mercredi 5 octobre 2011

彼らの感性





昨日、サントーギュスタン駅(Saint-Augustin)でビブリオテークに行くためメトロの14番に乗り換えようとしたところ、警官が多数いて先に進めない。一旦外に出て、サンラザール駅(Saint-Lazare)から乗るように言われる。何があったのかと聞いても返事をしない。お蔭さまで久し振りにこの界隈を歩く。地上にも警官が大勢たむろしていた。帰りは問題なく移動ができた。そして、工事中だったところにはこの絵があり、壁には詩の断片が埋め込まれている。どこからこの感性が出てくるのだろうか。遊び心と余裕がなければ生れないはずだが、それだけではどうしても説明がつかない。歴史の中で彼らの中に滲み付いた文化のなせる技なのだろうか。いつも不思議に思っている。



lundi 3 octobre 2011

ジュール・ホフマンさんらにノーベル賞



今年のノーベル週間が始まったようだ。「ようだ」 と書いたのは癖でもあるが、こんなことがあったからだ。

2年ほど前にパリで始まった 「哲学と免疫学」 という会についてのエッセイを日本の学会誌に寄稿した。その中で、今回受賞が決まったジュール・ホフマンさん (Jules Hoffmann) が講演された時の写真を使った。その内容を仏版ブログに昨日出したこともあり、そのことをお知らせするメールをホフマンさんに今朝出した。そして、少し前にメールをチェックすると会のオーガナイザーからこの嬉しいニュースが飛び込んできた。早速、ル・モンドに行ってみると間違いなさそうなので、慌ててお祝いのメールを出し直したところである。年齢をみると70歳とあるが、まだ青年のように若い心を持っておられる。これからもご活躍されることが想像に難くない。

同時受賞されたラルフ・スタインマンさんとはその昔、ロッキー山脈で開かれた会の食事の席で隣同士になり、お話したことが思い出される。ゆっくり考え、静かに話をする方だったので強い印象を残している。

それから3人目のブルース・ボイトラーさん (Bruce Beutler) の経歴をウィキで見ると、彼と同じ研究所に勤めていた父親の研究室の後、シティ・オブ・ホープ研究所の大野乾 (すすむ) 博士の研究室で生物学を勉強していたとの記載がある。大野博士については、この5月に取り上げたばかりなので不思議な繋がりを感じる。

それはそうと、そろそろ現世の流れにも目を向けるようにしなければ、という気持ちも一瞬だが湧いていた。


La transformation du savoir scientifique en savoir général (2011-10-2)
ジュール・ホフマンさんのお話を聞き、久しぶりのフランス語 (2011-01-18)
オペロン・シンポ2日目: やはり最後は哲学、文化に行き着くのか (2011-05-18)


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17:20

今年のノーベル賞は因縁が付いているようだ。ル・モンドの新しい記事によると、スタインマンさんは4年に亘る膵臓がんとの闘病の後、9月30日に68歳で亡くなっていたとロックフェラー大学が発表したという。何という歴史の悪戯だろうか。ノーベル賞は亡くなった方には与えないことになっているが、賞の発表から授賞式までの間に亡くなった場合はその限りではない。今回の場合はそれにも該当しないが、ノーベル財団は発表そのものを変更するつもりはないようだ。


samedi 1 octobre 2011

「科学から人間を考える」 試みのお知らせ (2)


「科学から人間を考える」 試みを来月に予定しております。
もう少し余裕がありますので、再度案内を掲載いたします。

この会では科学という人類の営みを支えきた精神活動 (科学精神と言うべきもの) について、根源に返り大きな枠組みの中に入れ直して考えてみたいと思います。同時に、その過程で得られた考え方をどのようにわたしたちの日常に取り入れていくのかについても視野に入れる予定にしています。お気軽に参加していただければ幸いです。

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日時: 2011年11月24日(木) 、午後6時半~8時

会場: カルフール会議室 (定員約20名)
Carrefour

東京都渋谷区恵比寿4-6-1 恵比寿MFビルB1


今回の会場では飲み物の注文が義務付けられておりますので

参加費を下記のように変更いたしました。

参加費
高校生・大学生: 無料
一般: 1,000円
この他、会場で飲み物の注文をお願いいたします。

学生の方の負担が増えることになりますが、
ご了承いただければ幸い。

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参加予約が必要になります。
会に興味をお持ちの方は、以下のサイトをご覧ください。

● 「科学から人間を考える」
● 案内パンフレット

よろしくお願いいたします。


vendredi 30 septembre 2011

書く手を休めて


Portrait d'homme âgé (vers 1765)
Jean-Honoré Fragonard (1732-1806)



新しい装いになり、これまで書く度にどんどんどこかに消えていった記事をもう一度見直してみたいという気分が生れている。単にスキンが変わるというのではなく、記事が一つの物のように次々と姿を変える様を見ているうちに、それらが自分から離れ、その辺りに転がっている石ころのように感じられたためかもしれない。前のブログにもこのようなモデルがあるとよいのだが、、。

これまで何度か見直そうという気分になったが、実現するところまで行かなかった。書く手を少し休めることにより、さっぱり進む気配のない目の前の別の仕事が捗りそうな予感もする。それだけこの場には力が入っていた証拠になる。また、記事の中にはこれからの仕事の参考になるものが含まれている可能性もある。しばらくは気分に任せての投稿になりそうである。



jeudi 29 septembre 2011

模様替えをする


Surprise
(1910)
Michel de Tarnowsky (Nice, 1870-Nice, 1946)


ブログに新しいモデルができたという案内に初めて気付く。その名も Dynamic Views。これまで通りのクラッシックなスタイルもあるが、上にあるメニューバーから他の配列も選べるようになっている。これまでに書いた記事が俯瞰できるように工夫されているので、ブログ全体を鷲掴みにしている感覚が生れる。すべてが時の流れを超えて一つの平面に並べられるので、過去が埋もれてしまうことがないという不思議な感覚でもある。適当な頻度でこのスタイルに替えるというのも面白そうだ。


mercredi 28 septembre 2011

「自由意志」 を聴き、"Les Hommes libres" を観る



昨日が遅かったせいか、スロースタートになった。

今朝はBBCの哲学Podcastsにあった自由意志(Free Will)を聴きながらの遅いプティ・デジュネ。軽快に話が進むので気持ちがよい。ウィキなどで関連の概念や哲学者について読む。決定論と自由意志との関係が問題になる。この二つが両立するという立場と決定論の下では自由意志はあり得ないとする立場の両極の間にいくつかのニュアンスがあるようだ。また、この問題と道徳が絡んでくる。この世界が決定論で動いていて自由意志の入る余地がないとすれば、道徳は成立するのかというところに行く。拡がりの大きな問題で、いずれじっくり考えなければならないだろう。

午後からは読みに出る。今日は少し歩いただけで汗が滲み出る暑さだった。2-3時間だったが、珍しく集中できた。読んだ対象がよかったのだろう。これからに繋がる糸が一つ見つかったようで、このところの滅入る気分が少しだけ晴れる。その勢いで「自由の男たち」を観ることにした。




第二次大戦中のナチス・ドイツに占領されたパリが舞台。アルジェリアから来た男が闇で取引していたために捕まる。そこで警察に取引を持ちかけられる。レジスタンスやユダヤ人に力を貸しているのではないかと疑われている導師のいるモスクに入り、そこで起こることをすべて報告するように言われる。

全編を流れるアラブの音楽を堪能する。
そして、モスクでの生活の様子も味わうことができた。
この映画、今日が初日だったようだ。




途中、印象的なトランペットの音楽が流れていた。最後に、イブラヒム・マールーフさんであることがわかる。前ブログで取り上げた方である。改めて、味わってみたい。


自分の声を聞いてみれば(2010-07-07)


mardi 27 septembre 2011

科学万能時代の哲学



科学全盛、科学万能と言われる時代が続いている。科学の齎す成果はわれわれの生活を楽にするだけだと思われていた時のみならず、その生活を破壊する力を持つことが明らかになってもその流れは止まらない。

先日、ベルグソン (1859-1941) の本を齧っていた。生命をより複雑な方向へ導く予測不能で創造的な力とでも言うべきエラン・ヴィタル (élan vital) という概念を考え出して、生命の進化を論じた方である。この概念には実体がないとして、科学者からは否定的に見られることが多い。科学万能の時代に生きている者は、科学で証明できるものでなければ意味がないという考えに染まり切っている。その範囲でしか、ものが見えなくなっている。この思考様式が世界を覆っているのではないだろうか。昨日感じたのは、科学に考えることを任せてしまい、わたしたちはものを考えなくなっているのではないかという疑念であった。

それだけでも問題である。しかしそれ以上に問題なのは、ハイデッガー (1889-1976) も指摘しているように、考えることを任せている科学はそもそも考えない。科学は科学という制約の中でしかものを見、考えることができない。つまり、科学がやっていることについて判断する力はないのである。科学に身を任せてしまうと科学の外にある枠組みが見えなくなる。科学の外に出てみると、このことがよくわかるようになる。

できるだけ広いところからものを見ようとする動きをすることは、哲学の一つの姿勢である。その姿勢を採ることにより、それ以前に支えてくれていた柵がなくなり自分で考えざるを得なくなる。昨日感じたのは、自分で必死に考えようとしている哲学者の精神運動であった。

ここで言いたかったのは、科学の骨格を作っている考え方の否定ではない。それを徹底した上で、そこを超えなければならないという思いである。もちろん、前段の科学精神の徹底さえ未だままならない状態では先の長い話である。科学が芸術や文学、人間の精神的姿勢や理解などに大きな役割を果たしていないという意味で、現代は科学時代ではないと言った哲学嫌いのリチャード・ファインマンさん (1918-1988) にも同意しなければならない。今いるインターフェースからだけでも多くの課題がわたしたちの前に横たわっているのが見えてくる。


lundi 26 septembre 2011

やっと立ち上がる、しかし・・・



今日は午前中近くのカフェへ。これまで開店は10時半だったが、いつからか2時間早くなり、カフェらしくなってきた。これからもっと頻繁に使えそうである。カフェが開くまでの時間つぶしに入ったプレスで1冊仕入れる。2時間ほど読んでから、久し振りにビブリオテークへ向かった。

やっと仕事に取り掛かる気分になってくる。そしてわかったことは、準備ができていないということだ。専門課程に入っているのになぜか教養課程の勉強をしていたような印象である。これから2年ほどかけてやるつもりになった方が精神衛生にはよさそうだ。



dimanche 25 septembre 2011

人間への道、あるいは大石又七という方



今年の7月3日に放送されたという大江健三郎と大石又七という方の対談を観る。大石又七さんは1954年3月、第五福竜丸で操業中、ビキニ沖でアメリカの水爆実験に遭遇し、被曝された方である。お話を伺いながら、立派な日本人がいることに感動する。どの言葉にも真実が宿っていることが伝わってくる。77歳までの人生を苦しみ考えながら歩まれてきたこと、そしてその過程で新しい人間が創り上げられたのではないかと想像させるに十分なお姿であった。

大江氏のお話にも注意を引く言葉があった。一つは彼の母親の言葉で、真面目な言葉を発した後に真面目な言葉が返ってくるような環境で生活しなさいという教え。田舎の大人たちがいつも冗談めかした話しかしないのを不思議に思った大江少年の疑問に答えてのものだったという。もう一つは、お医者さんの例で話していたが、一般に専門家はその対象と自分を切り離している存在であるという観察である。これはここでも何度か触れたこととも関係するが、おそらく当たっているのではないだろうか。その上で、自分は小説家という専門家ではない人間として生きることがよいことではないかと考えていると語っていた。今、専門を離れた立場になり、大江氏の言いたいところがよくわかるようになっている。

専門性と責任の関連を考える (2010-05-16)











samedi 24 septembre 2011

ロバート・オッペンハイマーの人生を観る Robert Oppenheimer



昨夜、PBSでロバート・オッペンハイマー (1904-1967) の複雑な人生も眺める。この映画では証言がふんだんに取り入れられていて、実像が浮かび上がる。若き日の彼は感情面での発達にバランスを欠き、未熟な人間として映ったという。ハーバード大学を3年で卒業後、ケンブリッジ大学で実験物理学を始めるが科学者としての才能に疑いを持つ。しかし、ドイツで理論物理学をやるようになり、自分の進むべき道を見つける。25歳にして世界的な研究者としてアメリカに戻り、カリフォルニアで教え始める。講義は難解を極めた。個人的にも彼の言葉は常に計算されていて、心から出ているようには見えなかった。それは高慢さからなのか、優越性を示すためだったのか。いつもステージに上がっているようで、同僚としての付き合いは難しかったようだ。

常に科学だけに興味を持っていたが、1936年から社会の動きにも興味を示すようになる。最初の恋人になる医学生が共産党員だったこと、妻になる女性も元共産党員だったことも関係しているようだ。彼自身が党員だったという証拠は残っていないようだが、妻だけでなく彼の弟も弟の妻も共産党員だったことからシンパシーは感じていた。国家の機密を知り過ぎた男として厳しい監視下に置かれる。原爆の後、冷戦期に入ると国への忠誠が問われることになった。・・・・残念ながらこのあたりまでしか進めなかったが、考えさせる内容に溢れていた。

科学者としての最高の栄光に辿り着き、それがために地獄をも味わうことになった二人の科学者。第一次大戦に関わったフリッツ・ハーバーと第二次大戦に関わったロバート・オッペンハイマー。いずれも複雑な人間だった。科学者としても優秀だった。科学を進める魔力的な力をこの二人は内に秘めていた。今は単純に裁くのではなく、それぞれの中をもっと知りたいという気持ちが湧いている。




The Trials of J. Robert Oppenheimer









vendredi 23 septembre 2011

フリッツ・ハーバーという科学者 Fritz Haber


「化学兵器の父」 と言わるフリッツ・ハーバー (1868–1934) という化学者がいた。非常に野心的だったようで、ユダヤ人だったが後に改宗している。第一次世界大戦で使われた毒ガスの開発に関与。同じく科学者だった妻のクララはそれには同意せず、1915年銃で自殺。息子も自殺している。1917年に再婚。1918年にはアンモニアの合成などの業績でノーベル化学賞を受賞。後にナチがガス室で用いることになるツィクロンBのもとになったツィクロンAを作る。ベルリンではアインシュタインとも親交があったが、ヨーロッパの将来の捉え方が全く異なっていた。ドイツに忠誠を誓い、社会に受け入れられるために努めてきたハーバーだったが、ナチの台頭で国外に逃れざるを得なくなる。最終的にはスイスで亡くなり、最初の妻と一緒に葬られている。アインシュタインはハーバーの人生をドイツのユダヤ人の悲劇であると語っている。

彼の人生が語られているBBCのサイトがある。
The Chemist of Life and Death


jeudi 22 septembre 2011

セミナーでノスタルジックな気分が襲う



今日はお昼から外に出てしばらく読み、夕方のセミナーへ。新しいシリーズの初日になる。オーガナイザーが新しくなり、しばらく参加していなかったせいか、メンバーの大半は知らない人になっている。なぜか不思議な気分になる。確実に時が流れ、かつて同時代人として参加していた時の輝きは失われている。もう遥か彼方に過ぎ去ってしまったという感情だろうか。しかし、その場が新しくなっているというよりは、いまだ過去の中にいるといるという矛盾した気持ちである。必死にやっていたマスターの時間を越える時間が流れているのだ。ある種ノスタルジックな気分が襲っても不思議ではないだろう。自分の知っている人がこの世からいなくなった老人の心境とはこんなものではないかと想像させるくらいである。

セミナーの前、久し振りに英語のリブレリーに寄る。いくつか目に付いたが、そのままにする。読みたいという気持ちが持続しているようであれば手に入れることにした。セミナー終了後、カフェで再び読みとまとめをやる。未だ非生産的な生活が続いている。



mercredi 21 septembre 2011

カール・セーガンさんの "CONTACT" をやっと観る



"Contact" (1997)


気にはなっていたが、観るところまで行かなかった映画をYoutubeで観る。いつもの感想になるが、このような映画だとは思わなかった。原作者のカール・セーガンさんは、アメリカ時代に本やテレビで活躍されていたので、今でも身近に感じている。専門に関してはよくわからないが、科学の普及者 vulgarisateur としては第一級の方と言えるのではないだろうか。

会議三日目、気分すっきり二題、不思議一題 (2011年6月24日)


この映画では科学を取り巻く問題のほとんどすべてが扱われている。例えば、純粋な知的追求なのか利益の追求か、科学と信仰、科学と哲学、そして科学と社会など。もちろん、多くの人を楽しませるのが第一のハリウッド映画なので、取り上げ方が浅い印象は拭えないが、問題点は的確に提示されていた。ふと、このような捉え方ができるのは、あるいはこのような捉え方になるのはこちらに来てからの蓄積が関係しているのではないか、という思いが浮かぶ。公開されて14年、やっと味わうことができた。







mardi 20 septembre 2011

ナンニ・モレッティさんの "Habemus Papam"からメルセデス・ソーサさんが飛び出す


Habemus Papam
réalisé par Nanni Moretti (1953-)


Habemus Papam とは、英語で言えば "We have a Pope!"。新しいローマ教皇が選ばれた時に、バチカンのサン・ピエトロ大聖堂のバルコンから発せられる言葉である。この映画では新教皇がその言葉を聞くが、バルコンに出て祝福の言葉を発するのを拒否する。何がその背後にあるのか。どのような葛藤があるのか、あったのか、いろいろ想像しながら観ていた。バチカンを逃れて街を放浪するが、最後に呼び戻され再びその機会が訪れる。そしてバルコンから発せられた言葉は・・・。信仰そのものに疑念を抱いていたのだろうか。感受性のなさか、最後まで葛藤の中身が掴めなかった。





映し出される世界はヨーロッパの美しさに溢れていた。主演のミシェル・ピコリさん (Michel Piccoli, 1925- )、好感が持てる味のある演技だった。そして、一番の収穫はメルセデス・ソーサさん (Mercedes Sosa, 1935-2009) が歌う Todo cambia の音楽と何ともユーモラスなそのシーンだったかもしれない。もっと聞きたいと思うところで消えていったのは残念だった。

曲のタイトルは 「すべては変わる」

表面だけでなく深いところを変えると、心の持ちようが変わり、世界のすべてが変わる。
自然が変わるように、私も変わる。何の不思議もない。
すべてを変える。すべてが変わる。
昨日変わったものは、明日変えなければならない。
ただ、愛だけは変えないように。

というようなことが謳われている。
ここでその神々しい歌声を再び味わい直してみたい。




ソーサさんは日本でも2回公演し、今から2年前に亡くなっている。
システィーナ礼拝堂でも歌ったことがあるようだ。
そこにいた方であったが、全く気付かなかった。


lundi 19 septembre 2011

ニーチェのフランス観、あるいはフランスへの愛



・・・・・・普段私が頼みとしているのは、ほとんどきまって同じ書物、結局は少数の、まさに私向きの本だと証明ずみの書物ばかりである。多量かつ多種類の本を読むのは、おそらく私の流儀ではあるまい。書斎などというものは私を病気にしてしまう。多量かつ多種類の本を愛好するのもまた、私の流儀ではない。新刊書に対する用心深さ、否、敵意とさえいるものが、「寛容」 や 「雅量」 やその他の 「隣人愛」 よりも、ずっと私の本能に属している。

・・・・・・結局、私がいつもそこへ立ち戻って行くのは、少数の、やや前時代のフランス人の許へである。私はフランス的教養をしか信じない。通例ヨーロッパで教養の名で呼ばれているものは、ことごとく誤解だと私は思っている。ドイツ的教養に至っては言わずもがなである。

・・・・・・ごく稀に私はドイツでも高い教養を持った人に出会ったことがあるが、それはすべてフランス系統のものであった。なかでもコージマ・ヴァーグナー夫人。趣味の問題にかけて夫人が放った発言は、私が聞いた限りではずば抜けて第一級の言葉である。




・・・・・・私はパスカルを読むのではなく、愛している。パスカルはキリスト教の犠牲として最も教訓に富む事例であって、はじめは肉体的に、次いで心理的に、じわりじわりと嬲り殺しにされて行ったのだが、この身の毛もよだつ形式の非人間的残虐の全論理を、私は愛している。私はモンテーニュの洒落気たっぷりの悪戯心の幾つかを精神の中に、否、ことによったら身体の中にも受け継いでいるかもしれない。私の芸術家に対する趣味は、モリエール、コルネイユ、ラシーヌの名前を、多少業腹だと思わなくもないが、シェイクスピアのような野性的天才に対抗して庇護している。以上、前時代のフランス人たちばかりを取り上げたからといって、それはごく最近のフランス人たちも私にとってやはり魅力ある一団をなしていることを、何ら妨げるものではない。歴史上どの世紀に網を張っても、現代のパリにおけるほど、あれほど好奇心に溢れ、しかもあれほど繊細さに満ちた心理家たちを掬い蒐められる世紀がほかにあるかどうか、私はまったく見当がつかない。試みに――というのはその数たるや決して小さくないからだが――これら心理家たちの名を挙げてみよう。ポール・ブールジェ、ピエール・ロティ、ジプ、メイヤック、アナトール・フランス、ジュール・ルメートルの諸氏。もしくは、この強力な種族の中から唯一人を強調するとすれば、私が特別に愛好している生粋のラテン人、ギィ・ド・モーパッサン。打ち明けて言うと、私は以上の名を挙げた人々の属するこの世代を、彼らの偉大な先生格の人々の属する前時代よりも好きである。先生格の人々はおしなべてドイツ哲学によって毒されている。例えばテーヌ氏はヘーゲルによって毒され、ヘーゲルのお蔭で、彼は偉大な時代や偉大な人間を誤解してしまっている。ドイツの息がかかると、文化は駄目になるのだ。戦争が来てやっとのことでフランスの精神は 「救済」 されたのである。




・・・・・・スタンダールは私の生涯における最も美しい偶然の一つだといえる。――なぜなら、私の生涯において画期的なことはすべて、偶然が私に投げて寄越したのであって、決して誰かの推薦によるのではない。――このスタンダールという人こそ、まことに並みの評価の及ばぬ存在である。物事の先を読む心理家としてのその眼。ナポレオンという当時の最大の事実性の間近にいたことを想起させるその事実把握 (すなわち、「爪によってナポレオンを知る」 ex ungue Napoleonem)。最後に、彼が正直な無神論者であることも、少からず貴重なことだと思う。無神論者というのはフランスではきわめて数の少ない、ほとんど見当たらない種族なのであるから。――もっともこの点ではプロスペル・メリメにも敬意を払っておかなくてはならないが。

・・・・・・ひょっとするとかく言う私自身は、スタンダールを嫉んでいるのではあるまいか? 彼は 「神がなし得る唯一の弁解釈明は、神が存在しないことである」 という、最良の無神論的警句を残しているが、これはこの私こそが吐き得たろうと思われる言葉であって、彼に横取りされてしまったのだ。


ニーチェ 「この人を見よ」 (西尾幹二訳)




dimanche 18 septembre 2011

'科学的'哲学を超えた作品の創造



「哲学者とは自らの人生を最初の作品にする創造的な芸術家である」


このようなことを言ったのはニーチェだっただろうか。
その人の考えてきたことが生き方と繋がっていなければ意味がない。
考えることにより自らを変容させていく。
そうしながらより人間に近くなっていく。
存在そのものがその人の思想を体現している。
生き方としての哲学、魂の癒しとしての哲学をも目指したのがニーチェだ。

これが忙しい仕事に追われている現代人に可能だろうか。
外の世界と距離をとり、自らの中に入り、自らを振り返る。
エピクロスの園に入り、自らのエッセンスを探り、知と情を調和させる。
それにより自らを創り直すこと。
現代人にこの瞑想の時間がどれだけ取れるだろうか。
その時間を意識して取らなければ、自らに嵌められている足枷に気付くこともないだろう。

それは大学の哲学学徒とて同じことだ。
対象となる内容は異なるが、対象に向かう姿勢は他の専門と何ら変わらない。
科学と同じ精神状態でやって行けるのである。
哲学が科学になっている証拠だろう。
哲学が何たるかも知らずにこの道に入った者の目にはそう映る。


ところで、これから論文作成をすることになる。
そこに向かうには科学の世界での精神状態を取り戻さなければならない。
理性を取り戻し、立ち上がらなければならない。
瞑想の中に入り、生き方としての哲学に寄り掛かっているとなかなか立ち上がれない。
学問としての哲学と生き方としての哲学の間には深い溝がありそうだ。
この溝を自由に往復できるようになるのは一体いつになるのだろうか。



samedi 17 septembre 2011

雪だるまの要領で、そして何かが進んでいる



昨日の続きではないが、このところの不規則な生活と寝不足のためか、今朝くしゃみと鼻水が出る。カント流に朝の紅茶を味わってから、科学の資料を読むために外に出る。このところ、生き方としての哲学や形而上学に関連した文章を読んでいたので新鮮で、頭の中がすっきりしてくる。いろいろとアイディアは出てくるが、それは飽くまでも小さな種が散らばっているに過ぎない。これからやらなければならないことを考えると、気持ちだけが先走る。立ち往生してどれにも手がつかないという状態だ。ここは雪だるまを作る要領で、とにかく小さいものをゆっくりと転がして行くしかなさそうだ。

帰りに久し振りにトルコのサンドイッチ屋さんに入り、肉を頬張る。鼻水が止まらず、頭がぼーっとしている。そこを出て買い物をしようとしてポケットに手をやると財布がない。どうしてそういうことになるのか、という思いで前の店に走る。全力で走るのは久し振りだ。途中、もし知りませんよと言われたらカードの処理や学生証の再発行など面倒なことになると思いながら急いだ。幸い御主人と息子さんが笑いながら迎えてくれたのでホッとする。もし買い物でもしましょうかと思っていなければ、大変な距離を戻らなければならなかった。考えただけでもゾッとする。確実に何かが進行しているようだ。


vendredi 16 septembre 2011

カントの日課、マルセル・コンシュさんの日課


Kant bei seinem Mittagsmahl
(1892)
Emill Dörstling (1859-1939)


マルセル・コンシュさんの新しい本を読んでいたところ、カント (1724-1804) の日課が出てきた。それによると、こんな具合だ。

朝の5時5分前、プロセインの兵士だったマルティン・ランぺ (ドイツ語では Martin Lampe だが、フランス語では Lempe なのか) が御主人の寝室に入り、「時間です」 と告げる。カントは5時にはテーブルに着き、紅茶を1-2杯飲む。そして、日一度だけのパイプを燻らす。7時にその哲学者は講義に出掛ける。帰ってきて午後1時15分前まで書斎で仕事をする。その時、料理人がランぺとともに 「45分になりました」 と言いに来る。昼食にはグラス半分のラインかハンガリーワインを飲み、お客さんが来るのを待つ。会話を楽しみにしていて、ひとりで食事をするのを嫌っていた。客は2人から時には5人くらいで (冒頭の 「昼食でのカント」 では少し多いようだが)、3時まで食事は続く。ここでも皆さんワインで、哲学者が嫌うビールは決して口にしなかった。

食事の後は、一人で1時間の散策に出る。ケーニヒスベルクの冬は厳しいものだったが、どんな天候であろうとこの散策を欠かすことはなかった。散策から戻ると高級紙や政治関連のものを読み、6時から夜の仕事を始める。夜食は取らず、読書に打ち込む。そして10時になると就寝。冬でも暖房なしだが、カントは布団に包まって暖まる特別な方法を知っていたという。満足してベッドに入ると眠気が襲う。そこで彼は自分は幸せな存在だと思うのである。




コンシュさんの場合は、朝7時から夜10時までが活動のお時間になる。食事の時間は決まっていて、朝8時半、12時半、夜7時半。朝11時までは知的活動。それから新聞に目を通し、手紙を書く。午後は知的仕事か樹木栽培かルヴェルモン (Revermont) 散策、あるいはお昼寝に充て、夕方はいろいろな読書をする。意外だったのは、夜にテレビをよく観ること。ただ、10時になるとどんなに面白い番組があっても寝るという。結末に興味もないし、すぐに忘れてしまうので悔いが残らないようだ。


お二人の哲学者の一日は時計のように規則正しい。カントがほとんど80歳で亡くなり、コンシュさんは89歳でご健在である。振り返ってわが身を見ると、その不規則さは目を覆うばかりだ。規則性の中に身を閉じ込めるのは耐えられないと感じているのか。あるいは、いずれ時計のような生活が訪れるのか。今はわからない。ただ、これから 「仕事」 をすることを考えると、彼らの規則性を参考にするのも面白そうだ。まだまだ試行錯誤が続く。


jeudi 15 septembre 2011

科学と哲学の良い関係とは



昨夜、手元の資料の山をひっくり返していたところ、面白い論文が出てきた。今朝、バルコンに出て関連するものと一緒にいくつか読む。哲学が科学の中で、あるいは科学に対してできることについて、哲学者が反省を込め、将来に向けて書いている。わたしも興味を持っている問題で、これまでに考えてきたことと重なるところが多かった。

いずれの論文も科学と哲学が新しいより豊かな知の確立のためには必要であるとしていることでは一致している。その中の一つに両者の交流が重要であると指摘している人がいる。それは学際的などと称して偶にシンポジウムをやるくらいでは駄目で、実質的で恒常的な交わりが必要だと言っている。さらに、哲学者が自らの問題や言葉に酔ってしまい、その中に留まっているとすれば科学者は全く興味を示さないだろう。科学者をとにかく交流の場に引っ張り出すには、それなりの問題の提示の仕方があるのではないか、と自省している。この著者とともに自らを振り返っていた。

午後には残っていた資料の片付けを一応終える。これからも頻繁にひっくり返し、頭の中をカオスのように埃だらけにしてから仕事に取り掛かるのも面白いかもしれない。頭だけではなく、体にも良さそうである。