今朝は4時に目が覚めた。
9時過ぎにホテルを出る。
今日は昔住んでいた界隈を目指した。
昔のアパートメントと対面するのは、昔付き合っていた彼女に会うような感覚か。
角を曲がるとアパートメントが見えるという時に、少し緊張したのには驚いた。
当時のドアマンとの再会にも微かな期待を抱いていた。
実際にその前に行くと、1-2階が工事中。
写真の方に話を伺った。
わたしが離れた数年後に働き始めたようだ。
その頃に賃貸から co-op スタイルに変わったとのこと。
ホールは豪華になっていた。
わたしにとっては丁度良い時期に滞在したことになる。
昔のドアマンのことを尋ねると、その中のお一人はすでに他界されているとの返答。
向かいにあった白いレストランも今は高層ビルに置き換わっている。
やはり数十年の時間はそれなりに長いものであった。
9時過ぎにホテルを出る。
今日は昔住んでいた界隈を目指した。
昔のアパートメントと対面するのは、昔付き合っていた彼女に会うような感覚か。
角を曲がるとアパートメントが見えるという時に、少し緊張したのには驚いた。
当時のドアマンとの再会にも微かな期待を抱いていた。
実際にその前に行くと、1-2階が工事中。
写真の方に話を伺った。
わたしが離れた数年後に働き始めたようだ。
その頃に賃貸から co-op スタイルに変わったとのこと。
ホールは豪華になっていた。
わたしにとっては丁度良い時期に滞在したことになる。
昔のドアマンのことを尋ねると、その中のお一人はすでに他界されているとの返答。
向かいにあった白いレストランも今は高層ビルに置き換わっている。
やはり数十年の時間はそれなりに長いものであった。
アパートメントから数ブロックのところにわたしが勤めていた研究所がある。
昔の通勤経路を辿ってみた。
やはりなくなっている店が多い。
Isamu Noguchi さん (1904-1988) と遭遇したレストランももう姿はなかった。
研究所前の通りに入る。
研究所横の中華料理店にはよくお世話になったが、今はコンビニに変わっている。
流石に教会はそのままであった。
昔の通勤経路を辿ってみた。
やはりなくなっている店が多い。
Isamu Noguchi さん (1904-1988) と遭遇したレストランももう姿はなかった。
研究所前の通りに入る。
研究所横の中華料理店にはよくお世話になったが、今はコンビニに変わっている。
流石に教会はそのままであった。
そして研究所に行くと、かつてのレンガ造りのビルは姿を消し、この通りの新築中。
昔のビルは4-5年前に壊され、経済の回復を待ってやっと工事が再開したとのこと。
研究者は横の超高層ビル (前の写真) に移っていた。
折角の機会なので、昔の知り合いに会うことを思いつく。
インフォーメーションで確かめると、ヘメリングさんだけがまだ在籍とのこと。
当時一緒に時間を過ごし、大変お世話になったT氏、K氏の上司に当たる方である。
お昼の時間には不在であったが、夕方戻ってくると暖かく迎えていただいた。
昔のビルは4-5年前に壊され、経済の回復を待ってやっと工事が再開したとのこと。
研究者は横の超高層ビル (前の写真) に移っていた。
折角の機会なので、昔の知り合いに会うことを思いつく。
インフォーメーションで確かめると、ヘメリングさんだけがまだ在籍とのこと。
当時一緒に時間を過ごし、大変お世話になったT氏、K氏の上司に当たる方である。
お昼の時間には不在であったが、夕方戻ってくると暖かく迎えていただいた。
Pr. Ulrich Hammerling
(Memorial Sloan-Kettering Cancer Center)
もう何年振りになるだろうか。
やや痩せられたのでは、というのが第一印象。
70代前半とのこと。
昔から派手なところはなく、着々と自らの道を進むというスタイル。
それは今も変わっていないという印象を持った。
昔は免疫遺伝学がテーマだったが、今はビタミンAを研究している。
肥満との関係も明らかになり、肥満から糖尿病への過程にも絡んでくる。
(詳細は彼のHPで紹介されている)
だからと言って臨床研究をやるつもりはなく、あくまでも基礎研究に徹底している。
これからもこの研究を続けていきたいと意欲的であった。
年齢との関連で、クラウス・ラエフスキー(Klaus Rajewsky)さんの話が出ていた。
この方もドイツ人免疫学者。
ケルン大学を65歳で定年になった2001年にハーバード大学へ。
そして、今年の夏からベルリンで第三の研究生活を始めるという。
大変なエネルギーである。
どこまで行くのか興味深く見守り、そして肖りたいものだ。
それから話題はわたしの話から科学と歴史や哲学の関係に移って行った。
彼はコーネル大学でも教えているが、学生の興味は今の事実だけ。
ここで歴史的に重要な研究がされたなどと言っても学生は無反応だとやや呆れ顔。
科学の歴史、そして研究の歴史的な評価は重要になるが無視されている。
それは科学研究を底の浅いものにし、科学者を歴史の闇に葬ることにも繋がる。
科学という営みに奥行きを与えるためにも歴史家や哲学者の役割は益々重要になる。
ヘメリングさんご自身はそれほど哲学的ではないとお考えのようだ。
ただ、専門の違う奥様と研究について話す時には哲学的にならざるを得ないという。
自分のやっていることを上から見て考えるところから始めなければならないからだ。
わたしがこのような道に入ったことについて、彼は面白い見立てをしてくれた。
それは、当時わたしの上司だったイギリス人の影響が大きいのではないかというもの。
実は研究所訪問の前にカフェで時を過ごしている時、同じ考えが浮かんでいたのだ。
研究生活への大きな影響についてはすでにブログでも触れている。
(それとともに生きる 2007-02-05; アメリカの恩師のこと 2007-07-04)
(文章の造り方 2008-01-13)
しかし、哲学への指向については今まで考えてもみなかった。
今回ここを訪れることがなければ気付かなかったことかもしれない。
大きな時の流れの中にいることを感じていた。
1時間ほどのお話を終え、満ち足りた気分でマンハッタンの人となった。
またお会いする機会が巡ってきそうな予感とともに。
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