vendredi 14 septembre 2012

感染症研究所でのお話を終える


昨日は国立感染症研究所へお話をするために出かけた

アメリカ時代からの友人であるK氏、学会でわたしの話を聴き興味を持たれたというオーガナイザーのA氏のお誘いで

現場の科学者を知を愛する語りである哲学へお誘いするためもあり、お引き受けした

国の研究所なので、国の医療行政に寄与する仕事でなければ受け入れられない状況とのこと

目的が決まった研究、さらに業務も加わる

わたしの研究スタイルとは相容れないものがあり、耐えられそうにない

研究そのもののあり方について、立ち止まって考える人間が出てきてもよさそうなのだが、、、


その状況はある程度予想できたので、ヨハネス・ケプラー (1571-1630) の考えについても触れることにしていた

彼は科学を創造された完璧な世界について瞑想し、自らの精神を高めるための手段と見ていた 

 物を中心に置く考えから離れ、本質的な問いを考えるための道であるとも見ていた

 経済的な価値ではなく、音楽や絵画と同様の美的価値の追求こそ科学であると考えていた

つまり、突き放した客観的態度で臨むのではなく、精神を含めた全身が関わるような営みとして科学

心身分離の激しくなっている21世紀ではなかなか受け入れられなくなっているのだろうか

今の状況について一歩引いて考えることはせず、流れに身を任せているだけになっているのだろうか


そういう環境なのでK氏はどの程度の参加者がいるのか心配されていたようだが、ご本人の予想は超えていたとのこと

この日は村山庁舎ハンセン病研究センターとの三元中継を予定していたようだが、都合で村山庁舎との二元中継となった

それにしても、このような話に興味を持たれる方が多いということに驚かされる

その期待に応えることができたのかは、いつものように心許ない

話の後のディスカッションでもたくさんの質問が出てきて、こちらの方が刺激を受けた

 このような活動をしていると、科学と社会との接点で仕事をされている方とのお話も抵抗がなくなる

と同時に、お互いの間に引力が働くように感じる

いつのことになるのかわからないが、日本でそのような方向に歩み出すことはあるのだろうか


会場では思わぬ方々と顔を合わせることになった

研究領域が一緒だったO氏とM氏、昔の研究所、研究室で一緒だったダブルW氏など

日本に住んでいれば驚くことなどないはずなのだが、遠くにいてそのあたりの繋がりが飛んでしまったようだ


夜はK氏、A氏、M氏の他、部長をされているK氏、退官後広報を担当されているF氏の皆様が加わり、夕食を共した

話題は研究内容そのものではなく、研究体制の問題、科学論、文化論、そして現世のお話が出たように記憶している

最後に残るのは、そちらの問題になるのだろうか

大いに楽しませていただいた

皆様に感謝したい



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