samedi 14 juillet 2012

ヒンバ族が見る世界、あるいは人が接触する時に起こること


今日は革命記念日
曇ったり、雨が降ったり、青空が見えたりで
少し肌寒い

今週はデルフトの古本屋で手に入れたものをぱらぱらと眺めていた
ダーウィンも会員だったイギリスの王立協会の歴史を各分野の専門家が綴ったものである
 読みながら、そうとは知らずに手に入れていたことがわかった
調べた限り、まだ日本語には訳されていないようだ

Seeing Further edited by Bill Bryson (Harper, 2010)

この中に興味深いピソードが出ていた
その章を書いた著者がアメリカ南部の大学を訪れた時のこと
そこの人類学者がナミビアヒンバ族(Himba)のフィールドワークでの経験を話してくれたという
ナミビアでこういう会話があったようだ
ヒンバ族 「西洋人はお互いの間が何もない空だと本当に考えているのですか」
アメリカ人研究者 「はい。それがわれわれの科学が教えている世界です」
ヒンバ族 「われわれの世界観ではそれぞれの人の周りに個人のスペースのようなものがあります。人が交わる時にはその空間が交錯するのが見えるのです。そのため、誰かと空間を共有していることになり、孤独であると感じることは稀です」
そう言ってから、アメリカ人研究者にこう聞いてきたという
「何もない空の中で誰とも接触しない状態に一体どうやって耐え忍ぶのですか?」
著者は、社会としてわれわれはその孤独に耐えてはいないと見ている。
ダンテとは異なり、われわれはこの空間で迷っていると結論している。


わたしがフランスで生活を始めて数年経った時のこと
アパルトマンの周辺で道行く人たちを眺めているうちに、皆さんがゆったりと生活していることに気付くようになる
そして、それぞれの人が体の周りにそれぞれの空間を携えて歩いているように見えるようになったのである
このエピソードに反応した理由がここにある
まさにヒンバ族の世界にいることになる
ただ、ヒンバ族のようにお互いが出会う時に、それぞれの空間が融合するようには感じていなかった
ヒンバ族のように人間の周りを見ることができるようになると、この世界は全く新しいものになるだろう



もう一つ興味深かったのは、このビデオにあるヒンバ族の色覚である
ヒンバ族の見ている世界はわれわれの世界とは少し違う
それは色を形容する言葉の存在と関係があるようだ
不思議である

人間がこの世界をどう見ているのか
この世界がどう見えているのか
それはなかなかわからない

突き詰めると、とことん話をしなければわからないのだろう
ヒンバ族の色覚にしても接触して、話をしながらの検査で明らかになったのである
もちろん話でも十分ではないだろう
しかし、慮るなどということでは到底理解には達しないことはわかる
人と人との深いところでの接触
表層や形ではないところでの接触が必要になる

 これは国や文化においても当て嵌まるだろう
そして、これからのポイントになるかもしれない
精神の自由な発露とそれを表現する術が求められることになる
仕事の世界に留まっていては駄目なのだ
「それ以外」 を活性化して、すべての人が芸術家にならなければならないことになる



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