La Garonne
朝、雨が降った後で曇っている
今朝は以前にたっぷり歩いたせいだろうか、街中を観光しようという気分にはならず
歩いては休み、読んでは書く日にするつもりで出掛ける
途中から、素晴らしい夏空が現れる
ただ、風があり、もう6月になろうかというのに、わたしは冬の服装であった
しばらくすると、ガロンヌ川が現れた
前回は、旧市街を彷徨った後、広々とした空間が拡がり感激したことを思い出す
今日もゆったりと流れていた
さらに歩き、この前を通り過ぎようとした時、急に雨が降り出した
ジャック・ティボー(Jacques Thibaud, 1880-1953)の名前が付いたコンセルヴァトワールで雨宿りの読み
ティボーさんがボルドーのお生まれだとは知らなかった
ここは音楽の他、踊りや演劇もやっているようで、身のこなしや言葉の達者な子供たちがホールを動き回っていた
1時間くらいで雨は止んでくれたので、再び歩き出す
午後もカフェで読んでは書いていたが、この間も晴れから雨の間を数度行ったり来たりしていた
前回の訪問は2月だったが、これほど天気が目まぐるしく変る町だとは気付かなかった
連日の雨というのは、そういう意味だったのだろうか
素晴らしい晴れが現れる空の変化は嫌いではない
昨日、こちらに40分ほど遅れて着いたと書いた
今日、その遅れは動物との衝突が原因だったとのお詫びのメールが入っていた
日本の新幹線では考えられないことだが、なぜか憎めない
それは、息もできないほどがんじがらめになっていないところなのだろうか
時間に追われていることに変わりはないのだろうが、そこに余裕があるとでもいう、、、
夜、『春の祭典』100年を記念した番組をArteで観る
ストラビンスキーなどの貴重な映像と今のパリが出てくる
贅沢な気分になる番組だ
他の番組にも目をやると、現世のフランスが確かに動いているのがわかる
それを目に入れずにこれまでやってきたが、かなり異常な生活ではなかったのか
アメリカの経験では、話し言葉はテレビから入ってきたように記憶している
その意味では5年もの間を無駄にしたようにも感じる
確かに、言葉を学び、事実を学ぶにはテレビは一つの方法かもしれない
しかし、それは考えることを阻害するように感じたことも事実である
おそらく、その判断に間違いはなかったように思う
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