samedi 4 février 2012

ナントの 「熱狂の日」 音楽祭やロラン・バルトさんの 「喪の日記」 のことなど



このところ抜けるように晴れ上がっているが、いかんせん寒い

バルコンに出られないのが辛い

部屋の中で考えていたことを遠くから見ることのできる一番近くにある貴重な場所だからだ


今日は外出する気にならず

La folle journée de Nantes からの放送を聞く

茫洋とした広がりを持ち、リリシズム溢れるつロシア音楽に身を委ねる

もう6年も前になる東京での音楽祭のことを思い出す

「熱狂の日」音楽祭での出会い RENCONTRES A LA FOLLE JOURNEE (2006-05-04)



午後、先日のリブレリーで目の前に現れたロラン・バルトさん(1915-1980)の日記を読む

それは喪に服した日記というものではない

人生のほとんどの時をともに過ごした母親が亡くなった後の痛みや悲しみを綴ったものだ

涙を流し、自殺を考えるほどの想像もできない苦痛を


母親の死を通して、それまでは抽象でしかなかった死が初めて確実なものとして迫ってきたという

すべての人は死ぬ

そこに差別はない

そのことに痛みを癒される時もあった


物質主義の何という愚劣、魂の永遠を信じない何という野蛮、という言葉もある


俳句に安らぎを見出すこともある


自分はこの世から完全に消滅してもよい

しかし母親がそうなるのは耐えられない

彼女はものを書いていないから、というくだりもある


« l'intelligence, c'est : tout ce qui nous permet de vivre souverainement avec un être »

「知性とは、ある存在とともに最良に生きることを可能にするすべてのものである」


この日記を終えた翌年の2月、交通事故に遭い、翌月亡くなっている

母親の死から僅か2年半足らずであった

享年64




Journal de deuil :
26 octobre 1977-15 septembre 1979
(2009)


日本語訳は 「喪の日記」 としてみすず書房から出ている。



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