samedi 18 juin 2011

カタツムリから生物記号論へ



先ほど、ニューヨークのホテルに着いたところだ。
パリ・フィラデルフィア便は非常に落ち着いた時間を取ることができた。
入国手続きは、以前に比べて一人ひとりとの会話に多くの時間を取っている印象。
以前であれば、何しに来てどのくらい滞在するのか程度で終わった。
今回はわたしとアメリカとの関わりを振り返り、今の状態を語るという感じだった。
最後に親指と他の指の指紋を左右取り込んで終わった。
フィラデルフィア・ラガーディ便は夏の雲の中をお構いなしにどんどん進む。
お蔭さまで bumpy flight とでも言うべき飛行となった。


今朝、アパルトマンを出ると不思議な出会いが待っていた。
雨上がりの中庭の道の真ん中に2匹のカタツムリがいる。
こんなところで見るのは初めてだ。
何か重そうな荷物を背負っている。
近寄ってみるとその荷物が僅かに左右に揺れている。
彼らは目には見えない歩みをしていたのだ。
「わたしを見習いなさい」という声が聞こえたような気がした。


ある物を見て、解釈するのは人間だけだという考えがある。
動物にも解釈している世界があるというのがヤーコプ・フォン・ユクスキュルだ。
人間は物に名前を付ける。
特定の物とその物に含まれる本質を表す名前がある。
ジョン、ポールに対して人間。
赤、黒に対して色。
これも言語が変わると違う言葉になる。
物があり、それを指し示すものがあり、そこに意味が出てくる。
記号論の世界だ。
言語に限って研究したのがソシュール
それを生物からこの宇宙にまで広げようとしたのがパースからシービオックへの流れ。
生物記号論の世界になる。


今回ニューヨークに来たのは、その世界を覗き見るためだ。
わずか半年ほど前にその存在に気付いたが、今一つピンとこないのだ。
科学として成立するのか、メタフィジークの世界に留まるのか。
そこで新しい世界に入って初めての発表になるのだから大変だ。
しかし、その会場周辺は若き日に5年の時を過ごしたところになる。
その空間に足を踏み入れた時、どんな感慨が浮かんでくるのか楽しみである。
今しがた、ラガーディアから FDR Driveway をイースト・リバー沿いに降りてきた。
以前と変わらない川の周辺の景色が現れる。
特別な感慨は沸いてこなかった。
今回は現在の場所としてのあの界隈があるためかもしれない。


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