dimanche 18 septembre 2011

'科学的'哲学を超えた作品の創造



「哲学者とは自らの人生を最初の作品にする創造的な芸術家である」


このようなことを言ったのはニーチェだっただろうか。
その人の考えてきたことが生き方と繋がっていなければ意味がない。
考えることにより自らを変容させていく。
そうしながらより人間に近くなっていく。
存在そのものがその人の思想を体現している。
生き方としての哲学、魂の癒しとしての哲学をも目指したのがニーチェだ。

これが忙しい仕事に追われている現代人に可能だろうか。
外の世界と距離をとり、自らの中に入り、自らを振り返る。
エピクロスの園に入り、自らのエッセンスを探り、知と情を調和させる。
それにより自らを創り直すこと。
現代人にこの瞑想の時間がどれだけ取れるだろうか。
その時間を意識して取らなければ、自らに嵌められている足枷に気付くこともないだろう。

それは大学の哲学学徒とて同じことだ。
対象となる内容は異なるが、対象に向かう姿勢は他の専門と何ら変わらない。
科学と同じ精神状態でやって行けるのである。
哲学が科学になっている証拠だろう。
哲学が何たるかも知らずにこの道に入った者の目にはそう映る。


ところで、これから論文作成をすることになる。
そこに向かうには科学の世界での精神状態を取り戻さなければならない。
理性を取り戻し、立ち上がらなければならない。
瞑想の中に入り、生き方としての哲学に寄り掛かっているとなかなか立ち上がれない。
学問としての哲学と生き方としての哲学の間には深い溝がありそうだ。
この溝を自由に往復できるようになるのは一体いつになるのだろうか。



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