samedi 11 juin 2011

邪心を捨てる、あるいは再びのエネルゲイア



お茶の時間にこんな自問をしていた。

これまで何度も経験しているが、事を控えるとなぜかやる気がなくなる時がある。単純に差し迫らなければやる気にならないということが考えられる。ただ、それだけではないような気がしている。立派なものに仕上げようとして肩に力が入り、処理能力を超えたものを用意するため途方に暮れ、やる気が失せることもあるだろう。自分の根のところとしっかり噛み合っていないので、上滑りになるのだ。

この状態から抜け出すには、結果は考えずに無心で自分の中にすっぽりと入り込み、その時の自分を出し切るように考えること。無心といっても無なので掴み難いが、邪心を捨てると言い換えるとこの作業がやりやすくなる。うまくやろうという気持ちを捨て、今持てるものを出し切ることに力を注ぎさえすればよいのだと考えることができると、自らの中に入りやすくなる。

その状態は、初めて入ったお城の一室で腰をかけ、体をゆったりと後ろに反らし、あたかも全世界が広がっているかのような高い天井に自らの対象を思い描きながら眺めているイメージなのだ。この浸り切る作業を毎日一定の時間行い、自らの持てるものを総動員して考えること。これを継続できたら素晴らしいだろう。

このやり方は先に控えた事が目的なのではなく、あくまでもこの作業が、つまり今が目的なのだ。まさに昨年のテーマ、エネルゲイアである。これができると肩に力など入らなくなるだろう。このことはまた、漱石の言う 「牛になれ」 にも繋がるものかもしれない。

漱石の手紙 (2007-02-23)



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