Dr. Céline Lefève (Paris) & Dr. Orkideh Behrouzan (Londres)
ディドロ大学、ジョルジュ・カンギレムセンター責任者のセリーヌ・ルフェーヴさんのお話から
まず、なぜ SHS を教えなければならないのかという問いとともに、フランスの状況を説明していた
医学教育が記憶中心になるのは世界共通で、フランスでも考え、省察する時間がないことに変わりはない
科学に基づく技術と実践が中心になる医療においては、暴力的なことも行われている
しかし、その場から離れた視点がなければそのことに気付かない
その意味でも、歴史的、倫理的、哲学的、科学的な省察の時間が必須になる
そのために映画を用いたコースを持っているという
学部3年目で20時間
患者さんを手当することの意味と難しさ、する方とされる側の体験、両者の関係とその限界など
定義し、記載し、検討する
そこでの最終目的は、「患者を聴く」 ということになる
そのためになぜ映画やフィクションが必要になるのか
それは病人が生きているということの複雑さを再現していること
そのため、病気を前にした病人の生と価値観の特殊性を掴むのに向いていること
患者を取り巻く倫理的な問題を具体的に扱うことができることなどの理由が挙げられる
それらすべてが、視点の中心を医療の側から患者の側へ移すことに繋がる
治療という行為が双方向のものであり、そこでの選択が社会の規範や倫理に叶うものであることを学ぶことになる
用いている映画の紹介があったが、その中に黒澤明監督の 『生きる』と『赤ひげ』 が入っていた
それぞれ、死の宣告と苦しみの経験と治療することを学ぶということの意味を描いた作品として
その他には、以下の映画が取り上げられていた
People Will Talk、Bringing out the Dead、N'oublie que tu vas mourir、Gattaca、Les maîtres fou
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