L'ordre libertaire : La vie philosophique d'Albert Camus
Michel Onfray (Université Populaire de Caen, 1959-)
Michel Onfray (Université Populaire de Caen, 1959-)
曇時々雨の日が続いている。先日のリブレリーでミシェル・オンフレさん(1959-)の最新本を読む。カミュ(Albert Camus, 1913-1960)とサルトル(Jean-Paul Sartre, 1905-1980)の対立を取り上げ、サルトルに賤しめられたカミュの復権を熱く語っている。冒頭には ニーチェのこの言葉が引用されている。
J'estime un philosophe dans la mesure où il peut donner un exemple.
「わたしは一つのモデルを示すことができる人間を哲学者と見做す」
この本の中でこれまでに何度か取り上げた哲学の二つの流れについて、別の角度から説明されている。オンフレさんによると、こうなる。哲学にはデンマークとプロセインの二つ流れがある。前者はキェルケゴール (Søren Kierkegaard, 1813-1855) の生きることと関連した哲学で、後者はヘーゲル (Georg Wilhelm Friedrich Hegel, 1770-1831) に代表される理性や体系を重んじる哲学である。キェルケゴールの流れにカミュがいて、ヘーゲルの流れにサルトルを位置付けている。オンフレさんはもちろんカミュ派である。
キェルケゴールの流れは古代哲学と同質のものを求めている。人生に意味を求めている人に対して、アイデンティティを確立し、自己を創造するために必要となることを考える。したがって、哲学を若者や専門家ではない人に伝えようとする、分かち合おうとする。読まれ、理解されるために書こうとする。明晰な言葉と簡潔なスタイルで。モンテーニュ、デカルト、ディドロ、オーギュスト・コント、ベルグソン、バシュラールの系譜に当たる。
キェルケゴールの流れは古代哲学と同質のものを求めている。人生に意味を求めている人に対して、アイデンティティを確立し、自己を創造するために必要となることを考える。したがって、哲学を若者や専門家ではない人に伝えようとする、分かち合おうとする。読まれ、理解されるために書こうとする。明晰な言葉と簡潔なスタイルで。モンテーニュ、デカルト、ディドロ、オーギュスト・コント、ベルグソン、バシュラールの系譜に当たる。
最初のブログでも触れたショペンハウアーの 『パレルガとパラリポメナ』 にあるように、哲学教師は哲学で生きるが、哲学者は哲学を生きる。そのどちらかである。教師は他人の思想を分解し、料理し、講堂で繰り返し吐き出す。時間割に従順に従う公務員のように。哲学者はよりよく生きるために考える。行動を考え、読み、瞑想し、書く。オンフレさんはカミュこそ哲学者の名に値する作家だと言いたいようだ。
太陽のもと新しきもの・・・ RIEN DE NOUVEAU SOUS LE SOLEIL ? (2005-12-30)
この本は今年初めのル・ポワンでも12ページに亘り特集されていた。
オンフレさんはいつもセンセーションを巻き起こす方のようである。
オンフレさんはいつもセンセーションを巻き起こす方のようである。
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