jeudi 7 février 2013

ハインツ・ヴィスマンさんによる文明と文化 (6)



エルンスト・カッシーラー(Ernst Cassirer, 1874-1945)という新カント派に属するドイツの哲学者がいる

彼は文化は一つしかなく、二つの異なる文化があることを心配する必要はないと考えていた

人間と現実(実在)との間で維持されている関係がどのように進化したのか

それを省察することにより、それぞれをはっきりとさせるべきだと考えていたのである


そのために、彼は人間進化に3段階あることを提唱した

最初はアニミズム、神話の段階で、現実が自らに影響を与え、すべてがすべてに影響を与える

人間が木になったり、鳥が人間の中に住んだりする

融合の時代である


二番目は言語の段階で、人間と対象との間に距離が生まれてくる

自分自身を対象と混同せずに語ることができるようになる

現実を目の前に置いた状態になったのである

そのため融合の悦びが失われ、そのノスタルジアを処理しなければならなくなる

この状態における文化とはどういうものだろうか

それは、以前の状態に対するノスタルジアを解消すること

文化とは、今に照らしながら過去を作り直すことになったのである


三番目は数学、幾何学等々の科学知の言語を問題にする表象の段階である

表象の問題とは、現実と新たな距離が生まれること、これまで以上の分離を経験することを意味している

前段階の言語の段階では目に見えていたものが、ここに来て目には見えなくなる

論理による言語で対象を捉えなければならなくなったからである


カッシーラーさんはそこからこう考える

文化の名に値する文化とは、伝統的なものを維持するだけのものではない

文化が生きたものになるためには、文化を生き返らせる必要がある

つまり、文化の仕事とは科学で見出されたものを翻訳する仕事なのである

この統合が行われなければ、文化は生きてこない

科学知が新しくなる度に、一般的な文化と科学的文化は関係を作り直す

ヘブライの宗教性の伝統である目には見えない暗号の解読により明らかになる現実の新しい見方

科学知が明らかにする目に見えない法則が現実の中に登録されているのを見るというキリスト教的欲求

 この両者の間に橋を架けることにより、一般的な文化と科学的文化の関係が作り直されるのである


神を信じようが信じまいが、われわれは文化的にキリスト教的である

 われわれは常に存在と不在、内在性と超越性を和解させるように努めるのである


(完)




Aucun commentaire:

Enregistrer un commentaire