lundi 12 septembre 2011

ニールス・イェルネさんのパリの住処、そしてフランスの原発事故

(このリンク先の地図をクリックすると散策ができる)


未だ論文モードに入らない。いざ書こうという気にならないのだ。本当のところは書くべきことが整理されていないのだろう。今日、ほぼ1年前になるアン・マリー・ムーランさんとの最初のランデブーの内容を確認するために古いメモを見る。そこには参考になることがたくさん残っている。その中にこんなことが書かれていた。

以前に触れたことのある免疫学者、ニールス・イェルネさん (1911-1994) がバーゼルにあった免疫学研究所の所長を終えた後、パスツール研究所にオフィスだけ提供され、1年ほど過ごしたことがある。それはあまりハッピーなものではなかったようだが、その時に住んでいたという 「小さなアパルトマン」 の住所が書いてある。これまで、なぜかその場所を調べた記憶はない。今回、その場所が何度もその前を通っているところであることがわかり、今日の外出予定の前に訪れることにした。

当然のことながら、その場所はすぐ見つかった。当時のことはわからないが、今は1階が l'Incontro (英語でmeeting) というイタリア・レストランで、その上がアパルトマンになっている。ムーランさんが形容したように確かに小さなアパルトマンだ。記念に収めたのが今日の写真になる。イェルネさんはその後、現世から身を引くかのように南仏のお城に移り住み、そこで82年の生涯を閉じている。

ニールス・イェルネという科学者 (2008-06-08)


それはそうと、フランスでも原発事故があったというニュースが日本から伝えられた。庵に籠っている身にとっては寝耳に水。早速ル・モンドに行くと、フランス南部ガール県マルクールの放射性廃棄物処理施設で確かに事故があったと書かれている。亡くなった一人は炭化しており、負傷された4人のうち一人は重傷。事故はすでに収束し、今のところ外部への放射能漏れはないという。エコロジストの代表はリアルタイムで最大限の透明性を持ってデータを公表するように政府に要求している。

先日、こちらの雑誌に載った日本の原発の分布を見たが、海に面して赤い点が密集している。空から見ると、これで本当に大丈夫なのかと心配になる。最悪の場合を考えるのが危機に対する態度だとすれば、日本が人の住めない島になることも想像できる。日本人が国を失い、流浪の民にならないとも言えない。この夏にも感じたが、日本にいるとそんなことはあり得ないという考えに流れがちになる。日本人はテレビでグルメと温泉とお笑いに現を抜かしているうちに本来考えなければならないことを考えなくなったとどなたかが言ったという。この問題はどこにいても身近なこととして考えなければならない問題になりそうである。


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夜半、バルコンに出て、素晴らしい中秋の名月を愛でる。


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