vendredi 19 avril 2013

消えているフランス映画に覚えた違和感


先日のこと

日本最後の会食で話題になったジャコメッティ(Alberto Giacometti, 1901-1966)の映像を観ていた

白黒のインタビューである

そして、インタビュアーの問いかけが始まった時、ある変化が起こった

こちらに来る数年前からフランス映画を意識的に観るようになって覚えた違和感を思い出したのである

うまく表現できないが、止まった時間の中で人間が浮遊し、考えているような、とでも言えばよいのか

それはアメリカでは経験したことのない不思議な感覚だったのだ

そこから先に行くと一体どんな世界が待っているのだろうか

その闇に好奇心を刺激されたのである


ここで新たな不思議が現れた

確かに、違和感を感じたことは覚えている

しかし、その違和感を正確に再現することはできない

今回、違和感を感じていたわけでもない

おそらく、こんなところを観て違和感を感じたのだろうな、という思いが湧いただけなのである

本当に、おそらく、という程度の

どうして今は何も感じていないのに、当時のことを想像できたのだろうか

そのズレが不思議である

確実なことは、それほどまでにわたしの感受性が変わってしまったということだろう

 5年余りの間に何かが滲み込み、今はこの身と一体になりつつある境目にあるのかもしれない



同様のことは、哲学との距離感についても言えそうだ

こちらに来た当時の驚きが次第に薄れている

その再現は当時のメモに頼らなければならなくなりつつある

自分の中での哲学と科学との距離が決まってしまったからだろうか


そう言えば、先日の日本ではわたしの話すことが普通の科学者のものとは違うという反応があった

ごく普通のこととして話していたつもりなのに、である

以前は異質な世界に今いるという感覚の中で話していたのが、その違和感が消えているためなのだろう

自分では気付かなくなっている

哲学との関係も一つの平衡状態に入りつつあるのかもしれない




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