jeudi 1 novembre 2012

ルソーさんとともにノート50冊を眺める


 C'est la Toussaint !

今年も早11月

時は流れているのか

暦があるからそう思う錯覚ではないのか


 
こちらに来てから万年筆が常備品になったことはすでに触れた

これなしには文字を書くことができなくなってしまったのは、未だに理解できない変化である



こちらに来て少し落ち着いた2008年春から、講義のノートとは別にメモ用のノートを使うようになった

 最初のうち、いろいろなタイプを試したようだが、すぐにA5版のPukka Pad 200に落ち着いた

手の中の納まりがよく、万年筆との相性もよかったためだろう

今やPukkaでなければ駄目、になった

いつも持ち歩き、読んだものについてだけではなく、主観的な世界も綴ってきた

それが最近50冊になった

先日のディドロさん(Denis Diderot, 1713-1784)の全作品ではないが、ページ数だけは10,000を埋めたことになる



その塊は、わたしにとって宝物のように見える

その時々の必死の存在がそこに詰まっているからなのか

それがなければ、ほぼ完全に消え去る運命にあったことがそこに残されているからなのか

書かれている事実だけではなく、あるいはそれ以上に書いた時の自分までもが蘇ってくるからなのか

過去が現在と同じ平面に戻ってくるあの感覚のためなのか



今の生活が終わり、頭の中だけにしか存在しなくなった時、それを読み返すとどんな気持ちになるのだろうか

 ルソーさん(J.J. Rousseau, 1712-1778)は自らの思索の跡を人生の最終章で振り返ることを楽しみにしていた

その願いは叶わなかったが、ルソーさんの思いはわかるような気がする





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