vendredi 30 décembre 2011

晴れ上がったルクセンブルグを動と静で味わう



どうなるのか心配していた天気だったが、朝食後外に出ると晴れ上がっている。
しかもパリと同じ空だ。
気分も軽く、終日散策の予定で歩き始める。

フランスの住人なのでホテルではフランス語で通している。
ホテルのご主人はフランス語に訛りがある。
しかし、大きなジェスチャーでこちらの心に入ってくる。
話の中でイタリア人であることがわかる。
そして、こんなことを言い出した。
「フランス語を話すのでしたら、イタリア語はすぐですよ。是非やってみては」

何が切っ掛けで 「こと」 が動き出すのかわからない。
早速、ご主人に紹介していただいたリブレリー Libo に向う。
イタリア語を学ぶための本を探しているのですが、と聞いていた。
すると、イタリア語の専門家に取り次いでくれた。
デビュタント向けの1冊を手に入れる。

お話を伺うと、母親がイタリア人なので確かに専門家である。
彼女はイタリア語のほか、英語、ドイツ語、フランス語、ルクセンブルグ語を操る。
ルクセンブルグでは移住してくる人が多いので、他にもいろいろな言葉を耳にするとのこと。
この環境だとマルチリンガルへの道は近いかもしれない。





雨で湿った道を朝早く歩くのは気持ちがよい。
こんな瞬間にも出会うことができた。





この景色はルクセンブルグの一つの象徴になるのではないだろうか。
手前に金色に輝いているのは 「黄金の女性」 を意味する Gëlle Fra の戦争記念碑
後ろに見える塔はノートルダム大聖堂 (Cathédrale Notre-Dame)。
近くに行ってわかったのだが、大聖堂に隣接して国立図書館がある。








Gëlle Fra 戦争記念碑
Monument du souvenir "Gëlle Fra"




ルクセンブルグ国立図書館
Bibliothèque nationale de Luxembourg


本当にこじんまりした入口なので、最初は大聖堂付属資料館くらいに思っていた。
しかし、それと書かれてある。
体が冷えていたこともあり、中を覗いてみることにした。

変に国を背負ったという雰囲気はなく、手頃な図書館という印象だ。
暇つぶしにフランス語、ドイツ語、イタリア語の新聞を眺める。
イタリア語の新聞の文字を追ったのは初めてのことだ。
もちろん、それはギリシャ語だった。

すぐに飽きて哲学雑誌の棚へ。
その中にあったフランス語の一誌を手に取る。
ハイデッガーが1934年11月30日、コンスタンツで行った講演内容が出ている。
演題は 「ドイツ哲学の現状と将来の課題」。
冒頭に 「それは 『哲学』 の問題である」 とあり、昨日と繋がっていることがわかる。
読み終えてから歩くことにした。

読みながら大聖堂の鐘の音を実に心地よく聞く。
15分毎に高い音で軽快に歌うように。
深みを湛えた太い響きが朗々と歌うと正時だ。
結局、正時の歌を2-3度聞いたように思う。
落ち着いた感じの良い図書館だった。





しばらく歩くと、昼の月に気付く。
すでに素晴らしいことが起こっていたので、そうだったのかと思う。
最早、ユングの世界だ。





市庁舎前の広場は恒例になるのだろうお店で埋まっている。






カピュサン劇場 (Théâtre des Capucins) の正面と裏の広場の彫刻





広場の雑踏を離れ街に入ると、こんな女性が現れた。
何を考えているのか、わからない。
道行く人も同じだろう。

中年の女性が叫び出した。
「放っておいたら危ないので服を着させなさい」
別の男が叫ぶ。
「何かのデモンストレーションをしてるんだ。彼女の権利を奪うな」
女性が返す。
「一体何のデモなの」

本人は一言も発せず、微動だにしない。
よく見ると、太腿の筋肉は痙攣している。





すぐに警官が現れ説得するが、全く反応しない。
結局、先ほどの女性の再びの叫びで服を着せることになる。
抵抗するかとも思ったが、おとなしく従っていた。

この間、冷え切っていたわたしも体のことを忘れていた。









目を凝らすと、何かが見えてくる。





予想もしていなかった贈り物をいただいたような一日だった。

パリもそうだが、都心の空が広々としているのは何とも言えずよい。

街に支配されているような疎外感が生れないからだろうか。

ホテルに戻るとご主人が 「ブオナセーラ!」 "Buonasera" と両手を広げて迎えてくれる。

明日からはイタリア語だけですよ、などと無茶なことを言っていた。

大晦日は果物屋の女主人の予想通り雨だろうか。




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