samedi 2 février 2013

ハインツ・ヴィスマンさんによる文明と文化 (4)



ギリシャ的な宗教性とユダヤ的な宗教性を止揚することからキリスト教が生まれた

神はここに存在するに対して、神はここには存在しない

この世界はずっと存在していたのか、無から創造されたのか

文化の目的は瞑想の中に至福を見出すことなのか、目的を達するなどと言い張ることなく実践を続けることなのか

この二つの対立の調和がキリスト教に課された課題であった

あるいは、神を人間にすることにより、この調和に成功したのがキリスト教だった

その秘密が三位一体 (la Trinité)

神(父)が地上に降りたのがキリスト(子)、それが聖霊の形で神に戻ったものの三位が一つであるとする

これがキリスト教の基本的な考え方である


ここで中世まで貫く新たな問題が現れる

神が地上に降りたとするならば、聖書とは別に解読すべきテキストを残していなかったのか

この問いを最初に明確な形で出したのがアウグスティヌス(354-430)であった

信者としては、神がその善意の痕跡をこの世界に残していないとは考えられない

そのテキストを聖書とは別に解読するのがわれわれの務めだとしたのである

その上で、さらにこう問いかけた

神が残した暗号とも言えるテキストは、別の言語と考えるべきなのか

あるいは、物理的創造の基礎にある暗号の理解は、聖書の解釈から得られる啓示によるのか

 アウグスティヌスは、創造について分析、解釈、理解できるなどと考えるべきではないとした


そこで問題が出てくる

それは、物理的創造の中に投げ込まれたテキストは、一体どんな言語で書かれているのかという疑問である

キリスト教徒は最初、ギリシャ的な態度とユダヤ的態度との間を揺れ動いた

ギリシャ的態度は、テキストの解釈から離れ、砂漠に引き籠もり、神の存在を感じようとする

一方のユダヤ的態度は、現象を解釈できるように研究を深めていく

そして13世紀に至り、この問題に対する公式の見方が出される



(続きます)




Aucun commentaire:

Enregistrer un commentaire