史は沈黙し、文学は言葉を失い、
科学は機能しなくなり、考え、深く思いを巡らすことも止まってしまうのです」




「良い小説は怖れを知らない人たちによって書かれている」

ジョージ・オーウェル (1903–1950)




samedi 18 juin 2011

カタツムリから生物記号論へ



先ほど、ニューヨークのホテルに着いたところだ。
パリ・フィラデルフィア便は非常に落ち着いた時間を取ることができた。
入国手続きは、以前に比べて一人ひとりとの会話に多くの時間を取っている印象。
以前であれば、何しに来てどのくらい滞在するのか程度で終わった。
今回はわたしとアメリカとの関わりを振り返り、今の状態を語るという感じだった。
最後に親指と他の指の指紋を左右取り込んで終わった。
フィラデルフィア・ラガーディ便は夏の雲の中をお構いなしにどんどん進む。
お蔭さまで bumpy flight とでも言うべき飛行となった。


今朝、アパルトマンを出ると不思議な出会いが待っていた。
雨上がりの中庭の道の真ん中に2匹のカタツムリがいる。
こんなところで見るのは初めてだ。
何か重そうな荷物を背負っている。
近寄ってみるとその荷物が僅かに左右に揺れている。
彼らは目には見えない歩みをしていたのだ。
「わたしを見習いなさい」という声が聞こえたような気がした。


ある物を見て、解釈するのは人間だけだという考えがある。
動物にも解釈している世界があるというのがヤーコプ・フォン・ユクスキュルだ。
人間は物に名前を付ける。
特定の物とその物に含まれる本質を表す名前がある。
ジョン、ポールに対して人間。
赤、黒に対して色。
これも言語が変わると違う言葉になる。
物があり、それを指し示すものがあり、そこに意味が出てくる。
記号論の世界だ。
言語に限って研究したのがソシュール。
それを生物からこの宇宙にまで広げようとしたのがパースからシービオックへの流れ。
生物記号論の世界になる。


今回ニューヨークに来たのは、その世界を覗き見るためだ。
わずか半年ほど前にその存在に気付いたが、今一つピンとこないのだ。
科学として成立するのか、メタフィジークの世界に留まるのか。
そこで新しい世界に入って初めての発表になるのだから大変だ。
しかし、その会場周辺は若き日に5年の時を過ごしたところになる。
その空間に足を踏み入れた時、どんな感慨が浮かんでくるのか楽しみである。
今しがた、ラガーディアから FDR Driveway をイースト・リバー沿いに降りてきた。
以前と変わらない川の周辺の景色が現れる。
特別な感慨は沸いてこなかった。
今回は現在の場所としてのあの界隈があるためかもしれない。


vendredi 17 juin 2011

カオスから見果てぬところへ




一夜明けると、また長い一日が待っていた。
朝、バルコンに出て準備した原稿を読んでみる。
どうも底が浅い。
しかも予定の30分を10分以上オーバーしている。
奥深さは経験の量と質からくるものだろう。
現状を表しているものなので致し方ない。
直前までやり続けるしかなさそうだ。
午後からビブリオテークへ。
そして帰り道、こんなイメージが浮かんでいた。


考え始める前はいつもカオスだ。
ある目標に向かって行くというスタイルを採らない。
いつもどこに辿り着くのかわからないという状態で始めるのだ。
その時に頭に浮かんだことから手を付けていく。
それから次第に形が見えてくる。
そして、その姿がどんどん変わって行く。
取敢えず決められた時までそれを続ける。
その時が来るまでその姿がわからないという時を過ごす。
最後にどんな姿が現れるのかを楽しみ、苦しみながら。
わが人生の歩みとも重なって見える。


外は雨が降り出したようだ。
明日パリを離れる。







jeudi 16 juin 2011

あとは現地で


Pablo Neruda (1904-1973), exilé du Chili avec sa femme, se lie avec
le facteur de la petite île italienne où il se sont réfugiés.
Plácido Domingo incarne le poète dans cet opéra de
Daniel Catán (1949-2011) porté par la poésie du
prix Nobel de littérature (1971).


今日は体に何かが詰まり膨れ上がるような感覚が襲う。
目も零れ落ちそうだ。
おそらく、現段階では飽和状態を迎えようとしている知らせではないか。
午前中、教授とのディスカッションを終え、午後からビブリオテークへ。
今日で一段落として明日は頭を空にしてはどうかという考えが浮かぶ。
先のことは考えずに今のはずなのだが、、、。
あとは移動の途中、さらには現地に着いてから。
周りの景色や空気が変わると、どこからか霊感が降りてくる可能性もある。
これができるのもパワーポイントのお蔭。
スライドを作っていた時代があったことなど忘れるくらいだ。
彼の地でどんな状態になるのか、期待して待ってみたい。


数日前、来週の今頃は彼の地にいるはずだと想像すると不思議な気持ちになった。
日本から外国に出る時には垂直方向の移動に感じたものだ。
それは下に向かうのではなく、あくまでも上にある別次元への移動になる。
そのため段々億劫になるのが普通だろう。
こちらにいるとその移動が水平方向に変わり、精神的な負担がほとんどない。
そのため簡単に移動を考えることができる。
この状態は精神に予想を超えた良い影響を与えているようだ。
閉ざされた中にいるのではなく、常に外に繋がっているという感覚。
これは何ものにも代えがたいものがある。







mercredi 15 juin 2011

ただ牛のように


Gilles Sacksick (né à Paris en 1942)


今朝、バルコンに出て草刈りの音を聞きながら昔読んだ本を手に取る。
そこにタイムリーな話が出ていて、さらにその先を考える。
午後からビブリオテークへ。
最初の稿を校正、補強するようなことをしていた。
目は飛び出しそうだが、事はなかなか進まない。
牛の一歩というところだろうか。


mardi 14 juin 2011

出口未だ見えず


本日も朝からビブリオテークへ。
もうすぐ旅立ちを控えていながら、未だまとまりを見せてくれない。
ただ、先日書いた記事が非常に良い効果を及ぼしている。
どっしりと構えていて、気持ちに焦りが出てこないのだ。
それはいずれ光が見える保証にはならないのだが、、、。
あと数日でどの程度捗るのか。
こればかりは全く予想もできない。



lundi 13 juin 2011

レフ・シェストフ、あるいはギュンター・アンダースという哲学者、そして理性の後に来るもの



昨日、科学論文のレフリーの依頼があり、驚く。
まだ理解できそうだったので引き受けることにした。
今朝、コメントを最終チェックして出す。
こういう仕事は来た時にすぐ手を付けないと駄目だということをこれまでに学んでいる。
そうしなければ先延ばしになり、追いつめられた精神状態での仕事になるからだ。

すっきりしたせいか、今日も危うくビブリオテークに出掛けるところだった。
昨日が聖霊降臨祭 (Pentecôte)。
今日はその月曜日 (Lundi de pentecôte) で祝日。
状況は何も変わらないのに、少しだけほっとしていた。




Léon Chestov (1866-1938)
un philosophe russe juif


昨日のこと、哲学雑誌のページを何気なく開け、この言葉に出遭う。

「理性が勝利を収めるに従い、現実の空間がどんどん小さくなる」

この言葉はレフ・シェストフ(Léon Chestov ; Lev Shestov, 1866-1938) というキエフで生まれパリで亡くなったユダヤ人哲学者のもの。一体どういう意味だろうか。記事ではこう説明されている。


4世紀ほど前にガリレオ (1564 - 1642) とデカルト (1596 - 1650) は自然を数学の言葉に置き換えることにより世界の理解が進むという科学的な理性 (ガリレオ的理性) を確立した。確かにその後の展開を見れば、自然の理解は大きく進んだのは間違いない。そのやり方は便利な生活を営むことができるようになるかわりに、自然の破壊も進めることになった。

1911年、アーネスト・ラザフォード (Ernest Rutherford, 1871-1937) が原子核を発見した。その発見は、物質は安定した素子、分割不能な原子からなるのではなく、常に動いている微粒子からなることを示した。この発見が広島、長崎、チェルノブイリ、福島に導くことになった。

核の世紀になる20世紀前半、エトムント・フッサール (Edmund Husserl, 1859–1938) はシェストフの批判を知り、足元が崩れていくのを感じた。ナチズムから自己破壊に至る過程で責任を問うべきは、国家でも知識人でもなく、ガリレオ的理性の概念であるとフッサールは考える。

しかし、それは理性を敵に回すことではない。理性に至る新たな道、新たな理性を探り出すのが哲学に課せられた問題なのだとフッサールは考える。その回答は、良心、人間の身体、真の歴史、倫理的生活、地球という唯一の土地、これらに繋がること。そして、感受性、愛情、道徳を豊かにすることにより、技術的な理性を使うだけではカタストロフになる運命を見通すことができるようになる。

ハンナ・アーレント
(Hannah Arendt, 1906-1975) や彼女の夫でもあったギュンター・アンダース (Günther Anders, 1902-1992) などのフッサールの後継者たちは、非理性に堕することなく、ガリレオ的理性の独占が齎す危険性をわれわれに伝えてくれた。



Günther Anders (1902-1992)
un philosophe juif


一夜明けて、同意するところの多いシェストフ、フッサール、ギュンター・アンダース御三方の方向性を振り返る。

理性が勝つと問題なので理性を捨てるべきだ、あるいは、今回の福島でも明らかになったように、科学は間違いを起こし頼りにならないので科学的思考を否定すべきだ、という議論が出ることがある。しかし、この考え方には与しない。それに代わる優れた考え方が今あるだろうか。

あくまでも理性的な、科学的な考え方を突き詰めてみること。それを徹底的に進めた上で、その考え方ではどうしても理解できないことがこの世界にはあるということを体で感じ取ることができなければ、その後の歩みも覚束ないものになるだろう。科学に対する強烈な批判が生れてきたのが西欧だったという事実は、そこにわれわれの想像を超える堅牢な理性の壁があったからではないだろうか。

理性的な思考をベースに据えながら、同時にその独占を許さないようにすること。独占を許すと、見える世界が限られてくるからである。そして、それが存在するもののすべてであるかのような錯覚に陥り、そのことにも気付かなくなる。これこそ、シェストフさんが言った 「現実の空間が小さくなる」 の意味ではないだろうか。

そこから逃れるためには、科学を超えた知に関する理解がなければならないだろう。それが倫理を含めた哲学であり、歴史であり、文学であり、専門家から抜け出した人間としての反応になる。そして何よりも、その思考過程を自由に表明し、論を戦わせる姿勢とそれを由とする社会の空気が不可欠になるだろう。



Edmund Husserl (1859–1938)
un philosophe allemand, fondateur de la phénoménologie


最後に、今回登場した方々について一言だけ。

シェストフさんは今回初めて知ることになった。しかし、彼の作品は60-70年代に13巻の選集として日本に紹介されていたようだ。当時は理性への道を一直線で、興味の外だったのかもしれない。

ギュンター・アンダースさんのテーマは、テクノロジーの時代の哲学。特に、われわれの倫理や存在に与えるマスメディアの影響、核の脅威、ユダヤ人虐殺、哲学者であることの意味に焦点を合わせていたとのこと。しばしば、哲学者と言われることを忌避したという。彼のテーマには興味が重なり合うところが多い。

そして、フッサールさんだが、5年前にいただいた御宣託がある。それはフッサールやハイデッガーを味わうために生れてきたというもの。これまでも何度かこのことに触れたことがある。常に気になる存在だったのだが、今一つピンとこなかった。しかし、今回はその意味がわかりつつあるというところだろうか。

イメージ、時間、現象学 L'IMAGE, LE TEMPS, LA PHENOMENOLOGIE (2006-04-28)









dimanche 12 juin 2011

ヘルダーリンでギリシャ神話が寄ってくる


Friedrich Hölderlin
(20. März 1770 in Lauffen am Neckar - 7. Juni 1843 in Tübingen)


朝、「庄司紗矢香さんでヘルダーリン」 を決め込んだところ思わぬ展開になった。ヒュぺーリオンの解説のページに入ると名前の由来があり、一気にギリシャ神話の世界に入り込む。こんなことは面倒くさくてしたことがなかったので驚いたが、家系図?を書きながらわずか数ページを読み進んでいたのだ。これは朝の外気に触れ、気分が緩やかになるバルコン効果かもしれない。その錯綜する図を眺めていると、神々の関係が生々しく浮かび上がってくる。

カオスから始まり、ガイア (地球) とガイアの息子であり夫でもあるウラノス (空) が、宇宙を動かす原理であるエロスの助けを借りてヒュぺーリオンを生む。エロスの力を借りずに生まれたのはポントス(海)だけだという。それからめくるめくように神々たちが顔を出してきて、その全体がそれこそ宇宙のように広がってくる。人間のすべてはギリシャ神話で語られていると言われる。気にはなっていたが、その面白さは想像以上かもしれないという感触が生れたのは初めてのことである。暇がなければそんな気にはなかなかならない世界かもしれない。

ヘルメス vs ヘスティア (2005-03-11)


samedi 11 juin 2011

邪心を捨てる、あるいは再びのエネルゲイア



お茶の時間にこんな自問をしていた。

これまで何度も経験しているが、事を控えるとなぜかやる気がなくなる時がある。単純に差し迫らなければやる気にならないということが考えられる。ただ、それだけではないような気がしている。立派なものに仕上げようとして肩に力が入り、処理能力を超えたものを用意するため途方に暮れ、やる気が失せることもあるだろう。自分の根のところとしっかり噛み合っていないので、上滑りになるのだ。

この状態から抜け出すには、結果は考えずに無心で自分の中にすっぽりと入り込み、その時の自分を出し切るように考えること。無心といっても無なので掴み難いが、邪心を捨てると言い換えるとこの作業がやりやすくなる。うまくやろうという気持ちを捨て、今持てるものを出し切ることに力を注ぎさえすればよいのだと考えることができると、自らの中に入りやすくなる。

その状態は、初めて入ったお城の一室で腰をかけ、体をゆったりと後ろに反らし、あたかも全世界が広がっているかのような高い天井に自らの対象を思い描きながら眺めているイメージなのだ。この浸り切る作業を毎日一定の時間行い、自らの持てるものを総動員して考えること。これを継続できたら素晴らしいだろう。

このやり方は先に控えた事が目的なのではなく、あくまでもこの作業が、つまり今が目的なのだ。まさに昨年のテーマ、エネルゲイアである。これができると肩に力など入らなくなるだろう。このことはまた、漱石の言う 「牛になれ」 にも繋がるものかもしれない。

漱石の手紙 (2007-02-23)



vendredi 10 juin 2011

ヘミングウェイが突然蘇る、あるいは Paris est une fête


Ernest Hemingway (July 21, 1899 – July 2, 1961)


午後からビブリオテークへ。少し時間があったのでリブレリーに入る。亡くなってから50年になるヘミングウェイの 「移動祝祭日」 が新しくガリマールから出たとの記事を Le Point で読んでいたので、ありますかと経験豊かそうな店員さんに聞いてみた。しかし、店内を探したが見つからず。そして暫くすると 「先ほど 『移動祝祭日』 について聞かれた方ですか」 と言って再び現れた。続けて、これが Paris est une fête の新しい版を記念して出た本ですと言って、大きな写真集を持ってきてくれた。まだフィルムで覆われていますが、取ってもいいですよ、とのこと。早速読んでみると、ヘミングウェイとの関係が次々に浮かび上がってくる。少々お高いが、手に入れることにした。これもランデブーではないかと思ったからだ。

日本の書棚には彼の本は何冊かある。学生時代には 「誰がために鐘は鳴る」、「武器よさらば」 くらいは読んだ記憶があるが、帰った時に確かめてみたい。「移動祝祭日」 も古い版を手に入れているはずだが、残念ながら読むところまでは行っていない。最初にじっくり読んだのは、医者をしていた息子のグレゴリーが書いた回想録 Papa: A Personal Memoir (Houghton Mifflin; 1st edition, June 1976) ではないだろうか。アメリカに行ってすぐのボストンでのことだ。小説家としてではなく、おそらく生を発散させるようなその生き方に惹かれたのかもしれない。

20年ほど前、マイアミ大学にK氏を訪ねた時には大学で話をした後、キーウェストへ案内していただき、ヘミングウェーの家で一時を過ごす幸運にも恵まれた。 キーウェストに向かう海の道、国道1号線からの眺めも素晴らしかった。当日は叶わなかったが、キーウェストにあるアメリカ最南端の地からはキューバが見えるという。そう言えば、キューバ時代のヘミングウェイについての本もいくつか集めているはずだ。先日触れたシガーに関わる理由だが、そこにヘミングウェイが絡んでいるのかもしれない、などという考えも浮かんできた。

「かのように」を読んで (2005-05-22) 


ビブリオテークで調べてみると、写真集の原本 Hemingway: A Life in Pictures は今年の10月2日発売予定で、現在予約受付中になっている。読むかどうかもわからずに、新しい Paris est une fête も注文していた。この英語版は昨年出ている。

A Moveable Feast: The Restored Edition (2010)




Idaho, 1960



jeudi 9 juin 2011

この場所の特徴?



朝、久しぶりに雲の隙間から青空が覗いてくれた。
やっと外に出る気分になる。
庵の生活がもう1週間になることに驚いた。
ビブリオテークも少し休養を取った後なので新鮮。
最終準備の初日は順調に進んだ。
帰りの空は再び雲に覆われていた。


ところで、このブログはグーグルのブロガーでやっている。以前はなかった 「よく読まれている記事」 などの統計処理の機能が加わり、興味深い情報を与えてくれる。アクセス元の国別統計を見ると、前ブログ 「パリから観る」 との違いがあることに気付く。それは日本とフランスからのアクセスの違いである。

フランスに対する日本の比を見ると、「パリから観る」 では5.6倍 (最後の10カ月の情報) なのに比べ、ここ 「パリの断章」 では1.4倍にしか過ぎない。つまり、フランスからのアクセスが日本とあまり変わらないという結果なのだ。まだ2ヵ月を過ぎたところなので何とも言えないが、なぜそうなっているのか興味が湧いている。先ずは今後の推移を見守りたい。


mercredi 8 juin 2011

「シモーヌ・ヴェイユ: 哲学者のアンガジュマン」 を観る


Simone Weil
(3 février 1909 - 24 août 1943)


どんよりとした曇りの一日だった。
このところの天候は梅雨とでも言いたくなるくらいの憂鬱。
今日こそは出て仕事をしようと思ったが、止めにして再びの庵の時間。
何かを控えている時にはよく起こる症状だ。



フランスの行動する哲学者だったシモーヌ・ヴェイユさんに関するカンファランス・ビデオが見つかった。彼女はアンリIV高校でアランに哲学を学び、ENSで哲学を修めた後、社会に出ている。これまでは名前だけの方で、上の写真はENSに飾られていたもの。


"Simone WEIL : l’engagement du philosophe. partie 1" 55分
"Simone WEIL : l’engagement du philosophe, partie 2" 51分

Une table ronde avec Robert Chenavier, André Guigot et Christiane Rancé, animée par Martin Duru de Philosophie Magazine


このカンファランスで彼女の人生と哲学についてぼんやりとした形を掴むことができた。アッシジにある教会での出来事も含め何度か神秘体験をしていたという。ただ、 それによって過去を否定することも進む道を変えることもなかった。アンガジュマンとの関連でサルトルのことも語られている。彼女の使命 (vocation) は考えるだけではなく、現実に自らを晒して (s'exposer がキーワードのようだ) 理解すること。期限付きの自由で妥協することなく、より大きな自由を求めていたという。最後は結核で食べることも難しくなり、イギリスはアッシュフォードのサナトリウムで亡くなっている。享年34。

いつの日か、彼女が再び顔を出すことはあるだろうか。


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dimanche 12 juin 2011

La devise du lycée Henri-IV est « Domus Omnibus Una » (Une maison pour tous).



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jeudi 30 juin 2011




mardi 7 juin 2011

この修行時代をどう見るか




この朝も静かな雨が降っていた。
出るのを止めにして連続の庵の時間になった。
まさに洞窟生活である。
時間が漂っているのでいろいろな想いが浮かんでくる。


今年の2月に日本で学会があり、そのために考えをまとめて発表した。その会がなければおそらく考えなかったことで、横道にそれた感じだ。しかし、いかに横道でもその途中で留まったままでいると、どことなく落ち着かないものである。丁度そんな時、考えたことと関連する会がニューヨークであることがわかり、それに合わせてもう少し深めてはどうかという気分になる。それ以来、いつもの通り手探りの作業を続けている。さっぱり捗っていないが、これまでもそうだったので諦め気分である。ただ、そんなにいろいろな世界を覗いていて大丈夫?という疑問も生れている。こんな疑問も論文を抱えている学生ならではのものだろう。

不思議な感じなのである。今の学生時代を本当のものとして捉えるのか、余技として捉えるのかがあやふやであることに気付き始めている。それは、こちらの時間をそれまでとは断絶したものとして捉えるのか、連続したものとして見るのかという問題にも還元される。そして、その捉え方によりこれからの気持ちの持ち方が変わってくるのではないかという感触である。断絶したものと見た場合、これからは今の専門を軸に歩むことになるだろうし、そうでなければ別の世界を覗いてきた好事家としてやっていくことになる。あるいはまた、その両者が混じり合ったような気分になるのかもしれない。いずれにせよ、観光気分で始めた学生にこんなことを考えさせるだけの時間が流れたということで、感慨深いものがある。


時の流れは実に不思議である。
今はこの貴重な時間を修業時代として味わい尽くすことではないだろうか。
これからどんな考えに収斂していくのかを眺めながら。



lundi 6 juin 2011

静かな4連休・・・かと思いきや


2日から4連休とした。
橋を渡る金曜の朝などは土曜かと思うほど、あるいはそれ以上の静けさであった。
そういう時は何もする気がしなくなり、この4連休、ただ時の流れを眺めることにした。

この朝は雨上がりの曇り空で、気分がしっとりと落ち着く。
ルソーの 「言語起源論」 に目を通したり、シガーを手にしたりと無為に過ごす。

なぜシガーに拘るのか。ほんやりと思いを巡らせる。学生時代、最初に世界を回った時、おそらくヨーロッパのどこかの空港ではないかと思う。そこに漂っていたシガーの匂いが外の世界、大人の世界を強烈に意識させた。その記憶へのノスタルジーではないだろうか。

このお休み、将来に向けてのアイディアがいくつか浮かび、一応控えておく。
計画は溜まって行くが、一体いくつに手を付けることになるのか。
できることは意外に少ないというのが最近の感触になっている。

計画と言えば、6年ほど前のファイルを見る機会があった。
そこには将来に向けての方向性が書かれてある。
こちらに来てから完全に忘れていた。
その予言はほとんど外れ、当時はそんなことを考えていたのかという思いだ。
面白い時間であった。

少し前から、昨夜に続き、雷鳴とともに雨が降り出した。
涼しい風がバルコンから入ってくる。
そして、強烈な雷鳴と稲妻がまた走る。
バルコンに出て、連夜の雨音鑑賞を決め込む。



dimanche 5 juin 2011

"You don't know Jack": Dr. Jack Kevokian dies at 83



久しぶりに遠雷が聞こえる。
バルコンに出ると静かに雨が降っている。
しばらくその音に耳を傾ける。


ニューヨークタイムズのサイトで、ジャック・ケヴォーキアン氏が亡くなったことを知る。享年83。当時は遠くから流れてくるニュースを聞き流していた。死の問題について考えるのを先送りにしていたのだろう。あるいは、あり得ないこととして考えていたという方が正確かもしれない。彼は死について逃げずに考えていた。HBOのクリップでは、われわれは無から来て無に還るだけ、ただそれだけのこと、何も恐れることはない、と当然のことのように語っている。その結論はすべてを削ぎ落とした鋭角的なものに見える。それ故、行動に移しやすかったのかもしれない。そして、この社会に存在する欺瞞に対する怒りのようなものがそれを後押ししていた可能性もある。スナップショットでは、「奇」 の人という印象がある。奇骨、数奇、奇抜、奇知、奇異、、、。どれを持ってきても当て嵌まりそうな・・・

評価は人様々だろうが、死をどう捉えて実際にどう対応するのかという問を否応なくわれわれに突き付けたことは間違いないだろう。最後まで活発にその脳が働いていたことを想像させるビデオを観ながら、今までぼんやりと思い描いていたものとは全く違う人間の姿が現れてくるのを感じていた。

NYT article: Dr. Jack Kevokian dies at 83; A doctor who helped end lives
HBO film: "You don't know Jack" (2010)


samedi 4 juin 2011

林房雄・三島由紀夫 『対話・日本人論』 を読む


『対話・日本人論』 林房雄・三島由紀夫
(昭和41年、番町書房、380円)


林 僕は、『英霊の声』 についての文芸時評を、ほとんど全部読んでみたが、みんなあれはイデオロギー小説だと思っているようですが、しかし 『英霊の声』 には、イデオロギーはない。批評家諸君はイデオロギーという言葉をどう解釈しているのか。イデオロギーは普通、社会思想と訳されているが、つまり集団の思想で、個人の自由な思想とは対立する。 『英霊の声』 は思想小説であっても、イデオロギー小説ではない。三島由紀夫という個人の自由な発想の上に成り立っている。イデオロギーは、一つの集団、または党派の立場から絶対化されたものだから、個人の思想をのみこみ、場合によって圧殺するものです。そういう意味のイデオロギーは、『英霊の声』 のなかにはない。三島君の心の中に、『憂国』 や 『十日の菊』 のころから萌芽し成長しつづけた自由な思想がある。その自由な思想が現在の日本という大衆社会化され、平均化され、アメリカナイズされ、占領民主主義化された現状に対して激怒している。神格天皇と人間天皇の問題で戦後の天皇制にまで怒りのしぶきがかかっている。

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林 ヤスパースは大衆というのは、民族とは違うと言っている。
「民族はさまざまな秩序に成員化され、生活方式、思惟様式、伝承において自覚的である。民族は実体的で質的なものであり、共通した雰囲気をもち、この民族の出身の個人は、彼を支える民族の力によっても一つの個性をもっている。・・・・・これに反して、大衆は成員化されず、自己自身を意識せず、一様かつ量的であり、特殊性も伝承をももたず、無地盤であり、空虚である。大衆は宣伝と暗示の対象であり、責任をもたず、最低の意識水準に生きている」

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林 大衆社会化時代の大衆を相手には、芸術も文学も生れない。・・・・・人間の精神は自由ですから、僕たちは自由に桃山時代や室町時代や鎌倉時代に旅行すればいいのです。あなたの好きな 『源氏物語』 の時代にも 『万葉』 の時代にも、または、ギリシャの盛時にもルネッサンスの時代にも旅行すればよろしい。そこには大衆社会化時代と無関係な芸術と文学が実在している。歴史は少なくとも千年を単位で見るべきだ。文明の歴史は五千年だと普通言われているでしょう。

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三島 なんか、そんなことを考えだしたのは、『葉隠』 のなかに、一芸一能だけに秀でたのは駄目だと書いてある。これは、とても素晴らしい思想だと思った。

   芸能に上手といはるる人は、馬鹿風の者なり。これは、ただ一遍に貧着するゆえなり。
   愚痴ゆえ、余念なくて上手になるなり。何の益にも立たぬものなり。

 というね。僕は芸術上の質というもののなかにある衰弱というものを、こんなにはっきり書いている文章はないと思う。・・・・・量ということばは悪いのですが、質ということばにある文化主義的な衰弱というものがいやになってきた。いまやはり日本を弱めているのは、文化主義的衰弱ですよ。・・・・・ことばというものは、質とか量とかいう問題を超越した、もっともっと大きなものですね、言霊的なひろがりのあるものだと考えるようになった。




林 論語を読んでおもしろかったのは、孔子が、自分のやることには創造はない、創作はない、すべて堯舜の道を、周公の道を祖述して復活するだけだと言っている。あれは強い精神だと思ったね。独創性なんかにこだわっていないから、孔子は古代に友達があって孤独じゃなかった。創造というものは、それ以外にないね。

三島 独創性を信じたやつで、一流の文学者は一人もいませんよ。ヴァレリーも全然独創性なんか否定しているし。

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林 別の話だが、あなたはいつかフランス文学のことを話して、パリに行ったらうっかりジャン・コクトオをほめるな、サルトルはまあよろしいがと言いましたね。

三島 パリの文壇人たちが言うには、コクトオは利口すぎて真実 (ヴェリテ) がなかった、というのです。

林 ヴェリテというのは、英語ではシンセリティーのことでしょうね。フランス人がシンセリティーを作家評価の底においているという話は印象的だった。

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三島 そういう点では、林さんはいろんなイデオロギーにぶつかられた。僕はそれほどぶつかっていませんがね、どっちも同じことなんです。ぶつかっても、ぶつからなくても。それでね、つまり僕は、人間が自然に好きなように生きるというのは、論理的一貫性をつくるいちばんのもとになると思うのです。それは 『葉隠』 の、どうせ短い人生だから、好きなことをして暮せという意味はそれだと思うのですよ。自然に好きなことだけやっておれば、絶対人間は論理一貫性を保てるように、神様は作っていると思いますよ。ところがときどき、好きでないことをやるから間違う。

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三島 非難なんて覚悟してますけれどもね。好きなことでの受難ならちっともかまわない。しかし、もし自分で、これは違うのではないかなとか、これは、僕の考えではないなと思ってやったことで受難したら、人生つまらないでしょう。

林 自分の好きなことをやるというあなたの意味はやりたいことをやるという石原慎太郎君の思想とはちがいますね。君のようなストイックな作家は他にはないですから (笑)。

三島 だからエピキュリアンですよ。エピキュリアンは、いちばんストイックですからね。僕はその意味では、エピキュリアンだと思います。で、エピキュリアンであればですね・・・・・・。

林 したいことをしないことによって、ほんとうの楽しみ、または幸福を享受するというのがエピキュリアンの思想ですね。後世は両派を対立させて考えているが、あなたはストイシズムの正統としてのエピキュリアンで・・・・・。

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林 歴史もそうですってね。近代史学だとか社会学的方法だなどというけれど、歴史の真実はそんなものではつかめない。論理も方法も達しえないところに愛情が作用する。愛情以外に歴史を解釈する方法はない。歴史的人物に惚れることによってその人物を理解できる。

三島 批評もそうですね。批評も絶対そうです。

林 好きか嫌いかのどっちかだ。作品批評の客観的規準なんかありませんよ。あれば便利ですがね。あると思っている批評家もいますがね。

三島 でも根本動機は愛情でなければ、真実は・・・・・。

林 真実とは人間精神の創造物でしょう。事実は客観的なものです。それに生命を与えるものは、愛情という主観的で神秘的なものだとすれば、不可知論ですね。








vendredi 3 juin 2011

自らとのランデブー、そして愛が行動へ向かわせる?


Danse
de Jean-Louis Raina


先日、エドガール・モランさんとパトリック・ヴィヴレさんの 『危機の時代にいかに生きるか?』 という本を取り上げ、モランさんのお話に触発されるように書いた。

Comment vivre en temps de crise ? (2010) 
Edgar Morin et Patrick Viveret

ここでは今回初めて読むことになったヴィヴレさんの考えについて。最初のブログ 「ハンモック」 では書かれたものを忠実に訳すことをやっていたが、こちらに来てからはある文章に触れた時に自分の中に広がる混沌とした想いを言葉に置き換えることに重点が移ってきたように見える。ヴィヴレさんとの遭遇はどのような結果になるだろうか。遠くから様子を眺めてみたい。


危機になり人々に不安が広がると、モランさんも言うところの 「希望の原理」 (le principe d'espérence) を見出すことが重要になる。この問題を考える時に重要になる3つのことがある。その第一は 「起こり得ないということ」 (l'improbable)、第二は 「創造の可能性」 (la possibilité créatrice)、そして第三が 「変容」 (la métamorphose)になる。

今、世界で問題になっているのは、一つの世界の終りである。マルクス主義者のアントニオ・グラムシ (1891-1937) は、危機についてこんなことを言っている。古い世界がなかなか消え去らず、新しい世界が生れるのに時間がかかっている時、魔物が出現する可能性がある。その時は危機であると同時に新しい機会の到来でもある。それから黙示録のヨハネ (le saint Jean de l'Apocalypse) は、アポカリプスとはカタストロフではなく、それまで隠れていたものが姿を現すことであると言っている。ヴィヴレさんはヨハネの黙示録の意味において、われわれはアポカリプスの時代に入っているのではないかと見ている。カタストロフではなく新しい姿が現れる啓示の時代、人類が自分自身に出遭い (rendez-vous) 本質的な問に向き合う時代に。そこには3つの変化が見られる。

一つは、DCDモデル (dérégulation-competition-délocalisation : 規制緩和、過度の競争、地方分散) と言われるものの持続が難しくなっていること。DCDモデルに見られることは、節度のなさと生き難さからくる不満である。第二の変化は、西欧近代の終わり、経済による救済 (le salut par l'économie) の終わりである。どのようにしてそこから抜け出すことができるのだろうか。ひとつは、上からモデルを押し付けるのではなく、自然との関係、われわれの存在意義、社会との繋がりという問題について異なる文明の間で真に開かれた厳しい対話をし、できるだけ普遍的なものを打ち建てること。それこそが人類が自らに向き合う (rendez-vous) ことの意味になる。その過程ではマージド・ラーネマさん (Majid Rahnema、1924- ) の言う 「内的時間の破壊」 を克服しなければならないだろう。そして、第三の変化は歴史的に見た時代の大転換である。そこでもエコロジーの挑戦 (air)、土地・領土 (空気・水・エネルギーの他、バーチャルな世界)の激変 (aire)、工業化社会から情報化社会への時代の転換 (ère) という3つの変化が見られる。

工業化社会では 「人生において何をするのか」 が問われたが、今は 「人生について何をするのか」 が問われている。われわれの地球、われわれの種、そしてわれわれの生について何をするのかが問題になってきた。何を持つかではなく、どうあるのかという本質的な問が目の前に現れているのだ。このようなわれわれ自身との出遭い (rendez-vous) においては、われわれの存在を十全に生かすための智慧が重要になる。マーティン・ルーサー・キング (1929–1968) によれば知性は愛の問題に行き着くという。ここでの知性はパスカルが言った心の理性と関係づけて捉えるべきもので、すべての感情を含んだ知性、心の知性とでも言うべきものである。

今の人間からさらに崇高な人間へと変わることができるだろうか。そのためには内なる野蛮の問題と向き合わなければならないというのがヴィヴレさんの考えになる。ホロコーストを持ち出すまでもなく、野蛮人、外国人、異端者という異質なものにどう対するのか。問題はわれわれの内に隠れているので、それを外に出し白日のもとに晒さなければならない。そして、こう問わなければならないだろう。「どうしてこのような野蛮が文明の只中で起き得たのだろうか」 と。

ヴィヴレさんはさらに問う。どうしたら節度ある幸せを手に入れることができるのか。どうしたら異文化との厳しい開かれた対話が可能になり、他者を受け入れることのできる寛容と多元主義の場を作ることができるのか。どうしたら人類は他者との関係において知性と良心を調和させて働かせることができるのか。他者との関係という時、根本的にはそれは愛との関係に帰着する。どれだけよく愛することができるのかの問題に帰着する。この気付きが人間を崇高へと導くと彼は考えている。

ギリシャの愛にはエロス、アガペーだけではなくフィリアがあり、源にはポルネイア (pornéia) がある。このポルネイアの元々の意味は大食いへの愛で、過度の食への依存、吸収や融合とも関連する言葉だという。大部分の人間関係における問題は、他者を受け入れないことからくるという意味で、ポルネイアの問題とも言える。これは政治や経済の問題についても当て嵌まる。

ヴィヴレさんは言う。他者の存在、違いや特異なものの存在は寛容さを以って受け入れなければならないとするところから、むしろわたしにとって必要なのだという視点の転換が必要になる。そして、それは生きることそのものに関係してくる。節度のなさからくる興奮と抑鬱という回路から抜け出て、集中と静謐という生をより鮮明に感じることのできる回路へと移行しなければならない。それこそが生きる悦びであり、それはまさしく政治的問題なのである。人間らしく生きるということはひとつの仕事であり、それ故お互いに助け合わなければならないのだ。個人の変容と社会の変容を対立させることなく進めなければならない。そうしなければ人類は目の前の巨大な挑戦を受けて立つことはできないだろう。




この本は去年出ている。このようなことは前から言われているのだろう。しかし、何事もないように見える日常の中でその声は掻き消されてしまう。今回のようなことが起こっても、表層を触るだけの反応しか生れていないように見えるのだから。危機の時代には、自身との真のランデブーによって隠れている本質的なものを引き出す必要があるはずなのだが、、、


jeudi 2 juin 2011

現世はお休み



今朝は気分が充実。メトロでさらに集中力が高まる。そしてビブリオテークの前に行くと門が閉まっている。パソコンを膝に座って仕事をしている若者に聞くと、今日はフェットだという。何の?と聞くとアサンシオン(昇天祭)。この日はいつも木曜で、金曜を休むと4連休ということになっている。そう言えば、途中のカフェが閑散としていて一体どうしたのかと思ったが、よもやお休みだったとは。この浮世離れぶりにはもうすっかり慣れてしまい、全く驚かない。近くのカフェに入り、今日はお休みに。

mercredi 1 juin 2011

最高のヴォア~ラ!


"
Les Colombières" à Menton
Ferdinand Bac (1859-1952)


昨日は詰め物が取れた歯の後始末に出掛けた。写真を見ると、もう根が腐っていて、奥に膿胞までできている。これはもう駄目ですね、と当然のことながらつれない。抜くことになった。助手の人と話ながら、あるいは一人で呟きながら始めた。まず聞えてきたのは、"C'est pas facile."。やがて "difficile" になり、歯が欠け掴みきれないようで "très difficile" に格上げされ、それが "très très difficile" となった時には、本気で上顎骨を越えるのではないかと心配。体を固くして堪えていたが、最後に "Voi~là !" が出た時には本当にほっとした。「ヴォアラ」 がこんな素晴らしい言葉だとは知らなかった。

こちらの先生は誰にでもこんなことを言うのだろうか。自信の表れではないかと思っていたが、わたしの性格を掴んでのことだったのかもしれない。そして終了後、根が曲がっていて (正確には変形していたので) 大変でしたとの説明。いずれにしても、すっきりしたので予定を変更して街の散策をする。途中、カフェに立ち寄り、昨日の続きでパトリック・ヴィヴレさんの考えを読む。