lundi 19 décembre 2011

ジュール・ホフマンさんの言葉で国籍を考える



今年ノーベル賞を貰ったフランスのジュール・ホフマンさん (1941-) の言葉で意外に思ったことがある。彼はルクセンブルグに生まれ、ルクセンブルグ国民だった。そして、受賞発表直後のル・モンドに彼がこう語った時、その意外感が訪れた。正確ではないが、次のような言葉だったと記憶している。
「フランスに移り、フランス国籍を獲る時には父親が大変に心配したが、今ではそれでよかったのだと思っている」
ルクセンブルグからすぐ隣のフランスに移住することなど、簡単なことだと漠然と思っていたわたしは驚き、すぐにそれは当然のことかもしれないと思い直したのだ。大陸に住む人間で言葉も同じ場合、島国の国民とは国籍に関する感じ方に違いがあるのではないかと何気なく思っていたのだ。


この言葉に反応したのは個人的な経験を思い出したからだ。若き日にアメリカに住み、これから先どうしようか考えていたことがある。そして滞在の最後の1年は国籍の問題に思いを巡らせていた。日本の場合、他国の国籍を獲るためには日本の国籍を捨てなければならない。そうでなければ簡単だったのかもしれない。日本にいる時には国籍の重みなど考えてもいなかったが、わたしには日本の国籍を捨てることはできなかった。なぜだったのか。おそらく、自分が育つ中で生れた繋がり、それは具体的な繋がりもあるだろうが、ものの考え方、感じ方などの精神的な繋がりから離れることが耐えられなかったからではないかと思う。それまで良しとして育ってきた文化的なものが、わたしの頭の中でどんどん圧縮されているのがはっきり見えたからだ。その上で、自分の社会における立場だけでなく、それまで培ってきた自分の中身をも新たに造り直さなければならないことに思いが至った時、恐怖に近いものを感じた。1年に及ぶ思考実験の中で、その恐怖感が現実味を以って迫ってきたのだ。ホフマンさんの言葉は、国を離れるということが物理的な距離ではなく、文化的な距離に決定的に依存していることを改めて教えてくれるものであった。


先日の記事でフィンキールクロートさんが引用していたフュステル・ド・クーランジュさん (1830-1889)の言葉、「人間は理念、関心、愛情、思い出、希望の共同体を持つ時、同じ人たちと一緒にいると感じる。それこそが祖国を作るものだ」 という言葉に共感を抱かざるを得なかったのは、わたしの中にその実体験があったからである。そうすると、愚直に日本の理念、関心、愛情、記憶、希望を研究することによってしか日本的なるものの姿を見ることができないような気がしてくる。どの領域でもよいだろう。折に触れ、これまでの蓄積を振り返り、瞑想し、現代に翻訳する作業をしていくことが、日本的なるもの、ひいては日本として譲れないものに迫る道になるのかもしれない。それとは別に、過去を読み、表現し直してくれるクラシックの名演奏家のような方が多く出ることを期待したいものである。



Aucun commentaire:

Enregistrer un commentaire