samedi 29 septembre 2012

この世界を正確に認識することなどできるのか


この場の記事はワードなどに書いてから移すのですか、と聞かれたことがある

答えは、ノンである

ワードなどに向かうと妙にかしこまってしまい、それでなくても進まない筆が止まってしまうからだ

この画面に向かうと、なぜか言葉が紡がれてくる

なぜか、なのだ


ところで、いつも不思議に思っていることがある

それは、書き込んだ画面を読み直して問題がなくても公開した画面ではどこかおかしいと気付くことだ

単純なことでは、書き込み画面ではタイプ・ミスや変換ミスが目に入らないことが多い

入っているのだろうが、気付かないのだ

公開画面に行くと、すぐに気付くのにである

それから、言葉遣いや文章の流れについても同じことが起こる


自分だけで書いている時には、第三者の目を持つことが非常に難しいことを意味しているのだろうか

それが公開されているという意識が生まれて初めて、そのものを第三者の目でも見ることができるようになるのか

それほど、客観的にものを観るということは難しいことなのではないか


意識には2つのレベルがあると言われる

一つは、感知すること

もう一つは、感知したことを振り返ること

感知についてのリフレクションである

第二のレベルまで行かないと、本当に意識することにはならないのである

それでも完全ではないことは、このブログに確実にあるだろうおかしな文章を見れば明らかだろう


優れた感覚器を持っている人間だが、正確に感知することが如何に難しいものなのか

偉大なる哲学者も頭をひねってきた大問題である

そのことを改めて意識した週末の朝



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