先日の散策でのこと
カフェに向かう前に、文房具などを売っているところに本を置いている店に入った
こういうところでも面白いものが目に付くことがあるので、いつも楽しみにしている
その日はマスターの時代を思い出させるこの名前が目に入った
カバニス (Pierre Jean Georges Cabanis, 1757-1808)
医学史、ならびに医学哲学において重要になる人物である
その本はアカデミシャンで眼科医のイヴ・プリカン(Yves Pouliquen, 1931-) さんの手になるもの
Cabanis, un idéologue : De Mirabeau à Bonaparte
医学史、ならびに医学哲学において重要になる人物である
その本はアカデミシャンで眼科医のイヴ・プリカン(Yves Pouliquen, 1931-) さんの手になるもの
Cabanis, un idéologue : De Mirabeau à Bonaparte
早速、カフェで読み始める
最初のページに Auteuil や Cimetière d'Auteuil(オートイユ墓地)の文字が見える
興味深い人間関係が描かれているその本をぼんやりと読み進む
暫くして今いるところがオートイユであることに気付き、起き上がる
店の方に墓地の場所を訊いてみると、歩いて10分ほどだという
偶然にもその近くに住んでいるとのこと
少し休んでから出掛けてみると、静かな住宅街にあるこじんまりした墓地だった
モンパルナスやペール・ラシェーズなどの大きなところでは探すのに一苦労するが、その墓はすぐに見つかった
冒頭の写真である
墓地に向かう時、こんなことが浮かんできた
われわれは見たもの、聴いたもの、読んだものなど、広く言えば触れたものの中に生き、育てられている
そして、自らが表現することだけではなく、それに触れ直すことによっても生かされ、育てられているのではないか
自らの内にあったものが外に出され、それを外界にあるものとして再び触れることによって
受け身のような行為が実は能動的な営みであったり、能動的に行われた結果を受け身で味わう
こうしてみると、受動と能動の境が急に曖昧になる
何もしていないように見える無為の中でも、この命は何かを積極的に行っている
それはおそらく、よく観察しなければ見えないものだろう
そう言えば、カバニスさんはこんな言葉を残している
« Vivre, c'est sentir. »
「生きるということは、感じること」
わたしの最初のブログのサブタイトルは « J'observe donc je suis. » であった
「われ観察す 故にわれあり」
当時の内的状況を観察して創り出したこの言葉
その後いろいろなところに見えざる力を及ぼしてきたように見える
カバニスさんの型に入れ直すと、こうなるだろう
« Vivre, c'est observer. »
そう考えることができると、如何なる瞬間も蔑にはできなくなる
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