dimanche 25 décembre 2011

季節にリズムを、そして詩人は解放者


「わたしは季節にリズムを付ける」


こんな言葉を見付け、そのまま呟く。

それからさらに強く 「リトゥム!」 と口ずさむ。

冷たい空気の中、急に足取りが軽くなる。

その影響か、カフェで充実した時間を過ごすことができた。





今日も前ブログ 「A View from Paris パリから観る」 を読みながら Blogger へ引っ越し作業をする。その中に4年前の二つの記事があった。

Un poète japonais à Paris (2008-1-6)
Philosophie et poésie 詩と哲学 (2008-1-7)


こちらに来る前にパリを訪れた際、湧き上がる気持ちを五七五で拾ったことがある。句とはとても言えない代物だが、フランスの方がパリの詩人 Paul-Ailleurs の作としてご自身のブログに取り上げてくれたのだ。

久し振りにそのブログ oniromances を訪れてみた。こちらの中が変わってきたのだろうか、以前より親しみやすくなっている。最近の記事に、エマーソンから見た詩人のお話が出ていた。こんな内容になる。
詩人はすべての決まり切ったこと、コンフォーミズム(順応主義)、慣習といった人間の社会生活における不可避だが修正不能ではない運命から解放するためにやってきた 「解放の神」 だろう。地上におけるわれわれの日常とは無縁であるため、詩や真実には自分たちが神性なるものに属していることを思い出させる力がある。また、社会を構成する必然性が詩という日常とは無縁で孤独なものが存在することを可能にしたことを思い出させてくれるのだ。 

Le poète selon Emerson (1 novembre 2011)




詩人の心には翼がなければならない。

その翼でこの地上から飛び立ち、下界を見下し、観察するのだ。

これこそ哲学者の視点だという人がいる。

昨日観た HOME の視点もまさに哲学者のものだった。

詩と哲学という樹は、実はその根で繋がっていたのだ。

そして HOME が言っていたように、この樹こそ理想的な存在なのだ。

この世界で唯一天に向かうことができる生命だからだ。




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