lundi 1 avril 2013

その場から離れること、それは哲学への最初の一歩

Chiaroscuro, 1979 
多田美波(1924-)


科学から哲学に移って感じたことの一つに、このことがある

それは、科学の現場から離れたにもかかわらず、それまで以上に科学を近くに感じるようになったことである

マスターの頃はそのことに驚き、この場や学会のニューズレターに書いたりもした

先週のサイファイ・カフェSHEで、参加者のコメントから図らずもそのことを思い出した


なぜこのような逆説的なことが起こるのか

週末の大阪との往復の中でこんな考えが浮かんできた

それは、現場を離れることにより、科学の具体的な営みが視野から消える

しかし、そのことにより、逆に科学の全体が見えるようになったのではないか

 その時、それまでとは違う角度から科学を眺め、考えることができるようになったのではないか

この視点からの思考は、取りも直さず全体への希求を内在している哲学の目指すところと重なる

それこそ、わたしが科学者になる以前から求めていたものの見方とも重なるようにも見える

それがこの存在そのものに触れる深い悦びに繋がっているのではないか

そして、科学の成果の記載に留まるのではなく、このような思考も含めた広い世界を新しい科学としたい

それがわたしの中で固まりつつある21世紀の科学像でもある 


ところで、上記の逆説的な感覚はマスターの時には強烈であったが、今はかなり薄れている

それが自分の中では当たり前になってしまったからだろう

同じようなことを先週の対談でも経験した

一つの衝撃が自分の中に溶け込んでしまったため、一つひとつの要素を取り出すことができなくなるのだ

それは、それぞれの要素を意識しなくとも、日々の営みの中に生かされるようになっているためだ

このように見てくると、この5年余りの年月がわたしの中のいろいろなところに変容を迫っていることが想像される

今回の日本滞在では、そのことに気付かされる切っ掛けを与えられたことになる




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