vendredi 26 avril 2013

映画 "Hannah Arendt" を観る


ドイツ出身でアメリカで活躍した哲学者にハンナ・アーレントHannah Arendt, 1906-1975)さんがいる

 前ブログで何度か取り上げたことがある

ハンナ・アーレント 「精神の生活」 La Vie de l'esprit - Hannah Arendt (2008-12-07)
ハンナ・アーレントの墓 La Tombe d'Hannah Arendt (2010-02-15)
瞑想生活のある社会 La société avec la vie contemplative (2011-01-14)

先日のメトロで、冒頭のポスターが目に入った

バルバラ・スコヴァBarbara Sukowa, 1950-)さん主演

マルガレーテ・フォン・トロッタMargarethe von Trotta, 1942-)監督の手になる映画である

Hannah Arendt (2012)
オフィシャルサイト(ドイツ語)




夜、シネマに向かう

意外にお客さんが多い

アイヒマン裁判をカバーした New Yorker の記事とその反響が中心であった

この裁判については同時進行で新聞やテレビで触れた程度だった思う

この映画では生々しい映像が組み込まれていて、新鮮であった

アイヒマンは優秀な官僚のように、しっかりとした口調で自らの考えを主張していた

戦争という状況で、仕事として粛々と命令に従っただけである

命令に逆らったとしても大海の一滴にしか過ぎないと考えていた他の人と同じことをしただけである


そこには犯罪を犯そうという意志はない

そこに悪魔的なものを見ることもない

犯罪者のいない犯罪だとアーレントさんは考える

アイヒマンに欠けていたのは考えることだったとアーレントさんは診断する

師のハイデッガーが言ったように、考えること(réflexion と訳されていた)は孤独な作業である

それは自分との対話なしには成立しない

そして、アイヒマンに協力したユダヤ人指導者がいたことにも触れる

これが多くのユダヤ人の反発を買う

また、アイヒマンをモンスターと見ないことにも非難が起こる

しかし、彼女はまず理解することが大切だと説く

それなしに人を非難し、貶めることは character assassination だ!と声を荒げる


確かに、当時は扇情的で断定的な報道の中にいたように記憶している

今その映像を観てみると、記憶に残っていたものとは違う像が結ばれてくる

アーレントさんの分析は冷静だったように見えてくる

ある状況に入った時、その枠の中で行動するだけでよいのか
 
それは彼女の言う考えていることにはならない

 あるいは、どこかに絶対的な規範を求め、それに基づいて判断する必要があるのか

そのために求められる考える作業が容易でないことは、自らを省みればよくわかる




多くのことを考えさせられる時間となった




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