lundi 22 octobre 2012

乾燥した思考


今日は午後から散策へ

少し歩くと汗が噴き出すほどの暖かさであった

そう言えば、昨日の夜も20℃ほどあり、バルコンで時を眺めていた

近くのカフェで2時間ほど、昨年ニューヨークであった学会の資料に目を通す


それからさらに歩き、別のカフェへ

論文の骨格についてぼんやりと考えを巡らす

その時、こんな考えが浮かんできた


こちらの乾燥した気候の快適さについては何度も触れている

快適さのもう一つの要素に、乾燥した思考があるのではないか

論理で説明しようとするのが基本にあるためか、それ以外が削ぎ落されているように見える

科学が多くのものを削ぎ落としているように

まず、そのやり方で「こと」に当たる

そこにすっきり感が生まれる

それでも埒が明かない時、湿った感情が顔を出す

そんな順序になっているのではないか


科学に身を置いている時には、いろいろなものを捨象していたためか、すっきり快適であった

しかし、それでは物足りなくなる

何かが欠けたままになっていることに気付くことになった

そのアナロジーで行けば、今の快適さは単なる序章にしか過ぎないのか

いずれ欠けている何かが見えてくるのだろうか



Aucun commentaire:

Enregistrer un commentaire