samedi 28 janvier 2012

テセウスの船 Bateau de Thésée



今週、目と耳から数度入ってきた言葉が今日のタイトルになった。

テセウスの船 

Bateau de Thésée

Ship of Theseus


部分が置き換わった全体は、前の全体と同じものか、違うのか。

プルターク (46?-120) がテセウスの人生を記述した中で、この問いを投げかけた。

これはテセウスの船だけではなく、いろいろなところに当て嵌めることができる。

そもそもわれわれの存在自体がテセウスの船ではないか。

感知はできないが、物理的には日々変容している。

昨日の自分の部品が入れ換わった今日の自分は、昨日と同じ自分なのか。

より具体的には、フランスで行われている顔面移植の話を新年早々に読んだ。

顔が変わった自分は以前の自分と同じなのか。

精神の中身はどうだろうか。

長い目で比較すると、確かに変わっている。

短いスパンでは注意深く観察しなければ、変化は見えてこない。

これらの変化により、過去と現在の自分は違うと言えるのか。

最早、自分という言葉は使えないかもしれない。

そもそも自分など存在するのだろうか?

確かに、免疫学的なアイデンティティを規定する蛋白質は存在する。

しかし、それだけが残ったからといってアイデンティティは保たれているなどと言えるのだろうか。



何気なく始めたが、この船の底は相当に深そうだ。



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